感情の欠片③ ー短編集ならぬ断片集ー
「君を、私の一生の犠牲にするつもりはない。」
私の寿命がいくらどんなに長かろうとも、こんなセリフを言う日が来るとは思ってなかった。それも、大真面目に。
長命種と短命種。この世界に生きる人類は大きく分けるとこの二つになる。尤も、いまだに長命種と短命種を括って“人類”と呼ぶのは長命種だけだ。短命種からすると、我々はもう“人間”ではないらしい。
私は緊張を誤魔化すようにティーカップを手に取った。久しぶりに町に降りてきたら、“紅茶”というものが流行っていた。折角なので、淹れ方を教わって茶葉を買って帰ってきた。
深い赤茶色の透明な液体は、ティーカップの中でゆらゆらと揺れていた。その匂いは他のお茶にはない香ばしさを持っていた。
一口飲んで、目を閉じて味わう。
少し苦味があるが、どこか口の中に残る落ち着いた深い味わいが新しい。
「…俺は本気だ」
私は目を開くと、あくまでゆっくりとティーカップをソーサーに置いた。
十数年、この目の前の少年と一緒に過ごしてきた。この子が小さなうちから、私がここまで育てた。いつの間にか、見た目の年齢を追い越されてしまった。
それがほんの少しだけ、怖い。逃れられない別れが、目の前に迫ってきているようで。
この家も、この子を拾ったから安住した方がいいと思って建てたに過ぎない。この子の寿命が尽きるぐらいまではこの家に住もうと思っている。
どうせ、私の長い長い一生のうちでは、一瞬の出来事なのだから。
「だから、君はもう独り立ちのできる年齢でしょう?なら、町に降りるなり旅に出るなり好きにするべきだよ。」
彼が勢いよく立ち上がる。叩かれた机の上にあったティーカップたちがかちゃかちゃと音を立てた。
「俺は…!!」
「座りなさい。」
私はピシャリと言い切る。本当は、私がこの子に縋るのを、もう終わりにしないといけないのだ。
…この子を拾ったのも、私が、一人の寂しさに耐えられなかったから。
彼は不服そうに口を閉じると、渋々と椅子に座り直した。
「…俺は、あんたを一人にしたくないんだよ」
どくん、と心臓が跳ねた。
見透かされていた?ずっと前から?…私がこの長い長い一生に臆病になっていることを。また、大切な人との別れを味合わなくてはいけない悲しさを。
「な、なんで…」
「あんた隠し事下手だから。…なあ、“あの魔法”はもう完成してるんだろ?あれ、俺にかけてくれよ」
私は目を見開いた。そこまでバレていたなんて。
…私は一体今まで、何をしていたのだろう。彼を拾って育てておきながら、成長していく彼を見て恐ろしくなって、それなのに一方で“あの魔法”の研究を進めて…。
「そう、ね…」
“あの魔法”。人の体の成長速度を格段に遅める魔法。ただしその実態は“魔法”と言うより“呪い”に近い。対象者の魂の形そのものを変形させてしまうものだから。
「君に不老の魔法をかける気はないよ」
「なんで…」
「君に想像できる?“人間”の言う永遠に近い時間をずっと生き続けなくてはいけないし、どんなに色んな人と出会ってもみんな自分より先に死ぬんだよ?」
「そんなのわかって…」
「わかってないよ!!いつだって不老不死を望むのは短命種だけだよ!!私たちは一刻も早く穏やかに死ねることを密かに願ってるのに…!!…わかってなんか、ないよ…」
最後の方はほぼ涙混じりの声になっていた。長い長いこの一生でずっとこの胸の中で燻っていた思いが、爆発してしまった。
不老不死を謳うものは、大抵がでまかせだ。だけど私の作り上げた魔法は、“呪い”は、悲しいまでに本物だった。
本来ならば作るべきではないものを、作りあげてしまった。出来上がったその瞬間に感じたものがたとえ高揚でも、その後に待っていたのは底知れないおぞましさだった。
…短命種は永遠をよく理解していない。ただそこにある漠然とした手に入れられないものだから焦がれるのだ。一方、長命種は死と生を理解しない。ただひたすらに続く一生の中でどうにか気が狂わずに生き抜く方法を探して一生を彷徨う。悲しいのは、どちらだろうか?
「そうかよ…」
私は慌てて彼の方を見る。まずい。気を、悪くさせてしまっただろうか。
ああ、涙で視界が悪い。彼の顔がよく見えない…いや、違う。なんだか意識が朦朧として…
私は気を失った。だから、私には彼が独りごちたのも聞こえなかった。
「俺はさ、あんたがこの先一人ぼっちになってほしくないだけなんだよ…」
「ん、…」
目が、覚めた。ふかふかとした布団が心地いい。このまま微睡んでいたい衝動に駆られれる。
私がうつらうつらとしていたその時、
「起きたか?」
彼が部屋に入ってきた。私は表情だけ少し強張らせた。体が力が抜けたように動かなかったから。
…多分、ずっと体の中で煮詰まってた思いをぶちまけてしまったから。
なんとも言えない気まずさが部屋中に漂う。
『あのさ…』
二人同時に口を開いてしまった。またしてもお互い押し黙る。どちらが先に口を開くべきか決めかねている。
はぁ…と、ため息をついたのは彼の方だった。ふらりとこちらに近づいてきてベットの端に腰掛けた。
「…ごめん。もうあんなこと言わないから」
こちらの顔を見ることもなく謝られた。ああ、昔からそうだ。この子は本当に謝る時に限って人の目を見ない。正体不明の愛おしさが込み上げてくる。
「ううん。私のほうこそ、ごめん。…あのね、私は君を私の一生の道連れにする気はないけど、できれば君と…一緒にいたい」
…君の寿命が尽きる、その時まで。
最後の言葉は口から上手く出てこなかった。でも、彼には伝わったみたいだった。
彼は少し苦笑するように笑った。それはとても、優しくて柔らかい笑顔だった。
「はいこれ」
「…なに?これ」
差し出されたのはティーカップの中に何かが浮いている温かい汁のようなものだった。
「ハーブティーって言うらしい。紅茶、気に入ったぽかったから」
少しだけ照れくさそうな顔をしているのが妙に幼く見える。
私はそれを一口飲んだ。
「にが…」
それは渋くて苦くて、それにえずくて。人が飲めたようなものじゃなったけれど、私はいつのまにか笑顔になっていた。
「不味いからって笑うことないだろ」
ぶすっと、不貞腐れた彼の頭を無意識に撫でた。
この愛おしい時間がずっとずっと続くことを心の底から願っている。しかし私は、それがあまりにも夢物語であることを、知っている。
それでも今はこの時間を、ただ噛み締めていたかった。近い未来に、終わりが訪れるとしても。
ー・ー・ー
私は耳を抑えた。
言葉が、溢れてしまいそうだったから。これ以上言葉を詰め込まれたら、口からこぼれ落ちてしまいそうだったから。
肩で息をする。
急激に浴びさせられた言葉達に気圧されたから。誰かの強い気持ちを、受け止めようとしてしまったから。
怖い、怖い。
心臓のすぐ下に溜まったどす黒い言葉は、生きているように腹の中で蠢いている。私が気を抜いた瞬間に、飛び出そうとしている。
ふと、私は誰かを思い出す。もう、顔も名前も覚えていない誰かを。
言葉は巡り巡るのだと、前にその人から聞いていた。
その人の声は優しくて、言葉選びも丁寧だった。傷つかないように、引き摺らないように、そんな気配りが滲み出ていた。だからこそ、声音も優しく聞こえたのかもしれない。
その人に頭を撫でてもらうのが好きだった。春の陽気の中で、二人で縁側に座っていた。
その人は私の頭を撫でながら、優しい言葉をかけてくれていた。
「言葉は人の中に溜まる。だから、鋭い言葉を浴びせられた人は鋭い言葉を使いがちになる。そうしないと、自分が壊れてしまうからね。…でもね、言葉は中和もできるんだよ」
厳しくされた分だけ優しく、傷つけられた分だけ柔らかく。きっと、その人はそういう考えのもと動いていたのだと思う。
尤も、その人がするのは優しい言葉を投げかけて鋭い言葉を中和することだけだが。
だから私は今日も、自分の腹の底の言葉達に優しい言葉をかけてやる。どれだけ鋭く私の体を突き破ろうとしても、私は言葉を包み込む。何重にも綿でくるんで抱きしめてやる。
その言葉達が、もう誰かを傷つけないで済むように。
きっとこれは世界で一番優しい、平和への一歩。
ー・ー・ー
「魔法みたいだ…」
僕は思わず呟いていた。だって、見渡す限りに広がる花畑。空もさっきまで曇ってたのに、今は聞き分けが良さそうに晴れている。
手を伸ばせば、少し冷たさを孕んだ秋の風が、これでどうだと言わんばかりに花びらを舞わせて吹き抜けていった。
秋に咲くはずもない春の花が、そこには咲き誇っていた。カラフルな花々はまるでここが春であると錯覚させる程に満開だった。
「まあ、魔法だからね」
僕の後ろに立っていた彼女が笑った。
それは、普段の冷たい横顔からは想像もできない程に柔らかくて、僕は思わず息を呑んだ。
僕が彼女を見つめたまま動けないでいると、今度は彼女が歩き出した。花畑の中へ、一歩一歩。そして、ふいに振り返った。
「おいで」
そっと手招きをされらのに合わせて、僕は吸い寄せられるように彼女の方へ向かった。おぼつかない足取りだったのは、完全に彼女に魅せられたから。
彼女は僕が目の前に来たのを確認するとそっと目を伏せて、僕と両手を繋いだ。
指と指を絡み合わせて、僕たちは向かい合っていた。僕の右手は彼女の左手と繋いでいたし、彼女の右手は僕の左手と繋がっていた。
彼女がふっと、目を閉じた。すると、あたりに優しくも眩い光が溢れた。
ざあっと、足元から風が一気に吹き抜ける。その風は、花びらを巻き上げて空へと伸びていき、ついには僕たちも空へと連れていった。
僕たちは空を飛んでいた。風に煽られるようにして、花びらと一緒に。
上空の風は冷たくて、それに強く吹き付けてて怖かったけれど、彼女と手を繋いでいるからか、そこまで恐怖心は無かった。それよりも、今まさに空を飛んでいるという興奮の方が強かった。
彼女と目があった。彼女は覚えていたのだろうか、僕がいつか空を飛んでみたいと言ったことがあることを。
彼女がにやっと小さく唇を歪めた。その姿はまるで、
「さあ、どうだろうね」
と、言っているみたいだった。
しばらく宙を舞ったのち、僕たちはまた花畑に降り立った。空から地面に着地した瞬間に体がずしっと重くなって、ほんの少しだけ名残惜しかった。
僕は空を飛んでいた余韻を味わうように空を見上げていた。だけどそれを、彼女は勘違いしたようで、
「こ、こんなのはどう?」
慌てて僕にまた魔法をかけてくれた。今度は花冠を出す魔法。僕の頭にふわっと花冠が被せられた。
僕は思わず声を上げて笑ってしまった。そんなことまで魔法を使うなんて、ちょっと面白かったから。
僕は彼女に「ちょっと待っててね」と、言うと、後ろを向いてしゃがみ込んでしばらくゴソゴソしていた。
「はいっ」
彼女の頭に花冠が被せられた。彼女が咲かせてくれた花をふんだんに使っていて、色の統一性はないけど、不思議と彼女にぴったりと似合っていた。
彼女は一瞬、驚いたように目を見開いた後、自身に被せられた花冠を数度、確かめるように指先だけで触れた。
そして、
「ありがとう」
彼女は花が綻ぶように笑った。それは、花畑に咲くどの花よりも綺麗で、僕もつられて笑ってしまった。
そんな二人を見守るように、風がびゅうと吹いた。




