元婚約者
──数週間後の朝。
なんとか、身体は動くようになった。ふらふらとリビングを横切り、玄関に向かう。
メグ
「あ、陽! 大丈夫?」
……メグちゃんが駆け寄ってきた。
夢野陽
「ああ、メグちゃん。……大丈夫だよ」
メグ
「また、遠くにいくの?」
不安そうな彼女に、オレは首を横に振った。
夢野陽
「ううん、ちょっとそこで、外の空気を吸おうと思って」
メグ
「そっかあ……」
彼女は、ほう、と息を吐いた。
メグ
「陽、もう元気なの?」
夢野陽
「んー……まあ、ここに戻ってきた時よりかは、マシかな」
オレはぎこちなく微笑んだ。
夢野陽
(嘘だ……死にたかったのに、元気なんてことは……)
メグ
「じゃあ、また陽のごはん、食べられる?」
夢野陽
「――え?」
メグ
「陽の作った唐揚げ、食べたい……」
メグちゃんは口元に指を遣った。
夢野照
「責任を果たせ」
夢野陽
「………………」
(メグちゃんに、氷室さん……彼らを置いては死ねない。
でも……責任は果たさなくちゃ……)
オレは、ポケットに入れた手を出した。
◇ ◇ ◇
夢野陽
「ごめんね、わざわざ……」
前の席でバイクを運転してくれる氷室さんに、頭を下げた。
氷室零
「いや、いい。体調が悪くなったら、すぐに言ってくれ」
メグ
「スーパー! スーパー!」
オレの後ろで、メグちゃんが身体を揺らした。
◇ ◇ ◇
……三人で、ログハウスからいちばん近いスーパーに着いた。
メグ
「お菓子、お菓子!」
メグちゃんはスーパーの奥へ駆けていった。
氷室零
「あ、メグ!」
夢野陽
「……いいよ、メグちゃんを追いかけても」
氷室零
「わかった、またあとで」
氷室さんはメグちゃんを追って行った。
オレはカートを転がし、店内を歩く。
夢野陽
(とりあえず、鶏肉は買わないと──)
???
「ケンスケ、今夜は唐揚げが食べたい!」
夢野陽
「⁉」
──聞き覚えのある声が、耳に入った。
夢野陽
(この、甘い声は──)
ケンスケ
「お、いいねえ!」
???
「だよねー!」
……声の方に目を向ける。
ブロンドの長い髪に、濃い化粧の女性が歩いていた。
彼女はタンクトップの男性の腕に、自分の腕を絡めている。
夢野陽
(あの人……間違いない、優月ちゃんだ……!
どうしてこんな、関東から離れたところに……)
ケンスケ
「──なあ、ほんとに、あのログハウス買うのか?」
優月
「なんで? ダメなの?」
ケンスケ
「ダメじゃないけど……
前の婚約者とも、ログハウスで暮らしてたんだろ?
それってなんか……」
ケンスケという男がうつむくと、優月ちゃんは頬を膨らませた。
優月
「なに? なんか、文句あんの?」
ケンスケ
「……いや……」
夢野陽
(──次の婚約者とも、ログハウスで生活をしようと?
……婚約者だった、オレの代わり、ってことか……?)
優月
「あっ」
……優月ちゃんと、目が合った。
夢野陽
「ッ‼‼」
優月
「──え?」
彼女は驚いたように目を見開いた後、男性の腕から手を離した。
そして、真剣な顔で、こちらに歩いてくる。
夢野陽
(まずい──!)
……なぜか、オレの足は全く動かなかった。
目の前に来た優月ちゃんは、オレを上から下まで、じろじろと見た。
優月
「あなた──夢野陽さん、ですよね?」
夢野陽
「……はい……」
優月
「なに? こんなところまで、私を追いかけてきたの?」
夢野陽
「ちがうんだ、たまたまだよ!」
オレが両手を振ると、彼女は睨みつけてきた。
優月
「どうせ嘘でしょ? ……キモ……ストーカーじゃん」
ケンスケ
「どうした、優月? ……この人は?」
ケンスケという人が、優月ちゃんのそばにやってきた。
……途端に、優月ちゃんは目を見開き、オレを指さした。
優月
「この人、前の婚約者!
関東からこんなところまで、ストーカーしてきたの!」
ケンスケ
「え? まじで?」
ケンスケという男性はオレをにらんだ。
夢野陽
「ち、ちがうんです! 本当にたまたま、ここに来ただけで!」
優月
「うるさい! 気持ち悪い! 離れて! このストーカー!」
彼女は近くに積まれたパスタの袋を手に取り、オレに投げつけた。
夢野陽
「‼」
氷室零
「陽! どうした⁉」
近くの棚から、氷室さんがやってきた。彼女の後ろには、メグちゃんもいる。
氷室さんはパスタの袋を拾い上げ、もとあった場所に戻した。
氷室零
「……人に物を投げつけるなんて、失礼だろ」
優月ちゃんは氷室さんを睨みつけた。
優月
「なに、アンタ? 陽くんの新しい恋人? 婚約者?
陽くんだって人のこと言えないじゃない、
ちゃっかり次の女、見つけちゃって!」
氷室零
「……お前なんだ、その言い方?」
氷室さんが、一歩、優月ちゃんの方へ近づいた。
オレは慌てて、二人の間に入った。
夢野陽
「ふ、ふたりとも! 落ち着いて……!」
優月
「きゃあ! 近寄らないで、このストーカー!」
バシンッ!
……優月ちゃんに、頬を叩かれた。
夢野陽
「!」
オレは頬を押さえた。
氷室零
「お前……!」
氷室さんが、優月ちゃんの胸倉をつかんだ。
夢野陽
「氷室さん、いいんだ、オレが悪いから!」
オレは氷室さんの肩をつかんだ。
優月
「そうよ!」
優月ちゃんは勢いよく氷室さんの手を剥がし、オレを指さした。
優月
「アンタが! アンタが、全部悪いの‼ 婚約破棄も! なにもかも‼‼」
夢野陽
「っ…………」
(そうだ――彼女は、何も、間違ってない……)
氷室零
「……お前……この人と婚約してたのか?」
オレは軽く、何度かうなずいた。
ケンスケ
「なあ優月、いくらなんでもやりすぎだ、落ち着けって……」
優月
「アンタ、バカ? 落ち着けるわけないでしょ⁉
……このストーカー、気持ち悪いッ!」
優月ちゃんはまたパスタの袋を手に取り、オレに投げつけた。
夢野陽
「‼」
氷室零
「オイ!」
優月
「気持ち悪い気持ち悪い! 近づくな! このストーカー! 人でなし!
このクソ男──‼‼」
彼女は次々にパスタの袋を手に取り、オレに投げつけてきた。
夢野陽
「う……」
メグ
「う、うう……!」
メグちゃんはオレに涙目でしがみついた。
氷室零
「──いったん、逃げるぞ!」
氷室さんはオレとメグちゃんの手を取り、駆け出した──……。
◇ ◇ ◇
夢野陽
「はあ、はあ……」
スーパーの入り口の広場で、オレたちは立ち止まった。
氷室さんは売り場を見遣った。
氷室零
「なんなんだ、あの人は……いくら何かあったとしても、失礼すぎる……」
メグ
「こ、こわかった……」
オレはうつむいた。
夢野陽
「ごめん、二人とも……オレが、全部悪いんだ……」
氷室零
「……別のスーパーに行こう」
◇ ◇ ◇
高齢男性
「こんな昼間から、痴話げんかかねえ」
高齢男性は、パスタの棚の近くで言い争う夢野陽たちを一瞥した。
その傍らにいる高齢女性は、
高齢女性
「あら、あの子、明理紗ちゃんじゃない? ほら、あのくまのぬいぐるみ……」
メグの抱きかかえるぬいぐるみを指さした。
高齢男性
「また、そんなことを……。たしかによく似てるけど、違うよ。……ほら、行こう」
高齢男性は、女性の腕を軽く引っ張った。
高齢女性
「違うのかしら……明理紗ちゃんにそっくりだけど……」
女性は、ジッとメグを見ていた……。
◇ ◇ ◇
オレは氷室さんの運転するバイクで、真っ青な空を見上げた。
夢野陽
(優月ちゃん……
あれから一年経ったら、そりゃあ、新しい男の人も、できるよな……)
……以前は、オレに甘い目を向けていてくれた。
でも、今は――冷たく、濁った目をしていた。
夢野陽
(ぜんぶ、オレが悪いんだ……あの時、オレが……
感情に任せて叫んだから……)
──それは、夜の林のことだった。
オレと優月ちゃんは、雨に打たれていて──……。
「オレの話を聞けよ!」
オレは、そう叫んだ。
人生で初めて、人に怒鳴った。
……そして、しばらくのやりとりの後、
「もういいよ、婚約なんて……」
優月ちゃんは上を見上げ、つぶやいた。
そして、オレに背を向け、林から去っていった……。
……それが、オレが一年前、彼女を最後に見た時だった……。
夢野陽
「……」
オレは目を閉じた。




