第二章-1
レイクル山が朝日を浴びて輝いていた。
その様は、美しく荘厳である。
そんな風景のもと、スワイライムの一日は、鶏の鳴き真似で始まる。
この村に住む語り部たちが、朝早くなると連れ立って村中を歩き、声を上げる。
なぜ、彼らが真似をするかというと、この地に本物の鶏が存在しないからだ。
スワイライムの土壌はレイクル山の火山灰のため、鶏を飼うための飼料が育たないのだ。
鶏にかかわらず、牛や馬豚やといった家畜も、飼うゆとりが無いのがこの村の現状である。
スワイライムは貧しい村だ。
キジュは牢屋の中で、それを実感していた。
この村に旅にくるものは皆無らしく、宿屋はない。
酒場も、中央広場の前に一軒あるだけだった。
その酒場すら、この騒ぎで閉まっていた。
彼女は泊まる所も無く、仕方なしに彼女のための専用の部屋に戻ってきていた。
語り部達は、村はずれのこの牢屋にも回ってくる。
朝は誰にでも平等に訪れるものだ。
キジュは、日課の素振りをしながら、その声を聞いた。
「ココヤスで見た山への祈りにも驚いたけど、ここの風習も相当なものだね」
前日、ジャナリーから聞かされていたので、戸惑いは無かったのだが、物珍しさだけは残った。
一目見てみようと思い、剣を下ろす。
肩がわずかに重い。
固いベッドのせいで肩がこったのだろう。
「こんなことなら、あの娘のうちに泊まるんだったなぁ」
ついぼやくが、本音ではない。
昨日、ジャナリーがテムルの家に泊まると良いといってくれたのだが、それをキジュは断っていた。
ジャナリーの主人宅の一人息子であるテムルが、瀕死の重症で発見されたからだ。
グローリの見立てでは、傷は深いが、致命傷にはなっていないらしい。
それよりも出血の量が問題ということだった。
その脇で看病を続けていたジャナリーが、たらいから手拭を取り出し傷口に薬草を塗り止血していた。
それを見て、もう少し早く発見していればとキジュは悔やみ、いつもはあつかましい彼女が、とても泊めてもらう気にはなれなかった。
さらにいうならば、テムルの発見が遅れた原因は、グローリとキジュにあったのだからなおさらだった。
キジュは野盗が立ち去るとほっと安堵のため息をつくが、キジュに気付かず、村の中央に向かっていく魔物を見て、すぐに青ざめる。
馬車の中の人たちを思い出し、屋根から飛び降りた。
「武器が無くても行くしかないよね……」
覚悟を決めて通りを走り出す。
しかし、その覚悟をあざ笑うかの様に、魔物は頭の上を折り返していった。
足であの男を掴んで。
「あいつらも、野盗の一味だったんだ。慌てて逃げ出して、どんな奴がくるというんだろう……」
慌てて方向転換しながらも、ジャナリーが話していたものがどんな人物なのか考える。
夢にもその相手が、頭上を行く男だとは、思わなかったが。
駆け出してすぐ、キジュは魔物につきはなされる。
とてもではないが、追いつける速さではなかった。
村の壁が壊れた所でキジュは音を上げた。
先程の戦闘の疲労も少なからずある。
とても追いかける気にはならなかった。
壁に手をつき半身を曲げ、息を整えはじめる。
口から吐く息は白く、ほてった体から湯気が出ている。
まだ晩秋だというのに、スワイライム地方のこの数日の気温は、真冬並だった。
(レイクル山に雪が積もるわけだね……)
雪崩にあったことが鮮明に思い出される。
こんな短期間に、大きな事件に二回も遭うのは、さまざまな経験をしてきたキジュにとっても初めてのことだった。
胸の動悸がおさまったことで安心し、それとともに感慨が沸いてきて、そのまま、壁に寄りかかり座り込む。
(逃げていったのを、無理に追わなくても良いよね)
ため息を一つ。
白いもやもやが、顔の上に昇っていく。
それを見つめていると、キジュの顔も自然と上向きになっていった。
「レイクル山!」
ふと、顔を左にそらした時、レイクル山が見えた。
いまさら、この山が珍しいわけではない。
朝見たレイクル山と全く同じ方向からそれを見て、一つのことを思い出したのだ。
「牢屋の中に私のものが残っているかも!」
右の方には、キジュのいた牢屋が、壁を破壊されながらも、痛々しく建っていた。
しばらくの後、キジュは自分の装備を一通り見つけて外に出てきた。
まず、最初に見つかったのは、胸と肩に当てる鎧だった。
キジュにあわせて作ってあるため、需要が無かったのだろう。
同じように少し小さめの小盾も見つかる。
剣があったのも幸いだった。
これといった名剣ではないが、実家から持ってきた、思い出深いものだからだ。
しかし、キジュの一番の宝が無かった。
あのカードだ。
カードの中にしまった荷物も、当然見つからない。
「絶対、見つけ出して取り返してやる!」
息巻いて駆け出した所に、奇妙な偶然が重なった。
グローリが馬を引きながら、村の中に入って来るのと鉢合わせたのだ。
馬上には縛られてつながれている三人の野盗と気を失っている三人の女性が乗っていた。
ただ、グローリの顔を見た途端、キジュは注意をすべて彼に向けてしまっていたため、それを気にも留めなかった。
「僕のカード返せ!」
「……カード一つのことで機会を逸すとは……、愚かだな」
グローリも引いていた手綱を放して、キジュを見返す。
肩に止まるデーリッガの足に、手で軽く三回叩く。
この合図は、手出しをするなという意味で、デーリッガは軽く跳躍すると、馬の頭に止まり二人を見守る。
それを確認すると、グローリは腰から剣を抜いた。
二人とも抜刀したまま、寸分も動かないでいた。
ただ、グローリが後ろのデーリッガをかばい、絶対の隙を見つけるまで動かないつもりだっただけなのに対し、キジュは相手の隙を見出せないでいたからではあるが。
それだけ、グローリの構えは完全だった。
(やっぱり……強いよ……こいつ……)
再び相対して、相手の強さが嫌なほどよく分かる。
それでも、引こうとは思わない。
キジュにとって、あのカードはそれだけ大事なものだからだ。
(隙が無いなら、作り出すしかないか……)
キジュは剣の切っ先を右に三分ほど下げる。
相手に打たせて、返しで仕留めるつもりだ。
グローリもその事は重々承知だった。
が、その瞬間、剣を正位置から力強く打ち下ろす。
その先はキジュの体ではなく、剣だ。
(……!)
想定していた攻撃の範囲内だ。
右手だけで持っていた剣は、グローリの一撃で地面に落ちた。
(……ん?!)
グローリの腕には手ごたえが伝わってこない。
剣を支えようとした気配が無い。
普通なら落とさないように強く支え、その反動が伝わってくるものなのに。
グローリの剣は、そのままキジュの剣を追うように空を泳いだ。
グローリほどの達人になれば、それは瞬きの間に満たないが、キジュにはそれで充分だった。
グローリが、予想外の行動に対処し、剣を返そうと腕に力をこめる。
そこを、地面すれすれから柄を握っている拳へと、キジュの蹴りが飛ぶ。
グローリの腕の力とキジュの蹴りの力が合わさり、剣は一気に上段まで登っていく。
(……!)
そのまま空いた懐にキジュは体ごともぐりこみ、肘で溝を穿ちながらグローリを突き飛ばした。
グローリが数歩飛ばされた先で、わずかにくずれた姿勢を立て直す。
その間に、キジュは剣を拾って、構え直した。
それから、二人の間はまた、一触即発の空気に支配された。
間合いは五歩。
その間に、グローリは考えを改めていた。
以前キジュと会った時は、野盗に雇われた用心棒くらいに考えていたが、どうもそんな生易しい相手ではないと。
グローリの数こなしてきた戦いの中で、こうもあっさりと剣を捨てたものはいなかった。
一瞬で剣を捨てて、反撃に移るのには、卓越した腕とそれに裏打ちされた勇気が必要だからだ。
「……どうやら、手加減はいらないようだな」
剣を片手で持ち替え、雑念を払拭した。
キジュは、まるで悪い夢を見ているような感覚だった。
構えを変えた途端、今まで感じていた殺気が、より巨大なものとして自分に向けられたからだ。
(……失敗したかな……。万全の状態でも怪しいのに、これじゃ、とても勝てそうに無いや……)
キジュにとっては、今迄でさえ、気力で疲労を押さえ、体力を引きずり出していた戦いだったのだ。
それが、相手が実力を抑えたままだったのだから、いよいよキジュに勝ち目はなくなっていた。
(あの技を使うか……)
最後の賭けとして、自分の中で禁忌としている技の封印をとく決意をする。
小盾を捨て両手で剣を構える。
剣先を後ろにして。
(落ち着いて……平気だ……)
集中力を高め、殺気を開放し、恐れを殺す。
それに呼応し、グローリの警戒心が強まる。
下手をすれば自分が危ないと。
グローリが、ここまで警戒することは近年まったくなかった。
それだけ自分の実力に自信がある。
それを目の前の娘が打ち破っていることに、信じがたいものはあったが。
「二人とも、何をしているんですか!」
のっぴきならない二人の間の空気を取り払ったのは、ジャナリーの一言だった。
ジャナリーは身をていして二人の間に立つ。
「グローリさん、キジュさんは野盗ではありません!」
向き直り、キジュにも切羽詰った声で説明する。
「こちらの方は、この村の警備をしてくれている方なのです!」
それでも、二人はいぶかしく思い、構えをとけないでいた。
ジャナリーは、二人の納得がいくように、グローリにキジュの手助けを延々と説明しだした。
グローリは、それでおおよそのことを理解し剣を引いた。
キジュもジャナリーの姿を見て、一応は信用して剣を納めた。
しかし結果的に、この説明の時間がテムルの発見を遅らせた原因であった。
もともとジャナリーは、二人の仲裁をするためにここに来たわけではなかった。
周囲の人の手当てをしていたのだが、ふと、昼食を食べて出て行った、テムルのことを思い出したのだ。
臆病な人だから無理はするまいとジャナリーには分かっていたが、どうも胸騒ぎが止まらない。
後のことを、比較的傷の少ない人に頼むと、急いで彼の仕事場に駈けて来たというわけだ。
それから、三人でテムルを手分けして探し始め、見つけるまでさらに時間を食った。
グローリがテムルに治療を施し、家まで運ぶ間、ジャナリーは一言も発しなかった。
テムルを寝かせ一段落ついた頃、ようやく、ジャナリーは感謝のため頭を下げた。
その後、母屋で寝るテムルの母親の看病やなにやらで、ジャナリーはせわしなく働き回り、グローリはそんなことを気にせずさっさと出て行ってしまった。
一人、ポツンと取り残されたキジュは、罪悪感も手伝い、家の中の掃除をかって出ていた。