第2章【この世界に来たばかりなのに魔法を使いこなして申し訳ありません】2
第2話【自己紹介】
朝。
この世界でも太陽は東から昇り、1日が始まる。
農夫達の朝は早い。
女達が朝餉の支度をしている間に、農夫達はその日の仕事の準備をする。
農機具を磨いたり、狩の準備をしたり、農耕馬の世話をしたり。朝餉を済ませた後にいつでも仕事に出られるよう準備しておく。
“朝飯前” とはそういうことだ。
どこかの世界の文明大国のように、婦人だけが早起きをして、全自動の洗濯マシーンが前日の汚れた衣服を洗っている間に朝食と弁当作りを済ませる頃、ようやく寝起きのボサボサ頭をボリボリ掻きながら眠そうな欠伸とともにおはようと起きて来る男たちとは違うのだ。
『お、おはよう…ございます。あ、ほら、みゆちゃんも』
『おはよーございますっ』
カーズがアリルの用意した朝食を食べ終わり、朝食前に準備しておいた春野菜の収穫用のカゴと、しっかり磨いた野菜を刈り取るための鎌を持って出掛けようとしたその時、奥の部屋の廊下へ続く扉が開き、ボサボサ頭の少年と、同じように髪が跳ねまくった幼女が手を繋いで起きて来て、ニホンゴで挨拶をする。
「おはようレン、おはようミーユ」
「おはよう、レン、ミーユ。思ったよりよく寝たようだな。アリルが朝食を用意しているので食べるといい。昨日も何も食べずに寝てしまっただろう」
アリルの朝の挨拶も、カーズが気を使って朝食を勧めてくれたことも、言葉が通じない2人は何を言われたか全くわからず、ただキョトンとしている。
レンもミーユもこの世界がまだ2日目で、言葉も習慣も全くわからない。
だから、カーズの言葉に何も反応せず、部屋に入って来たそのままで、ボーっと突っ立っている。
古風な和名が呼びにくいだろうと気を使った蓮次郎は、自分のことを「レン」と名乗った。また、幼児らしい間延びしたみゆの名乗りも、彼らには「ミーユ」と聞こえたようでそう呼ぶ。
『れんにいちゃん、おしっこ』
『えっ?えっ?オシッコって…え、ちょっと待って!!』
そして、レンたちは元の世界の生まれ育った国の言葉 “ニホンゴ” で会話するので、2人だけで話をしていると、アリルもカーズも内容がわからない。
ただ、雰囲気で伝わる事もある。
レンの焦る姿と、ミーユが前を抑えてモジモジするのを見て、アリルはトイレだと気付き、急いで外に連れて行った。
農家のトイレは外にあるようだ。
レンは、自分もトイレに行きたくなり、アリルの姿を見失ってはトイレの場所がわからなくなると思って、慌てて玄関へ走る。
が、レンは玄関の手前で一旦止まり、そっと一歩足を前に出してから一拍遅れて身体を出し、外へ出て行った。
その不思議な動作に、カーズはレンが知らない家で用心深くしているように思えた。
トイレへ行ったあと手を洗い、2人は朝食の食卓へ通された。
「レンも、ミーユも、手を合わせて」
カーズが出掛けるのを見送り、アリルもレン達と同じテーブルに着く。
食事前の礼儀だと、2人に合掌をして見せ、同じようにしろと促した。
2人とも戸惑うことなく自然な流れで合掌したのを見てアリルは驚くが、驚いたのはレンも同じだった。
まさかの異世界とニホン、言葉こそ違うが、「いただきます」の文化が同じだったのである。
「アリル姉!!おはよー!!」
3人が朝食を食べていると、外で馬の嗎が聞こえたかと思うと、勢いよく玄関が開いて、元気のいい若い女性の声が響く。
「来たぞー」
その後から聞こえた男の声は、レンとミーユも聞き覚えがあった。
「あら、ミルク、ミッツ、早かったのね」
手前にいる方が小さく見えて、遠くにいる方が大きく見える、遠近法のおかしい男女がやってきた。
大きな熊のような男は、昨日レン達を森で保護し、カーズの家へと連れて来たミッツ。そして、小柄な──この世界の女性はまだアリルしか知らないレンから見て、自分より少し目線の低いアリルよりも、もう少し小さく感じる──若い女は彼ら兄弟の末っ子長女、19歳のミルク。
昨日カーズ、アリル、ミッツの3人で話し合っていたように、本家であるカーズの家に2人揃って朝からやって来た。
馬の嘶きが聞こえたということは、昨日乗って来た荷馬車で来たのだろう。
「兄貴にはそこで会ったぞ。アークとマーサーもひと仕事してから来るそうだ。昼前にはみんな集まるだろう」
農家の広い玄関で、矢筒と弓を下ろしながら言うミッツ。
「ねえねえ、ニホンジンの子は…かぁ〜わいい〜!!」
靴を脱ぎ捨て喧しくドタドタと上がり込むのはミルク。
アリルより背は低めだが、女性らしいボディラインがこれでもかと強調された体型をしており、その最も女性らしい部分が、慌ただしく動くことでユッサユッサとしているのを気にも留めずに食卓へ駆け寄る。
そして、朝食を口いっぱい頬張ってモッキュモッキュと食べる幼女に、ミルクはキュン死にした。
「2人とも、朝食は済ませたの?」
「俺は…」
「まだー!!アリル姉、なんかある?」
「狩に行く前に済ませた」
こんな朝っぱらから狩に行って来たミッツと、朝から兄宅を訪ねるついでに御相伴に預かる気まんまんの末っ子ミルク。
「ガルダが2羽獲れたから、外で吊るして血抜きしている。昼に間に合えばなんかしてやってくれないか」
「ミッツ、ありがとう。ミルク、あなたこの秋には結婚するんでしょ?もうちょっと落ち着きなさい。ガルダの下拵え手伝ってくれるなら、朝食食べていいわよ」
「やったー!!アリル姉大好き!!」
突如現れたハイテンションの女に、ただでさえ言葉がわからないレンは戸惑い、意味もなくキョロキョロし、ミーユは無言で朝食を食べていた。
ちなみにガルダとは、レン達のいたニホンで言うところの鴨によく似た姿の鳥だが、羽を広げると1.5〜2mほどになる、この世界の猟師にとってはポピュラーな獲物だ。
「ニホンジンは大丈夫そうだな。じゃあ俺は兄貴の手伝いでもしてくるよ」
「ありがとう、ミッツ」
森の中で見つけ、自分の手で保護したからだろう、ミッツはレンとミーユを気に掛けていた。
また、昨夜ミーユが荒れた様子も直接知っている。2人が落ち着いて朝食を食べている姿に安堵したところで、外仕事へと向かったようだ。
「名前は、なんていうの?」
レンとミーユの向かいに座ったミルクは、遠慮なく朝食を食べながら2人に名前を訪ねたが、当然2人は意味がわからず、首を傾げて「ワカラナイ」アピール をする。
「お兄ちゃんがレンで、妹がミーユよ」
レン達が名前以外の自己紹介を出来ないため、2人はここでは兄妹だと思われているようだ。
確かに、ミーユはレンの従姉妹の子供なので、一応血の繋がりはあるが。
「昨日ミッツが連れてきたばかりだから、まだ言葉がわからないみたい」
「そっか、親父も最初は言葉がわからなかったって言ってたもんね。レン、ミーユ」
2人の目をそれぞれしっかり見て、名前を呼ぶミルク。
当然、自身の名はわかるので、名前を呼ばれた2人はミルクの方を注視する。
ミルクは自分の胸に手を当てて
「ミルク、よろしくね」
と言った。
けっしてその豊満な双丘からミルクを絞り出して見せようというわけではない。ただの自己紹介だ。
「ミルク?」
「そうミルクよ」
ミーユが「ミルク」を名前だと理解して反芻すると、ミルクは満足そうな笑顔で答えた。
もちろん、レンもミルクが名だと理解できたが、元来のコミュ障っぷりで言葉に出すことはしなかった。
「ミーユは…あ、わかんないか。ミーユは何歳なの?」
一旦ミーユへ話しかけようとして、言葉がわからないことに気付き、アリルへと視線を変えて尋ねた。
「まだ言葉がわからないから聞いてないけど、たぶん5〜6歳ぐらいじゃないかしらね」
「そっかぁ、こんな小さいのに、全然知らない世界に来ちゃったんだよね。大変だね」
心配して情をかけてくれるミルクの言葉も、2人にはまったく意味が届かない。
『れんにいちゃん、ミルクおねえちゃんなんて言ってるの?』
『うーん、ごめんねみゆちゃん。僕にもよくわからないよ』
『そっかぁ』
そして、ニホンゴで話す2人の会話も、アリルとミルクには伝わらない。
「あ、そうだ。そういえば昨日ミッツがあれを使って上手く話を聞き出していたわ」
パンッと手を打って席を立つアリル。すぐに何枚かの木板と木炭の欠片を持ってきた。
「昨日ね、この子達がとても困った顔をしていて、察したミッツがこれを持ち出して来てくれたのよ」
そう言いながら、アリルは木板に何かを書いてレン達に見せた。
それを見たレンはびっくりして息を呑み、ミーユは知っている言葉だったので、それを声に出して読んだ。
『じゅーきゅー?』
そこには、レン達もよく知るアラビア数字で “19” と書かれていた。
言語が違うため、使う文字も当然違うと思っていたレンは驚いて、幼さ故にそこに疑問を抱くことのないミーユは、日本語でそれを読み上げたのだ。
「ミルクは19歳よ。で、私、アリルが…」
アリルが木板にガリガリと木炭の欠片で字を書いて見せると、またしてもレンもミーユも見慣れた数字で、25と書かれていた。
もしかしたらジョージが教えたのだろうかとレンは思った。
それとも、もっと昔に来た “異世界人” が広めたのか。
「よかった、本当に伝わったわ。カーズが、数字だけはニホンジンと同じって、ジョージさんが言ってたって」
「ああ、そういえば言ってたかなぁ」
レンには真相は伝わらなかったけど、どうやらジョージが教えたものではなかったようだ。
アリルは、レンに木板を渡す。
たぶん、自分たちの年齢を書けということなのだろうと察したレンは、アリルから木板と木炭の欠片を受け取ると、数字を2つ書いて見せた。
「レン、ミーユ」
名前と同時にそれぞれの数字を指し示すと、アリルもミルクも頷く。
「レンが17歳で、ミーユが6歳か。レンはもっと子供に見えたなぁ」
レンの引っ込み思案な性格故か、同じ世界の別の国に行っても幼く見られる日本人の特性故かはわからないが、ミルクにはレンは年齢よりも幾分幼く見えたようだ。
「そうね、成人しているとは思わなかったわ」
アリルもまた、レンを年相応とは見ていなかったようだ。
アリルが言うように、この世界では17歳はすでに成人として扱われる。
16歳で成人扱いされるこの世界では、17歳は男性ならば1人でも狩りに行き、親から農地の一部を譲り受けたり作業分担による責任ある仕事を与えられる。女も一通りの家事をこなせるようになり、中には結婚し子供をもうけている者も珍しくない。
言動に甘えん坊の末っ子らしい幼さを感じるミルクでも、花嫁修行は完了していると言っていい程には家事も農業も習得済みだ。
兄や義姉の前だからこそ、この甘えた末っ子らさが全開になっている…ということにしておこう。
他に木板を使って伝えられることはないかと、アリルとミルクが相談していると、レンが『あ、そーだ』と言って木板に何かを描き始めた。
暫く考えながら2つの絵を描いて見せたレン。
2つとも人の絵が描いてあり、1つは直立した人間が片手を横に出し、そこから炎のようなものが吹き出している絵。
もう1つは、万歳のように両手を広げている人間の背景に、左上から右下にかけて弧を描くような線が3本と、同一方向に斜めに傾いた木が3本描いてある。
その絵をアリルとミルクに見せて、レンは炎のようなものを手から出している人物を指して「レン」と、万歳している人物を指して「ミーユ」とだけ告げた。
暫く2人はその絵をじっと見つめて考えていたが、何かに気付いたアリルがハッとしたような顔をして、レンの方を見た。
「もしかして、魔法!?」
昨日、ミッツが「たぶん、男の方はもう魔法が使える」と言っていたのを思い出したのだ。
アリルが言った言葉はわからなかったが、アリルの表情を見て伝わった気がしたレンは、右の掌を上に向け、小さく『ファイヤー』と唱えた。
ボッと、15cmぐらいの高さの火が灯り、一瞬で消えた。
アリルとミルクは、驚愕し目を見開き、そんなに驚かれると思っていなかったレンは、何かとんでもないことをしてしまったのじゃないかと縮こまってしまった。
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