2 三人称の小説は難しい
「小説家になろう」に投稿して気づいたことを呟くエッセイ、今回は、人称について語ります。
小説関係のSNSではよく、一人称か三人称か、というテーマが語られます。
・初心者は、一人称がおすすめ
・いや、初心者こそ、三人称で書くべき
・私は三人称の方が書きやすい……
私はSNSでのこういった議論が大好きです。私自身は語れるほどの知識や技術を持っていませんが、意見が色々あって面白いなと、感心するばかり。
私が「小説家になろう」に投稿した長編は、三人称小説です。いただいた意見の中に、一人称小説の方が読みやすい、三人称小説には相当の筆力が必要、とあり、私は新たな気づきが得られました。
読者としての自分は、小説の人称をさほど気にしなかったのです。
小説の選択は、ジャンルやあらすじが自分の好みかどうか、それだけでした。一人称の方が読みやすい、と意識しなかったのです。
一人称小説の方が読まれやすい、言われてみると納得です。三人称ってどこかよそよそしく気取った感じがしますよね。
もしかして人気作家さんは、読まれやすさを意識して、人称を選んでいるのでしょうか?
が、そこまでのレベルにない自分、単純に書きやすい人称で、書いているだけです。
では、どちらの人称の方が書きやすいか?
これは人それぞれでしょうが、私は、一人称の方が書きやすいです。小説家になろうには、七つの小説を投稿していますが、五作品が一人称小説です。
ではなぜ、長編『「日本人」最後の花嫁』を、敬遠していた三人称で書いたか?
実はこれ、最初は一人称で書いていましたが、一人称での記述に行き詰まり、三人称に変えたのです。
この長編小説は、二十二世紀後半の日本が舞台の近未来SFです。文明から隔絶された先住民族の少女が連れ出され、文明社会で生きる話です。
この設定は単に趣味で採用したのですが、近未来SFを書くのになかなか便利です。
未来社会を描くとき、未来人の視点で記述すると、現代人には理解できない代物となります。ネット・スマホ・人工衛星……私たちには説明不要な物体でも、明治の人には単語だけでは理解できません。解説が必要です。
それと同じ問題が、近未来SFでも発生します。この問題、語り手となるヒロインが現代の私たちと同じ文化で育ったことにすれば、解決します。
異世界転生物語と同じ理屈です。現代人が観察した異世界を語ることで、私たちも抵抗なく異世界で遊べるわけです。
そこでヒロイン視点で小説を書き始めたのですが、あっさり挫折しました。
物語開始時、ヒロインは十三歳です。文明から隔絶された少女の視点で文明社会を描く……いいアイディアと思ったのですが、書き出したら、かなりの筆力が要求されることに気がつきました。
ヒロインが現代社会に生きる大人なら、現代の私たちにわかりやすく未来社会を説明できたでしょう。しかし、今回のヒロインは子供です。隔離された先住民族の視点で文明社会を書いてみたのですが……ものすごく不自然になりました。およそ子供らしくない文章になったのです。
以下は、初めに書いた一人称小説の一部です。
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私はアレックスに連れられ、居留地東京から、首都札幌に移った。
彼は、合衆国でアジア文化を研究していたが、先住日本民族が滅亡の危機に瀕していると知り来日し、日本国籍を取得。今は、北海道の大学で日本の文化を教えている。
東京から出た私にとって、札幌は外国映画の世界だった。
なぜなら、駅や道路や店の看板、どこにも私が読める文字、漢字・ひらがな・カタカナがなかったのだ。
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書きながら嘘くささを感じました。ヒロインは天才少女ではありません。私の中のヒロインは、こんな風に淡々と世界設定を語れるキャラではありません。気が強く何かとキレるけど、繊細な部分を持ち合わせた……普通の思春期の少女です。
書きながら苦しくなってきたので、一人称から三人称に切り替えました。
三人称に切り替えたことで、未来社会の記述はスムーズになりました。しかも三人称では、主人公サイドだけではなく、相手役サイド、サブキャラサイド、いろんな視点で描けます。
調子に乗って、あの人の話、この人の話、と書き出したら楽しくなり、どんどん世界が広がりました。
が、調子に乗りすぎて収集つかなくなり、前にも後ろにも進めず袋小路に追い込まれました。
それ以前に、この場面では何を書くべきか? どのような文体で書くべきか、といった基本的なことがわからなくなりました。
一人称小説では、主人公の知らないことは書けません。この縛りのおかげで書くべきポイントが、意識しなくても絞られます。主人公が一番訴えたいことにフォーカスすればいいのです。ですから、さほど迷子にならずに話を進められます。
しかし制限が緩い三人称では、どこにフォーカスすればいいのでしょう? 一人称だろうが三人称だろうが、主人公にフォーカスすればいいのでしょうが、三人称という自由度の高い形式に幻惑され、ピントがずれてきました。
ピンボケ甚だしく、誰が主人公か、何を書きたい物語か、根本からグラグラ揺れてきました。
一人称なら主役の気分で書きます、書けます。でも三人称は「誰」の気分で書けばいいのでしょう? そもそも三人称は、全てを知る神の視点で書く形式です。
となると「全てを知る神」の気分で書けばいいのでしょうか? しかし私は、毎朝布団から出るのが苦痛で仕方ない、ただの人間です。全てを知る神の気持ちなど分かりません。
以上が、三人称は難しい、と思った次第です。
このままでは小説が書けない。かといって私は「神」にはなれない。
そこで思いついたのが次の技です。
私は、この小説を、主人公について書かれた伝記、と設定しました。私は神ではなく、伝記作家という人間になって主人公の物語を綴ることにしたのです。
小説の「まえがき」では「『主人公』について記す」と述べていますが、この小説が伝記であることを示すためです。
この技で、私は迷いが吹っ切れました。
「自分は主人公の伝記作家だ。伝記作家としてどう書けばいい? 何を書けばいい?」と言い聞かせることで、袋小路から抜け出せたのです。
しかし、まだまだ反省点があります。
小説指南サイトでは、一人称や三人称について詳しく書かれています。特に、視点が大事で、視点はブレてはいけない、と言われます。
実は私、「視点」というのが、よくわかっていません。今回の長編、視点がブレブレです、多分。
いわゆる視点キャラをカウントしてみたら、主要キャラで三人、プラスサブキャラ三人の合計六人でした。
この小説は群像劇ではありません。主役のヒロインと相手役のヒーローの関係を、ストーリーの基本にしています。
ヒロインはシンプルな性格ですが、ヒーローはクセがあります。クセのあるヒーローをさまざまな視点で描き、多面性を表現したかったのですが、六人はちょっと多かったかな。
私の文章が読みにくいのは、視点というものがよくわからず、ブレブレだったせいかもしれません。
そこは反省してます。今、別の投稿サイトで三人称の長編小説に取り組んでいますが、多分、同じ問題をやらかしてます。
これからはなるべく視点キャラを限定し、むやみやたらに視点を動かさないように気を付けます。となると今度は、誰の視点で書こうかすごーく悩むため、なかなか執筆が進みません……言い訳です。
三人称小説は、主人公のいちファンになって、彼、彼女の魅力を伝えるために書く、という方法が、今の私には、しっくりきます。
国や世界の運命、神々の戦いといったスケールの大きい話が書きたくなったら? まあ、そうなったら、その時に考えます。
いかがでしたか? 次回は、一人称の話をします。