第一章-2
スワイライムの村の中は、昼時にも関わらず静かだった。
なぜなら、三日前、村の男たちが総出で、街道の損壊具合を確かめに出て行ったからだ。
普段ならば、そんなことは無い。
しかし、二つの不安が、村人を焦らせ突き動かしていた。
一つは、野盗が村の中や畑を荒らしにこないかという不安。
平素ならば、キュルーナ王国の警備兵の巡回がこの村を守っているのだが、地割れのために街道が寸断され陸の孤島となってしまった今はそうではない。
もう一つは、地震によって、山間の畑の農作物が壊滅してしまったことへの不安。
スワイライムの食料はほとんどが自給自足なため、このままでは長い冬を越えることができない。
そのためにも、一刻も早く街道の状況を早く調べ、食料の買出しへとつなげたかったのだ。
スワイライム村の北の大きな屋敷の煙が止む。
台所での調理が済んだのだろう。
その家の中から、のんびりとした男の声が聞こえてきた。
「じゃぁ、そろそろ戻るよ」
昼食を食べに戻ってきたテムルは、椅子から立ち上がった。
真っ先に食事に着いた彼は、家中のものが食事を始める前に、食べ終えていた。
台所の方から召し使いのジャナリーが走って見送りに出てくる。
「まってください。テムル様。今日も遅いのですか? 大奥様の様子が大分悪いようなので、できれば早く戻ってきて欲しいのですが」
「そうはいっても……。牢番は僕一人だし、男手だって、今は僕だけなのだし、何かあったらすぐには戻れないよ。もっとも、何か有ったら、僕なんかじゃどうしようもないけどね」
自嘲気味にテムルはいう。
「そんなことありませんよ。テムル様は……。それに、街道に行かなかったのは、テムル様だけでは……」
「残っているのは、年老いた語り部のカノラークさんとグローリさんだけじゃないか」
「それはグローリさんくらいに信頼されているということでは?」
「下手な慰めはよしてくれ!」
テルムは、勢いに任せて扉を開け放ち、家を出た。
そんな信頼などありえないことを彼自身が知っていたからだ。
居間では、寂しそうにジャナリーがその姿を見送っていた。
テムルは今月で十四になった。
この村では十四で成人を迎え、一人前の大人とされる。
この日を、彼はどんなに待ちわびたか知れない。
体格的に恵まれていない彼は、いつだって子ども扱いされてきた。
いや、このいい方は正しくない。
正確にいうと、見下されていた。
周囲はそんなことはないといっていたが、彼にはとてもそうは思えなかった。
そんな評価も成人すればそれもなくなるだろうと、テムルは安易に考えていたからだ。
しかし、結果は全く何も変わらなかった。
彼はいつまでたっても子供として見られた。
同い年の男たちが、村の重要な役目の見習いとなったのに対し、彼は何の役にもつけなかった。
今回、噴火のために街道の被害状況を確認に行くのも、村の男性は総動員させられたのに、彼だけは、牢の番として置いてけぼりを食らった。
もっとも村の男たちから見れば、牢番という大事な役職を任せたくないというのが本音ではあった。
しかし、人員不足のためどうしても総出でなければならなかったため、ぬぐいきれない不安を抑えたまま、渋々大任を任せたのである。
それだけ、テムルのことを信用していないというわけだが、それにはちゃんとした理由もある。
テムルの家から歩いて二、三百歩行った所に牢はあった。
村から隔離され、村と畑の境界である壁以外は何もなく、牢の周りはちょっとした広場になっている。
同い年のギルーネの家を曲がると、その広場だった。
テムルはそこを何気なく曲がると、慌てて後ずさる。
広場には、三台の馬車が横付けにされていた。
村の境界である壁が無残に壊されている。
その馬車の前には見張りが三人、村の中の方に目を光らせている。
三階建ての牢の一階の壁も壊され、中から荷物が数人によって運び出されていた。
その中の一人が壁の側面についている梯子を伝って、屋上に上り見張りについていく最中だった。
テムルは、壁の先が押収物の保管庫であることをギルーネの家の陰に隠れながら思い出した。
テムルが見つからなかったのは、運が良かったにすぎない。
たまたま、見張りが後ろを向いていたから助かったものの、テムルは建物の影で腰を抜かすことになっていた。
すでに、建物越しに彼らの様子を覗こうとする余裕も彼にはなかった。
壁越しに聞こえる野盗の声にただただ怯え、震える足を押さえ込んでいるだけだった。
「御頭は何やっているんだ?」
「上の階で上玉の女が一人つかまっているらしいから、それを連れ出すつもりらしいぞ」
「ち、雑用は俺たちにやらせておいて,自分はお楽しみってわけかい」
「そこまでの余裕はないことは、御頭も知っているさ。楽しみは隠れ家までとっとくってさ」
「奴が戻ってくる前にとっとと戻ってしまいたいからな」
「誘導班も、そう、ひきつけられないしな」
「しかし、このままだと村を襲う方の時間がなくなるんじゃないか?」
(村を襲うっていったら、ここを通るってことじゃないか……、見つかってしまう!)
腰が抜け動けないテムルは、恐れおののく。
冷や汗を流しながらも、テムルは這ってギルーネの家の扉までやってくる。
引き戸を寝たままの状態で引っ張ると、音もたてずに開いた。
テムルは幸運に感謝し、家の中に入ると、戸を閉め息を潜めたのだった。
盗賊の頭がてこずっていたのには理由があった。
さらいに来た女が意外にも抵抗を見せ部屋の中で暴れまわったのだ。
最初は力任せに事を運ぼうとした首領だったが、ちょこまかと動き回る女に業を煮やし、取り押さえようと棒で動きを封じ、やっと、今、女を担ぎ上げた所だった。
さんざっぱらけられたので、頭に来てその場で殴り倒す。
もはや、言葉とも取れない悪態をつきながら、頭は倒した女の顔を蹴り上げる。
それから女の手械を右手で抑え、左手で小ぶりな胸を力いっぱい握り潰すと、苦痛で顔をゆがめる女にやっと人間の言葉を発した。
「いいか! 後でこのお礼はさせてもらうからな!! これからまっとうな人生を送れると思うなよ!!!」
そういい終わると、襟首から左手で服を引きちぎり、その布を女の口にかまし猿轡にする。
哀れにも女の胸は、さらしだけのあられもない格好となった。
それでも女は羞恥の表情を見せず睨み返す。
頭はその顔につばを吐くと、女を肩に担ぎ牢を出た。
階段を下りながら、牢屋のなかで動き回っている部下たちに合図を送る。
その合図を元に,中に居た全員が一斉に外に集まりだした。
外に出た頭は、担いできた女を馬車の中に放り投げる。
「よく俺を助けにきてくれた! ここまでは手はずどおりだ!! 後は、奴が戻ってくる前に、村の金目のものと女を奪ってずらかるぞ!」
掛け声と共に、馬車は走り出した。
すさまじい速さで道を疾駆し、盗賊どもは幌からでている縄に足を絡め気勢を上げる。
馬車はすぐに村の中央についた。
蜘蛛の子を散らすように、野盗どもは一斉にあたりの民家へと突入していった。
(見つかりませんように……)
村の中の悲鳴を聞かないように、両手で耳をふさぎ、テムルはベッドの影でうずくまっていた。
馬車がこの家に目もくれず走り去ったおかげで、テムルは事なきをえた。
しかし、この場が安全というわけでもない。
ただ、外に出るよりは安全というだけで、テムルはその場を動かないでいた。
「僕が悪いんじゃない。僕一人が足止めしていたって、結果は変わらなかったさ……」
抑えた耳から入ってくる悲鳴に、いい訳するようにテムルは、がちがちと震える唇からぼそぼそと呟く。
実際、彼の力ではどうしようもなかったのは確かであろう。
それでも、その言葉に彼の心は納得をしなかった。
脳裏には、友人の嘲りや罵りが沸いてきては消える。
更には、寝たきりの母が無残に殺される場面が思い浮かぶ。
そして、盗賊どもに連れて行かれながら、悲しそうにこっちに助けを求めているジャナリーの姿が思い浮かんだ。
(皆……ごめんよ……)
テムルはベッドの下に潜りこみ、涙を流し、声を殺しながら泣いた。
村の中は阿鼻叫喚のむごたらしい光景に変わっていた。
まず、民家から食料や金目のものが略奪され、それを阻止しようとしたものが斬られる。
到底、村に残されたものたちでは手におえる輩ではなかった。
逆に、盗賊を面白がらせ、興味半分で切られるものまでで始めてしまう。
略奪が終わると、次は年頃の女の品定めに入り、気に入った順から馬車に突っ込んでいく。
身寄りのものが泣き叫ぶ中で、首領の声が急に響き渡った。
「誰だ! 火をつけた馬鹿どもは!!」
頭の指差した先には、もくもくと黒い煙が立ち込めていた。
「やめてください! 寝たきりの女性が居るのです!」
ジャナリーの哀願も虚しく、部屋の中は三人の盗賊に荒らされていた。
離れで食事の用意をしていたジャナリーは、急に母屋が騒がしくなったので戻ってきたら、この状況だった。
男たちは、その声を気にとめるでもなく振り返ると、下卑た笑いを薄らと浮かべる。
「ほう。こんな上玉が隠れていたとは」
「ルクンスの兄貴、連れ帰るんですか?」
部下は期待をこめて嬉しそうに問う。
目の前の女は、まだ、幼さが残る顔立ちではあったが、深い蒼色の目やきゅっとした赤い唇が印象的で、将来は間違いなく美人になるであろう。
いや、今でも充分に美しいといえる。
それだけに盗賊どもの劣情を駆り立ててしまっているのだが。
「そうだな。もう食料や金目のもんはいいだろうしな。こいつはいい女になるだろうよ」
ジャナリーは急に自分の身に危険が迫ったことを察すると、今来た道を走り出した。
男供はそれを逃さじと追いかける。
そのまま離れに入ろうと扉を開ける。
その途端、熱気が彼女を襲った。
部屋中炎だらけである。
つい先程までは綺麗に片付けられた部屋が、見る影もない。
すすけた煙が部屋中を汚し、開けられた扉から外へと逃げ出していく。
ジャナリーは、すぐに我に戻り、廊下を踏み出して庭に出ようとした。
しかし、例の三人が追いつきざま彼女を燃える離れを壁に取り囲んでしまった。
「兄貴! どうします。火事を知れば奴が引き返してきますぜ」
「仕方ない。ここで味見でもしようと思ったが、とりあえず捕らえてアジトに連れ込むぞ。お楽しみはまた後だ!」
男たちはそういうが早いか、三方から一斉に襲い掛かかった。