001. 子猫と幼女と、おれと神さま
〔1〕
「あっぶなぁぁぁぁーい!」
おれは、とっさにそう叫び、そして飛び込んだ。
交差点、迫るトラック、立ちすくむ子猫。
そんな状況で、それだけなら目を背けつつ仕方がないと思うだけだ。しかし、哀れな子猫をどう思ったのか――信号待ちをしていた親子連れの中から、まだ小学校に就学する前だろう年頃の幼い女の子が駆け出してしまった。
親御さんはどうして手を離してしまったのか。それとも驚きの寸瞬に握りが緩んでしまったのか。
問う暇などなかったし、いまとなってはもう分からない。
子猫を追いかけた女の子を追いかけて――
おれは、そう、間に合ってしまった。間に合ったからこそ猫ごと女の子を歩道側へと放り投げて。
そして物理の定める反作用により体勢を崩し、そのままトラックにひかれて潰れた。
おれは死んだ。
ミンチよりもひでぇやなんて寝言を残す暇もなかった。
はず、だったのだが……
〔2〕
《聞こえますか……。聞こえますか……》
遠く、声が響く。大きく深く、抱かれるような声が。
夢の中をさらうように。夢から覚まさず撫でるように。
《聞こえますか。いまあなたの意識に直接呼びかけています》
(ふぉみちきください……)
《そういうネタ返しはよいのです。時間がありませんので真面目に聞いてください。あなた自身の今後を左右するお話です》
(あっ、はい。すんませんした)
叱られて、思わず謝ってしまったのぜ。
なぜか、幼い頃に母親から「めっ」されてる居心地をものすごく思い出した。
気分は正座だ。体の感覚はあやふやでハッキリしないし、そもそも目が見えているのか耳が聞こえているのか、それも分からない。
だがまあとにかく正座だった。それもまた間違いない。
《まず、以前までのあなたの肉体は損壊し、残念ながらあなたの人生の幕は閉じました。それを理解していますか? 生涯の道行きという名の冒険はそこで終わってしまったのです》
(はあ……ええと、ああこれはおれってば死んだなっていうところまでは覚えているのですが。ていうかネタ返しするなとか言いつつあなたの方からネタ振ってません?)
《それを、理解して、いますか?》
(アッハイ。だいじょぶ、だいじょぶです。モチロンオボエテイマスのございますデス)
おいィこの人(?)おっかねぇんスけど!
声音は優しそうなのに……。あれだ、慈母の笑みの中に般若が潜むっていうヤツだ。
おとなしく言うこと聞いておいたほうがよさそうですわ。「言葉」ではなく「心」で理解したッ!
(ええと。それで?)
《あなたの死は、少々の因果の乱れをもたらしました。あなたが亡くなる原因となった“娘”は、我らに属するもの――あなたの理解できる概念に翻訳するなら、神々と呼ばれうる高次元存在の一端だったのです。まだまだ未熟者ではありましたが》
(そんな……あの女の子が? 女神の化身かなにかだったのですか? なんということだ……)
《いえ。子猫のほうです》
(猫かよっ!!)
思わずツッコミ入れちまったよ。
なんだよ今時のネコ様はさすが様呼ばわりされるくらいだから神さまパワーも宿してますってか?
そら猫さまが気ままに下僕を振りまわされたらフライング・トラック・ダイブくらい余裕ですわー、そら貧弱貧弱ゥな下僕の一人くらい轢死しますわー。
ますわー。ミサワー。もうね。
《そう腐らないでください……。いえ、お気持ちを察せられなくはないのですが、原因は単一ではないのです。間に入った人の子の幼き娘、あちらも関係があります》
(つまり……どういうことだってばよ?)
《あなたもなんだかんだ、好きですよね。……とにかく、続けますと、あの幼き人の子は、世の不可思議や神霊などを見る、あるいは感じ、わずかとはいえ干渉できる稀な資質を備えていたのです。一部の人の子らの間では「妖精の眼」などと呼ばれることもあるようですね。あなたの暮らしていた星の領域では不可思議の働きが薄い――いわゆる「魔法粒子密度が“疎”」の地でしたから、これは本当に珍しい事態の巡り合わせと言えることでしょう》
(ふむ……。なるほど?)
《あの時、子猫に宿っていた我らが“娘”単独であれば、神通力の守護によってあわやとなりつつも結果は無傷で済むはずでした。しかし、そこへ干渉力のある人の子が飛び出してきた。それだけならまだ巻き込まれながらも守り抜くことができなくはありませんでしたが、加えて幼子を守ろうとあなたまで飛び込んできたあげく、二人を逃がし投げてしまった》
(ふむ……。なるほど?)
《実はよく分かっていないのに分かっているようなフリをするのは止めたほうがいいですよ?》
(おーけーカミ者。れっつしんきんぐたーいむ、ぷりずオケ?)
《オケですが、ここで使える時間は有限です。お忘れなく》
でたよ(笑)。時間は有限て、こんな長話始めといて何をかいわんや状態。
――あ、ア、すんませんすんません睨まないで怒らないでマジこわいんでマジちびるんで、すんませんしたお詫び申し上げます真面目に考えますんでっ!!
つまり……事態の順序を整理するとだ。
1.子猫さまがトラックに轢かれかけた状況だったが、実はそのまま放置で問題なかった。
2.しかし、霊感幼女(仮)ちゃんが飛び込んでしまったので、事態がやっかい化した。
3.それでも何とかカバーできる範疇だったが、幼女あぶなぁぁーい精神を発揮したおれまで飛び込んできた。
4.そのため、そんな間接の間接な被害まで面倒見きれまへんがな(苦笑)となった。
5.神通力とやらを発揮する本体の子猫さまを遠くに投げて逃がす対処法もよくなかった。
結果、おれだけ一人お陀仏チーン状態になりました、と。
なぁにコレェ(笑)
え、マジで?
マジでなに、おれだけ一人損というかマジで無駄死になの? え。マジでなの?
マジ本気でそれ申されちゃってるんですか? お? マジお?
《マジ本気に冗談なく申し伝えさせていただいています》
謀った喃、謀ってくれた喃?
《いいえ。作為なく、偶然の踏み外しによる……つまりは、事故でした》
運が悪かった状態ですか。
《そうです。“ただ生きているだけでも、とてつもない幸運の連続に恵まれている”――あなたは、それを理解されている方のはず。原因こそ人外の不可思議が引き起こしましたが、しかし……》
予兆などなく。いつだってお構いなしにやってくる。気づいたときにはもう手遅れで……そういうものだと。ええ、わかっていますとも。
仕方がない。掌からこぼれ落ちてしまったものは取り戻せない。それが運だというのなら、なおさらに仕方がない。人の手の届かぬ領分を仰ぎ見て、本当にどうしようもないものをそう呼ぶのだから。凶運と踊っちまったんなら、仕方がない……
《ご理解いただけて幸いです。いえ、ハードラックとダンスがどうこうは、ともかくですが》
(それで。本題があるのでしょう?)
でなければ死んだ人間の意識なぞわざわざ復元させてまで話し込む理由がない。
《その通りです。ところで厳密には、あなたは肉体が死にきって人格意識が消失する寸前になんとか精神をすくい上げていますので、生きているとは思いにくいかもしれませんが死に滅した存在というわけでもありません。ですからどうか、ご自身のことをまだ諦めないであげてください》
(それは……。そうですか。どうも、ありがとうございます)
《いえ。では本題ですが、あなたの新しい肉体と、生きるべき地、そして――》
能力の選定について、と。その声は続けた。