第三章-3
点描のような雲が結合し、薄くスワイライムの空を覆うような日が続くようになった。
キジュの処罰が決まってから三日がたった。
村人は、街道のことを一旦忘れ、脇目もふらず冬支度をしていた。
町育ちのキジュには実感がわかなかったが、村人にとって、ここで手を抜けば死活問題だからだ。
冬支度にも色々ある。
雪に備えて屋根や壁を点検し補強する。
薪を拾い集め貯蔵しておく。
穀物を刈り入れたまま日干しにし、乾いたものを丈の順に束にして積み上げる。
それを村の東西南北の食料庫にしまい込む。
シュジュの森林に住む小動物や鳥を捕まえて干し肉にする。
木の実や山菜なども食べれるものは何でも集める。
それらも食料庫に入れる。
各食料庫に、村人全員の数ヶ月程度の食べ物をいれるまで、それらの作業は続く。
他にも上げればきりはないが、冬支度は終わるまでは、男も女も例年のように冬越しの支度にかかりきりにならざるをえない。
日常の危機を忘れて。
そうした中でも、語り部たちだけは日課をこなしていた。
もちろん、彼女らにも冬支度はあるが、村のために欠かすことのできない仕事であり、仕方のないことだった。
そんな語り部たちを、毎朝屋根の上から見るのが、キジュの日課になりつつある。
屋根の上で体勢を整えながら素振りをしつつ、野盗や魔物が村を襲ってこないか警戒しつつ、語り部たちにも意識を向ける。
村の中の警備など頼まれてはいないのだが、何かあっては困るからと、キジュは器用にその三つをこなし続けた。
そんな風に見守られているとも知らず、語り部たちは村中を朝早くから練り歩き、日がほどよく昇るころ解散する。
しかし、ほぼ全員が家に戻り手伝いをする中で、一人だけ練習に励むものがいた。
キジュの視線も、自然と一人裏の畑に向かっていく少女のことを追う。
村の塀の外、ジャナリーが春先になると魔物を連れてくるといっていた畑で、彼女は、それから長い間、練習をする。
キジュからはよくは見えないが、最初に、発声練習をはじめる。
詳細はこんな風だ。
少女は呼気を調えながら姿勢を正す。
次に息を深く吸い込み、大きく口をあける。
そして、大声をだす。
その大声が恥ずかしく、人気のいないところで練習をしているのだが、何のために大声をだしているのかといえば、人に聞かせるためであるのだから、本末転倒とはいえる。
それが終わると、本来なら基礎練習に入っていくところであったが、思わぬ邪魔が入った。
薪を取りに山に入っていた村人二人が、少女に話しかけたのだ。
顔見知りであろうか、少女が軽く会釈をする。
様相が一変したのはその後だった。
男たちは少女に無遠慮に近付くと、無造作に腕をつかむ。
両脇を囲むように立つと、何かしら話している。
キジュの立っている場所からでは顔色まではわからないが、少女の嫌がるそぶりで、ただ事ではないことはわかる。
見張りを離れるべきかどうか、少しためらったが、一向に収まらない状態に意を決して、キジュは屋根を蹴った。
デーリッガは、キジュへ何か言いたそうに一声なくと、一人、また見張りを続けた。
「君たち、これはどういうこと!」
屋根から飛び降り、キジュは少女と男二人の間に入った。
「それとも、村のしきたり?」
抜刀して威嚇しつつも、少し物腰をやわらかくするのも忘れない。
世界中には、男女間の奇妙な風習がいくらでもあることも事実だ。
これがスワイライムの慣習なら、キジュが口を挟むことはお門違いだ。
習慣の違いで今の今まで痛い目を見ているキジュは、一応、確かめてみる。
しかし、少女は明らかに拒絶していた。
少なくてもキジュにはそう見える。
しかし、男たちの返答は違った。
「……おう、もちろんだとも」
二人はお互いをみて頷き、よそ者はうせろといわんばかりにキジュを払いのける。
キジュはそれを軽くいなすと、真意を確かめるために、少女にも目で問う。
「…………」
その目は、正確に口の動きを読んだ。
声にはならなかったが否定の言葉を発していた。
「聞こえないぞ。ちゃんと答えろ」
男たちもそれを察したのだろう。
大声をあげた。
脅しだ。
キジュは直感的に判断し、手をうとうとしたが間に合わなかった。
「……はい、そうです……」
いともたやすくそれに屈し、涙声でか細く答える。
二人とも得意げにもう一度キジュを押しのけると、少女の細い腕を取った。
震えながら抵抗もできず、少女は奥へと連れて行かれる。
キジュは、少女の後ろから哀れな背中をみて、いたたまれなくなった。
「まちなよ」
キジュは、衝動を抑えきれなかった。
腕をつかんだ男があざ笑いながら振り返る。
男たちを無視し、キジュはもう一度だけ聞いた。
「本当にいいんだね?」
少女は答えなかった。
相変わらず肩は震えていたが。
キジュは決心した。
少女の手をつかんでいる男が、その手を引っ張って歩き出したのが合図となった。
「やめなよ!」
動くには邪魔な、防寒用のマントを放り投げ声を上げる。
せめてもの情けに、振り返るだけの時間を与えた。
次の瞬間、少女の腕をつかんでいた男は、地面にたおれた。
もう一人は、キジュが視界からいなくなったこともわからず、その場に気絶していた。
ヒラヒラとマントが地面に落ちる前に、キジュはそれをつかみ、少女に優しく微笑んだ。
「センナさん、大丈夫?」
内気な彼女は答えることもできず、首を振った。
キジュが心配して声をかけたことで、少女の緊張の糸が切れたのだろう。
涙がこぼれおち、震えが全身に広がっていった。
(無理もないか……)
キジュはマントをかけてやると、しばらく様子を見ることにした。
その恐怖を身をもって知っていたので、気持ちが痛いほどよくわかった。
かける言葉も見つからず、キジュは男たちを縛り始めながら待った。
センナが落ち着くまで。
センナはまだ泣き足りなかったが、涙は収まった。
頬にあたる冷風で平静を取り戻すと、この場所に長居はしたくはないという思いが湧いてきた。
恐怖はまだいえなかったが、体に鞭打ち立ち上がる。
頭をぺこりと下げ礼を示す。
一応言葉を発しようとはしたが、声にならなかった。
もう一度伝える勇気もなかった。
その場を離れたいという想いだけがセンナを突き動かした。
そそくさと肩をすぼめながら、村のほうへと歩き出した。
しかし、そのとき、キジュの注意はセンナにはいってなかった。
先ほどから何か引っかかるところがあり、自分が縛り上げた男たちの足元をしげしげと見つめていたからだ。
「この人たち、薪を担いでるところ見ると、シュジュの森林からでてきたところなんだよね?」
呼び止められて、センナは立ち止まる。
話しかけられると逃げ出したいのにもかかわらず、立ちすくんでしまう。
彼女の欠点ではあるが、今回はそれが幸いした。
「……はい。グローリ様が森林の中にいるから野盗も襲ってこないだろうと皆さん仰っていましたし」
センナの行っていることはキジュも知ってはいたが、念のために林の中にいたということを確認しておきたかったのだ。
キジュは、男の靴裏から土を右手でつまんで目の前に持ってくる。
(……やっぱりだ……)
土の中に僅かだが緑色の何かが見える。
それを凝視し、左手でさわる。
粘液だ。
そして、疑念が確信に変わった。
「この辺にピアグラストっている?」
顔を上げざま話しかけたので、思わず大声でキジュはいった。
センナに心臓が出るほどの驚きを与えたが、そんなことに気づかず、キジュはまくし立てた。
「大きな蟻みたいな魔物なんだよ!」
センナは責められていると誤解し、一気に萎縮してしまう。
声は出ないが、首を動かし、いるということだけを伝える。
「まずいよ……」
差し迫った顔で辺りを見回す。
くたびれた顔の高さまでしかない土壁が、頼りなく映る。
そのまま空を見上げると、太陽は天頂を通り過ぎていた。
そのそぶりを見て、センナもただ事ではないことを悟る。
「……何か……あったのですか?」
センナのか細い声で、キジュは見上げるのをやめ、彼女を見据えた。
「ピアグラストが来る、大量に。襲撃をかけるまでの時間の長さは、そのまま仲間を増やすための時間なんだ。間違いなくとんでもない数でくる。村長を呼んできてよ。ピアグラストが群れをなして来るって!」