第四章-2
スワイライムの中央の広場から、わずかに外れたところに語り部たちの家がある。
この村では、唯一の語り部たちの家であり、家族のない語り部たちは皆ここで引き取られ、生活している。
センナの師であるカノラークは、そういったものの父でもあった。
ただし、センナと他の者たちとの間では決定的な違いがあった。
それは、カノラークがセンナを後継者と公言している点である。
カノラークが最後に連れてきた弟子であるセンナは、村中の噂になった。
さまざまな発声を叩き込まれ、他の語り部たちが家の手伝いをしている時も、伝承を教え込まれた。
何をしても注目を集めることが、逆に彼女の劣等感を育て、内気な性格を悪化させていったのだが、それでも、師の期待に答えようと必死で練習もしている。
歴史に名を残す偉大な語り部を目指して。
センナが家に帰ってきた途端、書斎の扉が開いて、カノラークがでてきた。
「センナよ、話がある。こちらにきなさい」
昨日から書斎にこもりきりの師が出てきたというだけで、センナには緊張が走る。
「はい、お師様、ただいままいります」
「そう緊張するでない。お前をとがめるために呼んだのではないのだ」
センナの肩の力がやや抜ける。
それを見て、父は安堵して話を続ける。
「センナよ。お前がこの村に来てから、一度たりとも危険なことにあったことはなかったな。昨日までは……」
「はい、そのように記憶しておりますが……」
「それは、私が常々いっておるように、お前が運命の精霊に愛されているからなのだよ」
「でも、昨日は……」
昨日のことを思い出すと、体が震え、今までの平穏が嘘のように思われる。
「さよう。私も不思議でならなかったのだ。そこで、昨日からかかりきりでで占ってみたわけだが……」
センナは、目の前が真っ暗になる思いだった。
自分が運命の精霊に見放されたのではないかと思ったからだ。
そうならば、後継者として自分は用なしとなってしまうだろうと。
背中に冷や汗が流れていて、目の前の景色が霞んで倒れそうになる。
ただ、カノラークも育ての親。
そんな早合点をするのではないかと心得ていた。
「そうではない、案ずるな。仮にお前が運命に嫌われようと、後継者からはずすつもりはない。お前は、一生懸命がんばってこれまで修行してきたのだから。ほれ、泣くのを止めよ。そなたの悪い癖だぞ」
センナは、涙をぬぐった。
「それに、お前はまだ運命に好かれておるよ。だからこそ、昨日の事件は何だったのかと首を傾げておったのだが……」
カノラークは席を立って木窓を開ける。
穏やかな日の光が部屋に注ぎ込んでくる。
「結論は、運命の精霊が、お前に対して警告を発しているのだろうとわしは思っている。今、運命の精霊に好かれているといったように、お前はこれからも幸運に見舞われると出ておるが、この村の命運は安定しておらん。これは、この村に良くないことが起こる前兆であろう。つまり、お前にこの村を出よという警告なのだろうと」
センナには師のいっていることに思い当たる節があった。
ここ毎夜、彼女は悪夢にうなされ続けていた。
夢の中で、村の上に輝く真夜中の太陽にセンナの体は焦がし続けられ、朝起きると、体中が汗だくとなっていた。
「私の占いでは、西にいけと出ておる。東ならグローリ殿に頼んでココヤスに連れて行ってもらったのだが……。お前を一人で出すのは忍びないが、どうだ、外の世界へ修行しに行きたいと思わんかね?」
「分かりました。お師様がそうおっしゃるのなら、旅立ちます。グローリ様が戻られたらすぐにでも……」
暗い夜が訪れた。
不安を掻き立てる夜ではあったが、満月の前の欠けた月の光が、わずかな希望を灯すかの様だった。
デーリッガに後を任せ、キジュは窓から部屋に戻った。
そのまま、机の上の手紙の束に手を伸ばし、掴むと、急いで階段を駆け下りた。
センナの知りたがっていた、フレイナの旅の話がこの中に書かれていることは確かだ。
せめて、あの泣きじゃくる娘に、これを読ませてあげたい。
見張りを続けている間中、キジュはずっとそう考え続け、老夫婦の食卓へ顔を出したのだった。
「おや、キジュさん。気が変わって一緒に食べる気になったのかい?」
「いえ、そういうわけではないのです。食事中おしかけて申しわけありません。また後で伺いますので、ごゆっくりしてください」
「そうかい…それは残念だね。フレイナが行ってしまってからというもの、私たちだけの寂しい食事が続いたから、是非一緒に居てもらいたいのだけどね」
老母は、本当に残念そうにお椀を置いた。
「ハレカよ。込み入った話があるみたいだから、お茶を持ってきてはもらえんかな」
さすがにカナライは、キジュの手に持っている物に気付いたらしい。
「今でもかまわんよ。たびたび降りてくるのは、老骨ではなくともしんどかろう?」
キジュもその誘いを断るのも気が引け、椅子に腰掛けた。
老母は、お茶をとりにゆっくりと立ち上がって台所へと向かった。
「あの……」
少々、恐縮したが、センナのために口を切った。
「センナさんのことなのですが……」
「ああ、カノラークの後継者の? その娘がどうしたのだ?」
難しい顔をして、カナライは聞き返した。
「なぜフレイナさんを姉のように慕っていた彼女に、何も教えてあげられないのですか?」
「……うむ、あの娘にはまだ早いと思うのだよ……。以前、センナが来てグローリ殿にフレイナのことを教えてくれと、激しくせがんだことがあった。その時の切羽つまった壊れそうな様子で、あの娘にはまだ耐えられないというのが正直な感想だったのだよ」
カナライが淡々と語っている隣で、ハレカが、横からお茶を置きつつ口を挟んだ。
「でも、あれからセンナも成長したのじゃないかしら? もういい時期じゃないかと思うのだけど……」
カナライは、一つため息をつく。
「やはり、難しい話になってしまったな……」
しばらく、宙を見据え黙って思案にふける。
やがて、ハレカが口を開いた。
「こうしたらどうかしらね?」
「ん?」
「キジュさんにその手紙を読んでもらって、センナに伝えていいものかどうか考えてもらうというのは」
「それはいい」
カナライは手を打って賛成したが、キジュは目を白黒させて困惑した。
「困ります。そんな重要なこと任されても」
「そうはいっても、私たちでは色々な想いが重なって冷静な判断が出来んのだ。客観的に見られるあなたが、適任と思うのだよ」
二人にそういわれては、この役を引き受けないわけにはいかなかった。
キジュは降りてきた時とは対照的に、ため息をつきながら階段を上っていった。
そして、しばらく逡巡していたが、覚悟を決めて手紙を手にとった。
『キュルーナ王国暦 二八年 十一月十日
お父さん、お母さんお元気ですか?
私がカデラスの封印をするため霊術修行に出て半年になります。
今、ココヤスの蒼海亭という宿で寝泊りしています。
ここは店長の料理が自慢の宿屋で、一泊で何と五十ジュールも取られる高級宿屋ですが、店の手伝いなどをして安く泊めてもらっています。
何故ここでご厄介になっているかといえば、ここから先、デーリッガと二人だけでは心細いので、仲間となってくれる人を探していたからです。
その目星もつけたので、今日は報告のために始めて手紙を書きます。
私の仲間は同じ宿に止まっている、カレルナ君とケムレン君といいます。
カレルナ君は、博識で世界中の知識を求め仕官するのが目標で、ケムレン君は各国をめぐり、我流の剣術の腕を磨くのが目的だそうです。
二人は幼馴染で、故郷のガルバー国の港町ガーレという所からやってきたようです。
二人ともなかなかの腕前なのですが、お金に無頓着なところが玉にきずで、私は彼らのお財布の紐代わりに、仲間に入ることにしました。
こう書くととても頼りないと思いになるかもしれませんが、そうではないのです。
二人がこの町に寄った理由は、ケムレン君の腕試しが目的だったのですが、先日開かれたココヤスの武闘大会では、準決勝まで勝ちのぼった程の腕なのです。
ケムレン君を負かしたワセレナという霊術師は、今年の大会の優勝者になりました。
その彼が最も強敵だったのはケムレン君だったといったほどです。
お父さんもお母さんも納得してくれると思います。
さて、話を旅のことに戻します。
そのワセレナさんの出身地が、セレルーネ王国北の国境沿いのドレクナ湖の湖畔ドレクナの里で、そこに行けば霊術を教えてくれるということでした。
ですので、明日そこへ向けて出発しようかと思います。
その里に着いたら、また連絡します。
セレルーネ王国ココヤス町蒼海亭にて フレイナ』
幻想的な灯篭が町を照らす。
ココヤスの道々に掛けられたこの揺らめく灯りは、祭りの雰囲気とあいまって、人々に例えようのない高揚感を植えつける。
夜もだいぶ更けたというのに、人々は眠ることを知らない。
その人々を避けるように、大きな広場から北に伸びる路地に、男は足を踏み入れた。
段差のある道を進み、階段を降り二つ目の曲がり角を右に折れる。
だいぶくたびれた建物で男は足を止める。
看板の文字は汚れで読めなかったが、扉を開けた。
客が十人ほど、酒を酌み交わし騒いでいた。
奥の机越しに店主が、声をかけてくる。
「あいにくだな。近年まれに見る盛況振りで部屋は満室状態だ。他をあたってくれないか」
(……これで盛況だと……)
内心で驚きながら、店主に近寄る。
「ガレントさんが貸し切りにしようとしているんだ、野暮はしないで他へいきな」
「……」
グローリはその言葉を無視して、店主の前まで来た。
「……奥に馬小屋があったはずだ。それでいい」
五ジュール硬貨を取り出すと机の上に置く。
「ほう、それは俺でさえ初耳だな」
部屋の真ん中にどっしりと腰を下ろしていた男が、あざ笑うようにいう。
「俺は、五年もここを使い続けているが、馬小屋なんて始めて聞いたぞ。しかも、それに泊まりたいという客がいるとは!」
一斉に全員が笑い出す。
しかし、男は気にも留めない。
店長は、右腕を震わす。
「……五ジュール硬貨と皿洗いが相場だったはずだ。ただ、皿洗いの方は柄の悪い奴らと同宿ということで、断らせてもらう」
「わかった。それでいいだろう」
店主は、震える右手を押さえた。
そして台帳がしまってある机まで歩くと、引き出しを開け古びた宿帳を広げる。
「おいおい、クラウガ。本当に馬小屋なんてあるのかよ!」
蚊帳の外に置かれた客たちが、騒々しくわめきだした。
一触即発の空気を読んだのか、店長は、棚から高価そうな酒樽を取り出す。
「気にするな、単なる戯言さ。それより、これは俺のおごりだ。飲みな」
ポンと放り投げると男たちはこぞって取り合い、奇妙な男のことなどどうでも良くなって、また飲みだした。
それを見て安堵のため息をつくと、店長は小声でいった。
「あんたみたいな客が、またこの宿に来るとは。今日はすばらしい日だ。金はいらん。名前だけここに書いてくれ」
グローリはすらすらと名前を書くと、青いローブを脱ぎ始めた。