緋色の瞳の大聖女
魔族の領域に隣する聖王国ルフトシュロス。
大聖女が神の奇跡で結界を張り、魔族を封じ込めて居る国だ。
癒しの奇跡を操る聖女たちを束ね、魔族を封殺し続ける大聖女を抱える聖教会は、王家と遜色のない権威を持つ。
なにせ大聖女が結界を維持できなくなれば、人類は伝承にあるような過酷な魔族との戦争に再び巻き込まれてしまう。
人類の存亡をかけた戦いを回避するという意味でも、大聖女の存在はなくてはならないものなのだ。
今、私の目の前にいる年老いた女性が、その大聖女らしい。
彼女は優しい微笑みで私の瞳をしげしげと見つめて告げる。
「……あなた、お名前は?」
「えと、シルヴィア・グローネフェルトです。大聖女様」
私は緊張しながら大聖女の次の言葉を待った。
大聖女は私の瞳を見つめながら告げる。
「あなた、綺麗な瞳をしているのね」
「そんな……とんでもありません」
私は思わず、大聖女から目を逸らしながら応えた。
私の瞳は炎のように赤い緋色。他の人とは違う珍しい色だ。
そしてこの国には一つの古い伝承が残っていた。
――いわく、『緋色の瞳を持つ者は魔族の末裔である』というものだ。
おかげで私は幼い頃から、迫害に近い扱いを受けて生きてきた。
両親は私を連れて王都を去り、辺境に住もうとしたこともあるらしい。
だけど役人がそれを許してくれず、王都で役人たちの監視下に置かれるように暮らしていた。
役人たちは監視をする割に、私に暴力を振るい石を投げつける民衆を止めることはしない。
ただ私が異常な行動をしないか、それだけを見張っているようだった。
私は襤褸切れのようになったワンピースのスカートを握りしめ、どうやったらこの場を逃れられるかを考えていた。
大聖女の付き人らしき男性が彼女に告げる。
「エレーナ様、そのような魔族の末裔に関わるなど何をお考えなのですか。
あなたの魂が穢れてしまいますよ」
大聖女は男性に振り向き、小さく息をついた。
「あなたこそ何を考えているの?
こんな子供が暴力を振るわれているのを放置しろとでも言うのですか。
大聖女の名を以て命じるわ。
今後、この子に暴力を振るう者は聖教会が罰します。
――この事を、この王都の人間に広く知らしめなさい」
私は驚いて顔を上げ、大聖女の顔を見つめた。
そこには良識ある人間が、不条理な暴力に憤っている姿が在った。
そんな人間が王都に居るだなんて、今日初めて知ったな。
大聖女が私に振り返り、優しい笑顔で告げる。
「大変だったわね。古い迷信に惑わされた人たちに酷い目に遭わされて。
でも大丈夫、安心して。これからはもう、暴力を振るわれることはないはずよ。
もし暴力を振るわれたら、いつでも聖教会に言いつけに来なさい」
私は戸惑いながら大聖女に応える。
「あの、大聖女様。どうしてそこまでなさるのですか?
私は見ての通り赤い目で、もしかしたら本当に魔族の末裔なのかもしれませんよ?」
大聖女が私の髪を優しく撫でながら告げる。
「大聖女である私が、魔族の判別を間違えるとでも思うの?
あなたは間違いなく人間よ。
もしも生活に不安があれば、いつでも私を訪ねにいらっしゃい。
私ができる限り助けてあげるから」
「――でも! 私が大聖女様にそこまでして頂く理由がありません!」
大聖女はニコリと微笑んで私に告げる。
「理由ならあるわ。あなたは私の次に大聖女になるの。
だからあなたに何かがあっては困るのよ」
私は呆然とその言葉を聞いていた。
「……私が、大聖女?
それは、誰かとお間違えではありませんか?」
大聖女はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、間違いなくあなたが次の大聖女よ。
シルヴィア、あなたは十三歳になったら聖教会にいらっしゃい。
聖女として修めるべきことを身に着けてもらいます。
そして十五歳になったら貴族学院に通って、王侯貴族と縁を作りなさい」
「――私が貴族学院に?! 無理ですよ!
聖女だって、私には務まりません!」
「大丈夫よ。聖女なんて思ってるより簡単に務まるの。
それに大聖女になるなら、王侯貴族と縁を作る必要があるわ。
あなたはまだ若いから、王族との婚姻も有り得るかもしれない。
私は独身で通してしまったけれど、大聖女が婚姻してはいけないルールもないの。
だからあなたは聖神様に恥ずかしくない人間になるよう努めて頂戴」
――私が、王族と?! 賤民扱いされて来た、私が?!
余りのことに呆然としてる間に、大聖女は微笑みながら別れの言葉を告げ、馬車に戻っていった。
私はただ呆然と、大聖女を乗せた馬車が走り去るのを見つめていた。
これが八歳の頃、初めて大聖女に会った時の記憶だ。
****
八歳から十三歳までの間、私は王都市民から暴力を受けることは無くなった。
両親から基礎教養を教えられて育った私は、大聖女に言われた通り十三歳で聖教会に赴き、聖女となった。
そこで知ったのは、聖女の世界も平民の世界と何ら変わらないということだ。
マウントの取り合い、権力争い、誰の方が偉いだなんだと、実に下らない。
私は次代の大聖女として指名されてはいるけれど、緋色の瞳を持つ魔族の末裔としても扱われていた。
周囲は腫れ物に触るように私に接してきた。
信頼できる人間なんて一人も居ない。誰も彼も信用できない。
薄っぺらい笑顔の向こうで私を蔑視しているのが透けて見えてくる。
そのことを大聖女様に愚痴ったこともあるのだけれど、『それが人間の性だから諦めて』と困ったような微笑みで言われてしまった。
大聖女様も若い頃から、そうした苦労を乗り越えて生きてこられたらしい。
薄汚い人間たちのために大聖女様は毎日、長い時間をかけて祈りを捧げている。
自分の人生も、こうやって費やされて行くのかな――そう考えると憂鬱になる。
今日も聖女の研修を終え、部屋に戻る途中で聖女仲間のヘンリエッテに廊下でばったりと出会った。
ヘンリエッテは同い年の貴族令嬢で、何かにつけて私につっかかってくる。
今日も見下した笑顔で私に告げる。
「あら、魔族臭いと思ったらシルヴィアじゃない。
臭いから近づかないでくれないかしら」
私は小さく息をついて応える。
「あなたから近づいてきて何を言ってるの?
嫌味を言いたくて近づいてくるなんて、随分と暇なのね」
ヘンリエッテがフンと鼻を鳴らした。
「あなたのような魔族の末裔が次の大聖女なんて、何かの間違いよ。
大聖女様もお年で目がお曇りになったのだわ」
私はジロリとヘンリエッテを睨み付けて告げる。
「私のことを悪くいうのは構わないけど、大聖女様を悪く言うのは止めてくれない?
なにより不敬にも程があるわ」
「あら、本当の事じゃない?
あなたが大聖女の訳がないのよ。
本来大聖女は、私のように高貴な血筋を持った者が選ばれるの。
あなたのような平民が選ばれるなんて、有り得ないわ」
ヘンリエッテの家は、確か侯爵だったっけ。
選民思考もここまで来ると病気と変わらないわね。
「次の大聖女を誰にするかは現役の大聖女が指名する、それがただ一つのルールよ。
大聖女様があなたたちを指名しないのは、大聖女に相応しくないからでしょ?
だから私なんかが指名されるのよ。
私を貶める暇があれば、人間として自分を磨く努力をしてみたら?」
ヘンリエッテは口を歪め、何かを言おうとして再び口を固く閉じた。
「……フン! 今に見てなさいよ、この魔族が!」
身を翻したヘンリエッテが廊下の向こうへ乱雑に歩いて行く。
私は呆れてため息をつきながら、彼女の背中を一瞥してから自分の部屋へ向かった。
****
聖女の研修も修め終わり十五歳となった私は、大聖女様の言い付け通り貴族学院に通うことになった。
全寮制の貴族学院に入り、私は環境の変化に戸惑いながら貴族社会に少しずつ馴染んでいった。
成人である十五歳になった私は結婚する資格がある。
大聖女になれば王族に匹敵する権威を持つことになる私を、周囲の貴族子女たちは放っておかないようだった。
媚びへつらい取り巻きになろうとする貴族令嬢たち、隙あらば口説こうとしてくる貴族令息、誰も彼もどうしようもない。
私は大聖女様に教えられた通り、微笑みを浮かべながら彼らを遠ざけるようにあしらっていった。
下手にこういった連中を近づけると厄介の種になるらしいので、そこは教えられた通り徹底して行った。
だけど王家はその権力で私に第一王子の婚約者の話を持ち込んできたらしい。
一歳年上のヴェルナー第一王子との婚約を、聖教会は快諾したという。
大聖女様もどうやら押し切られたようで、私の与り知らぬところで婚約が締結されてしまった。
私は婚約締結の報せが記された手紙を読みながら、呆れてため息をついていた。
本当にこの国の人間はどうしようもない。
聖教会すら下らない人間が取り仕切っている。
二年間の研修生活でも、まともな人間は大聖女様以外に見かけることはなかった。
大方、王家から多額の寄付を受ける代わりに婚約の話を推し進めたのだろう。
聖教会の上層部、みんな無駄に身なりが良かったしなぁ。
貴族出身とはいえ、そんな贅沢が必要なの? と疑問に思うことが多かった。
今回のことに限らず、袖の下が横行してるのだと簡単に推測できる。
――そんな下らない人間たちのために、私は新しい大聖女となって人生を費やすのか。
つくづく自分の将来が嫌になる。
****
放課後、貴族学院の内庭で開かれるお茶会に、ヴェルナー第一王子から招待を受けた。
初めて出会うヴェルナー第一王子も、今まで見たきた人間たちと変わらない。
薄っぺらい微笑みの裏に、私を蔑視しているのが透けて見える。
ヴェルナー第一王子が微笑みながら私に告げる。
「初めて会うな、私がヴェルナーだ。
婚約者として、これからよろしくな」
「はぁ……シルヴィアです。よろしくお願いします。
ところで、この婚約は誰が言い出したのですか?」
「父上だよ。
次の大聖女であるシルヴィア嬢と年が近い私が是非婚姻すべきだろう、とな。
父上の仰ることも理解はできるのだが、突然すぎて私も困惑している」
王家に匹敵する権威、そんなものを持つ大聖女を王家に取り込みたい――たぶん、そんなところだろう。
権力が分散するのを嫌がったんだろうな。
政治に口を出す訳でもない大聖女を放置できないとか、どれだけ器が小さいんだろう。
小さく息をついて紅茶を口に含んでいると、同席していたヘンリエッテがヴェルナー第一王子に媚びを売る笑顔で告げる。
「そのような魔族の末裔と親しくして居ては、殿下の魂が穢れてしまいますわ。
婚約なんて以ての外。このお話をなかったことにはできなかったのですか?」
ヴェルナー第一王子が小さく嘆息して応える。
「父上のお言葉を覆すのは容易ではない。
何か不祥事でもなければ、私はこのままシルヴィア嬢と婚姻することになるだろう」
ちょっと? もう少し本音は隠せるようにならないと、王様になんて成れないと思うけど?
ヘンリエッテも鬱陶しいな。私に張り合うかのように貴族学院に入学してきて、周囲に私の悪口を言いふらしていく。
聖女であり侯爵令嬢でもあるヘンリエッテが私を魔族の末裔と貶すものだから、周囲も安心して陰で私を罵っているらしい。
表立って貶してくるのはヘンリエッテだけだけど、この場に居る全員が私を陰で悪く言っているのは伝わっている。
告げ口をしてくる取り巻き志望の貴族子女なら、腐るほど居るおかげね。
私を避けるように会話を続ける王族派の貴族子女に囲まれながら、私は虚しい時間を過ごしていく。
……そんなに一緒に居るのが嫌なら、このお茶会に参加しなければいいのに。
「――殿下、少し気分が優れませんの。
申し訳ありませんが退出しても構わないかしら」
ヴェルナー第一王子がパッと華やいだ笑みで私に応える。
「無理は良くない。それならすぐに帰って体を休めた方がいい」
……本当に正直な人ね。
私はニコリと微笑んで応える。
「ええ、そうさせて頂きます」
席を立ち、内庭から退出しようとした私に一人の騎士が声をかけてくる。
「シルヴィア様、お部屋までお送りいたします」
振り向くと、黒髪の精悍な青年が私を心配するような琥珀の眼差しで見つめて来ていた。
「……一人で大丈夫ですわ。ありがとう」
「いえ、途中でふらついてお怪我をされては大変です。
どうか私に送らせて頂きたい。お許し願えませんか」
「……仕方ありませんわね。わかりました」
私は騎士の差し出した肘に掴まりながら、内庭を退出した。
****
廊下を宿舎に向かって歩きながら、騎士が私に告げる。
「殿下が失礼な真似をして、ご気分を害されてしまったでしょう。
傍仕えの一人として、殿下の代わりに謝罪致します」
私はその言葉に驚いて騎士の顔を見つめた。
そこには確かに、私を案じる表情があった。
「……慣れていますわ、あのくらい。
幼いころから『魔族の末裔』として蔑まれてきましたから。
あなたは私をそのようには見ないのですね」
騎士の青年は前を向きながら私に応える。
「赤い目だからなんだというのです。
この国の人間は皆、古い迷信に惑わされ過ぎです。
嘆かわしいことに、私のようにあなたを見る人間は他に見たことがありません」
私は小さく息をついて応える。
「私もよ。民衆の中で私を人間として扱ってくれたのは両親だけ。
十三歳まで生きて、少しでも私に良心を持って接して来てくれる人間なんて居なかったわ。
聖教会でも大聖女様以外、誰一人として居なかった。
あなたが人生で出会ったまともな人間、四人目よ」
騎士の青年が苦笑を浮かべた。
「そうでしたか。この国の人間として、現状を恥ずかしく思います」
……本当に本心からの言葉みたいだ。
「あなたのような人がもう少し居てくれれば、私も大聖女の務めに励む気になるのだけれどね。
――ねぇ、あなたの名前は何というのかしら」
騎士の青年が私に振り向いて、微笑んで告げる。
「これは失礼を。
私はノエル・ヴァイツゼッカー。伯爵家の生まれです。
ヴェルナー殿下の近衛騎士として傍に仕えております」
私もニコリと心から微笑んで応える。
「シルヴィア・グローネフェルトよ。
次の大聖女を指名されているけれど、今はただの聖女。
貴族でもない平民出身ですし、貴族であるノエル様が敬語を使う必要はありませんわよ?」
「とんでもない、王族で言えば王太子のようなものですよ、それは。
もう少しご自分の身分をご理解することをお勧めします。
――王族でも、あなたのご身分を理解しない方もおられますけどもね」
ああ、ヴェルナー第一王子のことね。
でもあれはそもそも、知恵が足りてない感じがするわ。
「そんな人の傍仕えだなんて、ノエル様も気苦労が絶えないのではなくて?」
ノエル様は困ったように微笑んで応える。
「ご想像にお任せいたします」
私は歩きながら、まじまじとノエル様の横顔を見つめた。
精悍だけどまだお若い、成人して間もないくらいじゃないのかな。
「ノエル様はおいくつなのですか?」
「私ですか、今年で十九になります。
昨年に貴族学院を卒業し、そのまま近衛騎士団に入団しました」
あら、ということはかなりのエリートじゃないのかな。四歳年上で近衛騎士だなんて。
普通は一般の騎士として何年も下積みを経験すると聞いたのだけど。
「卒業してすぐに声がかかるだなんて、とてもお強い騎士なのですか?」
ノエル様が照れるように頭を掻いた。
「ははは……自慢ではありませんが、今まで剣術で負けたことはありませんよ。
近衛騎士団でも、私より強い騎士は数えるほどでしょう」
それは本当に強いということじゃないのかな。
「……ノエル様、こう言っては何ですが、あなたのようなエリートが私に関わっても良いことはありませんわよ?
要らぬ噂がまとわりついて、あなたの邪魔をしてしまいますわ。
今日のようなことは、もうなさらない方がよろしくてよ?」
ノエル様が私に振り向き、目を真っ直ぐ見つめて告げる。
「いえ、あのような仕打ちを見過ごすなど、騎士にあるまじきこと。
何よりあなたは次代の大聖女であらせられる。
そんなあなたと親しくして立つ噂など、さして痛くもありませんよ」
「あら、私と親しくしてくださるの?」
その瞬間、ノエル様の頬が赤く染まり慌てて目を逸らしていた。
「――いえ! 申し訳ありません、出過ぎたことを言いました!
あなたは私などが親しくしてよい方ではありません。
次代の大聖女にして、殿下の婚約者であらせられますから」
「そうなのですか?
私はこの学院でも、心を許せる人間が一人も見つからなそうで息苦しく過ごしていますの。
全寮制でしょう? 同室の子も私を警戒して距離を取りますし、友人らしい友人は一人もおりませんのよ?
ノエル様がその友人となってくださるなら、私は嬉しく思うのですけれど……過ぎた望みだったのかしら」
ノエル様が前を見据え、困ったように眉をひそめた。
「……私などがシルヴィア様の友人など。それこそ畏れ多いというものです」
私はノエル様の横顔を見上げながら告げる。
「でもお互いが親しくなりたいと思っているなら、友人になってもおかしなことではないわ。
私にとってはこの国で、たった四人しか居ない『私を人間として見てくれる人』なんだもの。
大切にしたいと思ってはいけないかしら?」
「そんなことは……では、私があなたを友人と思うことをお許し願えますか」
私はニコリと微笑んで応える。
「ええ、もちろん構いませんわ。あなたも、私が友人と思うことを許してくださいね」
「はい……その、よろしくお願いします」
私はその生真面目な姿に、思わずクスクスと笑みをこぼしていた。
「ええ、よろしくお願いするわね、ノエル様」
こうして私は、人生最初の友人を得た。
****
それからも度々、ヴェルナー第一王子は私をお茶会に誘った。
その席には何故か必ずヘンリエッテが同席していて、私に嫌味を吐き出すと共にヴェルナー第一王子に媚びを売る笑みを浮かべていた。
ヴェルナー第一王子も私よりヘンリエッテを気に入っているのか、私を放置して彼女と言葉を交わしていく。
周囲の王族派からも置き去りにされ、ぽつんとお茶を飲んでいると、空いている私の隣の席に座る人の気配があった。
「――失礼します。どうやらお暇なようだ。
私でよろしければ、話し相手をさせて頂けませんか」
驚いて振り向くと、そこには私に笑顔を向けるノエル様の姿。
「……職務中の近衛騎士が、そのようなことをして罰せられないのですか?」
「何かが起こっても殿下の命を守りきれば、この程度はどうとでもなります。
それよりシルヴィア様、ご趣味をお伺いしてもよろしいですか」
普通はそれ、婚約者が振るような話題よね。
なんだかまるで、ヴェルナー第一王子の代わりに話をしてくれてるみたいだ。
「私は最近、古い伝承を調べてますの。
カビの生えた迷信ではなく、古文書に残されている確かな記録をね。
そうすれば『なぜ緋色の瞳が魔族の末裔と呼ばれるか』、その理由がわかるかと思いまして。
学院の図書館でも結構なことがわかるんですよ?」
その時間、私はノエル様に自分が調べている内容を語っていった。
ノエル様の趣味も聞いてみると、やはり剣術の稽古が趣味らしい。
だけど知識欲も旺盛な人で、将来父親の跡を継いだ時のために領地経営学も学んでいるらしい。
私たちが談笑しているのを、周りの貴族子女は怪訝な眼差しで見ているようだった。
特にヴェルナー第一王子は、私たちを不機嫌そうな表情で睨み付けていた。
婚約者を放置して別の子と談笑していたのはそちらが先だというのに、なぜ不機嫌になるのかな。
お茶会が終わると、ノエル様が私と共に席を立って告げる。
「本日もお部屋までお送りしますよ」
私はきょとんとしてノエル様の顔を見つめた。
「私は今日、別に具合が悪くなってはいませんわよ?」
ノエル様はニコリと微笑んで応える。
「せっかく楽しくお話ができたのです。もう少し延長しても良いとは思って頂けませんか」
まぁ、そこまで言うのであれば。
私は差し出されたノエル様の肘に掴まり、お茶会の会場を後にした。
****
廊下を歩きながら、ノエル様が私に小声で告げる。
「殿下の行動に気を付けてください。
あのように不機嫌になった殿下は、よく無茶をなさいます。
あなたに何が起こるのか、予想が付きません」
「……殿下が私を害すると、そう仰るの?」
「その可能性を否定できない、ということです。
今の私に言えるのはそれだけですので、お許しください」
どうやら、ヴェルナー第一王子は嫉妬深い人間らしい。
知恵が回らず妬み深く、取り繕う事もできない人が次の王か。
弟王子たちは確か、まだ幼かったはず。
順当に行けばヴェルナー第一王子が王太子になり、王座に就く。
この国の将来、暗いなぁ。
そんな人の妻になるとか、私の将来も真っ暗だ。
憂鬱なため息が思わず漏れた。
「シルヴィア様、そう落ち込まないでください。
私にできる限り、あなたをお守りいたしますので」
私はノエル様を見上げて告げる。
「今日のこともですけれど、そのようなことをしてはあなたのキャリアに傷が付きます。
こんな事は、これっきりにした方がよろしくてよ?」
ノエル様は前をまっすぐ見ながら応える。
「友人が困っている時に、救いの手を差し出せないような男になったつもりはありません。
ましてや困っているのがシルヴィア様であれば、なおさら放置などできません」
私であれば?
私は小首を傾げてノエル様を見上げた。
「ノエル様、それはどういう意味かしら?」
彼は顔を真っ赤にして、慌てて私に応える。
「――いえ! 特に深い意味はなく! その、大切なあなたを守るのも、騎士の仕事の一つと心得ておりますので!」
……この人も案外、取り繕うのが下手なのかしら。
でも男性から好意を寄せられるというのも初めてのことだし、なんだか心がふわふわとして気持ちがいい。
「ふふ、そんなに慌てなくても大丈夫ですわ。
あなたと私は大切な友人同士――今はそういうことですわよね?」
「はい!」
ノエル様の元気な返事を受け止めて、私は笑みをこぼしながら宿舎の部屋に戻っていった。
****
そんな学院生活が半年ほど続く頃には、周囲ですっかり『私とノエル様が親密だ』という噂が蔓延していた。
……まぁ、親密な友人なのは事実なので、それは構わないのだけれど。
あれ以来、ヴェルナー第一王子の態度もあからさまに私を邪険にするようになった。
顔を合わせても不機嫌を隠さなくなり、ヘンリエッテに同調して私を『魔族の末裔』と聞こえるように罵るようにもなった。
んー、これは大聖女様に言って婚約を解消してもらわないとダメかな。
お茶会が終わったら一筆したためて、手を回してもらわないと。
その日のお茶会も私はノエル様と歓談しながら過ごしていると、お茶会の会場である学院の内庭に騎士たちが雪崩れ込んできた。
彼らは私の周囲を取り囲み、剣を突き付けている。
私は彼らを訝しみながら睨み付けて告げる。
「……どういうことですの?」
騎士の一人が剣呑な表情で私に応える。
「大聖女様が先日亡くなられ、遺言として『次の聖女はヘンリエッテを指名する』と遺された。
同時に『貴様を魔族の末裔として処断しろ』とな!
覚悟しろ、この魔族め!」
――大聖女様が、もう亡くなられている?!
「どういうこと?! そんな大切な事、なぜ私にすぐに知らせないの!」
「聖教会の都合など知ったことか!
だが貴様が魔族であると、先代の大聖女様が言い遺したのだ!
大人しく捕縛されるがいい!」
魔族を捕縛って……その時点で明らかに矛盾してる気がするんだけど。
私が本当に魔族だったら、あなたたちじゃ勝ち目はないんだけど?
そんな相手を捕縛するなんて現実的じゃない。
その時点で私が人間だと白状してるようなものなのに。
困惑している私の背後でヴェルナー第一王子が大きな声を上げる。
「構わぬ! 抵抗される前に殺してしまえ!」
私は呆れて振り返り、ヴェルナー第一王子に告げる。
「抵抗なんてしませんわ。捕まえるなら早くしてくださらない?」
私はまだ困惑しているノエル様の耳元で小さく囁く。
「――お父さんとお母さんをお願い、ノエル様」
私の腕を騎士の一人が強く引き、私は無理やり立たされた。
そのまま縄で後ろ手に縛りあげられ、内庭から連れ出されて行った。
****
王宮の牢屋に入れられた私は、湿った貧相なベッドに腰を下ろして小さな窓の外を見上げていた。
今夜は月夜か。お父さんたち、無事に逃げられたかな。
私が魔族として捕まえられたなら、両親だって無事で済むとは思えない。
大人しく捕まえるだけで済ませるなら御の字、最悪はその場で命を奪われるかもしれない。
そう思うと、恐ろしくて仕方がなかった。
大聖女様だって、まだまだお元気で寿命には程遠かったはず。
それが急死した上に、生前の言葉とは異なる遺言を遺した。
この国の人間が腐ってるとは思ったけど、そこまで腐り切ってるとは信じたくなかった。
どのくらい経っただろうか。
体感時間で深夜遅く、牢屋の外で小さく争う音が聞こえた。
ドサリという重いものが床に落ちた音の後、そのままコツリ、コツリと固い足音が近づいてくる――ノエル様。
ノエル様は消沈した表情で目を伏せ、私に告げる。
「申し訳ありません。私の力不足で、あなたのご両親をお救いすることができませんでした」
――それは、できれば一番聞きたくなかった言葉。
「そう、それなら仕方ないわ。
ノエル様は最善を尽くしてくださったはず。
それでも手遅れだったのなら、どうしようもなかったのでしょう」
私は涙がにじむ目を袖でこすり、鼻をすすった。
ノエル様が強い声で私に告げる。
「逃げましょう、シルヴィア様。
『あなたを守って欲しい』というのが、ご両親の遺言です。
私はその言葉を守り、あなたを連れて逃げます。
どうか応じてください」
……そうね。今まで迷いがあったけれど、もうこうなったら迷いは何一つない。
私はベッドから立ち上がり、ノエル様に応える。
「じゃあ、牢屋から出してもらえる?」
頷いたノエル様が牢の鍵を開け、私を外に連れ出した。
****
外に待機させていた馬に飛び乗ったノエル様と相乗りになり、私たちは月夜の街道を駆けて行った。
「どこへ逃げるの!」
「隣国、ドライステングルート王国です!
あそこには知人がおります!」
さすがエリート、国外に知人がいるのね。
それにドライステングルートなら都合がいい。この国と同じ、魔族の領域に面した国家だ。
前を見据えて馬を駆けさせながら、ノエル様が私に告げる。
「この国は、これからどうなるのでしょうか」
私は馬のたてがみにしがみつきながら応える。
「大聖女様が居なくなったのだから、間もなく結界が消えるわ。
そうなれば魔族の領域から魔族が攻めてくるの。
伝承にある魔族との戦争が再び始まりまるのよ」
ノエル様が困惑した表情で応える。
「しかし、次の大聖女はヘンリエッテ嬢ではないのですか?」
「聖教会の幹部たちは、聖女なら誰でも大聖女の役割を果たせると考えてるみたいね。
ただ結界を張る奇跡を祈れば、癒しの奇跡と同じように結界を維持できると思ってるのよ。
大聖女様を暗殺したのがその証拠。
だけどそれは大きな間違いだと、心底思い知らせてやる」
「では、あなたなら結界を張り直せると?」
私は頷いて応える。
「ええ、私は正当な大聖女の後継者。
正しい結界の奇跡を伝授されているわ。
――でも急いで! 本当に魔族の再侵攻が始まる前に、隣国に逃げ込んで!」
ノエル様が強い声で応える。
「事情はわかりませんが、了解しました!
しばらく揺れます! しっかり掴まって!」
直後、ノエル様が馬をさらに速く走らせ始めた。
私は振り落とされないよう、必死に夜通し走る馬の背にしがみついていた。
****
私たちは国境間際で街道を外れ、山道で国境を越えた。
今の状況で国境の関所を抜けるのは難しいし、時間を取られたくなかったのだ。
夜明け前、白く輝く結界が魔族の領域を分断しているのが遠くに見えた。
その結界が揺らめき、徐々に薄くなっていく。
「あの様子だと、三日と持たずに結界が消えるわね。
その前に結界を張り直さないといけない。
――だけどノエル様。確認しておきたいことがあるの」
馬にゆっくりと歩を進ませているノエル様が、私に怪訝な表情を向けた。
「確認したいこと、とは?」
私は背後のノエル様に振り向いて告げる。
「私は改めて結界を張り直すけれど、そうなったらもう、ノエル様は家族と会うことが出来なくなるわ。
家族と運命を共にするか、私と共に来るか、今選んで」
ノエル様が困惑した表情で応える。
「それは――いったい、何をされるつもりなのですか?!」
「私は、次の大聖女はルフトシュロス王国を見捨てるわ。
あんな腐った人間ばかりの国、救う価値もない。
だから新しい結界はルフトシュロスを含んだ領域を結界で囲うのよ」
「しかしそれでは、罪のない民衆までが――」
「じゃあ、私を殺す? 私が死ねば結界を維持できなくなって、平等に人間の国家が魔族の侵攻を受けるわ。
それとも私を生かして、結界を維持するだけの人生を送らせる?
私は嫌よ、そんな人生。それなら魔族に侵攻されて殺された方がマシね」
そもそも、私は幼いころからその『罪のない民衆』に虐げられて生きてきた。
今さら彼らを救ってくれと言われても、ちっとも心に響きはしない。
恩人を、両親を殺されてなお国家に尽くせなど、私に頷ける話じゃない。
苦悩した様子のノエル様が、ぼそりと告げる。
「私の家族は父上一人。その父上も、身体を壊してもう長くありません。
たとえ見捨てたとしても、父上は許してくださると思います」
私はノエル様の目を真っ直ぐ見つめて告げる。
「じゃあ、一緒に罪を背負ってくれるという事かしら?」
「……あなたと共に生きられるならば、地獄の果てまでご一緒します」
私はニコリと微笑んで応える。
「ありがとう、ノエル。
それじゃあ近くの村を目指してもらえる?
そこにも礼拝堂はあるはずよ」
ノエルが無言で馬首を巡らせ、遠くに見える国境付近の村を目指した。
****
翌朝、私が村の礼拝堂で祈りを捧げると、新しい結界の壁が魔族の領域とルフトシュロス王国を包み込んだ。
私は祈り終わると立ち上がり、ノエルに告げる。
「終わったわ。最低でも週に一回は祈りを捧げる必要があるけれど、それでこの結界は維持できる。
中に残されたルフトシュロスの国民はこれから、魔族に怯えながら生きていくことになる」
ノエルが沈痛な表情で私に告げる。
「本当に、それで後悔はないのですね?」
「私に選択肢なんてないのよ。
あのままなら、私は魔族として処刑されていた。お父さんたちのようにね。
ルフトシュロスの国民を救うとはそういうこと。
彼らを見捨てて結界を張るしか、魔族の再侵攻を防ぐ手はないわ。
愚かなルフトシュロスの人間のせいで、他の国家が迷惑をこうむって良い訳がないもの。
それで私が罪を背負うというなら、喜んで背負ってあげるわ」
たとえこの国に身を寄せても、ルフトシュロスは私の身柄を引き渡せと強く要求しただろう。
私を魔族だと弾劾し、処刑しろと促してくるかもしれない。
そうなれば私は、この国でも追われる身になってしまう。
「……そう、ですね。
私はあなたと共に在ると心に決めた。
今さら私も、迷うべきではないのでしょう」
ノエルが私の手を取り、その甲に唇を落とした。
「わが命、我が人生をあなたに捧げます。シルヴィア」
「ええ、よろしくお願いねノエル。
――行きましょう、この国にも聖教会の支部があるはずよ。
今後はそこを本部として聖教会の活動を続けていきましょう」
私たちは再び馬に乗り、ドライステングルートの王都を目指した。
あの大聖女の結界は、魔族だけでなく罪ある者をすべからく遮断する断罪の結界。
魔族から逃げてきても、誰一人としてあの壁を超えることはできない。
魔族の領域と接続してしまった土地は、やがて徐々に枯れていく。
農作物が育たなくなり、飢えに苦しみながら彼らは強大な魔族との戦いを強いられていく。
果たして何年もつだろうか。
十年? 二十年?
それはもう、結界の外から知る術はない。
伝承にある陰惨な光景が、これからあの国を襲うのだ。
私はこれから大聖女として生きていく。
ノエルという騎士を一人従えて、これから生きていくんだ。
「ねぇノエル、この国の聖教会はどういうところだと思う?」
「さぁ……私は聖教会に詳しくありませんので」
私はクスリと笑みをこぼす。
「きっとルフトシュロスと大差ない、腐った人間が大勢いるわ。
これから本部として力を持てば、そういった人間が蔓延っていく。
そうすると私が独身では都合が悪いの。
この国の王族と結婚を強要されるなんて御免よ。
だからねぇ、ここまできたら、私と結婚してしまわない?」
ノエルは真面目な顔で私を見つめ、応える。
「……シルヴィアが望むなら、喜んで」
私はニコリとノエルに微笑みかけて告げる。
「では途中で結婚式を挙げてしまいましょう。
これから二人で生きていくわよ!
二度と陰謀で蹴落とされないように、強くね!」
私たちを乗せた馬は、朝日を浴びながら王都に向け、街道を駆けて行った。
このプロットだとビターエンドに落とし込むのが限界でした。
もう少し読後感をよくしたかったけど、力不足でしたねぇ。
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