飲食店でトイレに行く時、盗まれないために荷物は持っていくべきか?
午後1時過ぎ、私は一人、ファミレスでハンバーグランチを食べる。
特筆すべきものはないが、「美味い」といえる味だ。この堅実さがこのファミレスを全国チェーンにまで押し上げたのだなと感じる。私もこんな生き方をしていればと思わずにはいられない。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』という絵画を思い出す。あの絵で食事をしているキリストと使徒たちはどんな気持ちだったのかな、などと考える。まあ、今私が食べているのは晩餐ではなく昼食なんだけど。
そういえば『晩餐』という言葉の昼食バージョンってあるのだろうか。気になってしまったので、スマホで検索してみる。すると『昼餐』『午餐』といった言葉が出てきた。どっちも昼食という意味だ。こんな言葉あるんだと驚くとともに、スマホの便利さに感心してしまう。
こんな便利な道具があるのに、私はどうしてこんなことになってしまったのか。つくづく悔やまれる。いくら便利な道具ができようと、結局は使う人次第ということなんだろうなぁ。
ランチを食べ終え、ドリンクバーで注いできたコーヒーを飲む。
カフェインの作用か、トイレに行きたくなる。こんな時でも生理現象は起こるんだな、と苦笑する。
このファミレスにもトイレはあるので、さっさと行ってくればいいのだが、問題が一つある。
今、私の手荷物は大きめのボストンバッグ一つ。こいつをどうしようかということだ。
トイレに行く時、一緒に持っていくべきか? それとも椅子に置いておくべきか? どうしよう。
荷物の安全を考えるなら、持っていくのが正解に決まっている。
だけどこのバッグは結構重いし、トイレはせいぜい一、二分で済む。そのためにわざわざ持っていくのもなぁ、という気もしてくる。
自販機を置けば即壊されるくらい治安の悪い国ならともかくここは日本だ。置き引きするような悪人はそうはいない……はず。
ようするに、このレストランにいる他の客を信じるかどうかってことになるよな。
人の荷物を盗むような奴はいないと信じるなら置いていけばいいし、人を見たら泥棒と思うなら持っていくべきだ。
自分の人生を振り返る。
私は人を信じたあまり、損をすることがあまりにも多かったと思う。
例えば子供の頃、友達から『あるレアアイテムをどこどこで捨てると、さらにすごいアイテムが手に入る』なんてゲームの裏技を教えてもらって、その通りにしたら何も起こらなかったことがある。真っ赤なガセネタであり、私は大泣きしたものだ。
持久走で「一緒に走ろう」と約束した友達に裏切られ、向こうはさっさとゴールしてしまったということもあった。
高校の頃はテニスをやっていたが、あれも「うちは楽しくやる部だから」という言葉に騙されて入った。練習や上下関係は異常に厳しかったが、大して上手くならなかったし、他のメンバーも大して強くなかった。多分、練習方法とかが間違っていたのだろう。
他にも人を信じて騙された経験なんていくらでも思い出せる。
そして大人になり、私は詐欺の被害にあった。『○○という商品が今後流行るから投資して欲しい』という典型的な投資詐欺。『絶対儲かる』という甘言にまんまと乗せられた。話を持ち込まれた時、もっとスマホで調べるべきだったと悔やまれる。
ほとんど全財産を持っていかれ、私はどうにもならなくなった。“人生詰んだ”というやつだ。
もう二度と人なんか信じるもんか。渡る世間は鬼ばかりだ、と思う。
だけど、こうも思う。
これで最後だし、やっぱり人を信じてみてもいいんじゃないか。
人を疑って終わる人生より、人を信じて終わる人生の方がいい。
なんだか安っぽいフレーズではあるが、私の中で「人を信じてみよう」という気持ちがふつふつと湧き上がる。
よし、決まりだ。私はバッグを椅子に置いたまま、席を立った。
男子トイレに入る。
小便器で用を足し、手を洗い、備え付けのハンドドライヤーで手を乾かし、出る。
この間、せいぜい二、三分ってところだろう。
だが、自分の席に戻って愕然とした。
――バッグがなくなっている。
盗まれた。辺りを見回すが、それらしい人間はいない。
正直、まさか盗まれるとは思わなかった。
こういう時ってどうすればいいんだろう。他の客や店員に「荷物を盗まれたんだけど、その瞬間を見てないか」なんて聞くべきだろうか。でも、一人で食事していた私の席を見てた人なんていそうにないよな。元々人見知りな上、どうせ無駄だと思って躊躇してしまう。
警察に通報するか。だけど、通報したところできっと捜査なんかしてくれないよな。被害届を出してそれで終わり。そんな気がする。
それに、私には警察に通報できない理由があった。
なぜならあのバッグの中身は――爆弾だった。
詐欺で全財産を失った私は自分の手で人生を終えようと、ちょうど人一人を吹っ飛ばせるくらいの爆弾を入手した。
そしてバッグに入れ、バッグを開けたら爆発する仕組みを作った。
ファミレスを出たら、私は近くに誰もいない場所でそれを起爆させ、あの世に旅立つつもりだったのだ。
それなのに、こんなことになってしまうなんて……。
どこか遠くからドォンという音が私の耳に届いたのは、それからまもなくのことだった。
完
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