九話 坊ちゃまはメイドと家に帰る
「……アリア。いやアレクと言ったな?」
「オレはここだ」という言葉と共に、この国に住まう者なら誰でも知っている伝説の勇者の名前。
「言ったが、それがどうした?」
攫ってきたはずの大人しい少年はもう目の前にはいない。
窓のない部屋だからと灯してあったランタンの光に反射して、黒い髪の間から覗く黒い瞳に少しずつ金色が浮かび上がる。
「オレの将来の嫁の名前を呼んで何が悪い」
「嫁……だと?」
トントン トントン
「っ!?」
冷めてしまった紅茶を飲みながら座っている少年に向かって口を開こうとする前に、叩かれるはずがないこの部屋の扉が外からノックされた。
トントン トントン
「坊ちゃまー、こちらですよね?」
「遅いぞ、アリア。紅茶ばかりで腹が減ったではないか」
「ちょーっと人数が多かったんです。でも全員、倒しましたから帰りはフリーパスですよ」
「なっ!?」
呑気な会話が続く中で、扉がふいに開いた。……いや、正確には壊された。
鍵は内側からしか開けられず、外にはそもそも鍵穴という物がついていない。けれどそんなものは意味がない。
伝説の剣を持ったメイドの前では、人も物もただ黙ってひれ伏すしかないのだ。
門扉と同じくただの瓦礫になった元扉をひょいっと避けて、服についたホコリを軽く叩いて顔を上げるメイドが今度こそ坊ちゃまに微笑みを向ける。
「さあ帰りましょうか、坊ちゃま」
「待ちくたびれたぞ」
やれやれとでもいう風に立ち上がり、なんでもないようにこの屋敷の主に微笑んだ。
「なかなか楽しい茶会だった。これが最初で最後とは残念だがな」
「な……何を」
「さすがに国王か王女は来ていないみたいですけど。騎士団長なら、まあいいでしょう」
「なっ!?」
ここは窓がない部屋だから外の様子は見えないはずなのに、門のある方向の壁を見つめてメイドが頷いていく。
外が騒がしいことに、この家の主もやっと気が付いた。家人の騒ぐ音と共に自分を呼ぶ声も聞こえる。けれどその場から動けない。
代わりに来た時と同じように二人が顔を向けた。
「こちらにも着いたようですね」
「次は監獄でお茶をしようではないか。その前に貴様が正直にすべてを吐かなければ、面会もできないだろうが」
「……な、何を言っている」
顔が引きつる。大量の鎧の擦れる音と指示をする響く声。
あの声は……そうだ。城へ行ったことのある者なら必ず一度は耳にしている声だ。
「張り切っていますねぇ。王女付きの近衛騎士団長」
「お前が全員倒してしまったから暴れ足りなくて不満な声だな」
そんな騎士団長に八つ当たりをされる人物はこの部屋にいる。
顔面蒼白なまま震えているゴブリン……もといファルマン公爵。
「時間はたくさんあるのだ、団長の気の済むまで付き合って差し上げろ。……貴様が耐えられるかは知らぬがな」
「ではご機嫌よう、ファルマン公爵」
「ま、待てっ」
同時に振り返る二人の瞳は、夕陽に反射しているからか金色に見える。
一人は黒で、一人は茶色のはずなのに。
振り返りついでに一歩近付いた黒髪の少年が、胸ぐらをつかんで下から睨み付けた。
「ヒッ!?」
「そうだ。言い忘れていたよ、ファルマン公爵。……二度と気安くオレの嫁の名前を呼ぶな」
フンッと手を離せばその場にへたりこむ公爵には、すでに先ほどの勢いも戦意も何もない。
「あら。誰を相手にしていたのか話してしまわれたのですか?」
「どうせ妄言だとあしらわれるだけだろうからな」
壊された扉に向かおうとしたら、何人かを引きずるように手につかんだ騎士団長が目の前に現れた。
「チィッ、どいつもこいつも張り合いのねぇ!おい、ファルマン公爵!伯爵家のご子息誘拐及び不正取引諸々の罪で身柄を拘束する!」
一人だけ鎧をつけていない、灰色の髪を短く刈り上げたガタイのいいオッサンが怒鳴り、部下が手早く縄で縛り付けて床に転がしていった。
「騎士団長、あとはよろしくお願いしますね」
「一人くらい残しとけよ!」
「活きのイイモノを一匹残しておいたではないか」
「たるみきった腹なんざ、サンドバッグにもなりやしねえよっ」
しっしと手を振り道を開ける騎士団たちの間をすり抜けるように、来た時と同じく優雅な足取りで帰る少年とメイド。
「待て、待ってくれ」
空しい小さな男の声は、夕食の話をする二人の耳には届いていない。
外はすでに日が落ちて、ランタンを灯しなら家宅捜索をしていく人たち。
「なんで門扉が粉々なんだよ!?」という声も無視して、用意してもらっていた馬車に乗り込む二人。
「腹が減ったぞ」
「わたしも久しぶりに動きましたから、今晩はお肉が良いですねえ」
「時間が掛かり過ぎだったではないか」
「やっぱりメイドの合間に剣の稽古では昔のようにいきませんね」
魔物退治をする毎日と、平和な今を比べるのもどうかと思うけれど。
「肩慣らしに斬るに、門だけでは足りなかったのではないか?」
「その後にたっぷりと斬りましたから、まあまあでしょうか」
一応、重要な証人だからと腱を斬るだけで済ませなくてはいけなくて、ちょーっと物足りないけれど。
「なら、同じく物足りない騎士団長にお相手してもらえば良いではないか」
「部下がたくさんいる前で倒したらメンツに関わりますし、何より仕事中の私闘は禁じられているはずです」
そんなことを話しながら、いつもの屋敷の前に馬車は静かに止まった。
「アリア……いや。シア、手を」
「はい、坊ちゃま」
門の向こうではメイド頭と執事が並んで待っている。
「とりあえず。お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「ただいま帰った」




