一話 坊ちゃまをあやすメイド
食堂でいつものように坊ちゃまが絶叫する声が響いても誰も気にしない。
カチャカチャと小さく響くカトラリーの音と一緒にすでに日常になっているからだ。
―――このメイド、シアが雇われてから伯爵家は賑やかだと決まってしまった。
「……息子をからいながらいただく朝食は今日も美味しいな」
「父上ぇっ!」
「それはさておき」
「置かないでくださいッ」
ふぅっとメイドにしてやられている息子を自分でもからかって満足した伯爵が、口元を拭いながら公務のお話をしていく。
「例の件、国王様には許可をいただけたけど、一部がうるさくてなかなか進まないんだよねえ」
「一部っていうか、ファルマン公爵だけでしょう?あなた」
「うん。……あんなに声高に言ったらバレバレなのにね?」
「ねえ?」と言いながら目を合わせる伯爵ご夫妻。
その中には「馬鹿なのかな?」という意味が含まれていることには、メイドの分際でも容易に気が付いている。
「公爵家としても違法カジノや不法入国に関して規制を強化させるのは、急務だとわかっているだろうに」
「老害は早く引退してくれないかなあ」と呟いたお言葉は雇われの身として華麗にスルーし、朝食の皿を片付ける代わりに食後の紅茶を並べていくメイド。
「ま、国王様ももうちょっと泳がせとこうかって言ってたから、ほんの少しだけでも好きにさせておくよ」
「そうですわね、あなた。老い先短いご老体の最後の足掻きですものね」
「その間の警備強化はさせてもらっているから三日でボロを出してくれるといいんだけどなあ。……あ」
「え?」
ふうっと呆れた息を一つ吐いた伯爵が、何かを思い出したように止まりました。
視線を感じた坊ちゃまが、口元についたクリームをメイドに拭かれながら父親を見やります。
「悪いんだけど、ダリウス。ちょっとおつかいを頼まれてくれないかい?」
「おつかいですか?」
ニンマリと微笑む父親の表情に気付いているのかいないのか、きょとんとした顔の坊ちゃまが首を傾げました。
「本を取りに行ってほしいんだ。届いたと言われていたのをすっかり忘れていてね」
「ルイジーのところですね」
「私の本だと言えばすぐに出してくれるだろう」
「わかりました、父上」
坊っちゃまはまだ七歳なので滅多に外には出られない。
久しぶりに街へ行けるとわかって、年相応に黒い瞳が輝いていく。……それを見つめるメイドの茶色の瞳も尋常ではない輝きを放っている。
「おつかいを頼まれて張り切る坊ちゃま、可愛い!」
「……ぎ、ぎゅーはするなと言っただろうがぁぁッ」
キュンときたメイドに首を締められる勢いで抱き締められ、「ロープ、ロープゥゥ!!」と腕を叩く坊ちゃま。
その光景をうんうんと頷きながら微笑ましく見ていた伯爵が、もう一つ思い出したようにポンと手を打っていった。
「馬車で行って受け取るだけだからシアはお留守番ね」
「ええ!?ひどいです旦那様!初めてのおつかいでウキウキしている坊ちゃまを間近で愛でることも許されないなんてっ」
「誰が初めてのおつかいでウキウキしてるだとぉ!?ついてくんなっ」
ジタバタと暴れて腕から離れた坊ちゃまがビシッと指を差して「メイドは家の仕事だけをしていろ」と言い放ち、両親とメイドだけが楽しいお茶の時間も終わってしまった。