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かさぶた甲虫 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふ〜い、ようやく机の解体完了! これを運び出す作業も入るんだから、力仕事っていうのは本当に手間がかかるもんだ。

 こいつらも次なるお役目を待って、また組み立てられるわけだよねえ。なんだか、出来上がったものをばらすっていうのは、抵抗ある人間なんだよなあ、僕。

 そりゃパーツに分解しないと、持ち運びに不便なことはわかるよ。だが、曲がりなりにも一度は完成を迎えたものだ。その形をなくしてしまうのはもったいない気がしてしまう。

 しかし、そうなると解体や修繕を生業とする人に大打撃だ。物は傷み、壊れてしまうからこそ、それが新しい利益を生み出すきっかけたり得る……諸行無常の響きありって奴かな。

 元の状態、もしくはそれ以上に良い状態へ整えるためのステップ。生活していく上で、裏に表に、問題として横たわる一要素だ。それをめぐって僕自身も不思議な体験をしたんだけど、聞いてみないかい?


 僕が幼稚園の年長に上がった時期。ちょっと遊びが過ぎて、頭を強くぶつけたことがあってね。頭皮にかさぶたをこさえてしまったことがあった。

 頭頂部から見て、ややおでこより。手でなでてみると、かすかにへこんでいる箇所。そこにざらりとした手触りのかさぶたがあるんだ。ちょっと爪を立てると、ぴりりと痛む。

「嫌なところをケガしちゃったなあ」と思いながら、俺は頭からシャワーを浴び、シャンプーをなじませていく。できる限り、そこへは触れないようにしながらだ。

 けれども、だいぶ気をつけたにも関わらず、幼稚園の園帽を取ってみると、内側に小さな赤い欠片が転がっていることがあったよ。日に日に、欠片の赤みには黒いものが混ざってきて、僕にとっては気持ち悪い限りだった。


 人にこのことを言うのも、なにか違う気がして黙っていたんだが、ちょうど幼稚園の同じ組に、かさぶたをしょっちゅうはがしている子がいたんだ。

 走ることと、虫を捕まえることが好きだった彼は、鬼ごっこをすると、追う側か追われる側かを問わず、たいていすっころぶ。しっかり手をついているから、主に被害を受けるのは彼の手のひらか膝小僧だった。

 そのたび、先生が教室の中に備え付けている救急箱で、手当てをしてくれる。さすがに消毒される瞬間は痛むらしく、彼は歯を食いしばっていたよ。


「傷がとがめるといけないから、しばらく触っちゃだめよ。かさぶたになった後でもね。自然に取れるまで、待ちなさい」


 先生からのお達しがあるけど、数日後に彼はさっそくそれを破る。先生の目がないところで、ひまを見つけては膝小僧にできた紅色のかさぶたをコリコリ。

 日焼けした皮をむくのと同じような感覚で、端からペりぺり、ひとつなぎになるようむいていく彼。その下の治りきっていない傷からは、また血の山がぷっくりとふくらんできた。


「それ、痛くないの?」


 当時の僕も、大人のいうことよりも、自分の五感優先の人間。己の頭にも同じものができているだろうことを思いつつ、率直な感想を口にした。


「そりゃ、ちょこっと痛むけどさ。かさぶたって、いい餌になるんだぜ」


 にやりと笑う彼。


 ――餌? 餌っていったよね? 魚釣りにでも使うの、こんなもの?


 僕は、彼がはがしたかさぶたを見やる。消毒の際に傷口にくっついた、脱脂綿のものと思しき細かい毛がところどころにくっついて、重力のままにおじぎをしていた。


「興味があるなら、明日の自由遊びの時間に、飼育檻の裏手に来なよ」


 彼はそう誘ってきたんだ。


 僕の通っていた幼稚園は、園内の北側に飼育用の檻がある。小屋っていうレベルじゃなくって、上下左右が金網で囲まれ、サルを初めとした動物を飼っている。動物園の一部をそっくりそのまま間借りしてきたようなスペースだった。

 キイ、キイと檻の中で動物たちがわめくのを聞きながら、僕たちは檻の裏手に集まっていた。正門からも校舎からも見えないこの位置は、一応、中央の広場と道がつながっているんだが、園児たちが時折、秘密の集まりをする時に使っている。

 そこで彼は、割りばしと、その先に結んだタコ糸。そして垂らした糸の先へ例のかさぶたの破片をぶら下げるという、おおよそ僕が予想していたスタイルで待ち受けていた。


 ここと金網は隣り合っていて、割りばし程度の細さであれば、網目と網目の間から入り込むことができるだろう。おあつらえ向きに、飼育している動物たちが使う水たまりも、割りばしが届く位置にある。

 けれども彼は、僕に少し離れているように指示を出したかと思うと、自分は割りばしを握ったまま、ぴんと右腕を前方に伸ばし、そのまま直立不動ときたものだ。

 ときどき吹く風が、かさぶたをくくった糸をゆするが、彼自身は動かない。「何を待っているの?」と尋ねかけると、彼は黙って左手の人差し指を口の前で立てる。

「静かに」ということだ。僕は退屈そうに腕を組みながら、時間の流れるがままに任せていた。


 ふと、ここまで動きを見せなかった彼の首が、くっと右手を向いた。そちらは金網を挟んで檻の内側が広がっている方向。僕もつられてそちらを見やる。

 金網の外側すれすれを、羽ばたきながらこちらへ飛んでくるものがある。親指と人差し指で作る輪の中に入ってしまうほど、体は小さい。

 友達の下げる割りばしにぶつかるギリギリで、物体は急降下。あのかさぶたにぶつかったかと思うと、一気に直進。たこ糸を強く引っ張りながらちぎり、僕の顔へ一直線。

 思わず顔の前に手のひらの壁を張る。物体は僕の小指をかすめつつ、わずかに減速しながら、背後へ飛び去る。振り返った時には、すでにここからわずかに見える校舎の屋根より高く、空へ舞い上がっていくところだった。

 僕がぶつかった指の先を見ると、赤い血がついている。けがをしたわけではなく、蚊をつぶした時のように、外側から付着したものだ。友達が「大丈夫だった?」と声をかけてくる。


「あれはね、かさぶたを集める虫らしいんだ。じいちゃんが言っていた。

 かさぶたって放っておくと、いつの間にかはがれてなくなっちゃうでしょ? そのはがれたものを、あれらが集めているんだってさ。

 けれどまれに、自分から人にぶつかって傷をつけさせ、かさぶたができたころに再び現れると、今度はぶつかりざまにかさぶたをとっていく……なんてこともしているらしい」


 それを予防するには、こうしてこちらからかさぶたを用意するのがよいとも、友達のじいちゃんは話していたらしい。


 得体のしれない虫と、予防する者の存在。それを知って、にわかに興味が出てくるお年頃だった僕は、さっそく準備に取り掛かる。

 これまでは恐る恐る触れていた、頭のかさぶた。今やそれは、僕のわくわくへ直結する、少々刺激的なきっぷに過ぎなくなっていたんだ。風呂場で音を立てながらかさぶたを削り、戸から手を出しては、そばに置いてある洗濯機の蓋の上に、かけらを置いていく僕。改めて目にすると、手で触れていた感触よりもずっと小さくて、いささかがっかりした。けれど、どうにか友達と同じような細工が作れそうだったよ。


 件の準備をして、部屋のベランダへ躍り出た僕。その晩は春めいてきたとはいえ、やけに生温かい空気が漂っていた。

 立ちんぼは味気ないと、優雅に折りたたみ椅子を用意し、それに腰かける僕。けれども腕と割りばしは、あの時の彼と同じ。ぴんと前に伸ばして、かさぶたを餌に糸を垂らしていたんだ。

 あの時は傍から見るだけな上、目的も分からなかったから退屈の極み。でも今は当事者かつ、楽しみを待つ身だ。ほとんど同じ時間の過ごし方なのに、胸の高鳴りは段違い。


 やがて僕の耳に、昼間も聞いた羽ばたきの音が、遠く響いてきた。あの時に友達が首を向けたのも、すでに経験があってのことだったからだろう。

 僕も近づいてくる音の根源へ、顔を向ける。明かりは用意していなかったものの、夜の闇の中でも不思議と、その茶色い胴体ははっきりと区別がついたんだ。

 カブトムシ、と僕はようやく判断でき、その時には、昼間見せたような動きで、奴はすでに僕の目の前を横切って、糸の先からかさぶたを強奪にかかっていた。割りばしごと持っていかれそうな感覚を覚えたよ。


 その僕の肩をちょんと、突然、誰かの指が触ってきた。

 振り返ることはしなかったけど、あの時、僕は締め切ったベランダの窓を背にしていて、そこに人が立つことのできるスペースはなかったんだ。窓を開けた気配もしていない。

 カブトムシはというと、糸が切れた後、そのまま飛び去っていくかと思いきや、急に方向を変えて、また昼間のように僕の顔へ。まさかの動きに、今度はガードができず、いすごと横倒しになりながら、カブトムシをよけた僕。ベランダに倒れつつ、奴の方を見て、思わず息を呑んだよ。


 窓と、先ほど僕の肩があった場所の、わずかなすき間。そこから一本だけ、指が浮かんでいたんだ。

 人差し指の第一関節まで、という本当に短いものだったけど、そののぞいている部分と同じくらい、長くて紫色をした爪が伸びていたのを覚えている。

 その爪先にカブトムシが停まると、指は驚いたように、本来なら指の持ち主がいるであろう方向へ引っ込み、見えなくなってしまう。

 指がすっかり見えなくなってからも、カブトムシはその場で羽ばたきながら対空。角の先へ引っ掛けていた僕のかさぶたを、指が消えたところへ塗り付けるように何度も突き出し、やがてベランダの外へ飛び去ってしまう。

 その時、僕のかさぶたはすでにカブトムシの角にはくっついていなくて、ベランダのどこにも、不思議と落ちていなかった。

 もしかしてあのカブトムシたちは、あの指とかが出てきかねない世界の傷を、僕たちのかさぶたで埋めて回っているのかもしれない。



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― 新着の感想 ―
[一言] イダダダーーーーーッ! いました、いました。かさぶたが出来たそばからはがしていく子……。 あの虫さんが自ら人に傷をつけさせないといけないほど、あの世界の傷口があちこちで開いているということな…
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