四話 坊ちゃまは出掛ける
勉強の時間も終わり、昼食をいただいたら。着替えて父上から頼まれた本を取りに行かなければと、坊ちゃまが一緒に行く執事の待つ馬車乗り場へと向かう前に。
「シアー、シアー!」
いつもは鬱陶しいくらいにベッタリ近くにいるというのに、置いていかれるからか呼んでも返事がない。
「シア、……ここか?」
新しい本が届くならと、図書室の整理をしている途中だったようだ。
換気のために開け放たれた窓から風が入り、焦げ茶色の髪が静かに流れる。
「……ん」
「オレ付きのメイドなら見送らないか、アリア」
上の棚から本を取るために持ってきたはずの椅子で寝こける呑気なメイドの髪を一筋手に取り、かつての名前を呼んでいく。
「早く大きくなるから待っていろ」
起こさないように気付かれないように囁いて、そっとすくった髪に口づける。
「坊ちゃま、どちらにいらっしゃるのですか。そろそろ向かいませんと、ルイジーのおばあさまは気が短いですよ」
焦げ茶色の髪から手を離し、図書室から出て呼びに来た執事に応えたら別な命令をしていった。
「うるさいぞ、じいや。シアが起きるではないか」
「……仕事中に居眠りをするメイドを寝かせとけとは、坊ちゃまは甘過ぎますよ」
「私は出掛けるのだから代わりに昼寝をしておけと言っただけだ。図書室には近付くなと他の者にも言っておけ」
「かしこまりました」
窘めつつも、一つ息を吐いたら別なメイドに指示をしていく執事。
「シアさんたら、こんなところで眠ったら風邪を引くでしょう」
坊ちゃまからの命令で眠っているのなら仕方がないと、ブランケットを持ってきた別なメイドがすやすやと眠るシアに掛けていく。
「あら……熱はないようですね?」
「……」
「??」
首を傾げつつも静かに扉を閉め、ご丁寧に『就寝中、静かに!』という札まで下げて退出した。
「……」
さっきも今も起きていて、寝ていると思っている自分に小さく囁いた言葉もその後にも気付いて固まっていたシアが、ゆっくりと両手で赤くなった顔を隠した。
「バカ」
坊っちゃまが成人するまで、あと八年。
その時、自分はいくつになっているのか、わかってのあの言葉なのだろうか。
「バカ……」
三百年前の約束を待ち続けている自分も大概バカだなと思いながらも、せっかくこのまま眠っていていいと命令が出たのだからとブランケットをかぶり直すことにした。
身長だって歳だって、何もかもが上になってしまった自分。
それでもいいと言ってくれる、唯一人の人。
「……早く大きくなって、リーデリッヒュ」
その声は小さすぎて誰の耳にも届かなかった。