つかの間の平和
翌日。
メグちゃんと氷室さんが、診療所に見舞いに来てくれた。
が──ドアを開けるなり、
メグちゃんがうれしそうな顔を、
氷室さんは困ったような表情をしていた。
メグ
「陽!」
夢野陽
「あ、来てくれてありがとう。どうしたの? うれしそうだね」
氷室零
「……聞いてくれ、メグが……」
……それは昨日、
診療所からホテルへと向かう道中のことだったらしい……。
◇ ◇ ◇
昨日の夕方──
私とメグは、駅前の道を並んで歩いていた。
メグ
「あれ?」
メグが突然立ち止まり、看板をじっと見た。
メグ
「ここ……」
氷室零
「どうした?」
彼女が見つめているのは、不動産屋の看板だった。
彼女の目線を追うと、そこに、見覚えのある建物の写真が載っていた。
氷室零
「……あのログハウス⁉ ……いや、……住所が違うな。
……私たちが住んでいたところじゃないらしい……」
メグ
「ここ……」
彼女はボソッとつぶやいた。
氷室零
「…………まさか、ここに住みたいのか?」
メグは何度も首を縦に振った。
メグ
「うん! ここがいいー!」
氷室零
「そ、そうか……しかし……」
私はほおをかきながら、写真の下にある数字を見た。
氷室零
(安くなっているらしい、
とはいえ……ムリだ、はらえっこない……
それに、今すぐには決められない……)
メグをチラと見ると、キラキラした目で私を見ている……。
……こんなに目の輝いているメグは、初めて見た……。
氷室零
「と、……とりあえず今日は、ホテルに行こうか? な?
予約したから、行かないといけないんだ……」
メグ
「この木のおうちは、ダメなの?」
きゅるきゅるとした目に、私はしぶしぶうなずいた。
氷室零
「あ、ああ……悪いが、今日はムリだ」
メグ
「明日は? 明後日は?」
氷室零
(え、ええ……)
「……それは、わからん。明日、陽と相談しよう。それから決めよう」
メグ
「わかった!」
メグは真剣な顔でうなずいた。
メグ
「明日まで! 待つ!」
◇ ◇ ◇
氷室零
「……と、いうわけだ……」
メグ
「木のおうちー木のおうちー♪」
メグちゃんはくまのぬいぐるみに話しかけている。
氷室さんは困り果てた顔をして、ドカッとパイプ椅子に腰掛けた。
夢野陽
「なるほどね……」
氷室零
「昨日の夜も大変だったんだ、
あの家のことしか言ってこないからな……」
彼女はスマートフォンを操作し、こちらに渡した。
氷室零
「ここなんだが……」
……住所は、ここから遠くの山に入っていったところを示している。
……たしかに、一般的な別荘よりは、格段に安かった。
氷室零
「ムリだろ? 交通の便も悪そうだし、いくら、家具家電付きとはいえ──」
夢野陽
「よし、ここにしようか」
氷室零
「え⁉」
メグ
「ほんと⁉」
氷室さんが立ち上がって、オレの肩を掴んだ。
氷室零
「本気か⁉ お前、本気じゃないよな⁉」
夢野陽
「本気だよ……
だって、メグちゃんが住みたいっていうんだから、仕方ないよ」
オレはスマートフォンを氷室さんに返した。
氷室零
「……バカだ、ほんとにバカだ、コイツ……」
彼女は頭を抱え、椅子に座り直した。
メグちゃんはぬいぐるみにダンスをさせていた。
メグ
「……零、元気ない……さわる?」
メグちゃんは氷室さんに、ぬいぐるみを差し出した。
氷室零
「あ、……い、いいのか……⁉」
メグ
「うん!」
氷室零
「あ、ありがとう……
……ふわふわ……か、かわいい……」
オレとメグちゃんはにこにこしながら、氷室さんを見守った。
氷室零
「……って」
彼女は顔を上げた。
氷室零
「お前、金はあるのかよ? こんな高額な金、出せるのか?」
夢野陽
「うん、あるよ。だいじょーぶ♪」
氷室零
「……怪しい……女児誘拐以前に、なにか前科が……」
じとっとした目に、
オレは慌てて、両手を横に振った。
夢野陽
「そんなのないよ、まっとうなお金! 大丈夫だって」
氷室零
「……怪しい……」
オレは、あはは、と笑って誤魔化した。
夢野陽
「……しかし、見せてくれた写真の家、
この前まで住んでた家に、ほんとうに似てるね。瓜二つだ」
氷室零
「ああ……同じ建築家がデザインしたらしい。
さっき、不動産屋の前で教えてもらったんだ。
どうも、変わり者の建築家だったらしい。
他にも同じようなログハウスが、日本全国にあるらしい」
夢野陽
「ふーん……」
メグ
「おうち♪ おうち♪ 木ーのおーうちー!」
メグちゃんはくまのぬいぐるみの両手を、バッと広げた。
◇ ◇ ◇
二週間後。
オレは医者と向かい合わせで座っていた。
医者
「……もう退院してかまわない」
夢野陽
「ほんとですか⁉」
彼はうなずいた。
医者
「ああ。ただし、激しい運動や、傷に負荷をかけることはやめろ」
夢野陽
「わかりました」
医者
「……以上だ」
夢野陽
「あ、ありがとうございました!」
オレは頭を下げた。
夢野陽
(……あれっ)
顔を上げると、彼の隠れている目と、目が合った。
……引きつれた皮膚で支えられているそれは……
夢野陽
(義眼……)
◇ ◇ ◇
オレたち三人は診療所を出て、駅前の不動産屋へ向かった。
不動産屋いわく、
オレたちの住みたいログハウスはなかなか買い手が見つからず、
困っていたらしい。
……それからすぐ、契約の手続きをしてもらった。
そのあと、三人でログハウスに着いた。
ドアを開けると、メグちゃんがダッシュで中に入っていく。
メグ
「わあい! 木のおうちー‼」
氷室零
「転ばないように気をつけろよ」
夢野陽
「すごいな……あの家がそのまま、ここに来たみたいだ」
オレは帰りがけに寄ったスーパーの袋を、リビングのテーブルに置いた。
氷室零
「なあ、今日は私に家事を任せてくれないか?」
夢野陽
「えっ?」
彼女は真剣な顔をしていた。
氷室零
「病み上がりなのに、ムリはさせられない」
夢野陽
「……大丈夫だよ。
べつに、運動をするわけじゃないんだし」
氷室零
「いや、ダメだ!」
彼女はスーパーの袋を持って、ずんずんとキッチンへ向かった。
夢野陽
「あっ」
氷室零
「お前は座って待ってろ! 今から作る!」
夢野陽
「わ、わかったよ……」
……オレは大人しく、ひとりがけのソファーに座った。
……だが、しばらくして、
キッチンの方からなにやら焦げくさい臭いがしてきた……。
夢野陽
(……大丈夫か?)
オレは立ち上がって、キッチンの方へ向かった。
◇ ◇ ◇
氷室零
「おかしい……こんなはずじゃ……」
私は、メグの好物の唐揚げを作っていた。つもりだった。
だが──鍋から引き上げたのは、
黒い塊だった……。
……息を吹きかけ、口に入れる。
氷室零
「に、にがっ‼」
肉は硬く、とても食えたものではない……。
夢野陽
「氷室さん?」
氷室零
「!」
キッチンの入り口のところに、陽がいた。
私は塊を捨てながら、
氷室零
「ど、どうした……?」
口元を拭いた。
夢野陽
「いや……焦げ臭いから、どうしたのかなって」
氷室零
「ああ……」
私はちらと鍋を見た。
氷室零
「ちょっと……色々あってな。大丈夫だ、気にするな」
夢野陽
「? そう……」
氷室零
「ああ……」
うなずきながら、炊飯器を開けた。
ボンッ‼ っと音がして、そこらじゅうに米が跳ねた。
氷室零
「は⁉⁉⁉」
夢野陽
「だ、大丈夫⁉」
私は慌てて、炊飯器の中を覗き込んだ。
氷室零
「う…………焦げてる……」
炊飯器の窯に、黒い米がぎっしりと張り付いている……。
どう見ても、失敗だ。
氷室零
(……私は、料理のひとつも、できないのか……)
……本当に、ただの口の悪いだけの、暴力女だ……。
……私が炊飯器の前で佇んでいると、
夢野陽
「……オレが、やろうか?」
陽がおずおずと話しかけてきた。私は頷いて、リビングへ向かった。
◇ ◇ ◇
陽の作った夕食は、理想的な家庭料理だった。
湯気を立てる唐揚げの山、
ツヤツヤの白米、
あたたかな味噌汁──。
……どれも、すごくおいしかった。
だけど……それを実感するとともに、
胸のあたりが、グッと重くなった。
あまりにも、自分が無能すぎて──。
……そんな私を見て陽とメグは、不安そうに顔を見合わせた。
氷室零
「はあ…………」
夕食のあと、私はソファーでうなだれた。
メグ
「れい、大丈夫?」
氷室零
「あっ、ああ、平気だ……」
……これ以上、心配をかけたくない。
私は立ち上がり、ふらふらとリビングを歩く。
氷室零
「……⁉ これは……」
……ふと、棚の上に置かれた一枚の写真立てに、
目が吸い寄せられた。




