誕生
これは高校生であるKIRISIMAの人生を簡単にまとめたものです特に面白いことはないと思うのできになったひとは見ていってください。
時間のない学生が書いているので文章は雑でさらに見にくいと思うのですが許しってください
この日記には僕が飽きるまでもしくは忘れるときまで書くつもりなので僕が死ぬか忘れるもしくはかけない状態になるまでは毎日かくので投稿されなくなったらそういうことだと思ってください
日本のある都市にて元気な男の子が生まれた。。
それはもう本当に元気いっぱいで親を困らすぐらいにはげんきだったそうな。
その男の子は元気に育っていき幼稚園に入った元気がありすぎでいろいろ問題を起こす問題児だった。
例えば友達や自分の耳に砂を入れてみたり幼稚園ぐらいの年頃なら多分みんなやっていたであろうかんちょうを女の子の友人にやったりやられたりなどほかにはよくウンチをもらしていたそうです。
そんな元気な男の子は小さいころから運動が大好きで3歳から体操をならっていた、親いわく運動はできて損はないからとのことだった実際今まで生きてきて正直運動していて意味がないなーと思ったことはない。
そうして小学生になりできることが増えた勉強もそうだがカヌーで川下りやスラローム、水泳、テニス、クライミングなどいろいろなスポーツをしだした運動神経はいろいろなスポーツをやっているおかげでよかった(※豆知識 運動神経は12歳までに大半が完成するのでもしお子さんを運動神経よくそだてたいなら12歳までに何か運動させてあげればいいですよ)だから「筋肉が結構ついてるのかな?」と思っているそこのあなたいいえめちゃめちゃガリガリでした「ちゃんとご飯食べてる?」って聞かれるぐらいにはガリガリだった。
小学校の僕はどちらかというと陽の方に属していた人間だっただが役員とか委員会が大嫌いだっただがしかし転機が訪れた4年生のころにみんなが嫌っていたクラス代表の係りをじゃんけんに負けたので泣きながら引き受けたするとはじめたては号泣していたのになんだめちゃくちゃ楽しかった死ぬほど楽しかったので5,6年もやった5,6年の担任が「役員選挙に出てみたら?」といわれたので出たすると当選した。
半年間の短い任期だったが結構満足した小学校生活を送っていた。
そして中学校自分でもびっくりするぐらいグレた。
授業は寝るし友達と殴り合いのけんかはするし先生の話は聞かないで友達と話していたりしていた。
中学校になるとクラブというものがある、僕はテニスに入るつもりだったが公立中学校には軟式のテニスしかないなので友人の多いバトミントン部に入ったここでも運動神経が生きたもともと打ちの学校は強くないがそれでも経験者が混じっている中でも2,3位ぐらいの実力でいたしかし3年生の春方を怪我してしまってもうバトミントンができなくなってしまったそのとき習っていたテニスも一緒に、、、
けど数ヶ月してそこまでひどくなかったのかそんなに直るのに時間はかからなかった直ってから元の状態に戻すまでに時間がかかった以外はそんなに苦労はしなかった。
そして受験僕が行きたかった高校はすべて却下され親が決めた高校にいくことになった。
僕の想像してた受験生の姿はどこにもなかった家に返ったら即塾には行くが塾でアニメを見まくっていた家庭教師の人が来たときに別のことを考えながら適当に終わらしていた学校でもずっと寝ている暇な時間はすべてゲームをしていた。
なぜここまで余裕をこいていたかというと偏差値も過去問の点数が結構余裕があって過去問は100点以上合格最低点を上回っていたので正直このまま勉強しなくても浮かれるぐらいには余裕があった。
受験の結果はもちろん合格していた。
だが入学したはいいものの親の決めた学校なのに楽しいわけがないそんなこんなで4日間過ごした。
そして現在に至る。
今日したことといえば、朝6時50分に起床7時16分に家を出て7時24分の電車に乗り最寄の駅まで行くそこから40分ぐらいホームルームまで時間があったので塾の宿題をしていた。そして時間になり入学してから一週間ぐらいはまともな授業がないらしくほとんど意味のない時間をすごして12時40分に学校が終了、その学校は公式テニス部があるので入部希望者として顧問の先生に仮入部について詳しいことを聞きに行った。
そして時間が時間だったので早くに家に帰り親の会社に行き親にお金を貰ってお昼ご飯を買いに行きご飯を食べてゆっくりしていたそしてしばらくして入学祝に買ってもらった18万のロードバイクに乗り3時ぐらいにツーリングに出かけた(8万は自分で出さないといけない泣)。
一時間ぐらいして家に帰ってきたのでそのまま塾に出かけて明日のテストのために勉強した。
帰ってきたのは10時ぐらいでそこからご飯を食べてお風呂に入って今に至る。
こんな感じで見にくいとは思いますがどうかよろしくお願いします。