「虫の幽霊」と戦う方法
「虫の幽霊」と戦う方法
1、遭遇
私は最近変なものが見えるようになった、見えていると言って良いかどうか分からないが私には見えている。他人に言っても信じてもらえないと思うし、家人にでも言えば「ボケ」が始まったのではと思われるのが落ちである。しかし、私には確かに見えている「虫の幽霊」が、私はこの年まで「人の幽霊」すら見たことがないし、虫に幽霊がいるかどうかも分からないが、そうとしか思えないものが見えているのである。
私は定年を迎えとりあえず65歳までは非常勤の扱いで勤めを続けているが、出勤日数も少なくなり家にいることが多くなった。定年になったらあれもしようこれもやろうと思っていたが、いざなって見ると現役時代の気力・体力が急に衰えた感じで「ボケー」としていることが多くなった。考えればこれといった趣味もなく、忙しさのせいにしてなにもしていなかった。せいぜい「読書」が履歴書に書くための私の趣味である。読書が趣味と言っても書斎があるわけでもなく、机のおいてある部屋で机に向かったり、畳に寝ころんだりして本を読んでいる。新聞は広げて読みたいので、折り畳み式の足の付いたテーブルを窓の下あたりに置いて胡座をかいて読んでいる。たいがいはその続きで本も読み始める、これの良いところは疲れたらそのまま後ろに倒れて寝転がれ、眠くなればそのまま眠ってしまっても良いところだ。個人的には畳の部屋が好きで、日本人で良かったと思っている。(ただ、壁全面の備え付けの本棚、重厚な両袖机、高給革張りの座り心地の良さそうな椅子での読書にもあこがれがない訳でははい。しかし、私は大人であるない物ねだりはしないのである。)
土・日以外の休みの日、家族はそれぞれ仕事もあり自分たちの生活をしている。家に誰もいなくなる、食事をしたり掃除をしたり、新聞などを読んでいると、アットいう間に時間が過ぎて行く、本もしばらく読むと目が疲れてくる、窓から空を見上げ「ボケー」とし、そしてしばらくしてまた書面に戻るかそのまま後ろに倒れ込んで「ボケー」として「ウトウト」してくる、やはり「ボケ」が始まっているのかもしれない。
そんなある日のこと、家族はみんな出かけてしまい、家には私一人だけになりいつも通り新聞を読みその後読書を始めた。しばらくして、目の前の窓から空を見上げた。その日は曇り空で、窓全体に「ドヨンー」と灰色の空が見え窓ガラスに私の顔が写りそうな感じの日であった。「ボケー」と空を見ていると、向こう側からも「ボケー」と見つめている物がいる、逆三角形の頂点の下側に細長い口吻、三角形上側左右の頂点に黒い丸い目、「セミ」の顔がそこにある。何となく恨めしそうな目で私を見つめながら空中に浮いている。空中に浮いていると見えたのはそのセミが窓の網戸につかまっていたからである。私の家の網戸はグレー、そう曇り空と同じ色なので浮いているように見えたのである。私は「ボケー」とそのセミの顔を見ていた。セミも私の顔を見ていた。しばらくその状態が続いた感じがするが、どれくらいそうしていたのか分からないがいつの間にかセミは消えていた。これが始めて私が見た「虫の幽霊」である。
なぜ「幽霊」なのかと言えば、色がないのである。かと言って透明でもなく何となく「ボヤー」と存在している。我々日本人がイメージとしている「幽霊」の様に見えるので「虫の幽霊」と思ったわけである。
2、回想
始めて見えたのはセミの幽霊であったが、次がゴキブリでその次がチョウ、トンボと現れる様になった。ゴキブリなどは生前と同じように壁の縁伝いに移動しているだけである。近づくとそそくさとどこかの隙間に入り込んで逃げてしまう。逃げるくらいなら出てこなければ良いと思うのだが、なんで出てくるかは分からない。ただ何となく顔をよく見てみたい、見ればセミと同じような恨めしそうな顔をしているのではないかと思う。チョウは数匹で目の前をヒラヒラとんでいるだけで何の害もなさそうだ。トンボが一番目障りで、トンボは空中の一点に「ボヤー」と現れ停止している。そして、次の瞬間私の顔前にワープしてくる。わたしの目の前にきてあの大きな目で恨めしそうに見つめられると何となく、後ろめたく煩わしい。手で払おうとすると一瞬で消え、しばらくすると距離を取ったところに「ボヤー」と現れ、次のワープの機会を狙っている。
よくよく考えると、この4種類が幽霊として現れるのは何となく理由が分かる。チョウ、セミ、トンボは自分の子供の頃の大量捕獲昆虫ナンバー3である。ゴキブリは個人的には何の恨みもないが、親に言われ大量に虐殺した虫である。先のナンバー3も大量に捕獲して、たぶんそのほとんどを殺してしまったと思われる。虫たちから見れば大量虐殺者の私に恨みを持つのは当たり前のことだと思うし、恨めしそうな顔で出てくるのも理解できる。
自分が子供の頃は、春のモンシロチョウ、夏のアブラゼミ、秋の赤トンボはいくらでも捕れた。モンシロチョウは虫カゴがすぐに一杯になった。友達とどちらが多く捕ったか競っていた様に思う。捕った後どうしたかはよく思い出せない、今の大人の常識的な考えでは逃がしていたと思いたいが、捕っている途中に他の遊びに夢中になり、気が付けば夕方などと言うこともしばしばあり、さらに虫かごと網を忘れて家に帰ってしまうこともあり、その結果どうなったか、おわかりになると思うが、子供の頃は捕ることに興味があり、死んでしまった虫には興味がない死骸をそのまま草原にばらまいてお終い。その後死骸をあまり見たことがないから、多くがアリの餌になったのではないかと思う。
夏のセミはよほど高いところにいない限り見つければ捕まえる、ほとんど逃げられたことはない。手の届く範囲であれば素手でも捕まえた。この技を友達と競っていた、気配を殺し止まっている木にソット近づき、素早くセミの頭の上10Cmほどから手のひらを覆いかぶせる、せみが気づき飛ぼうとするがその方向に手のひらがあり難なく捕まえることができる。(60歳になったこの年齢になっても、この技は体が覚えていて先日公園を歩いているとき手の届く所にとまっているセミを見つけ、周りに人がいないこと確認して、試してみたがキチンと捕まえられた、もちろんのその場で逃がしたことを付け加えておく)
子供の頃は捕まえたセミは虫カゴの中、大量に捕獲したその後はモンシロチョウとそう変わらない対応だと思う。虫たちに恨まれても仕方がない所業である。そのうちの一匹が先日「ボヤー」と現れたのだと思う。最も多く捕まえたのが、アブラゼミであったから、アブラゼミの幽霊でないかと思う。確かに捕まったセミは「恨めしい」と思ったに違いない。土の中で7年間も過ごし、やっと地上に出てきて子孫を残すための楽しい時を過ごそうと思い頑張って鳴いていたところを、訳の分からない人間の子供に捕まって狭い虫カゴに入れられ、挙げ句の果て他の遊びにに夢中になり忘れられて死んで行く。タマッタ物ではない、私がセミでも化けて出て恨みの一言でも言いたいと思う。そうであれば出てきた理由も何となく理解できる。そう言えば幽霊が見えるのだが、そのセミの幽霊がどうなったか、何をしたかは覚えていない。「ボケ」が始まっているのだろうか。
秋は赤トンボ、これもウジャウジャ飛んでいた。草むらの上、土手の上など霞がかかったように群れていた。その中に走り込んでも顔や体には一匹も当たらない、素早くよけ一定の間隔を空けてホバリングしている。そのような状態で周りを見渡せば赤トンボだらけ、そこで捕虫網を振り回すのである、そうすると何匹かは網に入るこれを繰り返す。捕まえた赤トンボは虫カゴの中へカゴはすぐに満杯となる。その後はチョウやセミ達と同じ運命をたどる。しかも、赤トンボは午後、夕方に多く飛ぶそこで捕まえる。そしてすぐに帰宅時間となり家に帰り一晩そのまんま、次の日学校ならまだそのまんま、赤トンボの生存確率は限りなく低くなる。
さらに、トンボ達にとってとてつもなく悪逆非道な虐殺行為を行っていた。群の中に入り、捕虫網の代わりによくシナる細い竹の棒などを振り回すのである。そうするとピシ、ピシと手応えがあり、頭・胴・羽などがもげたトンボが地面に落ちるのである。人間の子供とは酷く残酷なことを平気で行える生き物なのである。今では絶対に出来ない行為であるが、あの頃は平気で行っていた。(このような行為は、私と数名の仲間内だけが行っていた行為だったのだろうか?全国に身に覚えのある方はお知らせ願いたい)今はただただトンボ達にお詫びをするのみである。何を詫びても許してもらえないと思うが、だから化けて出てきているのだろうか。
ノスタルジーに浸ってしまった。「虫の幽霊」の話であった。考えればこれだけ大量虐殺をしていれば、化けて出られても仕方がないと思う。セミは先ほど話したように、網戸に止まって恨めしそうに見ているだけである。ゴキブリは逃げ回り、チョウは顔の周りをヒラヒラと飛んでいるだけ。挑発してくるのはトンボだけである。今まではたいがい私一人の時にしか現れてこない。家人など他の者にはこの「虫の幽霊」は見えるのだろうか?他の者がいたとき現れたとして、その人が見えないとすると厄介である。私はジーット網戸の一点を見つめていたり、顔の前で手をヒラヒラさせている。この状態を他人が見たらどのように思うのだろうか、やはりボケが始まり意味不明な行動をしていると思われるのではないか。これ以上進みさらに変な行動をしている所を見られ、その原因が「虫の幽霊」がいるからなどと言ったら、家人はいよいよボケが始まったと思い痴呆老人の面度など見たくないと思うだろうし、加齢臭嫌い虫嫌いの娘などここぞとばかりそれなりの病院に入院させようと言いだし、家族会議でも開かれるのが落ちである。場の雰囲気に流されやすい長男などは当てにならない、多数決で負けてしまう女連合軍を前には勝ち目はない。
そうか虫たちはそれを狙っていたのか、ただ怖がらせるだけならもっと早い時期に現れても良かったはずである。しかし現れなかった、私の定年まで待っていたのである。定年まで家族のため、税金のためとアクセク働かせられ、やれ子供の学費だ、家を買えと小遣いをを減らされ趣味もなく、唯一の楽しみであるビールも発泡酒になりさらに第三のビールへと格下げされ、それでも我慢して働いてきた。そしてヤット定年になり、退職金で家のローンの残りを払い、退職金の僅かな残りと年金で慎ましい第二の人生を始めようとした矢先に現れ、ボケ老人にして施設に入れられ、自由を奪われ、唯一楽しみの第三のビールをも飲めなくする。なんと酷い虫たちの仕打ちではないか。
よし分かった、虫たちの壮大な狙いが、だからこの時期なに化けて出始めたのである。(誇大妄想としか思えないが本人はそう思いこんでいる。これらの妄想は総合失調症によく見られる現象であるが、本人はいたって真面目である。)
虫たちが何を考えているかが分かった。孫子も言っている。「彼知り、己を知れば、百戦して殆うからず」彼らが私の人生の有終の美を阻止しようとしている。狙いがそこにあるのならば何とでもなる。しかも、私は虫の生態には詳しいのである。子供の頃の私の愛読書は「昆虫百科事典」である。相手がその気なら受けて立つまでである。(「虫の幽霊」が見えることをおかしいと思っていないし、虫の狙いが分かったつもりになったりと、やはりボケが始まっているのかもしれないが、本人はいたって本気である。)
3、戦略
今日もいつもの休日の一日が始まった。家人はいるが一階で家事をしている。二階には私一人だけである。現れる条件は整っている。しかし、敵は大量虐殺した3種類だけだろうか?「虫連合」でも組まれると厄介である。その他の昆虫もアリを始めバッタやカブトムシなどかなりの種類を捕獲している。ハチなどは幽霊になっても刺すのだろうか?刺されれば痛いのだろうか。そうだとすると、ハチやムカデなどはかなり厄介である。スズメバチはそれほど関わっていないが、アシナガバチは家の軒先などにレンコンのような穴のあいた小型の巣を作っていて、その巣を壊し怒ったハチからダシュして逃げる、子供の頃の肝試し的な遊びをしていた。巣は落ちてしまうものや半壊状態で残るものもあったが、それらの巣は放棄される。女王蜂はどこに行ったんだろう。今考えると一匹で巣を作り始め働き蜂を増やし巣を大きくして行く途中で壊される。ハチにとってはタマッタものではない。アシバガバチの恨みをかっている可能性は大いにある。幽霊となってあらわれチクリと刺されたのでは勝ち目がない。痛さなど考えたくもない。(勝手に思いこみ、かなり気弱になっている。最初の意気込みはどうしたのだろう。これも初老男性の実体である。気力・持続力はかなり衰えている。)
しかし、戦いの火蓋は切って落とされた。戦略を立てねばならないそれに準備。捕虫網、殺虫剤もそろえなければならい。スプレー式殺虫剤はハエ・蚊・ゴキブリには効くらしいがトンボや・セミに効くのだろうか、より強力なハチ・アブ用をそろえた方が良さそうだメーカによるが10m以上噴射するものや、虫の行動停止成分を含むものある。こちらの方が安心である。待てよ、殺虫剤で死ぬのだろうか、幽霊なのだから死んでいる、それがまた死ぬのだろうか。網で捕まえられるのだろうか何となく幽霊なら素通りしそうな感じがする。寄せ付けないだけなら幽霊であればどこかのお寺のお札を貼ってみたり、天敵を置けばよいと思う、虫の天敵は虫や鳥である。待てよ一番の天敵は人間かも知れない。その天敵の人に向かって化けて出るとはどのような魂胆なのだろう、どのように戦えば良いのか考えていたら疲れたのでそのまま後ろにゴロンと倒れ込み、両腕を伸ばして大きく伸びをする。途端に首の筋がツリ慌てて首を横に曲げてツリを和らげる。(歳を取ると少しの動作でも、体のアチコチがツルのである)
その時である、見えたのである。白く透明の紐状の物が(日本語として、おかしな表現であるが、日本の幽霊のイメージで一番分かりやすい表現だと思う)横に向けた顔の目の前、畳の縁の所をアリの幽霊の行列が歩いている。アリは大量虐殺した覚えはないが、巣穴に漏斗で水を流し込んだり、2B弾を突っ込み破裂させたりはしたが、これらの行為は後になって分かったことだが、水は巣穴にそれほど入らず、2B弾も巣のほんの表面の一部を壊しただけで、大量には殺していなかったらしい。それでも現れたと言うことは「虫連合」が組織されたと見た方が良いようである。
子供の頃は、アリは台所などにどこからともなく入り込み長い列を作っていた。なぜこんな遠いところに餌があるのが分かるのか不思議である。それでも退治しなければならない。対処法は入り口を見つけだし穴を埋める。戻ろうとするアリはすべて殺し巣に戻さない情報を断つのである。その上で通路をよく掃除して匂いをを無くす。それでもアリは入り口を求めて次々来るので、入り口周辺の穴などもふさぎ殺虫剤をまいておく。出来れば家の外のアリの通路も破壊し巣が分かればこれも壊す。ここまでやればアリも家の中の餌まで関わっていられなくなり、家の中への進入を諦める。もしかすると個体が小さく、自覚していないがかなりの数を殺しているかもしれない。アリの幽霊の行列は壁からモワーッと湧き出てきて列を作り、私の顔の横を通り近くの柱の中へ消えて行く、試しに手を伸ばすと接触感覚はなくテンデンバラバラに消えて行く、でもしばらくすると列になって歩いている。私に心理的なプレッシャーをかけるのが目的らしい。心理戦に持ち込むつもりらしい。昔、駆逐艦とUボートの戦いを描いた映画「眼下の敵」を思い出す。私と虫の心理戦である。アリに関しては害がなさそうなので放っておくことにした。こちらは相手い無視する。「虫だから無視」などと、一人でオヤジギャグを言ってみるが面白くもない。
相手の心理状態を読みとり先手を打つ。勝ったも同然である。(虫に心があるかも分からず、心理戦と決め込み、映画の主人公になったつもりでいる。このような一方的思いこみも初老男性の特徴的な実態である。)
ここまで現れたのは、セミ、ゴキブリ、チョウ、トンボ、アリである。この5種類以外の虫はそれほど多く殺していないし、残虐行為をした覚えもないので虫連合に入っていないのではないかと思う。友人の中には先ほどの2B弾をカエルの肛門に挿して吹き飛ばしていた者もいたが、私はそこまではやらなかった。(アリの巣を2B弾で壊しアリを殺していたのだから五十歩百歩であると思うが)
ここで2B弾について説明しておこう。直径5〜7mm、長さ10Cmほどの紙を固めた筒に火薬が詰めてあり、頭の部分に遅延性の発火薬があり、これをマッチ箱の外側で擦って発火させると10秒ほどで爆発する爆竹のようなもので、当時1本1円程度で駄菓子屋などで売られていた。普通は戦争ごっこの手榴弾として使っていたが、先のカエルのようなとんでもない使い方や、発火させて友人のポケットに入れるなどの危険な遊びが流行り、やけどやけがが多くなり学校で使用禁止されるようになった。そのうち2B弾自体も消えていった。
ついでにこの頃の男子の必要アイテム、銀玉鉄砲にもふれておこう。これは当時の男の子はみんな持っていたし、戦争ごっこには欠かせないものであった。直径5mmほどの粘土を固め銀色に塗装した玉をバネの力でとばす銃で、せいぜい5mほどしか飛ばず、当たっても痛くなくこれを撃ち合うのである。私としては、この玉の代わりにダンゴムシを撃ったことがある。大きさが合うのを見つけるのも難しくそれほどの数ではない。確かめたこともないが撃たれたダンゴムシはたぶん死んでいないと思う。ダンゴムシはかなり丈夫である。
話を戻そう、恨みを持たれるベスト5が化けて出てきた訳である。この5種類は大量虐殺と言うことでこちらに非がある。「虫連合」が出来てスズメバチやムカデが出てくる前に戦いより話し合いで解決できないだろうかと思い始める。(初老期は持続力もなくなり、理由を付けて楽な方に進もうとするのも特徴である。先ほどまでのヤル気は何処へ行ってしまったのだろうか?)そんなことを考えつつ、ついウトウトしてしまった。気が付けば、アリは消えており、その日は何事もなく過ぎていくのであった。
4、戦闘
また次の休日、いつもの生活が始まり新聞を読み終えたところで考えた。いつ頃から現れたのだろうか、そう初めてみたのはお盆の時期だ、虫にもお盆があるのだろうか。始めにセミしばらくしてゴキブリ、トンボ。そしてこのトンボあたりから、虫の意図を考え始めた、幽霊であるなら問題はないのではと思う。日本の幽霊はただ現れて、相手を怖がらせるだけのものが多い。これがお化けや妖怪になると何となく物理的な行動に出るようである。
そもそも私は技術的な仕事していて、どちらかと言えば科学的な見方考え方をする。もともと幽霊などは信じていないし、60年間の人生でいままで一度も見たことはない。一度も見たことがないものでUFOもないが、どちらがありそうかと問われればUFOと答えるだろう。その自分が幽霊を見てしまった。しかもあろう事か「虫の幽霊」である。UFOより先に見てしまった。信じる信じないは別として、見えていることは認めざる得ない状況である。
まず考えなければならないことは「何故出てきたか」。普通の幽霊、これがどのようなものなのかは分からないがいるものとして、昔から「恨めしい」から出てくるようだ。その意味では虫たちを大量に訳もなく殺しているのだから「恨めしい」理由は分かる。次に彼らは「出てくることでどうしたいのか」。これも先に述べたように、私の残りの人生を台無しにして恨みを晴らしたいのか、ただ追善供養をし詫びればいいのか。そんなに甘くはなく、これからの子々孫々末代までたたるつもりなのか。「虫連合」でも組まれて祟られたらたいへんなこといなる。そんなことを考えていたら、ついウトウトしてしまう。そんな日々を繰り返していた。
とうとう家人に見られてしまった。いつものように新聞を読んでいたとき、トンボの幽霊が顔の前に現れ、追い払おうと手を動かしていたとき、不意に後ろから声がかかった
「蚊でもいるの、殺虫剤持ってきましょうか」
トンボに夢中で家人が来ていることに気づかなかった。しかも、家人にはトンボの幽霊は見えないらしい、いやトンボは私にだけ姿を見せているのかも知れない。いよいよ虫たちの私の痴呆老人施設強制入所計画が始まったらし。
「蚊がいるみたいだ、殺虫剤持ってきてくれ」
家人に悟られぬよう、何気ないそぶりで言い。殺虫剤を持ってこさせた。こんど現れたら
殺虫剤をかけてみよう。それで死んで落とせるようなら勝ったも同然である。家人が階下に降りたのを確認し、新聞を読むふりをしてトンボが現れるの待った。しかし、いつまで経っても現れない、私を焦らしているようだ。心理戦に負けるわけには行かない、殺虫剤で駄目な時どうするか、捕獲を試みるしかない。しかし、捕虫網など部屋に持ち込んだら家人にヘンに思われる。新聞紙か何か丸めて叩き落とすか、でもこちらを挑発して飛んでいるトンボを叩き落とすのはむずかしい。トンボを止まらせれば良い、トンボは棒の先などに止まる習性がある、これは雌と出会うために一定の範囲を自分のなわばりと定め、見晴らしのいい場所にある棒などの先に止まり見張りをするためだ。我が家を自分のなわばりと認識しているかどうか定かでないが、止まりたくなるような棒でも置いておけば止まりそうな気がする。そして止まった時に叩き落とせばよい、こちらは子供の頃から良く観察している。トンボの習性などはお見通しなのである。そんなことを考えていたが、その日もう現れなかった。
次の日も私は休みで、子供達は仕事、家人も町内の祭りの準備の手伝いで出かけた。家には私だけ「虫の幽霊」との一騎打ちには最適の状況である。家人が出かけると同時に行動開始する。まず殺虫剤、庭にあった細い竹竿、捕虫網はなかったので丸めた新聞紙を用意し、いつも通り新聞を読む準備をする。トンボが止まりたくなる細い竹竿を椅子にガムテープで固定し取り付ける、手の届く範囲に椅子を移動する。座っている所から手の届く範囲にすべてをセッティングして体や手の動きを確認する。あとは「虫の幽霊」が出てくるのを待つだけである。
新聞を読み始めてしばらくすると現れた。網戸にセミが現れた、始めての時と同じ位置にとまり、あの時と同じ「うらめしそう」な目で私を見ている。セミは久しぶりで何か懐かしさがこみ上げる。始めから戦意をそがれる登場である。殺虫剤をかけるにも網戸との間にあるガラス戸を開けなければならい、それまでジッとしているだろうか。とりあえず左手に殺虫剤を持ち立ち上がり右手でガラス戸を開け始めたとき、セミはスーット消えてしまった。戦闘はなく第一ランドは終了した。
セミが消えてしばらくは何事もなく、新聞など読んでいた。新聞の紙面から目を窓の方に向けたとき、そこにいたトンボと目があった。恨めしそうに私を見ている。ゆっくり右手を動かし指先に当たったのは殺虫剤であった。トンボに気づかれないように、指先で噴出口を確かめ頭部の押しボタンに指を添えて缶を握った。そして、次の瞬間目にも止まらぬ早さで腕を伸ばしトンボめがけ殺虫剤を噴射した。(本人だけがそう思っているだけで、かなり遅い動作である。これも初老男性の実体である。運動能力はかなり衰えている。)
しかし、トンボは消えていた。殺虫剤をかけられたから消えたのかその以前に消えてしまったのかも分からない辺りに殺虫剤の臭いが残るばかりであった。幽霊を物理的にどうにかするのは無理なのだろうか。いやいや弱気になってはいけない、まだたたき落とせるかも知れないし、物理的に駄目なら最終的には日本では古来から続くお札やお祓いもあ。お札はどこでなんと言って貰えば良いのだろうなどと考えていたら、急にオシッコがしたくなって来た。階下のトイレへ行くべき立ち上がり部屋を出て階段を降り始めたとき、不意に目の前にトンボが現れた。戦闘態勢に入っていた私は反射的にたたき落とそうとして腕を思いっきり振りはたいた、その手はトンボには当たらず階段の手すりを思い切りたたいてしまい、そのあまりの痛さに階段を踏み外しバランスを崩しながら滑り落ち階下の床に頭を思いっきりぶつけ停止した。先ほどの手の痛さに頭の痛さまで加わりその場にうずくまり痛さに耐えていた。しばらくして顔を上げ目をあけると、目の前にゴキブリがいてこちらを見ている。その目が瞬間笑ったように見えたと同時にスーットと消えていった。
あまりの痛さに戦意も喪失し「虫の幽霊」と関わるのはやめようなどと考え始める。何か和解の方法を考えて出てこないようにして貰おう。もともと非はこちらにあるのだから。
世の中の生き物は他の生き物の命をいただいて生きている。ある意味その食物連鎖の頂点に人間が立っているだけだ、自分自身も多くの命をいただいて今日まで生きてきた。私が死んだとして、今まで殺してきた命やいただいてきた命に見合うだけの価値はあるのだろうか。エネルギーで考えれば化石燃料を始め多くのエネルギーを消費してきている。その上生存のために必要のない多くの虫たちへの虐殺、それがその生態系に及ぼした影響はよく分からないが、何らかの影響を与えたのは確かである。さらに虫たちから見れば種の保存にも関わるべき行為で虫たちから「恨まれる」のは当たり前である。子供の頃の精神状態はどう思っていたか分からない。今考えれば虫たちに済まないことをしたと思う。あと残りの人生、10年になるか20年になるか分からないがお詫びをしていきたいと思う。(これも、2・3歩あるいてビールの1缶でも飲めば忘れてしまうかもしれない、だから今までの人生もやってこれたのだと思う。)
5、終結
階段転落から3ヶ月ほどが過ぎた。あの事件以来、虫の幽霊は一度も現れなくなった。
しばらく忘れていたが、「彼らはどうしているのだろう。」などと今朝、起きがけの布団の中で数日前から何となく重く感じられる頭で考えていた。
今日は休みの日で朝からいつものように新聞を読む用意をしていた、テーブルをセットしようと屈んだときその痛みは始まった、右側頭部に激痛である。その時は大したことはないだろうと、その場に寝ころび痛みが去るのを待とうとしたが何となく目もかすんできた、今までに経験したことがない感じである。家人を呼ぼうとしたが声が出せない、しばらくして家人が二階に上がってきたときは意識も朦朧としていて、何をどう話したかどのように一階に降りたかも覚えていない。しばらくして救急車が来て救急隊員に何か問われて話したようだがそれも覚えていない。
幸い近くの脳外科がある病院に搬送されCTを撮られて病名が判明した「硬膜下血腫」、緊急の手術とはならず入院して様子を見ることになったらしい。その時の説明も覚えていない。人生初の入院、絶対安静でトイレへも行けず、看護婦さんの世話になる。座ることも出来ず食事もままならない。(今考えるともともと食べらられないのに、毎回普通食が出されていた)痛み止めは出ていたようだがあまり利かず、後は何かの点滴を受けていたが意識朦朧は続いていた。その中で色々なことを考えたり、思ったりしたが死ぬとは思わなかったし、「虫たちの復讐」などとは一度も思わなかった。昼夜の区別もつかず悶々と過ごしていた。2日後ぐらいに院長回診があり手術が決まった。頭蓋骨に1cmほどの孔を空けて溜まっている血液を取り出す、ドレナージと言う手術らしい。意識が朦朧としているので、頭蓋骨に孔を空けると聞いても、何の恐ろしさも感じず早く今の痛みが取れれば良いとそれだけの考えで、頭蓋骨に孔を空ける痛みなどはその時全く考えていなかった。手術は翌日だったと思う。意識朦朧の中で事はどんどん進み、頭を固定されそのうち「キュイーン」などと言う音が聞こえはじめ、何やら頭蓋骨を振動させ始める。その後「ガリガリ」と音が変わり、「痛い!半端じゃなく痛い」後に正常な意識に戻り聞いた所では、局所麻酔はしていたらしいが、そんなもの全然効いていない様な人生初めての痛みであった。手術時間は1時間ぐらいだったらしいが、永遠に続くのではないかと思われる痛い時間であった。手術は成功し経過も良く1週間ほどで退院する事が出来た。
家に戻りインターネットで調べたところ「硬膜下血腫」とは、酒飲みが50歳を過ぎた頃からなる病気で、頭をぶつけるなどの原因で出血し硬膜と脳の間に血液が徐々に溜まり、ぶつけた直後ではなく2〜3ヶ月後に症状が出始めぶつけたことは忘れてしまい急になったと思って大騒ぎする病気らしい。自宅療養で座って本が読めるようなり、いつものように窓の下にテーブルをセットし、新聞を読めるようにまでになった。淡い日差しが差し込み新聞の文字を照らしている、そよ風が頬をなでる。頭の中に少し重みを感じながら、そう言えば「虫の幽霊」はどうしたただろうか、自宅に戻ってから一度も現れない。今考えると階段を踏み外し滑り落ち床に頭をぶつけたとき以来、この今現在までが虫たちの復讐だったのだろうか?あのとき確かにゴキブリは笑ったように見えた。今日までの事を予見してキッカケを作ったあの時、笑ったのだろうか。彼らのシナリオでは処置が遅れで死亡、手術をしても後遺症が残り普通の生活が出来ないようになる。などがあったのだろうか、それは分からないがそこまではならずに済んだ。、これから先どうなるかは分からないが。
虫たちとの戦争状態まで考え対策を立てていたが、いとも簡単に復讐されてしまったのだらうか。本当に「虫の幽霊」だったのだろうか。虫たちは復讐しようとしていたのだろうか。確かに多くの虫たちを殺してもきたが、水面に落ちた虫や、蜘蛛の巣にかかった蝶、ハエ取りにかかったハエまで助けたこともある。アリやダンゴムシ踏まないように歩いたりもした。そして何よりも虫たちが好きだった、あの頃はどんな虫でも平気で素手でつかんでいた。捕まえればジロジロ観察をしたり、チョッカイをだして遊んだりもした。
近頃は自然も少なくなり、虫たちを目にする機会も減ってきた。そうした中で幽霊でも虫が見られることは幸せなのかもしれない。そうか、恨めしくて出てきたのではなく「また遊ぼう」と出てきてくれたのかもしれない。ある時期から勉強や仕事が忙しく出てきてくれたのに気づかなかったのかもしれない。
そうだ、また遊んでもらおう。この頭の痛みが消えもう少し元気になったら。原っぱや森に出かけてみよう。
完