プロローグ ~坊ちゃまを愛でるメイド~
「おはようございます、坊ちゃま」
「……まだ寝る」
「ダメですよ。朝です」
今日もわたしは、いつものようにまだ眠いとぐずる坊ちゃまを起こす。
メイドですからね、朝は起こさなければいけません。
「眠いと言っているだろう!」
わたしに「めっ」と言われた坊ちゃまが、布団をかぶり直して起きないと断固拒否をなさいました。
「仕方がないですね……」
「フン、メイドは俺のいうことを聞くのが仕事だからな」
フフンと、きっと布団の中で勝ち誇ったような顔をしているのかしら。
「では叩き起こして差し上げますね」
「なっ!?」
つかんでいた布団をはがして盛大にめくったら、丸まっている坊ちゃまをベッドから転がり落とします。
「痛いっ。……お前、メイドの分際で何をするっ」
「わたしは坊ちゃまのお父様に雇われているメイドですからクソガキの言うことなど聞きません」
「クソガキ!?」
「さあさあ、とっとと着替えて朝食をいただきましょう。大きくなりませんよ?」
「……っ!」
うふふとわたしの胸よりも下の頭にぽんぽんと手を置いて、ギロッと睨む坊ちゃまを笑顔でかわして着替えさせます。
ああ、今日もなんて可愛らしいのでしょう。
「ぜったいに追い越してやるからな!」
「おばあちゃんになる前にお願いいたします」
「ムキーッ!俺は!今年で!七歳だぞ!?」
「はい、わたしは今年で十九歳です」
いいから着替えましょうと地団太を踏む坊ちゃまに靴を履かせ、追い立てるように食堂へと向かいます。
「聞いているのか、シア!」
「聞いております。たくさん食べて、大きくなりましょうねえ」
「ガキ扱いすんなっ」
ムキーッとまたしても怒る坊ちゃまの頭を撫でて、ご両親の待っている食堂へと入ります。
すでに座っているご両親が、今日も怒っている坊ちゃまを見て呆れた溜息を吐きました。
「ダリウス。メイドを困らせてはいけないよ」
「俺が困らせられているのですっ。今朝なんてベッドから落としたのですよ!?」
ひどいでしょうと訴えながら椅子に座りますけれど、それには反論せねばなりません。
「いつまでも布団にしがみついている坊ちゃまが悪いのです」
「貴方ももう七歳になったのですから、一人で起きられるようになりなさいな」
「うぅぅぅ……」
母親にまで窘められて、誰も味方がいない坊ちゃまの顔が歪んでいきます。
泣くのを必死で堪えているのでしょうか。とても可愛らしいです。
「メイドの分際で言い過ぎましたね。泣かないで、坊ちゃま」
「泣いていないわ!」
そっとハンカチを渡したら、「うるさいっ」とハンカチと一緒に手を叩かれてしまいました。
「坊ちゃまからいただいたハンカチがっ」
「え、そうなのか!?それはすまぬ」
慌てた様子で椅子から降り立ち、わたしが拾うよりも先に自分が落としたハンカチを拾います。
拾い上げたらホコリを叩いて落とし、きっちりと角を合わせて折りたたんでからわたしに差し出してくれました。
「ほら、その。……悪かったな」
ムスッとしながらもわたしを見上げて、けれど恥ずかしいのか顔を逸らした状態でハンカチを掲げます。
「ありがとうございます、坊ちゃま。坊ちゃまが拾って渡してくださったのですから、このハンカチは坊ちゃまからいただいた物ということになりますね」
「なんだと!?」
「今から大切にいたします!」
真っ赤な顔で震えている坊ちゃまを見下ろしながら、ニコリと微笑んだら瞳がじわっと盛り上がります。
「ほら、坊ちゃま。メイドに騙されたくらいで泣かないで」
「誰が泣かせているのだ、このクソメイドォォォ!!」
「いや、誰も泣いていないっ」と必死に言う坊ちゃまを持ち上げて椅子に座らせたら、今日も賑やかな朝食を始めましょう。
「はっはっは、まだまだ甘いな、息子よ」
「メイドにやられるなんて、まだまだですわねぇダリウス?」
「っ!っ!!」
フンッとなんとか地団太を踏みたいけれど、大人用の椅子では地面に足が届いていないので、仕方なくテーブルを叩いて怒りを押し込めようと頑張る坊ちゃま。
ああ、やっぱり今日も坊ちゃまは可愛すぎですね。
「微笑ましい顔をするな、メイドの分際でっ」
「これは失礼いたしました。では下がらせていただきますね」
「え……」
「とっとと出て行け」と言われれば、例え雇い主ではなくても従わなくてはいけません。
わたしの雇い主である坊ちゃまの父親も、「まあ、ここら辺で下がっておこうか」と手を振る合図をしたので頷きます。
「い、いや。べ、別に部屋から出ろとは言っていない」
「まあ!坊ちゃまったら、手ずからではないと食事をいただかないということですね?仕方がありません。今日だけですよ?はい、あーん」
「違うわあっ!!んぐっ」
「さあさあ、たっくさん食べて大きくなりましょうねえ?」
怒鳴るついでに大口を開けたのをいいことに、朝食に出ていたサラダを押し込めます。
文句を言いながらも口に入った物は残さずに食べようと頑張る坊ちゃまの、なんと可愛らしいことか……!
「坊ちゃま、おめでとうございます。これでピーマンが食べられるようになりましたね!」
「んぐぅ!?」
ゲホゴホッとむせている坊ちゃまに、炒めたピーマンとカリカリベーコンが和えてある、オニオンドレッシングがかかった新鮮サラダをさらに盛り付けたら、口元に運んでいきましょうか。
「さあ、もう一口どうぞ、坊ちゃま」
「ゴホッゴホッ……、いらぬわっ!」
「まあ、いけませんよ、坊ちゃま。それでは大きくなりません。ささ、もう一口。あーん」
「自分で食べる!」
「ええい寄越せ」とお皿ごと奪ったと思ったら、ものすごく眉間をぎゅっと寄せつつも口を歪ませながらも全部綺麗に食べていきました。
「素晴らしいです、坊ちゃま!いい子いい子」
「頭を撫でるなっ」
「では、こちらで」
「ぎ、ぎゅーっとするなぁっ」
頭を撫でられるのをお気に召さないのならと、ぎゅっと抱き締めたら真っ赤になって暴れられてしまいました。
「最近の坊ちゃまは撫でるのも、ぎゅっとするのもダメと言うなんて……。わたしの楽しみがっ」
「人を揶揄うことを楽しみにするのではない、無礼者!」
食堂には坊ちゃまの怒鳴り声しか響いていません。
ご両親はいつものことだと楽しそうに瞳を細めて見守っているだけですし、周りにいる執事やメイドも微笑ましい表情を浮かべて眺めています。
「何を笑っている!?こんな無礼なメイドは今すぐクビにしないか!!」
椅子の上なので地団太できない代わりに、足をジタバタする坊ちゃまはとても可愛らしいです。
「はあ……。なんて可愛らしいのでしょうか」
「クソッ、クソッ。ぜったいにすぐに追い越してやるからなっ!?」
「はい。気長にお待ちしております」
にこにこと微笑むわたしに半泣きの坊ちゃまが叫びます。
そっとハンカチを差し出したら、今度は手の代わりにテーブルを叩きました。
「泣いてなどいないわっ」
「ダリウスは今日もメイドにしてやられているなあ」
「手のひらで転がされていますねえ」
「父上も母上も、のんきに笑っていないでください!」
「メイド一人どうにかできないとは情けないですよ、坊ちゃま」
「うるさいっ」
やれやれと溜息を吐いたら、下から思いっ切り睨まれてしまいます。
「すぐに追い越してお前を見下ろしてやるからなっ!」
「成人までにお願いしますね、坊ちゃま」
「クソッ!クソッ!」
……本当に。
わたしが嫁き遅れになる前に早く大きくなってくださいね、坊ちゃま?