本当の自分を受け入れてくれる人
……オレは、氷室さんが閉じた扉を見た。
夢野陽
(でも――もし、
氷室さんが、オレが頼ることを望むのなら――
言っても、いいのかもしれない……料理のこと……)
……煙草をしまい、家に戻った。また、キッチンに立つ。
夢野陽
「…………」
……おそるおそる、包丁を握る。
夢野陽
「……!」
カタカタ……と、手が震え始めた。
夢野陽
(握るのも、ダメなのか――⁉)
オレはガックリとうつむいた。
夢野陽
「くそ……」
(ごはんは食べなくちゃならない――
メグちゃんには、オレの料理を望まれてる――
いったい、どうすれば……)
「共犯だろ」
夢野陽
「!」
――頭に、氷室さんの辛そうな顔がよぎった。
「私は――待ってるから」
……そう、言われた……。
夢野陽
「…………」
オレは包丁をまな板に置いた。
夢野陽
(氷室さんに――頼る、か?)
氷室零
「失礼……」
氷室さんが、キッチンに入ってきた。
夢野陽
(あ……)
氷室零
「水を飲もうと思ってな」
彼女はラックからコップをとり、蛇口の水を注いだ。
夢野陽
(……今、相談すべきか? 料理のこと……
今なら、二人きりだ。
……言うなら、今しかないんじゃ……)
オレは氷室さんの方を向いた。
夢野陽
「ひ、氷室さん、あのさ――」
……声が、震えている。
夢野陽
(なんて、情けないんだ……でも……今しか……)
氷室零
「……どうした?」
彼女は蛇口をひねって水を止め、こちらを見た。
夢野陽
「い、いや、その……」
……よくよく考えたら、
これまでの二十五年間、
誰かに助けを求めたことなど、あっただろうか……。
――少なくとも、オレの記憶には、ない……。
……父にも、優月ちゃんにも……
弱みを見せたことなんて、ただの一度もなかった。
ここで過ごしている時のように、
ずっと、笑顔だった……。
「お前のつくる唐揚げは最高だな!」
「いつも料理作ってくれて、ありがとね、陽くん」
夢野陽
(だって――何もしないオレは、無能だから……)
氷室零
「――大丈夫か?」
夢野陽
「えっ?」
氷室さんが心配そうな顔をしていた。
氷室零
「……汗が、すごいが……まだ、体調が悪いのか?」
夢野陽
「そ、そんなことないよ、大丈夫、ごめん、心配かけて……」
氷室零
「……そうか?」
氷室さんはジッと俺を見ている。
どこまでも、透明な瞳で……。
夢野陽
(濁った目の、父さんや優月ちゃんとは違う――……)
「……あ、あのさ」
……また、声が震えている。オレは唾を飲み込んだ。
氷室零
「なんだ?」
夢野陽
「りょ、料理――つ、作るの、代わってもらっても、いいかな……」
氷室零
「!」
氷室さんは目を見開いた。
夢野陽
(まずい、心配させたか――!)
オレは頭をかいて、口角をむりやり上げた。
夢野陽
「あはは、急にごめんね!
なんかさ、包丁、持てなくなっちゃって!
握ったら、手が震えるんだ、はは、な、情けないよね……!」
氷室零「……そうなのか」
彼女は眉を下げた。
氷室零
「……それは確かに、料理もできないな」
夢野陽
「そんな、深刻にならなくても……」
氷室零
「……いや、大事なことだよ。話してくれて、ありがとう」
夢野陽
「!」
――カッ、と、目元が熱くなった。
夢野陽
(そんな、ありがとうなんて……)
氷室零
「お前も知っての通り――私は料理ができない。
だが、お前に教えてもらえば、きっとできるようになる。
だから――」
彼女は真剣な目をした。
氷室零
「いつか、うまいもんをたくさん食わすよ。お前にしてもらったように……」
夢野陽
「氷室さん……」
氷室零
「……じゃあ、今夜から私が作るよ。作り方、教えてくれないか?
──と、まずは手を洗わないとな」
彼女はコップを置き、ジャージの袖をまくった。
蛇口から水を出し、手を洗い始める。
夢野陽
(……ほんとうに、この人は……
こんなオレを、受け入れてくれる――)
「だから、お前はダメなんだよ!」
――かつて、父さんは、オレに酒の空き缶を投げつけてきた。
「陽くんがこんなひどい人だなんて、思わなかったよ!」
「もういいよ、結婚なんて……婚約破棄する」
――オレが本音を言ったら、
優月ちゃんはそう叫んだ。
ほんとうの、ありのままのオレを受け入れてくれる人は――
父さんでも、優月ちゃんでもなかったんだ。
無能なオレを受け入れてくれるのは、
氷室さんだったんだ――
夢野陽
「――――っ」
――後ろから、彼女を抱きしめた。
氷室零
「は……⁉」
夢野陽
「ごめん――零ちゃん……」
氷室零
「…………⁉」
彼女が息をのむのが、肩越しに伝わってきた。
夢野陽
「何もしないから。……もう、こんなこと、しない。
だから、今は……今だけは……こうさせて。おねがい……」
……涙が、あとからあとから、あふれてくる……。
氷室零
「陽……」
ジャー……。
水の流れる音だけが、場を満たした。




