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第四幕 笛の公達

秋深まってきた日のこと。

火鉢に手もかざさぬ蛇法師を見て、清森は言った。

「蛇法師、お前は寒暖をまるで感じぬようだの」

「そんなことはございません。蛇は寒さに弱いもの」

「鬼も寒さに弱ければな…ところで、藤原寄道は知っておるか?」

「謹慎が解け、最近都に戻られたとか」

「左様。女を巡って帝のお怒りを買い、左遷されていた寄道だ。あの寄道がな、別人の様だというのだ。女に目もくれず、品行方正の堅物になってしまった」

「善いことではございませんか。流された地で、きっと内省されたのでしょう」

「それだけではない。先だっての宮中の儀式で笛を巧みに吹いたのだ!寄道はうまく隠しておったが、わしは知っている。あいつは笛だけは聞くに耐えない腕だったはずだ」

蛇法師は少し息を呑んだ。

「『笛吹き鬼』に寄道様が憑かれていた場合、ホウイチは使えませんね」

「ああ。蛇法師よ、ホウイチに悟られぬよう茂森に言い含め、笛吹き鬼を葬ってくれ」

「分かりました」

「さて、これから後白川帝の酒宴に付き合わねばならぬ」

「流石は清森様。それは大変名誉なことです」

「ふん、帝が長々と歌う今様に、延々と付き合わされるのだぞ? 至極難儀じゃわい」

うんざりした顔の清森を宥めた後、蛇法師は清森の屋敷を辞した。

    *   *   *

密談を終えた蛇法師は、茂森の屋敷を訪れる。

出迎えてくれた茂森に、蛇法師は清森からの文を渡す。文を読んだ茂森は蛇法師に尋ねた。

「なぜホウイチ殿ではなく、私にこの鬼を倒すように仰るのか。それも、ホウイチ殿に知られてはならぬというのはなぜですか?」

「もし知ろうとするならば、一つ、約束していただく必要があります。ときが来たら、ホウイチをその弓で射殺してください」

「ホウイチ殿を殺す?!」

「殺せないのならば、話せませぬ。どうか何も聞かず、『笛吹き鬼』を討ち取ってくださいませ。貴方ではなく、ホウイチが『笛吹き鬼』を討ち取ってしまった場合も、ホウイチは死ぬ定めにありますゆえ…」

茂森は蒼白の顔で蛇法師を見た。蛇法師は、応えの無い茂森に暇を告げ、去っていく。

残された茂森は一人思い悩む。

茂森は拳を握り締めながら呟く。

「私には、ホウイチ殿は殺せぬ。だから、聞かぬ。何も聞かずに『笛吹き鬼』を討ち取ろう」

    *   *   *

蛇法師の訪問後、鬱々としていた茂森に、家人が嬉しげに文を持ってきた。

「茂森様、藤原寄道様からお招きが来ております」

「寄道様から?!」

「はい。なんでも、鬼退治の話を聞きたいとのこと。大変丁重な使いが来ました」

「寄道様…笛で評判が高まっている方だな」

「ええ! この機会に宮中で評判高い寄道様の演奏を聞かせていただいてはいかがでしょうか?」

「分かった。参ろう」

 茂森は思う。この眼で寄道が鬼かどうか見極めよう、と。二つ返事で承諾した。

    *   *   *

一方、蛇法師は檀家まわりを終えたのち、山寺に帰宅した。しかし、境内の惨状を見て絶句する。土蔵は崩れ、門扉は破壊されていた。

「これはどういうことですか?!」

 ぼろぼろに傷ついた僧侶が一人現れた。

「申し訳ございません。ホウイチが暴れまくりまして…」

「なぜです? 鬼はこの間狩ったばかり」

「それが、蛇法師様のご訪問先が茂森様のお宅だと知り、怪しんだようでして。私どもを脅迫して笛吹き鬼の居場所を吐かせようとしたのです」

 蛇法師は、剣呑な目つきで弟子を睨んだ。

「その程度ですんでいるところを見るに、吐きましたね?」

    *   *   * 

蛇法師の扇が、弟子の額を打った頃、茂森は藤原寄道の屋敷の前に居た。

貴人の屋敷内に弓を持って上がるわけにはいかない。家人に神弓を持たせ、屋敷近くに密かに待機させることにした。茂森は気を引き締め、一人、屋敷の門をくぐる。 

噂通りの美男・藤原寄道が、茂森を出迎えた。

絵師が描いたかの様に目鼻は形良く、笑う唇は優美の線である。金糸で菱の文様を縫い込んだ藍色の直衣。その光沢ある色合いは、寄道の真っ直ぐな立ち姿を際立たせている。顔ばかりか指先まで光るように白い。指には美しい飴色の笛を携えていた。

茂森は少々たじろいだ。美貌に圧倒されたのもあるが、寄道の悲しげな眼と、少し青白すぎる顔色が、薄く不吉な雰囲気を醸し出していたからである。

「茂森殿、今宵は我が屋敷にお越しいただきありがとうございます」

「こちらこそ、寄道様にお招き頂き光栄です。私の鬼退治にご興味がおありとか」

「はい、都に戻り、ご活躍の噂を耳にし、是非にと思いまして」

「少し意外でございました。風雅で有名な寄道様が、このような荒事に興味をもたれるとは、と」

 茂森なりに遠まわしに探りを入れた。寄道は、はにかみながら答える。

「実は、ある親しい方に都に出る鬼について書き送ったところ、ひどく恐ろしがられまして。『鬼が出るとは、都はなんと怖いところだ』と思われてしまったようです。その方に都に来ていただくには、茂森殿のご活躍を詳しくお伝えし、ご安心いただくのが一番だと考えました」

「その方は、寄道様の大切な方なのですね」

寄道の白い面が、さっと朱に染まった。浮名を流した貴公子とは思えぬ反応に、茂森は少し可笑しくなった。

「そこまでして都に来ていただきたいのは余程想う方なのでしょうね。宮中での笛のご評判を聞きました。恋する方を想って吹くからこそ、よい音色がでるのでしょうか」

「そうです! その通りなのです! 何を隠そう、この笛は赤石の姫君に頂いたもの! あの方を想うと肌身離せず、都に戻っても笛を吹いてばかりおりました」

寄道は激しく笛をかき抱く。その様にややひきながらも、茂森は言った。

「一曲お聞かせ願いたいものです」

「喜んで。この笛を吹いていると、姫が側にいるような気がするのです」

寄道は、胡蝶楽を吹きはじめた。軽快な明るい曲である。しかし、音はわずかに哀愁を帯び、妖しい美しさがあった。楽をあまり知らぬ茂森ですら、聞き入り、陶酔してしまう。吹き終えた寄道は、笛に頬をすり寄せた。寄道は遠い目をして語りはじめる。

「姫君は蝶の様な方なのです。山吹の花を染め抜いた着物を来て、桜の中に佇んだ姿など、まさに春の精としか言い様がない。いや、舞い降りた天女と言った方が言いかもしれません。なぜなら、その心ばえはまさに天人のようで……」

姫を讃える言葉はとどまることを知らなかった。茂森は「はあ」「それはそれは」「ほほう」の三語しか発言を許されない。この様な状態の者が笛吹き鬼な訳ないだろう、と強く思いつつ、茂森は寄道ののろけに耐えていた。

「茂森殿! 鬼退治の話を詳しくお聞かせ下さいませ! 私はその全てを書きとめ、姫をご安心させ、きっと都に呼び寄せましょう」

寄道は、いそいそと紙と筆を取り出した。ようやくのろけから開放された茂森はほっとし、話しはじめる。

「何からお話しましょうか。正直なところ、私は鬼退治がそれほど得意というわけではないのです。私よりももっと強い法師様が、この都にはいらっしゃいます」

「茂森殿よりお強い方がいらっしゃるのですか?」

「そうです。ホウイチ殿の法力には、百鬼も敵いますまい。その読経の声が空に響けば、大抵の鬼は逃げ出すでしょう。錫杖で地に描いた円環は不思議な力を持ち、錫杖を手に触れず操り、鬼を貫きます。私が射殺した鬼は死体が残りますが、ホウイチ様が倒した鬼は塵と化してしまうほどです」

「なんと、素晴らしい。ホウイチ殿の話を文に記せば、きっと姫もご安心くださる。もっとお聞かせください」

寄道にせがまれるまま、ホウイチの戦い様を語っていると、茂森は楽しくなってきた。そのため、屋敷を出たのは夜も大分更けてからのことであった。寄道の屋敷から出てくる茂森の姿を認めた家人は、神弓をかかえ、へなへなと崩れ落ちる。

「茂森様! 鬼に喰われてしまったのではないかと心配しておりました!」

「すまん、すまん。話が弾みすぎてしまってな。寄道様は思ったより話しやすい方だったのだ」

「本当に心配でしたのに! まあ、このお屋敷に鬼が居なかったのなら幸いでございますが…あ、ホウイチ様!」

 家人の視線の先、ホウイチが歩いてくる。茂森は呼びかけた。

「ホウイチ殿! こんな夜更けにお会いするとは! 鬼が出たのならご一緒します!」

「要らん。この鬼は俺一人で殺る」

 振り返ったホウイチの顔を見て、茂森はぞっとした。眼は釣りあがり、こめかみには青筋が浮き、憤怒をかみ殺すように口をきつく結んでいる。

「なぜ、そのような恐ろしい顔をしているのですか?」

「恐ろしい? いや、俺は愉しいんだぜ。最高にな」

 冷たく答え、寄道の屋敷の門をくぐろうとするホウイチを、茂森は慌てて引き止めた。

「ホウイチ殿、笛吹き鬼はここには居ません!」

 ホウイチの拳が茂森の腹を殴る。茂森の身体は大きく曲がった。だが、茂森は諦めない。

「笛吹き鬼がホウイチ殿には殺させません!」

 茂森はホウイチを羽交い締めにして無理やり引き止める。

「私は先程まで寄道様にお会いしておりました。笛を吹くのは、恋する姫君を思ってのこと。寄道様は笛吹き鬼ではございません!」

ホウイチの肘が、茂森の腹に入る。

「人に化けた鬼は、人には見抜けねぇ」

「グッ…それは、ホウイチ殿も同じはず」

痛む鳩尾を抱えながら茂森は言い返した。

「ふん。読経を聞いた鬼はその本性を現すんだぜ。どいてな」

ホウイチは走り出し、寄道の屋敷中にその声を響かせた。

「三世の仏たちはァ!智慧の波羅蜜によりィ!完全なる悟りを得るゥッ!」

ホウイチは走る邪魔となるもの全てに錫杖を当てていく。豪奢に彫りを施した屋敷の扉や、粋を凝らした庭園がホウイチの錫杖に次々と打ち壊された。使用人達の悲鳴が上がる。

「智慧の波羅蜜こそがァ!偉大な呪 明智の呪ゥ!至上の呪 比類なき呪ゥ!」

紅葉の散りきった庭先にて、ホウイチは笛を吹く貴公子の後ろ姿を見つけた。ホウイチは錫杖を振りかざし、経文を叫び続ける。

「全て苦を除きィ!偽り無きものォオ!」

貴公子が振り向いた。その顔は鬼の面である。

「智慧の波羅蜜の呪文を受けよ!!」

ホウイチは錫杖を繰り出したが、受け止めたのは鬼ではなく、茂森であった。

茂森は両手と右肩で辛うじて錫杖を受け止めている。掌は傷つき血が流れた。

「茂森!」

「させませぬ!!」

錫杖を外すや否や、ホウイチは茂森の顔を手の平で払った。茂森の身体はなぎ倒される。錫杖を振りかざしたホウイチは倒れている寄道に突き下ろすべく、握り直す。寄道は虛ろな目でホウイチを見た。その蒼白な顔を見て、ホウイチの動きは止まる。

「笛吹き鬼じゃ…ねぇ?!」

虚ろな表情のまま、寄道はすうと目を閉じ、気絶した。ホウイチは寄道の顎を掴み確かめたが、鬼の面は消え、元の貴公子の顔である。

ホウイチは呆然と立ち尽くした。茂森もその様を唖然として見ていた。彼らの耳に茂森の家人の声が聞こえてくる。

「茂森様ァァ!」

茂森に追いついた家人は、茂森にすがりながら震えていた。家人の視線の先には、鬼の姿がある。鬼は、紅葉の中に転がった笛を拾い上げた。二角蒼顔、引きずる白髪。纏った黄衣の形からみるに、女の鬼のようであった。笛手にとった鬼は紅く燃える眼で寄道を睨んでいる。

ホウイチは錫杖をゆすった。

「どうやら、笛の方に宿っていた鬼みてぇだな。紛らわしい真似しやがって」

ホウイチは怒気を漲らせた。

「打つな! ホウイチ殿!」

茂森は再び立ちはだかる。

「茂森! 鬼はそこに居る! なぜ止める?!」

ホウイチに応えず、茂森は鬼に話しかけた。

「鬼よ。お前、もしや、赤石の姫君か?」

「わらわは鬼じゃ。姫ではない」

「では、なぜ、その衣を着ている? 寄道殿は姫の衣の色も柄も細かに語っておられた。お前が着ているものと寸分たがわない」

「わらわは鬼じゃ!」

「では、なぜ、笛を取るときに、胡蝶の様に現れた? 寄道様が恋うていた姿は、きっとそのようであろう」

鬼は笛を取り落とし、はらはらと落涙した。

「わらわは鬼で、姫と偽っていた。寄道様と離れがたく、笛に憑いてしもうた」

鬼は音も無く、すうっと寄道に歩み寄る。ホウイチの錫杖が少し鳴った。が、それが降り下ろされることはなかった。鬼は倒れている寄道の前にひざまずく。その爪で皮膚を傷つけぬよう、手の甲で寄道の顔を撫でながら言う。

「寄道様、魔笛に削られ、こんなにやつれてしまった・・・」

鬼は振り向き、茂森に話しかける。

「わらわはこのままではきっと寄道様をとり殺す。しかし、わらわは離れられそうにない。頼む、その弓でわらわを射てくれ」

「鬼よ、寄道様はきっとそれを望まぬ」

「わらわは殺しとうない。そして、同じくらい離れとうない」

鬼は重ねて乞う。

「頼む、神弓の使い手よ。わらわは姫として消えたいのじゃ。寄道様に出会い、あさましき身が僅かに人の心を取り戻した。この心を失ってしまう前に消えたいのじゃ」

茂森は痛ましげに鬼を見、家人の手から神弓を取った。矢音が鳴る。飛んだ矢は鬼の喉を射抜き、黄衣の鬼は、バタリと倒れた。

ホウイチは鬼を見やり、数珠を握る。その唇から読経が紡がれ始める。

「往者よ、往ける者よ。彼岸に往ける者、彼岸に正しく往ける者、菩提へささげる……」

読経の声は鬼の身体に染み入るように響いた。射抜かれた場所から塵と化し、鬼の身体は風に溶けていく。

鬼が塵に溶け切ったころ、庭に伸びている寄道が呻いた。

「うぅぅ…頭が痛い。何故、私はこんなところに寝ているのであろう? なぜ、庭の灯籠が砕けている?! なぜ、襖に大穴があいている?! 柱にまでヒビがっ……茂森様、一体なにが起きたのですか?!」

茂森は冷汗をかきながら、屋敷を惨憺たるありさまにした言い訳をした。

「申し訳ございません、寄道様。ホウイチ殿の追っていた鬼がこの屋敷に入りこんでしまったのです」

嘘は言っていない、と茂森は自分を鼓舞する。美しい顔をひきつらせつつ、貴公子は鷹揚に答えた。

「お、鬼退治のためならば仕方ありませんね。しかし、ホウイチ殿はお話で伺っていた以上にすさまじい戦い方をされるのですなぁ…」

その言葉に、ホウイチは憮然として答える。

「鬼をタラシこむ奴の方が、よっぽどすさまじいわ」

寄道はキョトンとした顔で聞き返す。

「何のお話でしょうか?」

「ホウイチ殿!余計なことは言わないで下さい!!」

茂森はホウイチに耳打ちしてたしなめる。

「ホウイチ殿。真実を知らないほうが幸せなことがあるのです! 特に男女のことには!」

「俺は坊主だかんな。男女の機微なんざ知らん」

言い捨ててホウイチは立ち去った。

怪訝な顔の寄道に家人が文を届けてきた。

「赤石の姫君様からでございます」

文を広げ、食い入る様に読んでいた寄道だったが、やがて膝をつき、泣き出してしまった。

「ひどい! ひどすぎる!」

「寄道様、文にはなんと書いてあったのです?」

 尋ねた茂森に、寄道は袖を絞りながら訴える。

「姫君が、父君の意向を受けて縁談を受けられたのです……しかも、今度のお相手は私と違って一途だなどと! 私だって、姫には一途だったのに!」

茂森は傷心の寄道を慰めるはめになったのであった。

そして、休養で精気を取り戻した寄道は以前以上に浮名を流し、宮中の話題をさらった。『悲恋を思い出さぬよう、巧みであった笛を吹くことをやめてしまった貴公子』の物語は、多くの女性の心を鷲掴みにしたのだ。後日、茂森が見舞いに訪れた時、つややかな顔の寄道が、この様に語っていたという。

「愁いの風情がたまらないと言われて、もてすぎて困ってしまいます。失恋は男を磨くのですね」

その弁を聞いた茂森は、『魔笛にもっと精気を吸わせて置けば…』と密かに思ったのだった。

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