笑い声の汚い奴は大抵デカい声
明日仕事だ、嫌だ行きたくない。
けれどもけれど、しないときには何故だか後悔の念が押し寄せる。
今日は特に代わり映えしない一日だった。
一日だけで済ますことは出来ず、明日野郎に任せてしまう、諸行無常。
貯まるはポイントではなく、ほしい物リストである。
ほしい物をロスカットしていき、断捨離かの如く、主婦になる。
時代遅れの次世代田舎未来の子供達、笑うは洒落の無い笑声を浴びせる。
親と同じような行動を帰す姿は二十代であろうとも「おばさん」呼ばわりして差し支えないのである。
年齢なんて関係ない、生き方こそが年齢という物差しダ。
何処へ行っても一緒だと、毎回のように思うこの頃。
そこには同じじゃなくても同じような、答えなき答えが連なり大きく膨れ上がる。
たんこぶのような、大きく大きくなってしまいまして、雪だるまへと変わっていくように。
多分、そう言って彼等は集団になることによって自尊心を強くしている。 個々は弱い癖に。
穴の空いた靴下と穴の空いた容器のように、捨てるしかない。
有るものが無いかのように捉えてしまう。
この気持ちを変えなくちゃいけないな、と感じる。
意味の無い毎日だと感じるのは、有るものを無いように感じてしまっているからでしょうか。
空間認識は、ノイズによって掻き消されて、三者択一できない。
どうしても、そこに残った端っこのように、余ってしまうんだ。
灯りが落ちる自転車置き場の背の低い屋根に、ブクブク太った烏丸が数センチにも満たない私。
接近しようとも全く逃げようともしないのは、そいつのせいだからだ。