第三章-4
風が止み、寒さが一時やわらいだ。
森林に入り三回目の昼を迎えても、グローリは野盗探しに奔走していた。
しかし、いまだに四人の身柄しか確保できず苦戦していた。
彼らは逃げるために手段を選ばなかった。
ちりぢりに逃亡し、あらゆるところで魔物の巣を壊していた。
グローリへの煙幕として、冬眠を妨げられ無理やり起こされた魔物は、想像以上の効果を発揮していた。
木々をなぎ倒し、山の地表を削り、怒りで仲間を起こし、咆哮を上げ跋扈する。
それらすべてが悩みの種だった。
そのため無駄に時間を浪費せざるをえなかった。
氷で作った即席の牢獄に、今しがた捕らえた男を放り込むと、新たに氷の壁を作り出口を封じる。
透ける壁の向こうで、逃げ出そうと壁に何度も体当たりした跡が残っている。
その上にへたり込んで座っているものが二人、傷だらけで寝ているものが一人、グローリは視認する。
寝ている男は腕と額に、今放り込んだのは足にそれぞれ魔物から傷を受けていた。
二人とも死ぬ寸前で見つけ出し、応急手当をしてつれてきたのだ。
傷を全快させることもできるのだが、そこまでしてやる気は全くなかった。
グローリとしてはそのまま見殺しにしても飽き足らない連中ではあったが、悪人にも更生の機会を与えるという、村長の指示を破らないための最低限の処置だった。
(……)
何か物音を感じグローリは木の上に飛び上がった。
一望するが遠方で木々が揺れている以外、変わったったものは見えない。
(……気のせいか……)
冬の日にしては温かみのある日差しが、体をぬくもらせる。
山の上手で木々の枝がうごめき、二筋の流れとなり、一方はこちらへ、もう片方は村のほうへと下っていく。
(……ただの風か……)
のどかな雰囲気と相まって、グローリは機を逸していた。
(……どうかしている。……なんてざまだ……)
グローリが異変に気づいたのは、再度風が吹き出す、日中でもっとも暖かくなる頃だった。
太陽に抱えられるように暖められた風が、ゆっくりと天上へと昇り、レイクルの頂に溜まった冷たい風が、裾野に向かってゆっくりと転がりだす。
この風が、夜になると勢いを増し村人を苦しめることになる。
しかし、グローリの目前に迫ってきた風は、日中にしても動きが遅かった。
(……)
何が起こっているのか。
それを見極めるため、グローリは林へと目を凝らす。
霊術を使えば山頂に立つ者の顔ですら、目で捉えることができる。
視界は望遠されていく。
林間を走り抜けるように風景が流れ、目的のものを見つけた。
それは風ではなかった。
地面の色を纏った蟻。
しかも牛ほどの巨大な蟻である。
それが十数匹、波を打って押し寄せてくる。
「……ピアグラストか……」
思わず声を漏らす。
この時期にもピアグラストが冬眠せず活動していることも驚くことだが、それよりも、その群れの数に驚嘆を禁じえない。
全身茶色の甲殻に覆われた、巨大な蟻のような魔物ピアグラスト。
しかし、実際は似て非なるものだ。
蟻は針を持つものが多く、それを武器に攻撃をしてくるが、ピアグラストは強固な体を疾駆させ、頭を突きたて相手を粉々にしようとするか、または、口からくもの糸のようなものを吐き出し、相手を糸球のようにして捕縛する。
そして、最後に伸びた端糸を引っ張り、巣まで連れてもどり、それを食事にするのだ。
さらに相手が手ごわいと感じた時は、背中に折りたたんだ全身を覆う翼を広げて襲ってくる。
その翼は、鍛え抜かれた斧のように敵をなぎ払うために使われる。
その鋭利さは巨大な古木さえも切断する。
人間などはいうに及ばない。
性質が悪いのは、蟻と同様に雑食ということだ。
野生の熊からはじまり、家畜の馬、羊、そして、人間。
何でも彼らにとって餌であり、日常的に狩が行われた。
ピアグラストが蟻と違う点はまだある。
蟻が女王蟻を中心に集団行動で生活しているのに対し、ピアグラストは普段は一匹行動が基本である。
集団で行動する時は、冬眠用のえさを狩る時だけで、その時でも、冬眠を開始する時期がまちまちなため、五、六匹にすぎない。
十数匹というのは普通ではありえないのだ。
(……野盗が無理やりに起こしたのが混ざったようだな……)
内心の推測を証明するようにピアグラストの群れが近寄ってきている。
風がそよいでいるように見えたのは、その一団が木々にぶつかって揺らしていたからだった。
(……村のほうが気がかりだが、このままあれを放置するわけにもいかない……)
捕らえた野盗などどうでもよかったが、あの魔物たちが次に襲うのは間違いなくスワイライムだ。
ならば一層のこと、ここで叩いてしまったほうが得策だと、グローリは判断した。
ピアグラストを見つけて吐いた息が、白さを失うまでの間に、グローリは足跡をつけずに軽やかに雪上に浮いた。
そのまま向かうは、後ろの急勾配な丘の上。
次第に木々の倒れる音がけたたましくなってくる。
まるで悲鳴のようだ。
グローリが小高い丘の上に辿り着いた時、下手の方に木々の隙間から茶色い巨体が目についた。
その一団は、グローリが作った氷の牢へと一直線に進んでいく。
(……一匹ずつ戦っている余裕はないな……)
目を閉じ、意識を集中し想像を広げる。
頭の中で思いを描ききったその瞬間、目を見開く。
すると、眼前の雪が高波のように隆起し倒れ、雪崩れて行った。
まさにグローリの想い通りに。
雪は波打って流れる。
その後を、グローリが飛翔し追いかける。
だが、すぐにその差は開き、雪崩は猛り狂う津波となった。
ピアグラストは複眼を光らせ、何も知らずに前進を続けていた。
目障りな岩や木を弾き飛ばし、目の前の氷柱に真っ向からぶつかった。
グローリの作った氷の牢だ。
大の男が二人がかりでもびくともしなかったそれに、大きなひびがはいる。
ミシミシと音をたてて前面の氷壁は内側に傾いた。
野盗たちは腰を抜かし、冷や汗すら出ない。
絶えず続いていたピアグラストの行進は止まった。
氷牢に立ちはだかられたからではない。
狙うべき獲物が、その中にいることを確認したからだ。
氷柱を壊すために反転しもう一度体当たりをしようとする。
そこに、轟音とともに雪崩が、陽炎のように姿を現した。
反転のため向きがばらばらとなっていた十数匹のピアグラストたちは、統制が取れず逃げ出し損ねた。
雪原に大地がさかさまになったように、木々が突き刺さっていた。
このあたりの林は、根こそぎひっくり返されたようだ。
氷の牢獄も上部がかろうじて顔をのぞかせている程度で、中のものはさすがに生きてはいないだろう。
(……自業自得とはいえ、半分はこちらの責任ではあるか……)
グローリは、四人の死者に対し横一文字に手を振った。
霊術師流の黙祷の仕方である。
ちょうどその時、雪が盛り上がり一匹、二匹と巨大な蟻が顔を覗かせた。
この場に黙祷をささげるために、わずかに居残ったことが、結果として好機を生んだ。
(……あれで倒せないとは……。元々地中で生活しているだけはある。圧死せぬものもいるか……)
剣を抜き、出会い頭の一撃をピアグラストの頸関節に叩き込む。
緑色の血が白い雪上に飛び散る。
(……まずは一匹……残りは四匹か……)
魔物に突き刺さっている剣を抜こうとしながら周りを見まわす。
幸いなことに、群れの全てが生き残ったわけではなかった。
這い出て来た四匹は、グローリが一匹屠っている合間に、雪原を六本足で踏みしめていた。
グローリは深く突き刺さりすぎた剣をあきらめ、手放し、彼らから間合いを取った。
ピアグラストの目が緑に染まる。
抑えようのない怒りで四匹が翼を広げる。
一匹がグローリを絡めようと糸を吐き、残りはグローリの動きにあわせるように挙動を注視する。
(……この糸は燃えるはずだったな。普通に間合いをつめるよりは、それを利用するか)
体に巻き付く糸を避けもせずピアグラストの甲殻を睨む。
たちまち糸はグローリの体全体を覆った。
ピアグラストは口元の糸を引っ張り、巻きつき加減を確認し、ほどけないと判断すると、糸をたぐり寄せ、引きずって帰ろうとする。
だが、足元まで引きずってきた途端、蚕状になっていたはずの糸玉に、火がつきそれを燃やし尽くした。
ピアグラストが急を察知し、翼をグローリめがけて振り下ろすが、それよりも先にグローリは立ち上がり、体にまとわりついた炎を四つの火球にし、ピアグラストめがけて放った。
三つの球は、グローリめがけて突っ込んできた三体のピアグラストに正面からぶつかり、もう一つは目前の魔物の翼の下、わき腹に命中する。
しかし、どれも致命傷にならず、火は甲殻の上で儚く消えた。
(……火の耐性も尋常ではないということか……)
何事もなかったように、間合いを詰めてくる四匹に対して、グローリは舌打ちをせずにはいられなかった。
魔物は動物と違い、相手の力量を見極める能力に長けている。
グローリが手ごわい敵と悟るや、一斉に攻撃できる間を待って、やみくもに攻撃しようとはしなくなった。
グローリを睨みつけて微動だにしなかった。
逆に、グローリは村のことが気がかりで、戦いに身が入っていなかった。
敵の特徴を見極めずに力押ししたがために、かえって戦闘を長引かせていた。
それがまた、彼を焦らせるきっかけとなり、悪循環を生み出してしまっていた。
(……侮りすぎたか……)
この一戦に集中することが、何よりの近道と、気持ちを切り替え、静かに瞳を閉じた。
それに反応しピアグラストたちは一斉に駆け出した。
もちろん、そうなることをグローリは読んでいた。
当然、対処は考えてあった。
(外から圧を加えたところで、効果は薄い……。狙いは内からだな……)
それぞれの六本の足に、地面から氷の縄が伸び絡み付いて氷る。
たいした束縛力はないが、彼らは不意を突かれて一旦静止する。
次に、その氷を力任せに砕くが、グローリにはその一時だけで充分だった。
頭の中で四匹のピアグラストの体液を沸騰させる。
硬い甲殻の隙間となる関節から、湯気を上げている。
そう頭に思い描く。
そして、瞳を開ける。
ピアグラストたちは、金切り声を上げると、氷を砕いたその姿勢のままで、砕けた氷とともに、湯気を上げ地面に倒れこんだ。