麻酔の効きが悪い霊
天井の灯りが部屋と違っていた。昆虫の複眼のようだ。
手術台の上…………に横たわっているらしい。
手元に影ができないよう考慮された照明だと、医療ドラマで観た気がする。
声が聞こえる。
「常用薬のせいで麻酔の効きが……」
看護師だろうか。
「だな……」
こちらは医師か。
ふいに身体が宙に浮いた。天井の複眼に近付いていく。仰向けのまま押しつけられる、と思った。
捩っても身体が動かない。頭が重い。後頭部がじんじんする。
照明に向かっているのに視界が暗い。闇がどんどん濃くなる。
天井にぶつかる手前で身体は止まった。
丸い眼の集まりの代わりに視界を覆ったのは、一面の市松模様。迫りくる、白黒白黒の四角だった。
「嫌だ」
失神しそうだと思った途端に、無数の正方形は平行四辺形に間延びして、ぐにゃりと曲がった。
ガツンと頭を下に打ちつけられた気がする。
宙に浮いているのに。
するとモノトーン模様は黒い濁流に変わった。視界右手に滝のように落ち、飛沫を上げ渦巻き、斜め左に流れ去る。
「呑み込まれる!」
逃げようにも身体が動かない。
流れは脳内に熊手で引っ掻いた如くの軌跡を残す。
痛みはないのに昔のテレビの砂嵐画像のように重苦しくて、このままではいけない、逃げなきゃという思いが充ちる。
モノトーン動画の中に、赤い点があった。
必死で目を凝らすと像を結ぶ。
だんだん大きくなる。
赤い着物を着た、女の子だった。
髪はざんばら、顔は見えない。ぼろ雑巾のようなぬいぐるみを抱えている。
働かない頭を巡らせて、あの着物は母が雪のお正月に着せてくれたお気に入りだったことを思い出す。備後絣の揃いの羽織がなぜか誇らしくて。
そして腕の中のぼろ雑巾は、元は白うさぎだったと思い当たる。
遠い昔の自分の姿か……。
声がした。
「おかあさん……」
「え?」
しばらくの間、意識を失っていたと思う。
頭で響いていた動悸が薄まったかと思うと、看護師が私におむつをあてがっているのが感じられた。
「動かないで、こちらに任せてください」
事務的な物言いは、麻酔から醒めかけた私が鬱陶しいようだ。
常用薬のせいで麻酔の効きが悪い。
常用薬のせいで五体満足でない可能性がある。
薬を止めると発作を起こす。自分の身体もままならないでしょう?
全ての罪を常用薬のせいにして、私は自分の意志で、手術台に上がったのではなかったか。
「おかあさん……」
目が覚めたら自宅のベッドの上だった。
あの声は、今も私を許していない。
―了ー