◆ 集団創作実践スレ
ゲロ長いので読む必要ないです。
映画館の話がある。
魔法使いを目指すライラ、ユティカの話がある。
アイアンというHNの者がなんか頑張って長文書いているわ程度の認識で次のページへどうぞ。
1【三百六十五歩のマーチ】107
ぼくはいつもの通り重い扉を開いて、映画館に忍び込んだ。レッドカーペットはずたずたで、屋根は一部が、この前の台風で飛んでいってしまった。おかげでこの薄暗い空間には一条の光が差し込むようになった。ぼくは時々席を移って、日向ぼっこをする。それに飽きたら、映写室に上がって、まだ見ていない映画のフィルムを探す。スクリーンがぼろぼろだから、ずっとは見ていられないけど、それでも何も無いよりまし。
ぼくは日長、ここで彼女を待っている。食事のために動物を追い回す必要もないし、するべき仕事も与えられていない。おおよそ一年前、皆はぼくの前から居なくなった。最近夏がまた巡ってきたから、一年が経ったんだなって気付いた。
映写機をセットして客席を見下ろすと、座席に花が咲いているのが見えた。屋根の大穴から、種が舞い込んだのかもしれない。下へ降りて、その花の匂いを嗅いだ。電流が走ったみたいに、目の前が真っ白になって、髪の毛が逆立つかと思った。鼻をほじりすぎた時と同じで、鼻の奥がひりひりする。ぼくはその花を折って、遠くに投げた。
それから適当な家から盗んできた、パンだとかソーセージを口いっぱいに頬張った。これがぼくの一日の食事だ。スクリーンに映し出された超特大のキスを見て、ぼくも彼女とこんなことがしたいな、なんて思っていたら、今日も夜になった。また明日願いを込めて、ぼくはあの重い扉を開くのだろう。
終わり
2【ファンタジアン名無し】107
散歩の合間に見かける退廃した風景。およそ誰からも忘れられてしまったような工場や建物の残骸を動物たちは昔のように、今も立ち寄ろうとはしない。
たとえばあるキツツキはこう言った。
「私らはあすこで缶詰の中身になった友人を知ってます。いたく追い回されたカラスもたまたま降り立ったハトにだって差はないんです。私らは虫や魚、かれらの卵を食べますがね。あちらだって同じこと思ってましょうよ」
だから、それは本能だった。恋とか悲哀だかをわずらう一方で、どれだけ残酷に『そういうもの』と正反対の感情を催す行為ができるということは。
かれらは死なないために生きているのだ。生きていることを幸せに感じ、そして感謝していない。
……もし私が大人になったとしたら、けして『純真』になれずかれらと相容れる日も少なくなり、それどころかこんな散歩することもなくなるだろう。わずかの希望に・・・・・・昔のような楽しいことがまたおこりますようになんて、下らない思いで死なないように生きていくのだ。
「こんな考えが頭を過ぎる時点で、もう手遅れなんだろうな。君らが私を慕ってくれるのも、私が君らと遊んでふざけて笑い合うのを下らないと思っていないからで、いわば同じ生き物として扱ってくれるからなんだ。声が聞こえて、声を届けられて、それが幸せだと感じれなくなるのが私は怖いんだよ」
成長、ってやつなんだろう。大きくなりすぎた野菜や果物がおいしくないように、私らだってまずくなりすぎてしまうんだ。
たとえば、あすこの映画館は明日取り壊される。あっちの駅は地下だけでなく地上に、中空にもレールを通すことになるだろう。寝転がれる程度でよかったはずの舟は山一つ分ぐらい大きな漁船になり、・・・・・・私たちは安楽に生き延びることができるようになっていくんだ。
「それでも愛していんだよ、私らは。ずうっと遠くから見守ったり、多少は喧嘩することはあってもね」
キツツキはそう言った。
「気にやむことはないんさ。人ってのは死んだってずっと恋だの愛だの悩みまくって、頭ん中で議論し続けるだろうよ。賭けてもいいね。
「だからさ、私らはあなたたちが好きなんですよ」
4【アイアン】1008
風来坊は路地から出てきた果物屋に声をかけた。
「失敬、よろしければ一つものを尋ねてもよろしいかな」
果物屋ははて、と首をかしげた。風来坊はこの男にとって礼節や分別のある口調は別の言語と同じなのだと悟った。
「一つ聞きたいことがある」
「いったいなんでえ」ひどく間延びした口調だった。「忙しいんだ。この――」と言って頭のかち割れた少女を顎で指した。「――盗人を警察に、あれ? 警察だったか、裁判所だったかな? どこだったかな?」
「この男を知らんか?」風来坊は懐から黄ばんだ写真を取り出した。
「綺麗な絵だな」果物屋は言った。
「写真だ。東の地ではまだ機械が動いている。その機械が作る絵だ」
「ほう、それはすごいな」
「重ねて聞く。この男を知らんか?」
「男は毎日見るからなあ」
「この男を見たことは?」
「綺麗な絵だなあ」
「この男をみたことは?」風来坊は辛抱強く訊きつづけた。
「写真か。初めて見たな」
「この男をみたことは?」
果物屋はしばらくぼんやりとしていた。風来坊はこの男が死んでしまったのではと疑った。果物屋は言った。「知らない」
「そうか、手間取らせたな。行け」
それを聞くと果物屋は少女を引きずって歩き出した。すれ違う時、少女の一つだけ残った目が頑強な風来坊を見上げた。風来坊は腰のホルスターに収まった銀色の拳銃に手をかけた。故郷の同僚が見れば笑ったかもしれない。死体相手に怯えて銃に手をかけるなどと知れれば銃を持つことはできなくなるはずだ。だが風来坊は確かに少女の目が自分を追ったのを確認した。風来坊は去っていく男に向かって声をかけた。
「気を付けよ。呪われた土地では死者すらも銃を手にし、剣を振るうであろう」
それは案山子に向かって説教するようなものだった。
果物屋が数メートルほど歩くと少女は上体を起こして果物屋の腕に噛みついた。果物屋は飛び上がるでも悲鳴を上げるでもなく、放漫な動作で鉈を掴んだ右腕を持ち上げると柄を少女の鼻に叩きつけた。少女の首は降り曲がって後頭部が――そんなものほとんど残っていないのだが――背中にくっつく形になった。少女は再び風来坊を見上げた。
「ああ、痛い。ああ、どうしよう」果物屋は左腕を抑えて歩いて行った。「病院に、あれ? 教会だったかな? どこだったかな?」
風来坊は置き去りになった少女の元へ歩いて行った。足を使って壁にもたれかかるようにすると――死者に病気をうつされるのは願い下げだった――左手を革の帽子に乗せた。
「罪人に赦しを、枯れた地に恵みを、そして死者には休みを与えよ」
この地では慰めにもならない文句だった。風来坊は振り返った。そこにはこの土地では比較的若い男が立って少女を眺めていた。
「知り合いか?」風来坊は声をかけた。「まさかな、この辺りの人間ではないな。臭いが違う」
「ぼくはこの子を助けなかった。この子は綺麗な林檎を持っていた」
「綺麗な林檎だと? あの腐った物体の事か? あれがまともな果物に見えるか?」
「ぼくは最初から見ていた。この子は綺麗な林檎を持っていた」
風来坊は片手に持っていた写真を見せた。「この男を知っているか? 俺と同じ東の拳銃使いだ」
「僕はずっと見ていた。この子は綺麗な林檎を持っていた」
風来坊は諦めてその場を立ち去った。風来坊が町の出口付近へやってくると旅の道連れのシェブが三頭のロバを連れてやって来た。
「旦那! ドランの旦那!」シェブは手を振り上げた。
シェブは体格が風来坊の倍はある男だった。常に酔っぱらっていたが風来坊が最も信頼を寄せている男だった。シェブもかつて優れた拳銃使いだったがそれも過去の話だった。シェブは腰のホルスターに挿し込んだボトルからウィスキーを更に一口飲んだ。彼は自らをウィスキーと名乗っていた。
「ここはさっさと立ち去った方がいいですよ旦那。町の人間はまともにしゃべることもできません。もし、奴が立ち寄っていても覚えている奴はいないでしょう。それにここは呪われた土地です。ありとあらゆる好まざる物がここにはあるんです。伝染病に性病に略奪、放射能やそれに続く太古の猛毒があるんです。それに――」シェブ・ウィスキーは体を震わせた。「――口に出すのも恐ろしい物もあります」
「そうだな。よく、ラバを見つけてくれた」
「奇形じゃないのはここじゃ珍しいですよ。だいたいが六本足だったり目が三つだったり、尻に口がついていたりとかそんなのですからね」
風来坊とそのお供はラバに鞍を付けて乗り込んだ。三頭目には荷物を運んでもらうことにした。町をでようとラバの向きを転じたとき風来坊の目に頭の割れた少女がこちらに向かって歩いてくる光景が飛び込んだ。シェブは短い悲鳴を上げた。
「なんてこった。ここは死すらも訪れるのを嫌がる土地なんだ」
「落ち着け、シェブ」
「ウィスキーと呼んでください。その名は捨てたんです」
風来坊はロバを少女の方に進めた。少女は立ち止って残った目で風来坊を見上げた。風来坊は気まぐれのようなもので巾着に入れておいたビー玉を少女の足元に投げ捨てた。少女はそれを拾って汚れを払うと眼窩にはめ込んだ。それを見届けると風来坊は方向を転じてラバを進めた。
「行こう、ウィスキー」
シェブは少女に祈りの文句を唱えた。「死者に休暇を、死者に休みを、死者に安らぎを、死者に楽園を、死者に夢と希望を与えよ」シェブは荷物持ちのロバの手綱を手に取ると主人の横に並んだ。「いったいどちらに?」
「北だ。北に行けば何か手がかりがあるかもしれん」
「北。魔法の国ですね。未だに魔法使いやら魔術師がいるそうですよ。ですが閉ざされた国でもあります。すんなりと行くとは思えませんがね」
「ここよりはましだろう」
「それは間違いありません、旦那」
風来坊とそのお供は遥か彼方へと消えて行った。
6【海外文学風名無し】1010
あるところに一匹のノミがいた。あのちっこくて動物の体にぴょこぴょこくっつきまくっているあのノミだ。彼には本能を自制する知性と言語を介せる知恵があった。ゆえにイヌやネコと対等に会話もできた。
「ボクはわるいノミじゃありませんのでどうかおせなかにのせていただきませんか」
「はいはい、どうぞどうぞ」
しばらくして、彼はまたがる相手を変えることにした。相手はキツネだった。
「キツネさんあちらへむかわれるのでしたらどうかボクをのせていただきませんか」
「かまわんよ」
「ありがとうございます」
そのキツネはとても賢かったので、彼は命の危機がなかった。とはいってもノミ一匹を餌にしようと勇む生き物など限られているのだが。
賢いキツネは彼によく話しかけた。ちっちゃなノミはさらに頭がよくなった。
「俺らは本当はこんなふうに喋れないのさ。こんなふうに喋れるのは人間ぐらいさ。そして人間に通じるはずのこの言葉は、あんまりあちら様に聞こえるようにしちゃあいけないと決まっている」
「どうして僕らは喋れるのですか? 喋れないのが普通なのですか?」
「普通という意味を考えたくはないけどな。俺がまあだコギツネの頃さ、急に誰もかれもがぺちゃくちゃと今まで通りの鳴き声が、長ったらしいセリフになってお空に流れてきたんだ。さすがに爺さん婆さんはボケててわけわからなくなってるけどな」
魔法さ、魔法、とキツネは喋った。
「きっと神様が気まぐれを起こしたんだろうよ」
「はあ。なるほど魔法ですか……」
それからノミとキツネは賢そうな話題ばかりを選びながら散歩に励んだ。哲学がどうたら、流行りの音楽家がどうたら、……けっして葡萄が木から落ちてきそうでこないだとかバレない血の吸い方のことではない。
その中でキツネは彼に名前をつけることにした。人間たちが子どもに名前をつけているように、それが喋れる動物たちにとって「おハイソ」な趣味だとされていたからだ。
「お前の名前はアイボリー・キャメロットな。どだ格好いいだろう」
いえいえそんな、僕には大仰すぎます、と言いたかったが彼は尻尾にしがみつきながら、
「ありがとうございます」と言った。
「『自由になるために生まれてきた。それぐらいの権利はあっていいだろう!』という意味らしい」
「ええ、僕にうってつけですね」
ノミ、いやアイボリーはまだ目的地についてはいないがキツネの背中から退却することにした。
「ここまででいいです。どうもありがとうございました」
キツネは愛想よく返事をし、すたすた歩いて行った。
アイボリーはその後も幾たびの動物たちの背に乗り、とてもためになる話をしながらも長く遠い時間をかけて旅をしていった。その中に人間はいなかった。
そして彼はある日、神のもとへたどり着いた。珍しく誰の背にも乗っていない状態で。
「おお、主よ。はじめましてお目にかかります。わたくしのような者にも等しく生を授け賜りましたこと深く感謝しております」
「なに、そう固くならんでいい」
「実は主よ、そこの狭き門をくぐる前にぜひ一度お聞きしたいことがあるのです」
「言ってみたまえ」
寛容な顔をして神は手を差し出し、アイボリーを指の先に載せた。
「わたくしが生前見ていた世界では人間以外の動物が人間のように物申すことができるのです。かくいうわたくしも例外ではございませんでした。本来のことわりではない事態の秘密は長き旅路にても紐解くことがあい叶わなかったのです。よろしければお教え願いませんか」
よろしい、と神は言った。
「ちっぽけな『ノミ』のひとつよ。わしはこの生きとし生けるものに言葉を授けたのじゃ。さらにはそれで飽き足らず小さきものに高い知性を与え、大きくなるほどに衰えさせることにした。わかるかな?」
神はここで言葉を区切った。「ちっぽけなノミ」が答えられないことを知ってなお十分な空白を作った。
「たとえば人の子なんかそうじゃ。誰もがあやまちを犯し、そこから学び、成長し……なんとも非合理なことをしてしまったものだとわしは悲しんだ。ゆえに賢しい状態からそれを奪い取っていくことにしたのじゃ。すばらしいじゃろう」
その答えに、アイボリーは神の御前だというのに憤慨した。
「しかし、それではかわいそうすぎやしませんか?」
「そうかの? お前さんはめちゃんこ小さいじゃないか。だからいつまでも頭が良かったんじゃ。別に被害に遭っているわけじゃないんだしそう怒ることもあるまいて」
神はやや気分を害したように答えた。
「だいたい、わしの決めることが全てなんじゃ。お前はだというのにも関わらずこのわしに口答えをするとは! なんと嘆かわしい。お前なんぞ地獄に落ちてしまえ!」
手はまっさかさまに下に向けられアイボリーは神の視線から外れて行った。
しかし彼は後悔していなかった。
i was born free. a cat may look at a king.
その名前の通り、感情の赴くままに死んでさえなお、自由であったのだ。
7【名無し】1010
「アタシは魔法使いになる」
瓦礫の上であぐらをかきながら、彼女はいつも通りの突拍子もないことを言う。それに嘆息を返すのは私の役目だ。
「これはまた、寝ぼけたようなことを言いますね、ライラは。もう昼ですよ」
「寝ぼけてねーよ、アタシは本気だ」
私の返答が気に入らなかったのか、途端にライラは憮然とした表情になる。
「北の国には、不思議なことを何でもできる奴らがいるんだろ? んでもって、そいつらを『魔法使い』って言う」
「そうですね。あくまで御伽噺の範疇を越えませんが」
「いーや、魔法使いはいるね。この間、『世界中を旅する行商人』とか言う奴をブン殴って聞き出した、確かな情報だ」
ライラが物騒なことを口走った気がする。というか、いつも一緒にいたはずなのに、そんなことをしていたなんて知らなかった。
「そんな乱暴なことをして、また村のみんなに怒られ……」
そこまで言って、私ははたと口を噤んだ。いつもの癖で、また言ってしまった。そう思った時にはもう遅い。慌ててライラの様子を伺ってみると、彼女は沈痛そうに唇を噛んでいた。
「ご、ごめんなさい……」
ライラは小さく舌打ちをすると、すぐにいつもの彼女へと戻った。
「そいつは言っていたぜ、『魔法使いは普通の人間には出来ないことを簡単にやってのける。不可能なんてない』って。だったら、私たちの目的も果たせるはずだよな?」
彼女が癇癪を起こさなかったことが、少し意外であった。それは「魔法使いになる」という希望が目の前にあるからなのであろうか。
それならば、私から彼女の願いを摘むような真似はしまい。
私は、ライラの魔法使いへの道を手助けすることに決めた。たとえ、その道の先に希望があろうとなかろうと。
「……わかりましたよ。魔法使いになりましょう」
「ウシシシッ、さっすが! お前なら分かってくれると思ってたぜ、ユティカ!」
そう言い、ライラは瓦礫の山から軽やかに飛び降りた。
「んじゃ、早速行こうぜ!」
「どこに行くか決めてるんですかー?」
「都会には『キシャ』っていう、すっげえ速い移動用の乗り物があるんだろ? まずはそこを目指す!」
「はいはい……」
私はライラの後へと続いた。前を駆けるライラは、きっと最高の笑顔をしているだろう。
私は、彼女の笑顔を絶対に守る。
そのためだったら、世界だって壊してみせる。
12【アイアン】1011
風来坊とそのお供が西の拳銃使いと出会ったのは町を発って五日目の事だった。二人は顔の左側に夕陽を浴びながら足を進めていた。シェブはほんのわずかになった酒を一口一口惜しみながら、少しずつ飲んでいた。植物は低い茶色の草が生えているだけだった。他はどこを見ても砂や石ばかりだった。二人は昔の街道の跡を歩いていた。左手には呪いの大地の果てに黄金の落陽があった。右手には荒野の果てに〈摩天連山〉の中でもひときわ大きい山があった。西の地の呪いが東の地へと到達しないのはこの〈摩天連山〉のおかげだった。東の全ての生き物を守っている最も偉大な山脈だった。
山の尾根に星の光が現れ始めた頃、二人は前方左手に古き時代の建物――映画館を見つけた。その時背後から滅多に耳に入らない音を風来坊はしかと聞きとった。彼もほんの数度しか聞いたことのないエンジンの音だった。風来坊は隣で名残惜しそうにボトルに残ったウィスキーを眺めるシェブ・ウィスキーに声をかけた。
「聞いたか? ウィスキー」
ウィスキーはボトルにコルク栓をすると耳を澄ませた。彼はたった一度だけエンジンの音を聞いたことがあった。
「エンジンの音ですね。それもどんどん大きくなっています」
「近づいていると言うことだ」風来坊は振り返った。「あれだ」
二人の背後から自動車が走ってきた。砂埃が付着していて銀色の車体は錆が浮いているように見えた。自動車は二人の横で停止した。シェブは驚きの目で自動車を眺めた。生まれて初めて見たと言うような顔だった。運転手は窓ガラスを下げると二人の旅人を眺めた。
「歩きか?」運転手の声にはどこか冷酷さがあった。
「歩くより仕方がない」風来坊は答えた。
運転手は親指で後ろを指した。「ずっと後方にラバの死体があった。お前たちのか?」
「そうだ」
「奇形でなければ健康だと思ったんだろうがこの地ではそう甘くはないぞ。表面は健康的でも内側では病魔が飲めや歌えの乱痴気騒ぎをしているなどよくあることだ」
「お前もそうか?」風来坊はいつでも銃を抜けるように体勢を変えた。
「私は健康だ。気を付けている。お前たちも気を付けることだ。特に拳銃の男。俺に早撃ちはやめたほうがいい」
そういうや男は降り立った。男は紺色の上等な古いスーツを着ていた。帽子をかぶっていて、それを乗せる顔は痩せていた。目は恐ろしく鋭く、人生の裏道を知っている目だった。男は腰に銃身の短い銃をぶら下げていた。
「拳銃だ」ウィスキーは更に驚きを重ねた。
「何者だ?」風来坊は警戒も露わに尋ねた。「銃を持ち、自動車に乗る人間など滅多にいない。いや、噂に聞いたことすらない」
「広めたければ広めればいい」男は懐からタバコケースを取り出してタバコをくわえた。「車に乗る拳銃使いが西の呪いの土地にいる、とな。しょっちゅう人にだまされる脳足りんでも信じないだろうが」西の拳銃使いはマッチをするとタバコに火をつけた。心と体を落ち着かせる匂いが風来坊の鼻に届いた。西の拳銃使いはタバコを風来坊に差し出した。
「いらん」風来坊は力強く言った。
「物欲しそうな顔をしていた」
「質問に答えよ。何者だ?」
「タルビ」拳銃使いはタバコを吸い込んだ。
「それは名か? 職業か?」
「どっちでも同じだ。格言があるだろう。『我の人生は我のもの。我の仕事は我にしかできぬ我のもの。故に我の名は我であり我が仕事は我であること』とな」
「つまり、タルビはタルビであり、タルビの仕事はタルビという事か」
「自由に受け取れ。こんな時代だが、自由まで人間から逃げたわけではない」
タルビはタバコを放り投げた。タルビは運転席に乗り込むとドアを閉じた。
「どこへ行く?」
「あの映画館で話すとしよう。もう日暮れだ。テントを張るにしては遅い。東の拳銃使いが西の地にいるなど珍しい。このまま何も話さずに別れるのは惜しいだろう」
タルビは自動車を走らせた。シェブは風来坊に不安気な視線を投げかけた。
「西の拳銃使いなんて聞いたことがありません。それにあの男の身のこなし。血塗られた人生を物語ってますよ」
「気を緩めるなシェブ」
「ウィスキーですよ」ウィスキーは最後のウィスキーを飲み干した。「最後の酒よ」
「これを機にシェブに戻ることだウィスキーよ」
「その名前が戻ってくるときは銃と一緒ですよ」
二人は足取りを変えずに歩いて行った。タルビはすでに映画館の前の駐車場に車を止めて車体にもたれかかっていた。
「駐車場が大昔に自動車が大量に走っていたことの証拠ってのは本当なんですかね?」ウィスキーは言った。
「あれが駐輪所だと考える学者もいるらしい。だが自転車を停めるのにあんな大きな場所が必要かという疑問もある」
「どっちにしたって私たちには畑違いでしょうな」ウィスキーはそう言ってホルスターからボトルを手に取った。だが中身が空だと言う事を思い出すと元に戻した。「歴史学者や考古学者にとってこの西の地はおもちゃ屋みたいな場所かもしれませんね」
「おもちゃ屋に入るたびに放射線を浴びるのは勘弁だな」タルビが大声で言った。
「あいつ地獄耳です。この距離で会話を聞いてますよ」ウィスキーは言った。
「旅人は皆地獄耳だ」風来坊は言った。
二人がタルビの元に到着すると彼は掌ほどの機械を持って歩き回っていた。
「それは?」ウィスキーはまたボトルに手を伸ばして引っ込めた。
「ガイガーカウンターだ」タルビは言った。
「放射線測定器? まさか、そんな小型の物が――」
「――あるんだよ」
「線量が高いのか?」風来坊は尋ねた。
「バックグラウンド放射線にしては高すぎるな」
「大丈夫なのかい?」ウィスキーは心配そうに言った。
「この線量なら十か月はいても大丈夫だ。お前たちはどれくらい西の地に?」
「二十七日」
「ということは山を越えて来たな。南回りでここまで来るには相当日数がかかる」
「自動車なら一週間もかからんだろうな」風来坊は言った。
タルビは鼻で笑った。「さすがにこの車では無理だな。改造をしてもっと高性能の電池とエンジンを積み込めばできるかもしれんが」
タルビはガイガーカウンターを車のトランクにしまった。
「馬よりも速く疲れ知らずと聞いたが」風来坊が言った。
「たしかにそうだ。俺の車だと時速四十キロメートル。それ以上だと回復電池を休ませないと走れなくなる。休みなしで走るなら四十キロだ。ガソリンを使えばもっと速く、長く走れるがこの大陸にガソリンを作る技術はないし、機械の遺物からとれるガソリンなどしれている」
「あんたいったいどこで車なんて手に入れたんだ? 車を持っているのなんて超一級の金持ちか貴族か研究機関ぐらいだ。税金だってかかるし」ウィスキーは言った。
「俺は超一級の金持ちか貴族か研究機関員には見えんか」
「そんな奴らはこんな場所にはいない。何より銃を持つ権利はない」風来坊は言った。
「まあ、こんな場所まで税金徴収員はやってこない」
「税金未払いは違法だぜ」ウィスキーは言った。
「ここは無法地帯だ」
「どこでどうやって手に入れた?」ウィスキーは再び訊いた。
「見知らぬ土地を旅する男女がいた。最初に殺されたのは穿鑿屋だった。という言葉を知らんか?」
タルビは鍵を抜き取るとロックをして腰のキーホルダーに吊るした。風来坊はウィスキーの耳元で一言囁いた。「藪蛇」
「気を付けますよ、旦那」
タルビを先頭に三人は映画館へと入って行った。映画館の天井には穴が開き、床にはかつて天井だった瓦礫が転がっていた。壁の建材は判断がつかないほどボロボロだった。頑丈な合金の骨組みも大きな時間の前に大敗を喫していた。むき出しの銅線が壁に浮き出ていた。カウンターの上の電光掲示板は屑となっていた。入口のすぐそばには〈絶賛上映中!〉という文字が残っていた。その下に昔の映画の宣伝ポスターの残骸があった。ほとんどが風や虫にやられていた(この辺りで雨が降るのはまれな事だった)。シェブ・ウィスキーはわずかに残ったポスターの文字を読み取った。
〈十三日の金曜日 パート134 ジェ ソ リ 虐 と悲鳴〉
〈ポケットモン と博士の 〉
〈アバター ザ シス〉
〈コジラ 1 54年版 リバイバル上 中!!!〉
風来坊は胸がむかついた。
「古代文明の建物はどうにも好かん」
「嫌いか?」タルビはフレームだけのカウンターへと近づいた。「ポップコーンマシーンだ」
「動いたとしても喰いたくないね」ウィスキーは言った。ウィスキーの顔が輝いた。「酒はあるかい? ビールでもいい。このさい発泡酒でも。太古のワインはあるか?」
「無い。諦めろ」タルビは言った。タルビはカウンターにもたれて風来坊に目をやった。「なぜ昔の建物が好かんのだ? 今にも崩れそうだからか?」
「昔の人間の生活が垣間見えるからだ。とてもとても古い時代、人間は高い技術と文明を持っていた。大地を我が物とし、他のどんな動物よりも強く、賢かった。機械と友達になり、魔法を手に入れた。そんな人間がどうしてこんな時代にいるのかと思うとやりきれなくてな」
「哲学者め。人類は衰退し、時代は移り、世界は変わった。それだけのことだ。理由はどうでもいい。事実はそうだ。病気のせいかもしれん。古い小説では人類は昔、結核に怯えて生きていた、そしてそれを克服した、その次は癌が人類を襲った、そして再び克服した、と書いてある。真実かはわからんが歴史は繰り返すという格言がある。あるいは戦争か。ノアの洪水が再び起きたのかもしれん。それか天変地異がおきたか。宇宙人が襲来したか」
「あんたの言う事滅茶苦茶だ。どれも小説の話だ。小説ってのは事実と嘘を混ぜ込んだものだ。前書きにこのお話は嘘ですって書いてあるだろうが」ウィスキーが言った。
「だから理由はどうでもいいといっただろう。常に理由を求める者は現実を見ない」タルビはタバコをくわえて火をつけた。「ここが気に食わないのなら外で夜を明かすことだ。私は――」タルビは天井を見上げた。「――車で眠ることにする」
タルビは出口へ歩き出した。
「おい、話はしないのか?」ウィスキーが言った。
「飯を取ってくるだけだ」タルビは歩きながら振り返った。
「映画館を調べよう」タルビが消えると風来坊は言った。「得体のしれない何かがいるかもしれん」
二人はそれぞれ別れて館内を調べた。風来坊は上映スクリーンを調べていった。まったくの無人だった。虫すら見なかった。シェブ・ウィスキーは映画の保管室やスタッフの休憩室などを順番に調べていったどこもかしこも時間の魔手に掛かっていた。ウィスキーはいくつかの映画のフィルムやビデオ、ディスクを持って主人を探した。風来坊とウィスキーは二番スクリーンで合流した。
「生き物は一切いませんでしたが映画はどっさりありますね。高耐久フィルムに強化テープのビデオ、劣化防止加工をしたスーパーディスク。きっとまだ動きますよ。見ますか?」
「昔の人々の生活を見るのは苦痛だ。どうしても今との格差を感じてしまう」
「そんなんじゃ映画は楽しめませんよ。現実と映画を比べるのはいけない事です」
シェブ・ウィスキーは抱えた映画を床に放り投げた。ウィスキーは水筒や食料袋を降ろすと腰に手を当てた。木の枝を折ったような音がした。関節を曲げた時のポキポキという音とはあまりにもかけ離れていた。ラバに背負わせていた荷物をそのまま持って歩いたのだから無理もなかった。風来坊はボロボロになった椅子を蹴り飛ばした。椅子は砂の城のように崩れ落ちた。隣の椅子を蹴ってみると同じように崩れた。その隣もまた同じだった。
「椅子は使えないな」風来坊は鞍を置くとそれを椅子にした。
ウィスキーは近くの瓦礫に座って鞍を脇に挟んでもたれかかった。タルビは二人を探し当てると車から持ってきた簡易椅子に腰かけた。タルビは食料を入れたバッグから缶詰を取り出してナイフで蓋を開けた。旅人二人の目は缶詰に釘づけになった。ウィスキーは唾を飲んだ。
「ツナだ」彼は酒を差し出してでもそれを食べたくなった。
「一口もやらんぞ。これは私の食べ物だ。お前らはお前らの物を食え」タルビは言った。
「一口ぐらい恵んでもらったって。ツナなんて故郷でも滅多に食ったことがないんだ」ウィスキーは言った。
「故郷で滅多に食えない物をこの地で食えるなんて思わない事だ。いや、奇形牛や汚染水ならいくらでも口にすることができるな」
「こんな呪いの地で出会った。何かの縁だ。恵んでくれたって」
「卑しいぞ、ウィスキー」タルビはスプーンでツナを食べると風来坊をみやった。「そう言えばお前の名前は知らんな。名はなんと?」
「名は捨てた」風来坊は答えた。
タルビは二人を交互に見やった。「なるほど。名前を捨てた二人の旅か。ウィスキーというのも別の名前だな。たしかこっちの男がシェブと呼んだ。それがお前の名か」
「ウィスキーだよ。今はウィスキーだ」
「酒も持ってないくせにか」
「その銃はどこで手に入れた?」風来坊は唐突に訊いた。
タルビは手を止めて風来坊を睨んだ。シェブの頭に拳銃使いの決闘の光景が浮かび上がった。音が一際大きくなったようだった。沈黙。
「訊かなかった事にしよう」風来坊は言った。
「それがいい」タルビは言った。
「だけど、自動車も銃の事も話さないとなるといったい何を話すんだ。流行りの服か?」ウィスキーは自分たちの食料袋からビスケットを取り出して言った。
「お前たちがどこに行くかを話したい」タルビは食べた缶詰を放り投げた。ウィスキーは希望を込めて食べ残しが無いかと覗き込んだがタルビは油一滴残さなかった。タルビは次の缶詰を開けた。次はコーンだった。「私の予想では魔法の国だ」
「その通りだ」風来坊は答えた。
「なぜ行く?」
「訊くな」
「教えれば車で連れて行ってやる」
二人は目を見合わせた。それは願っても無いことだった。風来坊は視線を西の拳銃使いに戻した。
「もともと魔法の国に行く気だったのだろう。俺たちはついでだ」
「その通り。頭が回るな」
「男を追っている。今は探していると言ったほうがいい」風来坊もビスケットを手に取った。
「ということは手がかりが無くなったから何かあるかもと魔法の国へ向かっている」タルビは乾パンの缶詰を取り出した。
二人は答えなかった。
「その程度で魔法の国には行かない事だ」タルビは水を飲んだ。「あそこは完全に鎖国している。鉄道も通っていないし整備された道もない。食料も国内で自給しているだろう。貿易、交易の類は一切なしだ。国内の様子は完全に謎だ。黄金の都があるという者もいれば全てクリスタルできているとも言う。地下に都市があるとも聞けば町を持たないという噂もある。魔法の国の住人はロボットとも古代の人間の生き残りとも。憶測だらけだ。実は魔法の国ですらないという奴もいる」
「まさか、みんな魔法の国だと思っている」ウィスキーは言った。
「火元のわからない煙だ。信じるのはどうかしている。名前がない国だから便宜上魔法の国と呼んでいるに過ぎない。お前たちもそうだろう?」
「そんなに言うという事は俺たちを北に連れて行きたくないのか」風来坊は言った。
「違う。約束は約束だ。なぜ北に行くかお前たちは話した。男を探しているとな。だがお前たちが止めると言えば俺も行かない。それだけだ」タルビは缶詰を投げ捨てると食後のタバコを取り出した。
「ダメならば仕方がない。この西の地に来て手がかりが一切消えてしまったから僅かばかりの希望を込めていくだけだ。掴んだ藁がちぎれてもそれは仕方のないことだ」風来坊は更にビスケットを一枚手に取った。
「にしてもタルビの旦那、やたらと詳しいですね。まるで一度行ったことがあるようですね」ウィスキーは言った。
「東の地から国境を訪ねたことがある。国境の警備員は共通語を話していたが奇妙だった。訛りのない共通語を話していた」
「それは妙だな。訛りのない共通語を話せる人間など最高裁判官ぐらいだ」風来坊は言った。
タルビはタバコを差し出した。二人は受け取った。
「とにかくあの国は謎だらけだ。そして噂が絶えない。好奇心に弱い冒険家が目指したという話はよく聞くが帰ってきたと言うやつを俺は知らない」タルビはマッチで火を灯していった。もう日は落ちていた。タルビはバッグから電気ランタンを取り出した。「気持ち半分で行ける場所ではない。帰るつもりならなおさらだ」
「帰るつもりはない。だから名を捨てた。俺もウィスキーも」風来坊は胸いっぱいに煙を吸い込んだ。好みではないがいい味だった。
タルビは電気をつけると辺りにスプレーをまいた。
「そのスプレーは?」ウィスキーは尋ねた。
「虫よけ剤だ。夜に明かりをともすなら必ずする必要がある。そんなこともせんのか?」
「日が落ちればすぐ寝るもので」ウィスキーは灰を落とした。
タルビはスプレーをバッグにしまうと短くなったタバコを放り投げた。赤い点が闇の中で飛んで消えた。風来坊は天井を見た。崩れた隙間から見える夜空は黒一色だった。
「西の地では星の光すら届かない」タルビはランタンのつまみをひねって明るさを調整した。「その追っている男の写真か絵はないのか?」
「今残っているのはこの一枚だけだ」風来坊は写真を取り出した。
タルビは受け取るとランタンの明かりでその男の顔を見た。
「特徴のない顔だな。普通すぎて何とも言えん。商店を経営していそうだし床屋でいても不思議じゃない。バーテンダーをしていても騎士でも銃士でも貴族でも庶民でもありえそうだ。平々凡々という言葉がここまで似合う顔もないだろう。どこかで会っていたとしても覚えてるわけがない」タルビは写真を返した。「謎な男だ」
「あんたほど謎めいてはいない」風来坊は写真を用心深く懐にしまった。
タルビは不敵に笑った。電気の明かりが照らすとそれは邪悪な笑みにも見えた。
「たった一人の男を追って魔法の国まで行こうとするなどよっぽどな理由があるな。何とは訊くまいが」タルビは立ち上がると椅子を折りたたんだ。「明日は休みなく走る。俺はもう寝る。コールマンは置いて行ってやる」
「コールマン?」ウィスキーが訊いた。
タルビはランタンを指差した。「そのランタンの名前だ。ほとんど掠れているがわずかにコールマンと読める。きっとコールマンという男の持ち物だったのだろうな」
タルビはバッグから懐中電灯を取り出すとその明かりを頼りに自動車まで戻って行った。ウィスキーは辺りを見渡した。どこも闇だった。
「こういう遺跡って言うのは不気味ですね。機械人間でも出てきそうだ」
「歯を磨いて寝床の支度をしろ。こんなに強い光があっては闇に目が慣れない」
「あまり電気の光を嫌うのはどうかと思いますけどね」
朝になるとタルビはフルーツの缶詰を食べながらエンジンの調子を確かめた。そして回復電池がしっかり蓄電しているのを確認した。
「今日はいつもより重いぞキャディ」
タルビは後部座席の荷物をトランクや助手席に移動させた。
風来坊とそのお供がやってくるとタルビは二人にスプレーを渡した。
「これはいったい?」ウィスキーは尋ねた。
「消臭剤だ。俺の自動車に乗るんだ。臭いを付けられたら堪らん。お前らは相当臭い」
二人は黙って自分の体にスプレーをかけた。
「荷物は屋根の上に括り付けろ。鞍もな。ロープぐらいは扱えるだろう」
準備が終わると彼らは車に乗り込んだ。ウィスキーは内心わくわくしていた。彼は車を見たことはあっても実際に乗るのは生まれて初めてだった。風来坊は不安だった。彼は古い時代の機械や道具にやたらと懐疑的だった(だが銃は別だった)。タルビはエンジンを始動させた。ウィスキーは「おお」と声を上げた。タルビはバックミラー越しに二人を見た。
「魔法の国か」
「そうだ」風来坊は言った。
「まさか生きている内に車に乗れるなんて思ってなかった。死んでも霊柩車に乗れるとは限らないからな。こりゃ自慢になるぞ」ウィスキーは言った。
自動車はかつて大量の車を預かった駐車場を立ち去った。駐車場は最後の利用者かもしれない自動車を惜しむわけでも見送るわけでもなく今までの車にしてきたのと同じように無言で送りだした。映画館に静けさが戻った。
太古の乗り物は走り去った
13【アイアン】1023
くちゃくちゃくちゃ。
下品な音を立てて干し肉を食い千切るコリクサを、アイシドクルーンは冷たい目で見ている。
「いい加減、その汚い食べ方、やめたら? イライラするし、食べ物が可哀想よ。食材に贖罪しなさい」
コリクサはウィスキーを口に含もうとしていたが、アイシドクルーンの台詞に大笑いする。
「ルーン、それサイコー。高度な駄洒落だ」
「うっさい。それより依頼よ。依頼がないなら、あんたとなんか会いたくないわ」
「依頼だけに、イライラするからかい? っくく……、あー、おもしろい。
何の話だっけ。ああそうだ、つれないな、ボクはずっと逢いたいけど」
アイシドクルーンは身震いした。なぜこの男はこんな気持ちの悪い雰囲気を醸し出せるの? 一種の才能じゃないかしら。
オエー、と吐くジェスチャーをしながらアイシドクルーンはコリクサをひと睨み。
くちゃくちゃくちゃ。変わらない咀嚼音に人差し指でトントンと机を叩いてみたものの、コリクサはまったく動じない。
「セイクールロジャスが――知っていると思うけど、ゴミクズのように無知なあなたに教えてあげるわ――」
「愛の鞭ってわけだ」
「黙れ」
だんだんと言葉遣いが荒くなってきている。いけない、淑女の言葉遣いじゃない。アイシドクルーンは一息ついて続ける。「セイクールロジャスはこの店の主人なんだけど――裏にできたパンジェンシータのせいでお客様が減ってしまっているみたいなの」
「パンジェンシータの店を騒がせたい、ってわけだ」
「最近は寒いから、暖かくしてあげて」
コリクサが急に立ち上がってこちらへ向かってきたので、アイシドクルーンはさっと華麗なバックステップ。
「ルーンは寒くないのかい? 人肌で暖められたいとは思わない?」
「わたし、暑がりなの」
コリクサの指を閉じたり広げたりの動作は、素早い不快害虫のもがく足を想起させた。
「そういえば、ボクは低体温なんだ」
「やっぱり寒いわ。……ここはわたしが奢るから。104番倉庫を開けるには、あなたの名前を言ってね、クシェルマキテートさん」
「さん付けか、イケズだねぇ……ボクと君の仲じゃないか」
「黙れゴミクズ無知野郎」
「ゾクゾクするな、そそられる」
「クソマゾはキモいから死‘ね」
そう言い捨てると、アイシドクルーンはセイクールロジャスの店から出て行った。
任務を達成したあとに捕まって死ねば良いと思う。
扉の外では砂塵が舞っており、物が散らかって入るものの埃はない店の中にいたアイシドクルーンは思わず咳き込んだ。
コリクサが追ってこないかキョロキョロと辺りを見渡す。さすがにこないだろう。彼は104番倉庫を開けて金銭を支払う必要があるから、その分のロスはある。
少し歩くと馬車があった。
「もう出してくれるかしら?」
「へえ、予約はねぇ……です。お一人様ですとこんくらい……です」
敬語に慣れていない馭者は指を五本立てる。
「構わないから早く行ってちょうだい」
「わかり……かしこまった、じゃねえ、かしこまりました」
山道に入った。
そこでアイシドクルーンは違和感に気づいた。ナイフを座席に刺してみると、ドサリと鈍い音がしてコリクサが地面に落ちたのが見えた。ナイフには血がべったりと付いている。やった。新聞紙でナイフを拭くと、新聞紙は適当に捨てておく。
「ん? 何の音だ?」
「気にせずに飛ばして。物を落としてしまったのだけれど、大したものじゃないからいいの」
ここからコリクサの仕事が終わり呼ばれるまでの間、アイシドクルーンは自由だ。
南へ向けて馬車は進んでいく。
進む、進む……
14【アイアン】1130
アイボリー・キャメロットが最初に感じた感覚は落下だった。それも特別な。ノミの性分として跳んでは落ちる、それは特別な事ではなかった。だがこの落下は今まで感じたことがないものだった。辺りに光は見えない。アイボリーは顔を下に向けた。
《僕は頭から落ちている。だから僕の下は世界の上だ》アイボリーはそう思った。
そこには針の穴ほどの光があった。そして時間とともに小さくなって行き、最後には闇にその位置を明け渡した。空気すら感じられないほどの闇――時間すらも消えるほど濃い闇――の中をアイボリーは落下して行った。
《僕はどうなっちゃうんだろう。きっといつぞやのカラスさんが教えてくれた地獄へ行くんだ。そこへ行くとノミはどうなるんだろう?》
アイボリーは泣きそうになった。そして不意にそのカラスとの会話を思い出した。
「暗黒の果てがどうなってるか気にならないかい?」
「そりゃ気になりますよ。だけど私はノミです。犬が一歩歩く距離を大層な時間をかけて移動する生き物ですよ。見れっこありません」
「どうだか。私の飼い主だった人――もちろん人間ですよ――がいつも言ってました。魔法を使え、ってね」
《さよなら僕に親切にしてくれたみんな。アイボリー・キャメロットは暗黒の果てへ追放されました。バイバイみんな。バイバイ》
それを最後にアイボリーは思考を暗黒に任せた。
再びアイボリーの意識が明瞭としてきたのは地に足がついた時だった。地獄の土。そう思うとアイボリーは全身が凍りつくようだった。彼は恐る恐る辺りを伺った。そうすると意外や意外、彼のいるところはどこぞの廃墟ではないか。
四角い玄武岩を積んだ建物は荒廃していた。廊下の窓にはまった鉄格子は錆びていて息を吹きかければ崩れそうだった。アイボリーの正面に見える廊下の奥の木の扉は太陽光と熱風にやられてボロボロだった。アイボリーの右手には鉄格子があって、奥に進むと壁、そして鉄格子、壁、鉄格子と続いていた。
《知っているぞ。ここは。ゴリラさんが話してくれた牢屋だ》
左手の窓から乾いた風と砂が吹き込んできた。
《僕はここに閉じ込められるのか?》
「だけどノミが悠々に通れるくらい格子の感覚は広いぞ。これは犬とかライオンとかの大きい動物のための牢屋だ」
「いったい誰だい!」
乾いた、鋭い声が飛んできた。アイボリーはびくりとした。ひょっとすると地獄の番人かも。
「なるほど。新入りか」声の主はそのまま黙りこくった。
アイボリーは不思議に思って声の主がいる牢へと向かった。今は乗れる動物もいないから自分の足で。窓から入った砂が小さい山になっていて、ノミが乗り越えるのは一苦労だった。歩いたり跳んだりしながらアイボリーは声の主がいる牢へとたどり着いた(たどり着くまでは恐怖や不安や寂しさがひしめき合っていたが、いまでは好奇心が彼の心に釘を打っていた)。
牢屋の動物はアイボリーが今まで見たことのない生き物だった。猿に似ているけれども毛がまったくない。猿の仲間だとは思う。おっぱいがないから多分雄。肉はとても少なく、骨と皮ばかり。目玉もなく、眼窩はただ暗かった。唇はひび割れていたけれども血は一滴も出ていなかった。
「あなたはどなたですか?」アイボリーは尋ねた。
「ああん! いったい誰だい。誰かいるのかい?」
目のない男は言った。声は掠れていた。それも鳥のような綺麗な掠れ声じゃない。恐ろしく衰弱した印象を受ける掠れ声だった。
「はい、ここにいます」アイボリーは答えた。「あなたはひょっとして人間ですか?」
「あ、ああ、そうだとも。人間さ。生きている人間だよ。死んだのならたくさんいる」
男はそういって筋肉のない腕で牢屋を払った。アイボリーは見渡してみた。人骨がいたるところに転がっていた。アイボリーは身震いした。
「あなたはどうして牢屋に入ってるんです?」アイボリーは震えた声をだした。
「忘れたよ」静寂。「水! 水をくれよ。外に井戸があるんだ。汲んできてくれ。誰かが毒を放り込んでなければ飲めるんだ」
男が唇を動かすと皮膚がぱっくりと避けてどろりとした血がゆっくりと顎から首へと流れて行った。まずそうだ、とアイボリーは思った。
男は首に着いた血を指で撫でた。するとその指を一心不乱にしゃぶり始めた。
「濡れてる! 俺は濡れてる! 水だ! 俺には水が流れてるんだ」
《これが人間? あの神様がこんな風にしたのか? それとも元からこんな生き物?》
すると突如、廊下の奥にあったボロボロの木の扉が吹き飛んだ。埃と木片が辺りに散らばった。木の板がアイボリーを潰してしまわなかったのは幸運だった。アイボリーは扉の方へと目を向けた。そこには光を切りぬいたような人型の影が悠然と立っていた。影は音もなく廊下を歩いてきた。やって来たのは人間の男だった。だが牢の中の男とはまったく違った風体をしていた。骨に健康的な肉がついていて、水分があり、目玉があった(赤い目だ)。歩き方は風のように淀みなく美しかった。これほど見事な歩行をする生き物はいない、とアイボリー・キャメロットは思った。牢の男となにより違うのは服を身に付けている事だった(血のように真っ赤な布の服だった)。
赤衣の男は牢の男の前で停止して体を向けた。
「誰か来た」牢の男は言った。
「左様」男は瞭然とした声で言った。
「新しい人だ。二人目だ」
「左様」
そう言われてアイボリーはびくりとした。自分は気づかれている。それがなんだかとても恐ろしいことのような気がした。蜘蛛に嗅ぎつけられたみたいに。
「そなたの名はラン・ラルジンに違いないな」
「違う。違う。忘れた。あれ? 俺は、俺は。水!」
赤衣の男は屈みこんでラン・ラルジンと目線を合わせた。
「良く聞け。お前はラン・ラルジンだ。思い出せ」赤衣の男は優しい声で言った。だがそれはどこか邪悪な、悪魔のささやきにも似た声だった。
ランは顔を振り回すとしばらく静止した。「そう。俺はラン・ラルジン」
「よかろう!」赤衣の男は立ち上がった。「ならばその牢屋から出てくるがいい」
「できません。喉が渇いてますし腹もすいてます。目も渇いて朽ちてしまいました」
「魔法を使え」赤衣の男は言った。
アイボリーはぎくりとした。あのカラスの事を思い出したのだった。
「できません」ランは悲劇的な声で言った。
「アイボリー・キャメロットですら魔法を使っている。奴はノミだぞ。そしてそなたは人だ。ノミにできることがなぜ人にできぬ。さあやってみろ!」
アイボリーは腹が立った。バカにされたような気がしたのだった。だがだからと言ってこの男に飛び掛かるほど短気ではなかった。そうであったのならここまで生き延びてなどいない。
《待てよ。生き延びてる? 僕はまだ生きてるの? それとも死んだ?》
「できません!」ランは魂の限り叫んだ。
「ならば私が手を貸してやろう」
赤衣の男はブーツの踵で石の廊下を叩いた。するとランの牢屋の錆びた鉄格子が粒になって崩れ落ちた。アイボリーは目を見張った。地面を蹴っただけで、錆びているとはいえ、鉄棒を錆の山に変えるなど尋常の技ではなかったからだ。
「さあ! 出てこい!」
「できません。目が見えないのです」
「ならば私の姿を映してやろう。私を頼りについてくるがよい」
赤衣の男はラン・ラルジンの額に唾を吐きかけた。窓から入ってくる熱風で唾は瞬く間に乾いた。するとラン・ラルジンは赤衣の男の方をしっかりと見据えた。
「見える! 見えます! ええ、あなたの御姿が見えます」
「ならばついてこい」
「はい! もちろんですとも。ですが、できれば水を」
赤衣の男は足元にある砂山に手を突っ込んだ。そして引き抜いたときには、水筒を握っていた。赤衣の男は一息で砂を吹き飛ばすとランの手にそっと添えた。ランは狂ったように蓋を開けると有無を言わせずに水を飲んだ。
赤衣の男は振り返ってアイボリー・キャメロットを見下ろした。
「そなたも私についてこい。アイボリー・キャメロット」
「あなたは誰なのです?」アイボリーは恐れながらも言った。
「そうだ! 自己紹介をしてなかった。私はフーだ。径庭を渡る魔道士。崩れた物を直す修道士。フーだ。アイボリー・キャメロットよ。世の真実をしりたいか?」
「ええ、知りたいですとも」アイボリーはためらいがちに言った。
「ならばついてこい。世の全てを見せてやる」
魔道士フーは最初に現れた戸口に立つと振り返った。「行くぞ死者ども。貴様らをあるべき廟へと連れて行ってやる。水は高所から低所へ。火は大地から天空へ。土は土へ。死者は死へと。世にはあるべき姿と言うものがある。それを取り戻させてやる」
赤衣の男は光へと消えて行った。ラン・ラルジンは空の水筒を投げ捨てると男の後を追いかけた。アイボリーは寸の所でラン・ラルジンにしがみつくことに成功した。
心は不安だった。だがアイボリーは世の真実を知りたいと、心底思っていた。
自由になるために生まれてきた。それぐらいの権利はあっていいだろう?