第四話:六臂の悪魔
ザインの蹴りは、陸がこれまで経験したどんな暴力とも異質だった。
それは、もはやただの蹴りではない。
爆発と言った方が近い。
腹部にめり込んだ衝撃は内臓を直接揺さぶり、陸の意識を一瞬で刈り取ろうとした。
「ぐっ……はっ……!」
呼吸ができない。
肺の空気が強制的に搾り出された。
視界が白く点滅する。
アルカディア・ネクサスで手に入れた防護服が衝撃をいくらか吸収していなければ、今の一撃で背骨まで砕けていただろう。
陸の身体は数メートル後方へ吹き飛ばされ、金属製の道路プレートに激しく叩きつけられた。
全身の骨が軋む。
「陸!」
リラの悲鳴に近い声が、遠くで聞こえた。
「ほう。今のを食らって、まだ意識があるか。思ったより頑丈だな、お前」
ザインは楽しそうに喉を鳴らしながら、ゆっくりと陸へ歩み寄ってくる。
金色の瞳は、まるで新しい玩具を見つけた子供のように、残酷な好奇心でぎらついていた。
「だが、いつまで持つかな?」
ザインが、その身に宿すスキルチップを起動させた。
背骨に沿って皮膚が盛り上がり、そこから眩いエネルギーの光が溢れ出す。
光は瞬く間に四本の腕の形を成した。
実体を持たない半透明のエネルギーアーム。
その青白い腕が生身の腕に重なり、合計六本腕の異形の姿を作り出した。
「な……んだ、あれは……」
痛みと混乱の中、陸はあまりにも禍々しく、それでいて美しい光景に言葉を失った。
「スキルチップ『六臂顕現』。私の獲物には、それくらい教えてやってもいいだろう」
リラが陸のそばに駆け寄りながら、忌々しげに吐き捨てた。
紫紺の瞳は目の前の六臂の悪魔を冷静に分析しようと努めている。
だが、握りしめられた拳はかすかに震えていた。
「さあ、第二ラウンドだ!」
ザインが笑う。
六本の腕がそれぞれ異なる軌道を描きながら、陸とリラに襲いかかった。
エネルギーアームの先端が、鋭い刃の形へ変化する。
「跳べ!」
リラの絶叫が響く。
陸は反射的に彼女の身体を抱きかかえると、右腕のチップへ意識を集中させた。
イメージしろ。
安全な場所。
ここではない、どこか。
瞬間、二人の身体が青白い光に包まれ、その場から掻き消える。
ザインの六本の刃が空を切り裂いた。
数メートル離れたパイプラインの上に、二人の姿が再び現れる。
「……はあ、はあ……!」
陸の呼吸は荒かった。
ただ一度跳んだだけなのに、精神的な消耗が激しい。
相手の圧倒的なプレッシャーが、彼のサイを無駄に削り取っていくのだ。
「なるほどな。そいつが噂の『惑星渡り』か。確かに厄介なスキルだ」
ザインは感心したように頷いた。
だが、口元の笑みはさらに深くなる。
「だがな、坊主。逃げ回るだけの鬼ごっこは、すぐに終わるぜ?」
ザインの身体が再び消える。
いや、跳躍したのではない。
スキルチップによるものでもない。
純粋な身体能力だけで、だ。
彼は壁を蹴り、パイプラインを足場に、常人離れした速度と跳躍力で、あっという間に二人の懐へ迫ってくる。
「右だ!」
リラの指示が飛ぶ。
陸は言われた通りに跳躍する。
「上!」
再び跳躍。
「後ろ、五メートル!」
操り人形のように、陸はリラの指示通り跳躍を繰り返した。
ザインの六本の刃が、その度に二人のいた場所を薙ぎ払う。
パイプラインが切り裂かれ、壁が抉られ、火花が散った。
掠っただけで終わりだ。
その事実が、陸の恐怖をさらに煽る。
防護服の肩がわずかに切り裂かれ、そこから血が滲んでいる。
いつ斬られたのかさえ分からなかった。
これまでの経験が、まったく通用しない。
ウロボロスのチンピラも、アルカディア・ネクサスのごろつきも、彼の前では赤子同然だ。
次元が違う。
陸は初めて、本当の戦闘の恐ろしさを味わっていた。
惑星渡りは攻撃手段を持たない。
逃げることしかできない。
そのどうしようもない無力感が、彼の心を苛む。
「くそっ……!」
焦りと恐怖。
だが、腕の中で震えながらも必死に敵の動きを分析し、活路を見出そうとしているリラの存在が、かろうじて陸の心を繋ぎとめていた。
守らなければ。
こいつだけは、絶対に。
その思いだけが、彼を突き動かしていた。
だが、それも時間の問題だった。
ザインの攻撃は少しも衰える気配がない。
むしろ徐々に速度と精度を増している。
彼は楽しんでいるのだ。
この絶望的な鬼ごっこを。
そしてついに、リラの分析が追いつかなくなった。
「まずい、陸。袋小路だ……!」
気づいた時には、もう遅かった。
二人は巨大なプレス機の下に追い詰められていた。
前後左右、そして上空まで、ザインの六本の刃が退路を完全に塞いでいる。
青白いエネルギーの刃が煌めき、死の宣告を告げていた。
「……終わり、か」
陸の脳裏に、その二文字が浮かんだ。
その瞬間だった。
世界が再び白い光に包まれた。
ただし、それはザインのスキルによるものではない。
空から降り注ぐ、無数のレーザーの光だった。




