008. 引き換える対価
〔12〕
(結論から述べましょう。「使命」はご明示いただけないのですか)
要求をまず示す。
交渉とは互いの妥協点を手探りする作業であり、譲れない一線と譲ることもできる範囲をせめぎ合わせることで見いだす落とし所だ。
ゆえに、この作業に進展を望むならばどちらかが具体的な条件に切り込んで見せなくてはならない。……現実では、先んじて切り込むことのリスクも踏まえなくてはならないから慎重かつ繊細な見切りを必要とするが、いまこの場面で必要なのは大胆さのほうだろう。
《一体何のことを指して述べられていますか》
(そもそもが、道理の合わない話なのですよ)
すべてお見通しなのだろうに、おとぼけなさるか。
それとも試しているつもりか。
(とても簡単な話です……言葉を及ぼす必要すらないだろうほどの。娘が粗相をやらかした詫び? そうおっしゃられますが、たとえば巨人がアリ一匹を踏み潰したとして、わざわざ代償をどうこうしようなどとまで考えますか)
《…………》
(ええ、むろん、失敗したことへの省みはあるでしょう。場合によっては悔いのようなものだって多少は引きずるかもしれない。せっかくの命一つを無為に潰してしまったならね。しかし、では何かするほどのことかと言えばそんなことは決してない。その潰れたアリと、隣にもう一匹いるかもしれない動いているアリとの違いを見分ける必要さえないでしょうに。なにより、あなた様がおっしゃられた言葉ではないですか。「必要もなく行うことはない」――とね。ならば両面をあわせて見たとき、この一言に集約してくるのですよ……蘇生はやりすぎです、と)
《我らは、あなたを騙しているわけでもなければ、なにを偽ってもおりませんよ》
(まさに! そうでしょうとも。ええ、悪意をもって騙されているなどとは思っていません……そんな必要などないのだから。故意に偽られなにかを仕組まれているとも思いません。そんな必要などないのだから。いと高き天なる方よ、はるか彼岸の及ばざる方々よ! ならば、この卑小なる我が身、たかだが人の子一匹のために手の込んだ悪意のごときを講じる意義など到底ないことでしょう。ゆえにこそ、信じておりますとも。あなた方の行いは善意に基づいているのだと。ただし――)
蛇が舌なめずりをする心地で、その言葉を差し込む。
(ついでの作為が皆無だなどと、そんな野放図である理由もまたないわけですが)
《…………》
(お答えはいただけませんか)
《……あなたを、別段こちらの都合に従わせようなどと図ったわけではないのです》
(しかし。丁度よかった――そうではありませんか?)
《本当に、あなたという人は……。賢明であるということも、時には考えもののようですね》
半ば呆れたように、肩をすくめるように――あるいは母が我が子を微笑ましく見つめてため息をつくように。
そんな気配とともに何かの切り替わりが伝わってくる。
《どうしてそこまで断定できましたか》
(語らずともお分かりではないのですか? まあ、いいでしょう。語れとおっしゃるならば言葉は惜しみません。まずあなた様は、嘘も偽りも述べられはしませんでしたが積極的に情報を提供しようともされませんでした。基本的にはこちらが何か求めたときにそれに答えるだけという構え方。これ自体はそれだけなら問題なかったのですけどね、こちらが無茶なことを言い出したときに限ってやたらと饒舌になられるではないですか。まるで……事態を先回りして封じるように)
言葉を一旦区切り、呼吸を継ぐ。――といっても、肉体の動作を実際にともなっているわけではないが。気分としては必要だった。そうした“癖”をこの場でだけ否定する意義もない。
首を横に振って。振った気分で、言葉を続ける。
(次に、目立ったのは、初期状況に対する配剤ですよ。あなた様は口ぶりではその気になれば何もかも自由に決められる余地があるかのようにおっしゃられていた。そして実際、CPを多く使うなどして無理を押したならば不可能ではなかったのでしょう。しかし、〈地域知識〉の大陸名、地方名、国家名。そして言語各種。たとえ仮に当てられたものだったとしても、ずいぶんと具体的に絞り込まれているではないですか。財産も、遺跡の割り当てですか。その際の選択の誘導。想定から外れすぎては困るかのような範囲の定めぶりといい、それでいて能力選択や行動の可否などはどんなものでも関係ないかのごとき放任ぶりといい。これはつまり――)
吐息とともにささやくように。一言を決め打つ。
(特定の状況下にこの身を放り込みたいだけのようではないですか? まるで、ね)
放り込むだけ放り込んであとは知らないと。
もしくは放り込むこと自体が何かの目的を達することに等しいのだと。
そういう扱いだった。たとえるなら、チェスでも将棋でもいい……重要ではない駒を布石として一手置いておくかと、まるでそんな様子見のごとき態度ではないか?
そしてもう一つ。
(結局、扱いの根本はこれなのでしょう……「奇遇奇縁」これが、本当に珍しいものだというのなら。たまたま見かけた奇貨を丁度よいから懸念になっていたアレの対処に使ってみようか、と。そういった話の転がりであるならば、ええ、巨人がアリ一匹をすくい上げて実験体に仕立て上げるような事態の至りとて、ありうるでしょう。それならば不自然ではない)
なにも突飛な発想の転換など必要ない。頭の聡明さも必要ない。
賢明だなどと評されることではない。ただ道理に則り、当たり前の、妥当な考えを辿ってみれば明らかになる“筋道”でしかないのだから。
(いかがですか)
《答える前に伝えねばならないことと問わねばならないことがあります。あなたが心底から答えを求めるというのであれば、我らはそれに返す言葉を持ち合わせています……しかし、それを聞いてしまえば、もう引き返せなくなります。そして》
声は、悲しむように、切なげなように。
あるいは労わるようにも似て。吐息に乗せるように言葉を続けた。
《信じていただけないかもしれませんが……。我らとしてはただあなたに、思うように幸せに、かの地で平穏が得られるならばそのように暮らしてもらえたらよいと。そう願っていたのですよ》
その言葉を。
疑う理由もなかった。というより、はっきり言ってしまうなら、予想通りだった。
(ありがとうございます。その御言葉も向けていただいた思いも、疑っているわけではないのです。信じさせていただきます。しかし、求めるものはその先の一歩なのです)
《あなたがそれを背負う必要がなくとも?》
(そこが“領土”なのですよ。ちっぽけな人間一匹なりの意地とでも思ってください)
譲れない一線。そんなものは誰にでもある。だが、どこまで守り抜けるかとなると、途端に至難と化す。
一握だ。この手に握っていられるものなど、ほんの一つか二つだけ。命をかけても、いや、命をかけることさえもできないことが大半の中で、胸の奥に秘めて祈っていられるものなど、ほんの一つか二つだけだ。
そして、忘れてはならない大切なこと。“既に握っている”のだと。この手の中にすべてがあるのだ。手放すことだけが自分からやってしまうことだ。その究極こそが死んでしまうことだ……。死者の手にはもう何も握っていることができない。
けれど……この己がもし本当に、まだ終わっていないというのなら。
(叶うなら平穏な暮らしと。そうおっしゃられましたが、しかしそれは、いつか訪れるであろう避けられぬ破滅の時に怯えて震えながら……ですか? なにせあなた様方のような高次存在がわざわざ動かれるほどの事態なのですから、最小でも世界全土を巻き込む、そういった規模の厄災なのでしょう? ……おれは、そんなものは、ご免ですよ)
息を強く吐いて挑むように。その言葉を続ける。
いや、まさに挑む姿勢そのままだ。これは挑戦の言葉なのだから。
(対処が必要な事態であり、どの道避けられないというのなら。せめて己の手足をもって立ち向かう機会を与えてはいただけませんか。関わるならば、流されるのではなく挑んでゆく己でありたいのです。たとえそれが、偉大なる天上の方々からすれば掌の上で踊っている様に過ぎないのだとしても)
《そこまで思い決めてのことであるならば……よいでしょう。我らから伝えるべきを伝え、そして、あなたに使命を託しましょう》
そうして声が語った経緯は、ある意味で壮大であり、ある意味でよく見聞きするかといったような、世界崩壊の序曲だった。
〔13〕
その世界では、古の時代、半神の血を引く魔導の業に優れた古代人たちが巨大な“装置”を作り出し、魔法と神秘の深奥に迫ろうとした。それは人の身をして神の真理を開闢せんと試みられた危険な行為であり、成功しても問題であったが、この場合は下手な失敗こそが被害を深めた。儀式の危険性を見抜いた古代人たちの一派が内部対立を起こし、そうして阻止する側にまわった者たちが最終局面において“装置”の破壊を試みた結果、半端な形で機能が果たされ大いなる力が暴走に至ったのだ。
結果、世界は壊れかけ、栄耀栄華を誇った魔導文明も灰塵へと帰した。
なお、現在の復興している文明社会は、古代において蛮族として蔑まれ隷従扱いを受けていた“魔導が不得意な”人々の子孫が数千年の時をかけて、一度は荒れ果てた大地を少しずつ再開拓していったものであるそうだ。
問題は。かつて半壊した“装置”を現代において再び起動しようと画策している者たちがいること、らしい。
ただでさえ一度壊れかけた世界でありその“ひび割れ”もまだ塞がっていない状態で、もう一度しかもまともに修理もされぬままの装置で力ずくの押し上げをかけられたなら。今度こそ本当に壊れきってしまうかもしれない。
ただし、それだけなら他世界まで含めた高次元に視座を持つ天の大いなる存在が動くことはない。一つの世界の内なる問題であるならば、すべての生き死にも星の命脈も、その地に生まれ生きている命の系譜が背負うべき業得であるからだ。が――もし“無茶な再崩壊”が起きた際に、隣接する他次元まで巻き込む可能性があるとなると、話が変わってくる……ということのようだ。可能性としては低めらしいが。
つまりは地球側も万が一、億が一兆が一には、破滅に巻き込まれる危険性があると。
そうした場合であっても、高次の存在が直接的な救世を試みることはない……。“生存”は、生命の系譜が最も担うべき責務であり、なんであれ当事者が最大に手を尽くすべきものだからだ。
しかしそうはいっても、様々な立場において“それでは困る”という存在がけっこうちらほらいたりもする……らしい。そして、そういった様々な存在が、直接的には干渉し過ぎない範囲で、“一手を入れる”ことなら珍しくないらしい。
この、いまの場で対話相手になっている存在もそんな立場の一翼に過ぎないのだそうだ。だから今回は“おれという一手”を打つ形を取るが、他にも異なる経路経緯から何らかの干渉が現地に投入されている可能性は皆無ではない、と。(重複・遭遇する率については非常に低いそうだが)
そして、おれの身を通した“間接的な干渉”とやらにおいて期待された最大の点が、つまりは「奇遇奇縁」の特性だった。
既に定まりつつあった破滅への道行き、その確率状態に対する不自然な誘導――現地で大規模な因果操作系の魔法儀式が試みられているらしい――を、“引っ掻き回して”欲しかったと。
だから、当初のもくろみとしては対象の現場(の、近いところ)に放り込むだけでよかった。それで未来が不確定さを多少でも取り戻したなら、あとは現地で事態に直面する者たちが自らの意志で立ち向かうべきことだと。
事態は確定しつつあるとはいえ、おれの余命が残る内であれば平穏に過ごせる程度には余裕がある……ということが判断の前提にはあったそうなのだが。
(なるほど……。そういった次第であるならば、是非もありません。やはりおれは、自分たちの手で未来を切り拓くべく立ち向かいたいと思います)
《重ねて忠告いたしますが、とても危険な使命となりますよ》
(構いません。むしろやりがいがあります……。結局のところ、始まりからその通りの性質というだけなのです。目の前で幼い子供に危険があればとっさに身を張ってしまう、是も非もなく、理屈を考える以前に、おれという人間は“そういう奴”なんですよ。どうしようもありません)
性根がそのように生まれついてしまったこと。これ自体はもうどうしようもない。
それこそが運だ。人は生まれ育ちを自らの意志では選べない。けれど、その先の歩み方なら少しは選べる。このような己であることを、たとえ肯定できなかったとしても、ちょっとくらいは楽しんで“遊び”を試してみられたなら、そのほうがいいじゃないかと。
そう思うのだ。だから、おれは、こんな自分であることを活用して行きたいのだ。
《ではあなたに、改めて「使命」を授けます。また、この使命には付随する「敵」が生じてきます。……その身ある限り続く宿命のごとくと化すことでしょう。たとえ幸運に期待できぬ身だとしても、あなたが果たすべきを果たし、そしてその命と心に幸いが得られることを、我らとしても祈っていますよ》
下された言葉と同時、視界――のような認識の端からキャラクターシートが広がってきて、そして項目が追加されていく。
それは「特徴」の欄に記され、注視すれば他と同様に解説文が展開された。
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・使命/十三の塔による破滅を防げ!(合算-20CP)
→重大な使命である/-15CP
あなたの生涯の大半はこの使命の達成のために捧げられるだろう。
→極めて危険である/-5CP
個人では立ち向かえない規模の危険がともなう。
→余人には理解されない/-5CP
頭のおかしい奇人変人扱いされかねない。場合によっては立場を失う。また、うかつに知られた場合は妨害を受ける危険があり、時期によっては敵が増えるかもしれない。
→決して逃げられない/-5CP
高次の強大な神霊存在から任じられており、使命を達成する以外に義務を終える術はない。途中放棄はできない。
→頻度が変化してゆく特殊型である/CP二段階軽減(+10CP)
当初は関わる頻度が「まれ」であるが、状況の進行とともに影響が高まってゆき、最終的には「いつでも」以上となる。平均すると「ときどき」級に相当する。
・敵/ソルレテセス教団、裏結社「再誕の聖なる御手」(合算-20CP)
→大陸規模に暗躍する巨大な組織である/-40CP
→当初の状況において相手はあなたの存在を知らず、関わりは「まれ」以下である/CP半減
その後に関しては状況の進展具合、あなたの立ち回り方によって、敵対の明確化が生じてくるだろう。頻度は不定。ただし利害が互いに競合する関係下であることは変わらないため、いずれは対立を避けられない。
※これら使命や敵を得たことによる引き換えのCPは、その使命等を達成するために必要なことにしか費やすことはできない。
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《各詳細をこの場で伝えることはいたしません。それは、あなたが実際に使命に立ち向かう中で調べ、把握し、そして判断して行かねばならないことだからです。よって、この場で残りに果たすべきことは、獲得されたCPの使い道です。考えがあるならば示してください》
(承知いたしました)
元から残っていた5CPとあわせて、合計45CPが使えることになった。
ただし使い道に制限がある。財産レベルを上げるような私用にも役立つ性質を優先することはできないということだ。ならば――
〔14〕
(三つあります)
考え、それを告げる。
道は見えているのだから、あまり悩む必要もなかった。
(一つは、他者の才能や才覚といったものを見抜く能力です。おれの――「アトラン」の能力をもって壊滅的な災害のごとき事態に挑むというのなら、それは数多の人々を率い、そして組織として機能させるということに他なりません。そのためにもっとも役立つものは、適材適所を差配できる能力であり、埋もれた人材を早期に発見して取り立てることができる能力です。このような能力を形作ることは可能でしょうか)
《可能です。形としては「共感」の能力レベルをさらに数段引き上げたようなものとなります。通常の共感は2レベル分の15CPまでとなりますが、そこからさらに10CP刻みでレベルを上げられるように計らいます。要望の意図であれば、4レベルもあれば十分でしょう。能力名称としては「超観察眼」となります。ただし、そこまで超人的な能力を追加付与するということは、代償をともないます。本来の「共感」能力よりも強力に相手の感情状態などを察知でき、即した態度を図ることで対人反応に好感を得られやすいでしょうが、同時、あなたは他者の感情が敏感に伝わってくる、嫌でも分かってしまうという状態に向き合い続けなくてはならなくなります。……そうですね、あなたに理解しやすい表現としては、テレパシー強度が高いにもかかわらず「精神防壁」が育っていないようなもの、とたとえれば分かりますか》
(ああ……サイオニクス系のアレですか。はい、とてもよく分かります。それなりにリスキーだとは思いますが、戦略的に将来性を見据えるならこれは必要なものです。構いません、35CPを支払いますので、導入をお願いいたします)
《分かりました、引き受けましょう。なお、能力の詳細などは現地でも気になった際にいつでも確認可能です。この場とまったく同じようにとまではいきませんが、技能教本のニュートラル状態にいわばチュートリアル・ブック機能とでも呼ぶべき形態がありますので、あなた自身の状態情報に関してであればそこから確認が可能です。また、万が一として我らからの通知を送る、もしくは互いに連絡を取り合わなくてはならないといった場合にも、このチュートリアル・ブック機能を介することになるでしょう。覚えておいてください》
(それすごい重要じゃないですか……。もちろん忘れずに心のメモに刻んでおきますとも)
これまたすごいタイミングで言い出してくれますじゃないですか。
まあ、“万が一”とわざわざ前置きするくらいだから、原則としては連絡などせずすべて任せる方針なのだろうが。
《そういうことです。それで、二つ目とは?》
(ここで「精神防壁」をなどと言い出したら、先の能力とは競合しますか?)
《訓練期間の実績をともなわない「精神防壁」を強制的に構築した場合、両者の効果が相殺しあう形の競合状態が避けられないでしょう》
(ならば仕方ありませんね……。訓練による“慣れ”が可能であるなら、まあ、力の限り励むだけです。それでは二つ目ですが、「常備化」に関する相談となります)
そう伝え、内容を述べ並べてゆく。
初期装備や楽器類、所持品等が失われにくいように計らいたいこと。特に霊薬類が重要で、長期的な戦略を見据えた場合に補給こそが肝要であること。むろん現地でも自力で入手に関しては働きを尽くすつもりだが、もしこの場でCPを費やすことで一種の“保険”をかけておけるならば、それに越したことはなく助かるということ。ただしポイントを大量に投じるつもりもなく、5CP分ほどで可能な範囲で、と考えていること。
《まず初期装備品および所持品等についてですが、それらは内蔵型パワーストーンを配備した“修理”の魔化を追加しておきます。あわせて所有と限定も、あまり強力なものにはなりませんが施しておきましょう。目安として、日常的な使用による磨耗は無視できる、半壊した状態からは一月ほどで自動的に直る、全壊した状態ならば二月以上かかる、と覚えておいてください。そして権限のない他者が使おうとすると十数倍ほどに重く感じるペナルティが生じ、あなたの周囲一定距離から無断で持ち出された場合はそのことを感知でき、また方角の追跡ができます。しかし、いつでも手元に呼び戻せるほどの強力なものにはなりません》
(はい、承知しました。それだけでも大変ありがたいです)
《次に、霊薬類の補給に関しては、助言を差し上げましょう。あなたが所有権を押さえている遺跡と魔法人形の中には、古代の魔導技術に関して知識を保っている個体も含まれています。また、他の遺跡に関しても、所在地などに関する情報がある程度入手可能でしょう。それらを活用できたなら……と。また、技能教本から得られる知識は、あなたが一旦読み込んで理解したものを解釈・翻訳して他者へと伝えることが可能です。よって、活用できたならば……と。霊薬といえども質量ある物品である以上は無限にどこからともなく補給が叶うというわけにはいきませんが、この助言であれば代わりとして役立ちませんでしょうか》
(十分です。非常にありがたく、感謝いたします。むしろ5CP分の価値としては恐縮なほどです)
おれの――というかアトランのというか――技能として〈錬金術〉は覚えている。これは主に霊薬類を作る、もしくは鑑定するための技能で、もともとは後者の目的で一応押さえておいただけという技能だった。
なにせ、アトランには「魔法の素質」がないから、どの道一定より魔法的な効果の高い霊薬については作成を試みることができない。
だから、もしこれから降り立つ先の地で、現地の住人を仲間や協力者に出来たとして、望む通りの霊薬を作らせたいなら素質のある者を見いだした上で技術を仕込む……といった手順を踏む必要があった。
その想定を見事に先回りした回答だ。ありがたいし、そしてまあ、やっぱりすべて読まれているのだなとも思うわけだが。
……ちなみに〈錬金術〉が現状で技能開花している理由は、化学系の知識や実験経験が融合しただとかそんなあたりだろう。魔法的な要素を除けばやっていることの内実は非常に似通っている分野なのだ。
さてこれで、残すは最後、三つ目の要望であるのだが……
(最後の一つ……の前に、お伺いしたいことがあります)
《なんでしょうか》
(あなた様の御名を、お教えいただくことは叶いませんか。おれは……いえ、オレは、アトラン。アトラン・“ウォーブラー”・フェニルシールだと、そう名乗らせていただきましょう)
この求めに。
当初は沈黙の気配だけが返ってきた。しかし、そのまま待つことしばし、何かに思いを馳せるような気配とともに、響き渡る言葉が告げられたのだった。
《……よいでしょう。我らは、“五十六億の星光と七千万の大地を司るもの”ヴィエイタル・ダ・アストゥーム。本来の名はもっと違ったものですが、そちらは人の子には受け止めることも認識することも不可能でしょう。ですので、こちらの名で覚えておきなさい》
(ヴィエ……イタル様ですか。その、ありがたく御名を頂戴いたします)
《ふふ、それでもまだ長たらしいですか? ならばもっと縮めてエイテルとでも呼んでください。謙虚だから気軽にさん付けで構いませんよ?》
(すごいなー、奥ゆかしいなー、あこがれちゃうなー。って、ここでそのネタ持ってきますか……。参りました。でもデコすけにはなりたくないので、せめて様付けにさせてください。エイテル様)
《謙虚だからさん付けで構いませんよ?》
(はい、エイテルさん様さん)
《仕方ありませんね、様付け一つでよいでしょう》
(おありがとうございます)
さて、それでと。
(エイテル様。残りの5CP分をもって、あなた様への祈りを捧げさせてください)
《それは……つまり「信仰」ということですか? 捧げることはあなたの自由ではありますが、しかしかの地において最初の配剤以上に我らから加護を及ぼすといったことはできかねますよ。信仰者特有の特殊呪文といったこともです》
(もちろんです。見返りを求めての祈りではないのですから……。むしろ、そういったことは止めていただきたい。オレは、結局、感謝しているのです。エイテル様。終わってしまったことが無理やり再開することは苦痛かもしれない。再び生まれてしまうことは嘆きの産声を上げさせるかもしれない。それでも、ただ消えるだけではない、自分の心で決めたことに向かって行ける機会を与えていただけました。これ以上の“救い”が人の身にありましょうか。感謝しているのです、エイテル様)
祈りとは、本来は何も返ってこないということが重要な行為だと思うのだ。
虚空へ向けて、勝手に祈り、ただその心の向かうエナジーを際限なく吸い尽くしてもらえる。それが救いなのだ。現実において人は生きる中、向かい来る雑多な物事に“対処”して、応じ続けねばならない。延々と。その先に救いなど見えないのに、延々とだ。だからそうした現世の生き様に疲れ果てたとき、もう立ってはいられないと膝が折れかけたとき、何も応えない祈りの時間こそが心の安らぎを、一時なりといえども平穏を、その身に教えてくれることもあるのだと。
そして元より、信仰とはそれを信じる者が手前勝手に奉じて歩む道だ。だからその信仰を他者に押し付けることが馬鹿馬鹿しいのと同じように、祈りを捧げた先から何が返ってくることを期待するのもまた馬鹿馬鹿しい。利回りを求めるなら証券投資でも転がしていればいいのだから。
《よいでしょう。ならば、あなたの信仰を認めましょう。我らが使徒、アトランよ》
(……ありがとう、ございます)
〔15〕
この場で済ますべきことは果たされた。
ならば、旅立ちの時となる。
《まだ少しですが時間の余地がありますね……。最後に質問したいことなどはありますか?》
(そりゃあ、あります。たくさんありますとも。たとえば調味料の“さしすせそ”は現地で入手可能なのかとか、和食の再現ができないと遠からず発狂しかねませんよとか。まあでも、この一つと絞るなら、これですかね)
と、多少の揶揄を含めるようにはしたが。語調を改めて言葉を続ける。
(その惑星に名称はあるのですか?)
《……なかなか鋭い問い方をしますね。星の名前などについては、かの地に降り立ってからご自身で調べてくださいという答えになります。とはいえ、現地の人々が自らの住まう世界を大まかに称する際の言葉としてなら、「デュールツーム」という名があります。意味合いは「神々の腕に抱かれし中庭」といったところで、元々は「デュールムスツレリゥム」という古代語だったのですが後代において口語化される内に短縮、変形していった呼び名のようですね》
(なるほど。承知しました)
つまるところは、ワールド名「デュールツーム」舞台世界、というわけか。
上等だ。オレの、ゲーマー的な意味で磨き上げられた効率魂をもって、蹂躙するかのごとく攻略し尽してやろうじゃないか。
《それと、“さしすせそ”ですが、これもちょっとした助言ならば贈れます。技能教本から〈醗酵学〉や〈醸造〉の技術を高レベルで修得すれば、たとえば種麹に使えるような菌種の分離自体は可能でしょう。香味性や無毒化の追求にはそのままでは手間取るかもしれませんが、かの地にはあなたの故郷と違って魔法の技、呪文があります。ここまで述べればあとはお分かりでしょう》
(なるほど! 食料系の呪文や治癒系の呪文を活用すれば、無毒化だとか培養の促進だとかはたしかに捗りそうですね! いやあ、たいへんありがたいです。どうもありがとうございますエイテル様)
思わず両膝ついて全力頭垂れする勢い満点!
さっきより真剣に祈っちゃってるかもしれませんすみません。
《いえ。では、そろそろ時間です。意識を整えて、しばしお待ちください》
(はい……。なにもかも、本当にありがとうございました。使命には全霊を尽くさせていただきます)
祈る心地で待つ。
やがて五感のようで五感ではない、己のすべてが光に包まれて、何か大きな流れに満たされてゆく感覚だけとなって。
そうした中で、ただ一つ、優しげな送りの言葉が響くのだった。
《よい旅を。これは、あなたの物語です》
その言葉にただ感謝の意識だけを向けて。
柔らかで大きな眠りに、埋もれていった。
そうだとも。ここから始まる。始め直す。
オレの……アトランの冒険は、これからなのだから。
〔一章、完〕
ここまでご愛読いただき誠にありがとうございました。