第四章-1
久方ぶりに、レイクルの山に雲がかかった。
出発の日としては先行き不安な日ではある。
語り部の少女らはレイクル山を越えて、戦地へ赴く夫とそれを見送る妻の詩を歌う。
山の雲 雫をおとす
たえきれず 私もこぼす
あの雲は 流れてくのみ
行く君よ 必ず戻られん
キジュは屋根の上で、村の入り口を眺めていた。
「それでキジュさんが、ここでまた見張りなのですね」
キジュを心配してきてくれたジャナリーは、気の毒がった。
しかしキジュは、実のところあまり気にしてはいない。
全ての問題を解決するために、大会で優勝できる人物を送り、食料を持って帰ってきてもらう。
キジュの提案はこうだった。
そしてそれが確実なのは、グローリ以外いなかった。
「ここに座るのにも結構慣れたし、別に嫌ではないよ。見晴らしだって良いしね」
遠ざかる男を見送りながら、笑っていった。
「カードも持っていってしまわれましたが、いいのですか?」
「うん、いいんだよ。あのカードは物を運ぶためにあるんだからさ」
キジュは、本当に自分は晴れ晴れしているんだと、ジャナリーに昨日のことを伝えた。
会議の最後まで、参加者にはキジュはカードのことを伏せていた。
だが、彼らが帰ると、彼女は、グローリを捕まえてカードで食料を持ってくればといいと伝えた。
カードを持たせていかせることに、迷いはなかった。
言われなくてもグローリは、そうするつもりだったかもしれない。
しかし、キジュはそう伝えると、自分の荷物の中から有り金を全部、革袋ごと渡しもした。
「……これはなんだ?」
「見て分からない? お金だよ、お金」
グローリは何もいわず、冷たい視線をキジュに投げかける。
このお金だけで、買える食料などたかがが知れているといわんばかりに。
「まったく失礼な奴だな、君は。これくらいじゃ、村人全員でわけたら一食分くらいにしかならないって、僕だって分かってるよ。だから、君がこのお金を増やすんだよ」
「……どうやってだ……」
「ココヤスの町にいた時に聞いたんだけど、武闘大会では賭けが行われるんだ。その賭けに、これを全部、君に賭ける」
「……」
「大丈夫、なくなっても文句はいわない。それに君が負けるなんて僕には考えられないし」
キジュは、屈託なく笑いながらいった。
「もちろん、圧勝しちゃだめだ。まぐれとか偶然で勝ち抜いたという感じで、賭けの最後まで君の倍率を上げたままにしておくんだよ」
「……」
「いかさまなんてことを言うつもりじゃないだろうね。そんなことないよ。いかさまってのは、わざと負けてもらうとか、そういうのだろ。勝ち方を選ぶのは正当な手段だよ」
キジュは、グローリが何かを言う前に、自分で何もかも説明していく。
「大丈夫さ。ココヤスにいた時に優勝候補の噂も聞いたけど、君の名前をあげている人は誰一人いなかったから。君すごく強いのに、名前が全く売れてないって言うのは、偶然だけど、ありがたいことだよね」
楽しそうに話すキジュを見ていて、グローリはふと昔を思い出しつぶやいた。
「……馬鹿な奴だ……」
「失礼な奴だな!」
その一言を聞きつけてキジュは、むっと顔を膨らませる。
しかし、本当に怒っているようではない。
「まぁ、そういわれても仕方ないって、僕も自分自身で思ってるんだけどね。難しいこととかは全然覚えられなくってさ」
「……そうではない。底抜けのお人よしだといっているんだ」
つい先ほどまで、理不尽な目に合わされていたというのに、それでも、なお、村人のために尽力しようとするキジュの感覚が、グローリには分からなかった。
「なんだ、そんなことか」
当然のことのように、キジュはいった。
「僕のすることで、誰かが救われるんなら、僕ひとりのことなんてちっぽけなことじゃないか」
やはり、理解できんなと思いつつ、こういう稀有な人種に二度もあった偶然に、運命のいたずらを感じていた。
「……礼も言われんことを……」
「まぁ、礼が欲しくてすることじゃないし……」
といいながら、キジュは、ふとあることを思い出した。
「じゃぁさ、お礼として、ちょっと教えて欲しいんだ。霊術師としてのカデラスについて見解のをさ」
「……俺は霊術師といった覚えはないが」
「まぁ、そうだけどさ。今更、そうじゃないとは言わないでしょう」
問答も面倒と思ったのか、グローリはそれには答えず、カデラスが何たるかという自身の見解をキジュに伝え、一階の客間へと去っていった。
昨晩そんなことがあったのだとジャナリーに伝えた後に、キジュは何とはなしにたずねた。
「いったい、あの人ってどういう人なんだろうね…」
話が飛んだことと、予想もしなかった質問に、ジャナリーは言葉に詰まった。
「あれだけ強ければ、士官の口だっていくらでもあるはずなのに、この村にこだわる理由って何かなと思ってね」
「それをいったら、キジュさんだって十分強いじゃないですか、なぜ運び屋なのですか?」
「僕の強さと、あの人の強さは違うよ。彼なら、一国の将軍に十分なれるさ。それと僕の方は、約束したんだよ、昔の話だけど……」
「そうなのですか。キジュさんも色々事情がおありなんですね」
キジュが昔を思い出しはじめたが、その感傷を遮るように、ジャナリーを呼びにきた屋敷のものが話しかけてきた。
テムルの意識が戻ったことを伝えに来たのだ。
それを聞き、慌てて、しかし、喜色満面で、ジャナリーは戻っていった。
キジュは、敢えて何も言わなず彼女を見送った。
キジュほどの腕になれば、あの傷の意味するところは分かってしまう。
だから、喜んでテムルの元へ向かうジャナリーがかわいそうでならなかったのだが。
そのジャナリーと入れ替わり、センナが広場にやってきた。
なぜここに彼女が来たのか不思議に思うキジュだったが、そのことを聞いても良いか悩んでいるうちに、彼女から先に口を開いた。
「……ここで練習をしても良いでしょうか? ……他に場所がないので……」
昨日の今日で、あの畑では練習する気になれないのだろうと、キジュは思い当たる。
「どうぞ、どうそ。僕、ここで見張りしていないといけないから、いなくなることは出来ないけど」
明るく話すキジュにお辞儀をしてから、センナは、スーッと門の右側に移って、練習を始めた。
キジュには、初めて彼女の声を聞いた時よりも、澄んで美しく聞こえる。
おどおどした感じもなく、あのセンナがこんな風に歌えるのかと感心さえした。
詩は、スワイライムの伝統行事で歌われる伝承歌だということで、キジュには、内容は分からなかったが、あまりの上手さに彼女の練習が終わった途端、自然に声をかけていた。
「上手だね、本当に!」
「ありがとうございます……」
センナは礼をいってから、少し感慨にふけっていた。
それからキジュに自分から話しかけてきた。
「この詩は、私が姉様を送り出した時に唄ったものです。そして帰ってきた時は、この詩で迎えるつもりでした。とてもこの詩が好きだったから」
「姉様って、フレイナさんのこと?」
「はい。私を、実の妹のようにかわいがってくれました。姉様は、その場所にそうして座っているのがとても好きだったので、私は良くここに立って練習したものです。ですから、今日はお別れのためにここで唄いました」
センナの顔が、とても神妙だったので、キジュは話しかけるのをためらった。
「もう、この村も終わりのような気がして。昨日あんなことが起こって……。まだまだ悪いことが起こりそうな気がするのです……」
その声に反応したのだろうか。
グローリが残していったデーリッガが、屋根の上で鳴いた。
キジュが知っているだけでも三日三晩寝てないと思われるデーリッガは、それに反して、とても強く鳴き続ける。
「ほら、縁起でもないことをいって、デーリッガを心配させちゃダメだと思うよ。彼だって寝ずにがんばっているんだし、失礼だぞ。絶対、平気だから」
「姉様だって、絶対守ってくれるといって戻ってこなかった……。絶対なんてありません。ねぼすけのデーリッガががんばったって……」
いつの間にか、センナの声は涙声に変わり、堰を切ったように泣きじゃくった。
その泣き声につられてか、デーリッガが大きく羽ばたきセンナの肩に止まり、そのまま彼女を掴んで屋根へと引き上げる。
足元がおぼつかず、センナは座り込んだ。
デーリッガは肩から隣におり、センナは、首をギュッと抱きしめた。
「お前はいつもそうだったね……ありがとう、デーリッガ」
センナが落ち着くまで、キジュは、黙ってみていることしか出来なかった。
しばらくして、センナは落ちつきを取り戻し、足を屋根から下ろし座りなおした。
それから、キジュに向き直り、頭を下げる。
「気にしなくて良いよ。それより、何かあったの?」
センナは村を見つめ直し、静かに語った。
「私は三才の頃、この村に拾われてきて語り部になりました。語り部は皆、この村の子供たちで、私はいつも一人で寂しい想いをしていたものです。そんなある日、村長様の娘さんが十二才の成人祝いを開くということで、私たちも呼ばれました。その時に、始めて姉様と会ったのです。それから、姉様が旅立つ日まで、本当に仲良くしてもらいました」
目が涙で濡れてくる。
思い出が悲しみを呼び、自然にこみ上げてきたのだ。
涙をぬぐって、センナは、さらに辛い過去を語りだした。
「ある日、私がカデラスの伝承の練習をしていた時でした。姉様がいいました。カデラスが復活することになったら、どうすればいいのかなと。私は、本気だとも思わなかったので、軽い気持ちでいったのです。レイクルを呼び出せば良いのではないかと。そうしたら姉様は、それを真に受けてしまい、それからというもの、来る日も来る日もレイクルの詩ばかりを求めるようになりました」
先日レイクルの話をしていた時に、センナが口ごもったのはそれでかと、キジュは思いあたった。
「私は、もう五百年以上も過ぎたのだから、二度と現れないだろうといったのです。でも、姉様は五百年という長い年月から見れば、十年程度の誤差なんて当たり前だと。しまいには、レイクルを呼び出す必要があるといって、デーリッガを連れて旅立ってしまったのです」
キジュは、ようやく分かった。
何故これほどまでに、彼女が悲しみにくれているのかを。
彼女は、フレイナの死の責任を感じているのだ。
キジュは、慰めの言葉を見つけられなかった。
「姉様が旅立ってからというもの、心配しどうしの毎日でした。五年間は手紙も届いていたのですが、その手紙の内容を、私は知りません。村長さんからは、ただ元気だとしか教えてもらえませんでした。それから後は音沙汰がありませんでした。七年目にグローリ様がこの村にやってきた時、私は驚いて死にそうになりました。お姉様が死んで、自分はその遺志をついでこの村にやってきたのだといったのです。誰も疑うものはいませんでした。姉様と一緒に出て行ったデーリッガと一緒だったから。デーリッガは、姉様が子供の頃から一緒にいて、姉様以外のいうことは、聞かなかったのです。そのデーリッガが一緒だったことや、野盗のこともあり、皆最初はいぶかしがっていたのですが、次第に頼りにするようになって……」
センナは、ハッとしてうつむいた。
「話がそれました……ごめんなさい」
「ん? かまわないけど? グローリと何かあった?」
「皆が、グローリ様を頼りにするのは分かるのですが、私は、あまり好きになれませんでした……。グローリ様が来てから、何度も姉様のことを聞いたのですが、何も教えてくれなかったので……。グローリ様が、この村を守ってくれると皆はいいます。でも、私には姉様でないと駄目な気がするのです。わかってはいるのです。馬鹿なことだって。でも……」
顔を上げずに、センナは涙をこぼしている。
声を震わせ、肩を揺らし始めたセンナを、キジュは抱きしめていた。
「大丈夫だよ。そこまでいうなら、僕が守ってあげるから、この村や君の事を」
キジュは微笑んだ。
その微笑がフレイナのそれと重なった。
似ても似つかない二人であったが、センナにはそう思えた。
そして、知らず知らずのうちに微笑み返していた。
紅く長い髪で笑っていた彼女を思い出して。