第一章-3
幌馬車の中にまた一人、女性が放り込まれた。
幌の入り口から外を覗いていた女は、そのため下敷きとなる。
「む……ッム……」
猿轡のため声にもならないが、相手には意味が伝わった。
縛られている両手のため、思うように動か無い体を何とか起こすと、申し訳なさそうに会釈をする。
(芯の強いこだな……)
彼女よりも先につれられてきたものは、自分たちの境遇に怯え、涙を流すものばかりだったので、少し自分にも勇気が湧いてくる思いがした。
といっても入り口では常にこちらを見張っている奴がいるので下手なことはできない。
とりあえず、新入りの彼女と何とか意思を疎通させようと座りながら思案をめぐらし始めた。
猿轡を外すのは案外簡単にいった。
馬車の中にいるもの全員が猿轡をしているわけではなかったため、外すことにそれほど注意を配らなくても平気だったからだ。
ジャナリーはさらしだけのその少女の前に座りなおし、見張りの視界を遮る。
その隙に彼女は、指で布をずらし、猿轡を取るとその布をスカートの中にしまいこんだ。
同じようにジャナリーも猿轡を取る。
(協力ありがとう)
今まで一度も見かけたことの無い娘は、ジャナリーに愛想良く呟いた。
(あなたは、旅の方ですか? 見た所、この村の方ではないと思うのですが?)
相手は少し考え込むという。
(僕も良く分からないんだ。何で自分がこんな状況になっているかって。とりあえず分かっているのは、このままだとまずいってことだけだよ)
あっけらかんとした答えに、ジャナリーは少々面食らったが、逆に頼もしくも思った。
(何とかしてこの状況から逃げないと……)
ジャナリーの頭の中には、病床で伏せている主人と、昼、出かけて行ったテムルの安否で一杯だったのだ。
(あの、さっきから早くアジトに戻ると盗賊たちがいっていましたから、その時に飛び降りれば何とかなると思います)
(それだと、この馬車の中の人たちは助からないでしょ? 最初は僕もそう思っていたんだけどね。……何かうまい方法無いかな。せめてこの手械が取れれば良いんだけど)
ジャナリーはその手械が、村で使われている鉄製のものだとは気付か無かった。
分かっていれば、罪人と思われる人物と、これ以上、話はしなかったろう。
(それなら、馬車の外に出て、隠れて車輪を壊してしまうとかは?)
見張りがいるので無理だろうと、ジャナリーにも分かっていたが、それくらいしか考えつかない。
しかし、意外にも相手は満面に笑みを浮かべた。
(それいい考えだね。それにしよう)
どうやってと思うジャナリーの耳元に、女は口元を近づけた。
幌馬車の中でうめき声が聞こえる。
そのうめきに反応して見張りが幌の中を覗く。
「何でも胸が苦しいといっているんだけど」
入り口付近で座っている、赤いスカートの女が状況を伝える。
「くだらん。静かにしやがれ!」
男は罵声を上げると定位置に戻ろうとする。
「胸をさすってもらえれば治るって……」
「知るか! そんなもん勝手にやれ! 良いか声を出すなよ!」
男は、つまらない見張りで鬱憤がたまっているらしく、機嫌の悪さを隠そうともしない。
「中の人は皆、縄で手を縛られているんだよね。僕もこの状態だし」
小女は、手械をあげてこれ見よがしに見せつける。
その時にまた奥の女がうめき声を上げる。
「うぅ!! うぅうう~!」
見れば、先程自分が連れてきた、蒼い瞳の女だ。
美しい顔だちがすぐに思い出される。
馬車の中をさっと見渡しても、一、二を争う上玉である。
「早く胸をさすってやらないと……」
彼女のその一言で、見張りの男は思い切って馬車の中に入った。
(こんなつまらんことをやっているんだ。少しくらい役得を味あわなければな)
倒れている女の前までずかずかと歩むと、立ち膝をつく。
そしておもむろに女の服に手を伸ばした。
ガツン! と鈍い音がする。
「うぐぅうう!! ……」
男は姿勢を保てず、その場でうつぶせになった。
その後ろで、鉄製の手械を振り下ろした女が、素早く男の腰から剣を引き抜いていた。
刃こぼれが酷いが、それでも、斬れないほどは痛んでいない。
ほくそえみながらジャナリーに腕を突き出させる。
女は手械で自由に腕を振るえないため、縄に剣を当てると鋸のように引きながら縄を断ち切った。
ジャナリーはようやく戻った自由に、自然と頬が揺るむ。
「じゃぁ、君は、皆の縄を解いてあげて。僕はこれで、馬と馬車をつなぐベルトを切ってくるから。流石に車輪は壊せないだろうし。そうそう、そいつに、縄かけるのを忘れちゃだめだよ」
幌から外を用心深く覗き、盗賊がこちらに注意を向けてないことを確かめると、さっと、馬車から降りて、馬車の側面に隠れる。
もっとも路上なので、必ずどこからか行動が見えてしまうから、気休めにしかならないが。
少女の額には、汗がだくだくとにじみでていた。
馬と馬車とをつなぐ皮制のベルトを切る行為自体は、さほど難しいことではない。
普段通りに手が動けば、一杯のお茶を飲む程度の時間で終わることだ。
しかし手械をして、更に周囲に注意を払わなければいけないとなると、ことのほかそれが難題となってくる。
剣を当て、音を立てないように用心深く、ゆっくりと引く。
知らない間に、暑くも無いのに汗がとりとめも無く湧いてくる。
左側のベルトを切るだけで、日が暮れるのではないかと思えるほどだ。
それでも、ようやく、片側を切り終える。
汗をぬぐおうとして、自由にならない手に、また苛立ちを覚えた。
「後は私がしましょうか?」
途中から駆けつけてくれたジャナリーが、不安そうに尋ねる。
「うん。お願い」
流石に、疲れを隠し切れない。
ジャナリーは剣を持って切ろうとした時に、単純なことに気が付いた。
自分がベルトを普通に外せばよいということに。
そんなことに気がつかなかったほど、二人はやはり平常ではなかったのだ。
ジャナリーは苦笑を浮かべ、馬のわき腹に手を伸ばした。
あっという間に、馬と馬車は分離する。
あまりの容易さに、拍子抜けしてしまった二人は調子に乗り、隣の馬車の馬も開放してしまおうと考えた。
ジャナリーは右隣の馬に急いで近寄る。
少女二人が、馬からはなれた時。
左側の曲がり角の方で大きな声が近寄ってきた。
「親分、もう少し長居したって奴はきっこありませんぜ」
「程ほどの所で引き上げておくのが、賢いやり方ってもんだ。奴が来てからじゃ遅いんだからな」
盗賊の首領は、相当懲りたらしく不安を隠そうともしない。
それを見た部下たちは、地面を強くけったり、壁に八つ当たりをしたりして、ふがいなさを紛らわせている。
そんな部下の一人が、振り上げた拳の先を見てすっとんきょうな声を上げた。
「御頭! 屋根の上! 屋根の上を見てください」
足早に馬車を目差していた盗賊たちはその声で上を見上げる。
そこには、屋根づたいに女が走っていた。
盗賊の部下の声で、下の変化に気付き慌てて奥の方へと引こっむ。
「あのあま!」
頭は瞬時に頭に血が上った。
連れ出すのに散々苦労をかけさせられた女だ。
はらわたがにえくり返っていたのを、仕事を優先するために、一時我慢していたのだ。
それを、逃がしたのだから、怒るなという方が無理であろう。
頭は部下たちにすぐ周りを取り囲むように指示を出した。
屋根の上を逃げる女を追っかけて、野盗たちは路上を駆けていた。
始めは女をまじめに追っていたが、そのうち一部のものたちは、その群れから外れ、近くの民家に忍び込み家捜しをするものも現れだした。
頭の個人的な理由でここにいる時間が延びるなら、自分も好きなことをしなければ損だと思ったのだろう。
それにしても、彼女の逃げっぷりは見事だった。
手械をしているにもかかわらず、バランスを崩すことも無く疾風のように駆け、翼の生えているかのように、家から家へと飛び移る。
大きな民家であったり、村の集会場であったりと、屋根が広く走りやすい場所ばかりを瞬時に判断し選択しているのだ。
しばらく、野盗をひきつけながら走っていた少女は、行き場を失った。
彼女は、最後の家の上で立ち止まりあたりを見回した。
右側の方に壁が壊れているのが見える。
その左には三階建ての建物が見えるが、そこまではあまりに遠く飛び移るのは不可能だ。
一旦は地面に降りようと考えたが、ここから飛び降りて周りを囲まれるより、ここで迎え撃った方が地の利を生かせると判断しなおした。
彼女は、その場で向きを変えた。
人が十人も上に乗れば、足の踏み場も無くなる狭い屋上である。
更に、飛び移ってくる場所は自分が来た家からしかない。
(いける!)
飛び移ってくる野盗の一人を蹴飛ばす。
空中で勢いを殺された野盗は、そのまま地面に両腕を広げて落ちていった。
少女もその反動で数歩後ずさるも、不敵な笑みを向かいの屋根に投げかける。
地面に落ちた男はそのまま気を失い、その惨状を見た追っ手は、飛び移るのを躊躇しだした。
業を煮やした頭は、屋根に飛び移るように命令を伝えると、その建物の扉を開け、階段を駆け上り、二階の寝室の窓枠に手をかけた。
ちょうど、女が立つ後ろ側の位置にある窓だ。
窓枠に立つと、煉瓦の庇に手をかけ、上体を吊り上げる。
足幅よりもわずかに小さい幅だったが、頭はそこにたった。
後は屋上まで僅かである。
背伸びをして縁に手をかけると、一気に屋上に上り詰めた。
頭の目の前で、女はまだ気付かず背を向けていた。
隣から移ってくる盗賊どもを足蹴にして地面に落としている。
頭は余裕すら取戻し、後ろを振り向くと腕を振り、階下の部下たちに同じようにしてついて来いと合図を送る。
下で見張っている最低の人数だけを残し、部下は屋敷に突入した。
それを見届けた頭は、忍び足で女に近寄り、後ろから羽交い絞めにしようとした。
女の体が白鳥のように、優雅に空を舞った。
飛び移ってくる野盗を蹴る反動を利用して、空を駆け、宙返りをして、首領の背後に着地する。
「残念でした。殺気が全然消えて無かったよ!」
首領の背中を蹴っ飛ばす。
首領はその場に留まる事もかなわず、勢いよく落下していった。
それに見向きもしないで、キジュはすぐさま後ろを振り返る。
「ざまぁねぇな、ナズセの奴も。こんなことだから、若造に足元すくわれて牢なんぞに入れられるんだ」
首領が上ってきた場所から、また新しい盗賊が一人上っていた。
男はすぐに間合いを詰めようとはしないで、脇にずれると、腰からぶら下げている刀を抜きこちらを見る。
「こういうじゃじゃ馬は、少し痛い目を見せれば静かにならないってもんだ。ちょいとばかり、しつけてやらないとな」
脅しですごむも、まだ仕掛けてはこない。
その間にも、窓から一人二人と盗賊が上がってくる。
キジュは覚悟を決めた。
このままでは周囲を囲まれてしまう。
逆に、相手が刀を振り回してくれれば、他は襲い掛かってはこないだろう。
となれば、自分から間合いを詰めたほうが得策である。
近づいて絶えず敵を挑発してかわし続ける方が身の安全を確保できる。
彼女は一瞬で判断をくだすと刀を抜いた敵に近づいていった。
男は両手で刀を振り下ろした。
当然切るつもりは無い。
邪魔な胸の布きれを切って、娘の羞恥心を駆り立て、動きを封じるつもりだった。
そして、自分にはそれくらいの力量はあると、男は自信を持っていた。
しかし、紙一重の差で刃は空を切る。
少女が振り降しに対して、立ち止まったためである。
「運の良い奴め」
男は、交わされたとは疑いもせずに、笑いながら刀を正位置に戻す。
「そう思う?」
キジュは鼻で笑う。
男は怒り心頭に発し、本気で剣を振り回した。
「ルンクス!やめねぇか!!」
路地でこちらを見上げている頭が怒鳴る。
しかし、振り下ろされた剣が急に止まるはずも無く、誰もが一刀両断にされたと思った。
「こんな剣さばきで、僕を切れると思う?」
軽く足を動かしながら、ひょいと体を左に逸らす。
剣は虚しく空を切り、ルンクスは白目をむいた。
膝蹴りが溝内に入ったからだ。
「いいか!ルンクス。そいつを生かして連れてくるんだぞ!」
ナズセが、部下に助けられて馬車に戻っていく。
後ろ目で見ながら、前に少女は向き直った。
白目をむき怒りで真っ赤になったルンクスが、頭の声など全く耳に入ってない様子で睨んでいた。
それからというもの、ルンクスはただ滅茶苦茶に剣を振り回した。
それをことごとく、キジュは紙一重で交わす。
野盗どもは、皆が皆自分の目を疑った。
ルンクスは彼らの中では一番の剣の腕を持っている。
その彼が赤子のようにあしらわれている姿は、悪夢そのものだったからだ。
しかし、彼女にとっては、この程度なら当然のことだったのである。
(剣術の基本は回避にある)
少女は幼き日からの訓練の日々を思い出していた。
彼女の師は、一年間、彼女に剣を握らせなかった。
彼女は、毎日、門下生の振り下ろす木刀を交わす練習をしていた。
最初は下級の門下生の木刀すら交わせず、いらいらが募った。
自分より下の門下生が剣を振るっていることにも憤りを感じた。
ある日、思い余って不満をぶちまけた。
「どうして、僕には剣を握らせてくれないのですか! ラエンすら技を教えてもらっているのに!!」
ラエンとは、一ヶ月前に入門したばかりの門下生で、素質の無さは彼女でも一目でわかった。
「ラエンとお前は違う。ラエンにはラエンの向上の仕方があるように、お前にはお前の鍛錬の仕方が有る。お前が真に向上を望むなら、この道は避けては通れないものだ。剣術の基本は交わすことにあるのだからな」
ルンクスの斬撃を交わしながら、幼き時の師の教えをかみ締めていた。
肩の動き、目線、剣先、剣速、風切り音、それらの全ての情報が彼女に次の一撃の軌跡を確かに伝えてくれる。
あたる事は無いという確信が、更に、彼女の判断を冷静なものにし、最短のよけ方へと体を突き動かしていた。
そのため息一つ乱してはいない。
一方ルンクスは、剣の動きが惰性となり、肩で息をしていた。