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【完結済み】The Safe House  作者: さかな煎餅
第3章「変化」
38/58

料理

――陽は、私に抱きついて泣いている。


氷室零

「…………」

(コイツが、こんなふうになるなんて……)


――頭の中には、

ログハウスにやってきたときに向けられた、

うさんくさい笑顔がはっきりと残っている。


氷室零

(……家を出ていった理由はわからないが、疲れていたようだし……

あれだけ固執していた料理もできないとなると――

限界なのかもしれないな)


私は目を閉じた。


氷室零

(――完璧な人間などいない、ということか……)


私は水道の蛇口をひねって水を止め、手を降ろした。


氷室零

(私も、そうだ……この人に、愛をくれといったことがあった……)


私はかつて、「愛して」と、この人に言った。


氷室零

(それと同じで……

人は、ひとりでは生きていけないんだ、きっと……。

だから、こうして支え合わないといけない……。


夢野陽

「う、うああ……」


陽は私を強く抱きしめ、子どものように、声を漏らして泣いている。


氷室零

(以前叫んだ私も、そうだ……。

私たちは、大人の身体を持っていても……

心は、どこか、子どものままだ……)


蛇口から、ぽたぽたと水が垂れる音だけが、キッチンに響いた――……。


   ◇ ◇ ◇


……しばらくして、オレは氷室さんから離れた。


氷室零

「もう、いいのか」

夢野陽

「うん、ありがとう」

氷室零

「そうか」

夢野陽

「うん……」

(この人になら──)


……父さんや優月ちゃんではなく、

オレの悩みに答えてくれた、

この人なら……


夢野陽

「あのさ、」

氷室零

「ん?」

夢野陽

「オレ、さ……父親に、暴力を振るわれてたんだよね」

氷室零

「………………そうか」


それから、オレはぽつりぽつりと話し始めた。

父さんに幼い頃から、暴力を振るわれていたこと。

彼から逃げ出そうとしたが、やめたこと。

家に残った責任をとるために、父さんの面倒を見ていたこと。

優月ちゃんとの出会い、小説を通した交流。

優月ちゃんが小説を拒絶し、否定するようになったこと。

彼女にもまた、オレは尽くしていたこと。

彼女とは婚約まで至ったが、

オレが解雇されたことをきっかけに、喧嘩別れをしたこと……。


夢野陽

(……なんで、話してるんだろう、自分のこと……。

話したって、何にもならないじゃないか……)


……氷室さんは終始相槌を打ち、真面目な顔で聞いてくれた。


夢野陽

「オレは優月ちゃんを傷つけたと思った、でも……この前見てたみたいに……」

氷室零

「……男の人がいたな」


オレはうなずいた。


夢野陽

「オレに傷つけられたのを、癒そうとしてるのかもしれないけどね。

……ショックだったよ、もう次の恋を始めてるなんて……」


オレは胸のペンダントを握りしめた。その中には、優月ちゃんの写真が入っている。


夢野陽

「でも、ほんとうに、申し訳ない……彼女を傷つけたのには、ちがいない」

氷室零

「………………」


オレはペンダントから手を離した。


夢野陽

「……父さんと、優月ちゃん。

ふたりにやってきたように――オレは今も、

メグちゃんと氷室さんに尽くしてる……。

それで、限界をむかえた……で、今に至る、ってわけだよ……」

氷室零

「……そうか」

夢野陽

「うん……」


オレは何度か、軽くうなずいた。


氷室零

「それで……お前は、いいのか?」

夢野陽

「え?」

氷室零

「私に……話を、聞いてほしかったのか?」

夢野陽

「……」

幼い夢野陽

「そうだよ、誰かに僕の話を、聞いてほしかった……」


幼いオレは、胸の中で立ち上がった。


幼い夢野陽

「お父さんもお母さんも優月ちゃんも、

オレの話なんて聞いてくれなかった……

でも、零ちゃんだけは、聞いてくれた……」


オレはうつむき、頷いた。


夢野陽

「……うん。そうだよ、キミに、聞いてほしかったんだ……」

氷室零

「……そうか……」


……オレの頬を、なぜか、ひとすじの温かい粒が伝った。

……外から風が窓に吹き付け、カタカタと揺れた。


   ◇ ◇ ◇


オレは涙をぬぐい、


夢野陽

「聞いてくれて、ありがとう……そろそろ、料理に戻ろうか」


氷室さんに微笑んだ。


氷室零

「ちょっと待ってくれ」


彼女は顔の前に手をやった。


氷室零

「せっかくだし、作るものを指定していいか?

材料がなかったら、バイクで買って来るよ」

夢野陽

「うん、いいけど……」

(なんだ……?)


メグの好物の唐揚げを作ろう、と氷室さんは言った。


夢野陽

「片栗粉と薄力粉を半々で肉にまとわせようか。

表面がカリッと、中がしっとりして、より美味しくなるよ」

氷室零

「なるほど……」


彼女はオレの指示通り、バットの上で、鶏肉に粉をまぶしている。

――そして、鍋に油を注いで温めさせ、鶏肉を入れさせた。

パチパチと激しい音がして、肉が揚げられていく。

氷室さんは鍋を指さした。


氷室零

「……前に作った時は、ここで失敗したんだ。油で熱しすぎて、黒焦げになった」

夢野陽

「そうなんだ。

……あ、ほら、油の跳ねが落ち着いてきた。火が通ってきた証拠だよ。

心配なら……」


オレは棚から竹串を出し、氷室さんに渡した。


夢野陽

「はい」

氷室零

「なんだ?」

夢野陽

「から揚げに刺してみて」


氷室さんは竹串を唐揚げに刺した。


氷室零

「……透明な汁が出てきたぞ」

夢野陽

「なら、もうじゅうぶんなくらい、火は通ってるね。

赤い汁が出てきたら、まだ火は通っていないことになるから。

一度唐揚げを油から上げて、もう一度油で揚げよう。

二度揚げすると、さらにおいしくなるよ」

氷室零

「ふむ……」


彼女はノートにペンを走らせた。

……それから、氷室さんにはオレの指示の元、何品か作ってもらった。


   ◇ ◇ ◇


――白米、豚汁、から揚げ、かぼちゃの煮物……

食卓に並んだそれらを見て、オレはハッとした。


夢野陽

(オレの好物だ……)


オレは、これらが好物だと言ったことは一度もない。

……氷室さんは、

これらの料理をよく作っていたオレのことを、見ていたのだ。


夢野陽

「氷室さん、ありがとう、オレの好物……分かってたんだね」

氷室零

「ん? ああ」


彼女はしれっとした顔でうなずいた。


氷室零

「さて、食べようか」

メグ

「わーい! からあげー!」


メグちゃんは箸をぐっと上に突き出した。


夢野陽、メグ、氷室零

「「「いただきます」」」


まず、唐揚げを口に運ぶ。

サクッと音がして、肉汁が口の中ではじけた。

口を動かしていると……氷室さんがジッとオレを見てきた。


氷室零

「ど、どうだ……?」


オレは大きくうなずいた。


夢野陽

「うん、サクサクしっとりで、すごくおいしいよ」


氷室さんは息を吐いた。


氷室零

「よかった……」

メグ

「零が作ったの⁉」


メグちゃんは目を丸くした。


氷室零

「ああ、そうだ」

夢野陽

「今ここにある夕飯、全部作ってくれたんだよ」

メグ

「すごい!」


メグちゃんは目を輝かせた。


メグ

「陽がふたりいるみたい!」

氷室零

「なんだ、それ……」


氷室さんは顔を赤らめ、頬をかいた。


夢野陽

「ふふ……」


オレは豚汁の器を手に取り、すすった。


夢野陽

「豚汁も、おいしいよ」


不格好に切られた人参、ごぼうなどの具材。

身体に染み渡る、味噌のコクのある味わい……。


夢野陽

(だれかの作ってくれた豚汁なんて、何年ぶりだろう──……)


母さんはよく、豚汁を作ってくれた。

最後に作ってもらったのは、もう、十数年は前のことだ。


夢野陽

(あの時は、まだ、わずかだけど……

父さんにも母さんにも、

笑顔があって――……)


……もう、その瞬間は、二度と……。つーっと、ほおを涙が伝った。


氷室零

「陽……」

夢野陽

(でも……今は、

メグちゃんと氷室さんが、いる……いてくれる……

こんな、オレに……)


オレは鼻をすすった。


夢野陽

「おいしい……おいしいよ、氷室さん……」

氷室零

「なら、よかった」


彼女は優しくほほえんだ。


メグ

「陽……どうしたの?」

氷室零

「今の陽はな、」


氷室さんがメグちゃんの方を向いた。


氷室零

「陽の言うところの……ぼろぼろの雑巾なんだ、たぶん」


メグちゃんは眉を下げた。


メグ

「そうなの……?」


オレは涙をぬぐいながら、うなずいた。


夢野陽

「ああ、そうだよ、そう……」

メグ

「じゃあ、キレイにしないと! ……どうすればいいの?」


オレは首を横に振った。


夢野陽

「ごめん、オレも、わかんないんだ……」


……頭の中に、オレをにらみつける父さん、優月ちゃんの顔が浮かぶ。


「だからお前はダメなんだよ!」

「陽くんがこんな人だなんて、思わなかった!」


……胸が、ずんと重くなる。


夢野照

「お前はダメなんだから……」


オレの中で、父さんがこちらをにらんだ。


夢野照

「ダメな無能なんだ、お前は。

責任のひとつも果たせやしない……

零とやらにすがって、責任逃れして、逃げてるだけだ!」

幼い夢野陽

「もうやなんだよ! 何もしたくない……

楽になりたい…… 死にたい……!」


……胸のあたりが、ズキズキと痛んだ。


夢野陽

「う……」

氷室零

「……陽?」

メグ

「どうしたの、陽……」

夢野陽

「……な、なんでもない、なんでもないよ……」

(これ以上、もう心配をかけたくない……

料理を代わってもらって、これ以上は……!)

「……ごめん、体調悪いから……部屋に行くよ」


メグちゃんと氷室さんは心配そうにうなずいた。

オレはふらふらと立ち上がり、屋根裏部屋に向かった……。

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