妊娠
――ある日の夜、リビングでのんびりしていると、携帯に電話がかかってきた。
画面を見ると、公衆電話とある……。
白雪明理紗
「誰……?」
恐る恐る電話に出ると、母の声が耳をつんざいた。
神宮寺ケイ子
「早く出なさいよっ‼」
白雪明理紗
「……うるさい」
――以前、私が記憶をなくした日から、母はこの屋敷に足を踏み入れていない。
私は母の携帯電話や、母の家の電話機は着信拒否にしている。
だからわざわざ、公衆電話からかけてきたのだろう。
神宮寺ケイ子
「子どもは⁉ 早く見せなさいよ、育ててやったんだから!」
白雪明理紗
「うるさいって、言ってるでしょ?」
神宮寺ケイ子
「うるさくないわよ、当たり前の心配でしょ⁉
アンタら、結婚してもう数年経つでしょ⁉」
白雪明理紗
「……チッ」
私は電話を切った。
◇ ◇ ◇
――私は、子どもはいらないと思っていた。
だけど、周囲は違ったようだ。
職場の廊下では、別の部署の人が期待の目を向けてくる。
別の部署の人
「白雪さん、結婚してからしばらく経つよね?
お子さんっていたっけ?」
仕事が終わり、送迎の車に乗って家に戻った時には、この前の主婦に捕まる。
近所の主婦
「白雪さんって、あなたもご主人も、優秀なんでしょ?
その子どもも、優秀なのかしら……あら、ごめんなさい!
また、口が滑っちゃったわ。ふふ」
夫は警視総監になって、しばらく経っていた。
周囲は、彼と私の間にできる子どもが、楽しみで仕方ないのだろう……。
――正直、その声にはうんざりだった。誰にも、そんなことを言われたくない……。
――ある日も、そうだった。
職場で子どもについて聞かれ、家に戻ってからはまた、近所の主婦に捕まっていた。
リビングでくつろいでいると、夫が帰ってきた。
白雪真
「ただいま」
彼はネクタイをほどき、ソファーに座って息を吐いた。
白雪真
「ふう……」
私は彼の顔をジッと見た。
白雪明理紗
(もう、周りの声にはうんざり……聞くだけ、聞いてみよう……)
「ねえ――そろそろ、子ども、欲しくない?」
白雪真
「えっ⁉」
夫は目を丸くして、ソファーから身を起こした。
白雪真
「欲しい、いいの⁉」
白雪明理紗
「……ええ、いいわよ」
私は目を細めて、夫を見た。
――なんなんだろう、この人も……。
子どもが欲しいという気持ちは、さっぱり理解できなかった……。
◇ ◇ ◇
――あっさりと、妊娠した。びっくりするくらい、あっさりだった。
命というのは、こんなにも簡単に宿ってしまうのかと、驚いた。
生まれるまでの間、私はできる範囲で仕事をしながら、日々を過ごした。
……もう見知らぬ人からの電話には出なくなった。
だから、公衆電話からの母の電話にはもう出ていない。
だけど、周りは相変わらずだった。
別の部署の人
「女の子だって?」
彼女は警察庁の廊下にしゃがみ込み、私の腹を見た。
別の部署の人
「元気に生まれてきてね」
……その笑顔にすら、無性に腹が立つ。
近所の主婦
「白雪さん! 女の子妊娠したって聞いたわよ! おめでとう!」
家の前で、彼女はうれしそうに話しかけてくる。
白雪明理紗
「……ありがとうございます」
私は顔をむりやり、笑みの形にした。
近所の主婦
「早く顔が見たいわあ!
あなたやご主人に似て、美形で、優秀なんでしょうねえ」
彼女は手を伸ばし、私の腹を撫でた。
白雪明理紗
「⁉」
――ゾッとして、素早く身を引いた。
近所の主婦
「あらごめんなさい! つい触っちゃったわあ」
――周囲がうるさくてうるさくて、仕方ない……!
早く生んでしまって、育休に入りたかった。
そうすれば、周りの声からは解放される……。
――そう思ったからなのか、腹の中の赤ん坊は、すくすくと成長した。
そして、病院の個室に入ることになった。
白雪明理紗
「ふう……」
私は個室で、息を吐いた。
ここは静かで、心地いい……。
私は自分の腹を見た。
まるで外側から丸いものをつけたように、不自然に大きく膨らんでいる……。
時折、内側から振動が伝わってくる。
白雪明理紗
「私……母親に、なるのね……」
窓から差し込んだ夕陽に、腹が照らされた……。




