◆ 「集団創作小説」投稿用スレ 7話/三百六十五歩のマーチ
15【7話/三百六十五歩のマーチ】0306
映写機が回る。虚しい音を立てて、スクリーンへ光を投射する。少年は映写機に乗せて、自分のイメージを銀幕へ投げかけた。少女がスクリーンを抜け、こちらの世界に降り立つ。音もなく境界を飛び越えて、少年に会うためだけに現実へやってくる。
彼はかぶりを振った。馬鹿らしい、とわざわざ口にまで出した。自分に言い聞かせるためだったが、それは自らの願望に沿うように否定しているだけだ。映写機の音が虚しい。
少年は下へ降りて、上映室の扉を開けた。初めての時と同じように、青白い光が少年を包んだ。初めは眩しくて彼には見えなかった。次第に目が慣れていくのに合わせ、少年は事態を飲み込んだ。
「……久し、ぶり」
その言葉に少女が振り返った。おさげが揺れて、スカートの裾が円を描いた。
「久しぶり?」
少女は首をかしげて、それから笑った。
「昨日も会ったばかりなのに」
「ち、違うよ。あれから……もう随分経ったよ」
「ああ、そういえばあの頃は寒かったものね」
少年は自分が夢を見ているのではないかと疑った。少女との再会に浮ついた心は、まさしく夢心地で、ふわふわと揺らいで不安定だ。興奮で滾る少年の顔は、火照って赤くなっている。何か話そうと思っても、舌が回らない。何を伝えるべきか、少年は迷った。待ち続けた日々の中で話そうと考えていたことが、頭の中に溢れた。
「良かった。もう会えなくなるかと思った」
「そんなの大袈裟よ」
「大袈裟なんかじゃないよ。もうすぐここは取り壊されるんだから」
「それは、本当か?」
少年の口をついて出た言葉に、少女ではない誰かが反応した。
スクリーンから黒い人影が出てきた。人影は少年の倍はあろうかという大男だった。彼は少年に大股で近付き、肩を掴んだ。
「今の話、嘘ではないだろうな」
握る手に力がこもり、少年は顔をしかめた。大男は彼を強く揺さぶる。
「どうなんだと聞いている」
「止めてください、その人を虐めないで」
少女が大男にせっつき、少年から引き剥がそうとした。彼は少年を突き飛ばし、少女を睨んでから上映室を出て行った。
少女は少年に駆け寄って、大丈夫、と肩を撫でた。
「い、今のは?」
「私と同じ映画に出ている悪い人」
少年は少女の手を払い、突然立ち上がった。彼は激しい鼓動を感じていた。
「どうしたの?」
「……何でも、ない」
「私、なにかしたかしら?」
何故かその時、少年は否定できなかった。
16【7話/三百六十五歩のマーチ】0306
「おい、少年。映画館が壊されているぞ。何とかならないのか」
大男は上映室に戻ってきて、座席にふんぞり返ると、そう言った。
「無理だよ。特に君たちは」
「俺たちには無理とはどういうわけだ」
少年は黙った。大男は腰に携えた剣に手を掛けた。
「言え。さもなくば、叩っ斬るぞ」
「そんなこと、私が許しません」
少女が少年と大男の間に割り込む。大男はふんと鼻を鳴らし、視線を逸らした。
「しかし、人手が足りんな。おい、シアターはもう一つあるか?」
「……あるよ」
それを聞くと、大男は上映室から出て行った。
「何だか散々ね。ここは取り壊されてしまうし、あの人も出てきてしまって。ところで、今日は館長さんいらっしゃらないの?」
少年は顔をしかめた。映画館の取り壊しを決めた張本人だ、とまさか少女に告げるわけにもいかないだろう、と考えた。
「あ、もうすぐ映画が終わる」
あの人を呼び戻してくるわ、と言って、少女は上映室を出て行った。それからすぐスタッフロールが終わった。
少年は立ち上がって、映写室に向かった。フィルムを巻き戻して、また映写機に掛けた。心が空虚になっていくのを、少年は感じていた。それと同時に、少女への思いを嘘だと思い始めていた。彼女たちが出てきたように、映画から飛び出してきた虚構だ。そう思いながらも、少年は映写機を止めるような素振りを一つも見せなかった。
「こんなところで、どうしたの?」
少年がぼんやりしていると、少女がわざわざ呼びにやってきた。彼女は少年の手を取り、強引に引っ張っていく。少年はただそのことに胸をときめかせている。彼は自分を馬鹿な奴だと嘲笑った。
「ねえ、ちゃんと学校へは行っていたの? 長い間、待っていたようだけど」
「行かないよ」
「……どうして?」
少年はむっとした。以前にも話したことだ。彼はその時の言葉に幾分勇気づけられたが、それでも、やはり少年には少女よりも大切なものなどありはしない。
「言ったよ。あんな所、何の価値もないって」
「ごめんなさい、でも……」
少年は彼女が何を望んでいるのか、に気付いた。けれど彼はそれを否定する。
「外には君がいないんだ」
少年は取られているだけだった手に力を込めた。
少年にとっての少女。少女にとっての少年。互いにかけがえのないものだ。しかし、それは絶対ではない。二人の境遇の違いが、それを勘違いさせた。
「それはまだあなたが出会ってないだけ。あなたにとっての私は、決して私だけじゃない」
少女は彼の手を両方の手で包んだ。少年の力が緩んだ瞬間、少女は手を離し、一歩距離を置いた。少年は手を伸ばすが、後一つ届かない。
「ずっと側には居てあげられないって、私言ったわ」
【7話/三百六十五歩のマーチ】0306
重機で抉り取られ、外部に露出した映画館の二階に大男が立ち、雑木林を険しい顔で睨んでいた。一階部分には、カウボーイや重装歩兵、甲冑姿の侍、果てはゴブリンやホビットなどが臨戦態勢で構えている。
「ボス、やっぱりあの雑木林から先には抜けられんようです」
手下の言葉に、そうか、と答えた大男の目に、黄色いヘルメットが目についた。
「お前さんたち、そこで何やってる? さっさと降りて来い。警察を呼んじまうぞ」
「どうします?」
手下が尋ねる。
「矢を射て。ただし当てるな」
そう言うと、大男は映画館の中へ入っていった。
「少年、外に出る方法はないか?」
シアターで一人、少年は俯いていた。
「無理だよ。君たちには絶対」
「そうか。あいつは何処へ行った?」
少年は答えない。
「映画に帰ったな?」
大男はふんと鼻を鳴らした。
「お前、俺たちを幸せだと思うか?」
少年は顔を上げ、大男の様子を窺った。
「幸せだろう。こんな世界に居るよりは」
「そうか、幸せだと思うか。たった二時間にも満たない人生を」
大男は少年を馬鹿にするような薄い笑いを浮かべていた。
「俺たちは二時間を永久に繰り返しているんだぞ。それだけならまだいいが、誰の悪戯か、それを知る視座を与えられた。ここへ出てこなければ、俺たちは面白おかしく二時間の中だけで生きていられたというのにだ。だからこそ俺はこっちへは出てきたくなかったんだが……」
「それでも……」
「それでも、何だ? 答えろ」
少年は黙りこくってしまった。
「あいつが始めて出て行ったとき、俺は正義の味方を演じていたんだが見たか?」
少年は首を横に振った。
「そうか、そうだな。お前はあいつしか見ていなかったのだからな。俺は、例え映画の筋が変わろうと、外へは出たくなかった。しかし事情が変わった」
大男は少年を抱え、大股で歩き出した。
「何するんだよ。離せ」
「少年よ。何故この場所が消え去ろうとしているか、分かるか?」
少年の脳裏に、清隆の顔が思い浮かんだ。
「何を想像したかは知らんが、全て否定してやろう。自分の罪に気付け。この映画館が取り壊されるきっかけを作ったのは、お前だ」
少年は手足を振り乱して、大男に抗った。
「暴れるな、斬るぞ」
そう言われて、彼は動きを止めた。
「認めるんだ。思い返してみろ。誰がここへ来て、誰がお前と言葉を交わしたか。その誰もが、お前さえ居なければ、ここへ来る筈のなかった存在だ」
大男は上映室に入り、スクリーンの前に立った。
「お前、俺たちを幸せだと言ったな。それならばこちらに招待してやる。映画はあと三十分で終わる。それを越えれば、ここへは帰ってこられん。俺たちの世界を望むなら、そのまま留まれ。拒絶するならば、あいつとクリスタルを持って帰って来い。クリスタルの在り処はあいつが知っている」
そう一息に言うと、大男は少年をスクリーンの向こう側へ投げ込んだ。
17【7話/三百六十五歩のマーチ】0306
投げ込まれた先は草原だった。柔らかい葉が少年を受け止め、心地好い風が彼の荒んだ髪を撫でた。体を起こし、少年は辺りを見回した。遠くの木陰に少女の影が見えた。彼女はこちらに背を向け、手元で何か作業している。
少年は一瞬、近付くのを躊躇った。しかし大男の言葉を思い出し、少女の元へ向かい、及び腰で声を掛けた。
「ねえ」
少女はびくっと体を震わせて、振り返った。
「どうしてここにいるの?」
少女の口調はいつもより少し厳しかった。
「あの男に投げ込まれたんだ。あのさ、ぼく、ここで暮らせるかもしれない」
少女は疑問を顔に滲ませた。
「あいつが言ったんだ。この映画が終わるまで居られたら、ここの住人になれるって」
「そんなの嘘よ」
「嘘じゃない。ぼくはここに居る。きっと大丈夫だよ」
「嘘よ!」
少年は突然叫ばれ、驚いた。そしてすぐに怒りを感じた。
「君はぼくと一緒に居たくないんだな。そうだろう!」
少女の顔に亀裂が入った。それは悲しい亀裂で、愛する人に裏切られたという傷だった。
「あなたは私の話じゃなく、あの人の話を信じるって言っているのよ」
少女の瞳には、冷たい涙が溢れていた。
「で、でも……」
険しい風が、少女の涙を攫って行った。
「どっか行って」
「ま、待って。ぼくは――」
「――どっか行ってよ!」
少年は一度何かを言おうとして口を開いたが、唇を噛んで押し留めた。しかし彼の激情が爆発するように、その堰は切られた。
「どうして、ぼくがここの住人になるってことを喜んでくれないんだ! ぼくだって君と一緒に居たいのに。それなのに、どうして君は映画の中の人間なのさ。どうして……」
少女は背中を丸め、泣いた。
その姿を見た少年は、ふらふらとした足取りで、少女から離れていった。虚しさが彼の心を侵食していった。
唐突に場面が変わり、辺りは薄暗い洞窟に変わった。少年は石に躓き、前のめりに倒れた。手に痛みが染みて、じんじんと熱くなった。それをきっかけに、少年は涙を零した。情けないほど嗚咽を漏らし、慟哭した。
涙が止まっても、少年は暫くの間、そのまま動かなかった。魂の抜け殻だった。手を引かれ、洞窟を進んでいると気付くまで、かなりの時間が掛かった。少女が少年の手を引いていた。
「あれがクリスタル」
洞窟の最奥に、手の平ほどの大きさの光る珠があった。その光は洞窟の入り口まで届いており、中はほんのりと照らされていた。そのおかげで洞窟が薄暗かったのだ。
「帰る方法、分からないでしょう。一緒に帰りましょう」
「何で?」
「やっぱりあなたは外の人だから」
「そ、そんなの関係ない」
「ええ、そうね」
少年はまた怒りを感じた。
「あなたは外の人だから。いつか別れなくちゃいけないなら、せめて一秒でも長く傍に居たいの。そう思っただけ」
別れとは外と内、関係なく訪れるものだ。少年はそのことに改めて気付いた。確かに住む世界が違うことで、別れは早まったかもしれない。しかし、それを論ずるよりも大切なことが、二人の間には確かにあった。
「あの、ごめん。ぼくもずっと君と一緒に居たい。でも出来ないから、ぼくも君と一秒でも長く居られるようにする」
少女がうんと答えると、辺りは光に包まれた。その暖かさに少年は目を閉じた。
「おお、戻ったか。予想外だな」
目を開けると、大男が少女に切っ先を向けていた。
「空々しい。こうなることは予想済みでしょう?」
「少年を送り込めば、こうなるだろうとは予測していたが、ここまで上手く行くとは思っても見なかった。まあ、そんなことより早くクリスタルをよこせ」
少年は混乱しながらも、少女の危機を感じ取り、立ち上がった。
「おい! 剣をどけろ」
その瞬間、大男の目が鋭く光り、少年を蹴り飛ばした。少年は座席にもたれるように倒れた。そして、大男は少女に向けていた矛先を、少年に変えた。
「俺はこいつを切り刻んだって構わない。もう用済みだからな」
「渡します。渡しますから、彼に近付かないで」
少女はその場にクリスタルを置き、少年に駆け寄った。彼は気絶していた。
「卑怯だわ。こんなひどい」
「俺に与えられた役目は悪人だ。最期まで演じきるさ」
18【7話/三百六十五歩のマーチ】0306
「少年、ようやくお目覚めか。見ていろ。とっておきのショーだ」
大男は少年が目を覚ました途端、無理矢理に立たせて、雑木林の向こうを指差した。
日はすっかり落ち、辺りには夜が満ちていた。彼らの頭上には天の川が横たわる。雑木林の奥に、赤いサイレンを灯したパトカーが見えた。大男が合図を送ると、手前に待機していたホビットが目に見えない速さで、林を抜け、パトカーをひっくり返した。
「あの光が目障りだったんでな。まだだぞ、お次はキャンプファイアーだ。あの機械の猪には、どうも油が備えられているというじゃないか。盛大に燃えるぞ」
そう告げた瞬間、巨大な火柱が立ち上がった。激しい光と共にガソリン臭い熱風が少年たちの元へ届いた。
「ひどい」
瞳が焼けそうな熱さだった。
「誰も殺しはしないさ。宇宙の法則が乱れるからな。次はあの首長竜だ」
と言って、指差したのはショベルカーだった。
「あのスカラベと、働きアリもだ」
ダンプカーとブルドーザーを指差しながら、言った。
「クリスタルはどうした」
少年の無愛想な言葉に、大男は顎をしゃくった。そこには粉々に砕かれたクリスタルが散らばっていた。
「あれだけ小さくすると満足には動けないが、数が必要でね。あれを燃やしたホビットはもう元の世界に帰っただろう」
大男はクリスタルを大掴みにして、地上で待機している雑兵に向かって投げた。
「あそこを越える時、物凄い痛いを感じると聞いたわ」
「それがどうした。ここが無くなるよりましだろう?」
大男の顔には狂気が滲んでいた。それは自分の居場所を奪われる恐怖に歪み、しかしそれに抗おうとする醜くも気高い、一種神懸かり的な表情だった。
少年は、その雰囲気に気圧され怯んだ少女の手を、強く握った。少女がはっとして、彼の顔を見る。少年は決意に満ちた顔で大男を睨みつけていた。
「俺はキヨタカに感謝してるんだ。ここを取り壊させやしない。もうどうして感謝しているのかさえ分からない。ジグソーパズルが壊れるように、記憶が零れていく。お前もそうだろう」
少年は目だけで少女をちらと見た。再会した時の会話、あれは兆候だったのかもしれない。
「力場が乱れてる。その影響ね。映画館が削られているからだわ」
「人は殺さない。これだけは忘れないさ。俺が演じてるのは悪役だが、俺は善人だ。ここが消えてしまえば、それさえ忘れそうで、俺は怖い。この場所だけが、俺とその記憶を結び付けてくれている」
大男の中の恐怖が増幅されていく。瞳が不安に揺らぎ、鞘走らないように剣に添えた手が震え、かたかたと音を立てる。記憶の欠如による歯痒さが焦りとなり、彼を急きたてる。ただ恐怖と使命感だけが残り、その根拠や仔細の不明なままに、大男は進まなくてはならない。
「時間がない。俺はもう行く」
「待って、どうしてこんなことをしたの?」
「俺も少年と同じだ。ここより素晴らしい場所を俺は知らない。だから捨てられないのさ」
大男は二階から地上へ飛び降りた。彼を先頭に、全軍が一斉に林を抜ける。鬨の声を上げ、重機を破壊していく。警官隊が重機に取り付くキャラクターたちを滅多打ちにする。その誰もが人間に反抗しなかった。重機の頑強な鉄腕がもげる。横倒しになったダンプカーに乗り、大男が勝どきを上げる。
少年と少女は互いに強く手を握り合いながら、その様子を眺めていた。これが自分の願望に執着した末路だ、と二人は思った。自分の願いのためだけに戦う純粋さに憧れた。そして自分の望みを押し通すことの難しさを悟った。
次第に映画の軍勢の中に力尽きた者たちが現れ出した。彼らは一様に、光となって空へ上っていった。それは力場を越えたものたちの最期としては、あまりに異様だった。まるで天が彼らを祝福するかのように、光が空へ帰っていく。そのどれもが尽く天の川へ収束した。
「行こう」
少年は、少女の手を引き、映画館の中へ逃げ込んだ。暗い廊下に靴音がただ反響する。
19【7話/三百六十五歩のマーチ】0306
「少年、ようやくお目覚めか。見ていろ。とっておきのショーだ」
大男は少年が目を覚ました途端、無理矢理に立たせて、雑木林の向こうを指差した。
日はすっかり落ち、辺りには夜が満ちていた。彼らの頭上には天の川が横たわる。雑木林の奥に、赤いサイレンを灯したパトカーが見えた。大男が合図を送ると、手前に待機していたホビットが目に見えない速さで、林を抜け、パトカーをひっくり返した。
「あの光が目障りだったんでな。まだだぞ、お次はキャンプファイアーだ。あの機械の猪には、どうも油が備えられているというじゃないか。盛大に燃えるぞ」
そう告げた瞬間、巨大な火柱が立ち上がった。激しい光と共にガソリン臭い熱風が少年たちの元へ届いた。
「ひどい」
瞳が焼けそうな熱さだった。
「誰も殺しはしないさ。宇宙の法則が乱れるからな。次はあの首長竜だ」
と言って、指差したのはショベルカーだった。
「あのスカラベと、働きアリもだ」
ダンプカーとブルドーザーを指差しながら、言った。
「クリスタルはどうした」
少年の無愛想な言葉に、大男は顎をしゃくった。そこには粉々に砕かれたクリスタルが散らばっていた。
「あれだけ小さくすると満足には動けないが、数が必要でね。あれを燃やしたホビットはもう元の世界に帰っただろう」
大男はクリスタルを大掴みにして、地上で待機している雑兵に向かって投げた。
「あそこを越える時、物凄い痛いを感じると聞いたわ」
「それがどうした。ここが無くなるよりましだろう?」
大男の顔には狂気が滲んでいた。それは自分の居場所を奪われる恐怖に歪み、しかしそれに抗おうとする醜くも気高い、一種神懸かり的な表情だった。
少年は、その雰囲気に気圧され怯んだ少女の手を、強く握った。少女がはっとして、彼の顔を見る。少年は決意に満ちた顔で大男を睨みつけていた。
「俺はキヨタカに感謝してるんだ。ここを取り壊させやしない。もうどうして感謝しているのかさえ分からない。ジグソーパズルが壊れるように、記憶が零れていく。お前もそうだろう」
少年は目だけで少女をちらと見た。再会した時の会話、あれは兆候だったのかもしれない。
「力場が乱れてる。その影響ね。映画館が削られているからだわ」
「人は殺さない。これだけは忘れないさ。俺が演じてるのは悪役だが、俺は善人だ。ここが消えてしまえば、それさえ忘れそうで、俺は怖い。この場所だけが、俺とその記憶を結び付けてくれている」
大男の中の恐怖が増幅されていく。瞳が不安に揺らぎ、鞘走らないように剣に添えた手が震え、かたかたと音を立てる。記憶の欠如による歯痒さが焦りとなり、彼を急きたてる。ただ恐怖と使命感だけが残り、その根拠や仔細の不明なままに、大男は進まなくてはならない。
「時間がない。俺はもう行く」
「待って、どうしてこんなことをしたの?」
「俺も少年と同じだ。ここより素晴らしい場所を俺は知らない。だから捨てられないのさ」
大男は二階から地上へ飛び降りた。彼を先頭に、全軍が一斉に林を抜ける。鬨の声を上げ、重機を破壊していく。警官隊が重機に取り付くキャラクターたちを滅多打ちにする。その誰もが人間に反抗しなかった。重機の頑強な鉄腕がもげる。横倒しになったダンプカーに乗り、大男が勝どきを上げる。
少年と少女は互いに強く手を握り合いながら、その様子を眺めていた。これが自分の願望に執着した末路だ、と二人は思った。自分の願いのためだけに戦う純粋さに憧れた。そして自分の望みを押し通すことの難しさを悟った。
次第に映画の軍勢の中に力尽きた者たちが現れ出した。彼らは一様に、光となって空へ上っていった。それは力場を越えたものたちの最期としては、あまりに異様だった。まるで天が彼らを祝福するかのように、光が空へ帰っていく。そのどれもが尽く天の川へ収束した。
「行こう」
少年は、少女の手を引き、映画館の中へ逃げ込んだ。暗い廊下に靴音がただ反響する。




