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考察範囲の内と外

 はっきりと宣言した先生だが、「ただ……」自信が揺らぐように声色が弱弱しくなった。どうされたのかとペンから先生のほうへ視線を動かすとあからさまに顔を逸らされた。もしかして、無理な論理飛躍を持った推理をそれっぽく語ってみせたとか? わたしなら騙しとおせると思ったのだろうか。まったくもってそのとおりである。悔しい。


「わからないのは――なぜ文系を選択したのか――だね。経済学は理系で学べるところもあるのに」


 顔を逸らすのはわたしの番になった。そこまで完全把握されていたらさすがに気まずい。「ああ、はい」と濁して、話題も逸らした。


「あの、ほら。まだ三つ目の……合格報告は、2023年3月20日月曜日の午前10時前。こちらの根拠を使ってませんけど」


「ああ、そうだったね。挙げておいたけれど、やはり推理にはそれほど重要な情報ではなかったらしい。無くても特定は可能だったけれど……まあ、隠すようなことではないし、一応、述べさせてもらおうかな。今日の君はテンションが高い反面、この場に合格通知をわざわざ持ってこなかった。賢明だと思う。ポイントは、なぜ今なのか――3月の受験だったからだ。つまり、後期の合格獲得を果たした。これはさきほどの国内大学だという補足に当たるね」


「補足のためだけに挙げたんですか?」


「いや、違う。そうではない……今日は私服みたいだけれど君は3月に制服を着たまま勉強しに来たよね。高校3年生が3月に制服を着る機会なんて卒業式くらいだ。このようなご時世だからかなり簡易的な式典だったろう、昼前にはここへ来て勉強していたね。3月上旬に公表された前期の結果を受け止めて、後日に残されたチャンスにかけた。ここから、浪人を視野に入れていない上位校志望だろうと推測した。だから、合理的な推理が成立しうる条件が揃い、消去法によって特定可能だと断定するに至ったんだ。つまり、補足としてではなく、なんというのだろう、こういった……」


 先生は髪をもてあそびながら言葉を選ぶ。推理や問題解説であれば淡々とノーラグタイムで語れる彼だが、そうでないときはなかなか時間がかかる。

 気がつけば、ずっとカップを包んでいた両手はじんわりと赤くなっていた。そうだ、待っている間にホットコーヒーとやらを嗜もうか。

 ふたの突起に指をひっかけると簡単にパチと音をたてて長方形から中身が見える。ブラックというだけあって、こげ茶よりも黒い。カップでテーブルに円を描くと、濃茶の液体の中心部が少し沈んだかわりに外延部が浮上した。匂いは……小さい穴からはマスクを外してもあまり感じなかった。

 ああ。カップのふたを外せばいいのか。

 しかし、どうやらこのふたは回せば外れるわけでは無いらしく、苦戦した。


「わっ」


 ふたは外せた。外せたが、その拍子にコーヒーがはじけ飛んだ。謝ると、先生は「大丈夫か?」かたわらのペーパーナフキンを突き出した。

 ああ、ノートにも少し掛けてしまった。

 それを謝罪する前に先生は席を立って行ってしまった。ペーパーナフキンでうまく吸い取れないかと試していると、戻ってきた彼に「何してるの」呆れた言葉が向けられた。その手にはペーパーナフキンとおしぼりがいくつか握られている。


「ノート、汚しました。すみません」


「……ああ、うん。手、やけどしてない?」


「あ、はい。大丈夫です」


 わたしがそう答えると先生は「そっか」つぶやいた。座りなおしながら「じゃあ、話、戻す」と告げた。


「気の利いた言い回しがわからないから、端的に言おう。要するに、最後まで勉強を継続したその姿勢を、君の努力と言わずして何と言おうか。私は確かにサポートしたのかもしれないが、前述のとおり、結局その合格は君が成したことだ。そうだろう?」


 長い前髪からそっと銀色のような青い瞳がのぞく。その眼がまっすぐ見抜くようで、逸らしそうになった。

 普段はそっけないようで、褒めるところは見逃さない。

 この先生に恋人がいないのはおそらく人間性そのものに所以がある。この人は、人間関係よりもフィールドワークのほうが圧倒的に重要なのだ。代わりに対人を避けている節さえあるほどだ。

 やはり、彼は人間が好きなのだ。


「改めまして……この4月から、修桜大学社会科学部行動経済学科で学びます。先生の後輩です」


「私はもう社会科学部4年になるから関わり無いんだけど。心理学科だし」


「そこは、興味の範囲と年齢差ですよ」


 テキトーな言い訳も大目に見てくれた。それよりも気になることがあるらしい。


「受かって嬉しいところ悪いけどさ、実際問題、なんでうちの大学なんだ? 国立理系なら十分ほかのところ目指せたよな?」


「行動経済学をやりたかったんです。ユーザと長期的な友好関係結べたらいいなって」


「……ユーザって、もしかして私のことか?」


「ご明察です!」


「……。だとしたら、まず先生呼びをやめようか。学外の公共の場で先生って呼ばれるのなかなかの羞恥プレイだし、もう君は私の生徒じゃあない。そもそも、自称生徒につきまとわれている哀れな大学生だ」


「それなら……師匠はいかがです?」


「悪化した。友好関係結びたいと言ってから30秒も経っていないのに」


「だって、先輩要素がないじゃないですか」


「後輩を名乗るなら先輩が正当では?」


「……いや、先輩感を育ててから言ってください」


「そんなに? 先生とか師匠とかは有りなのに?」


「じゃあ、そのうち良いのあったら変えておきます」


 しばらく不満そうな眼差しを向けれたが、満面の笑顔を返した。やがて諦めた先生はひとつため息をつくと、居住まいを正した。



「改めて……よくがんばったね。おめでとう」


「はい。ありがとうございます、シラカワ先生」

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