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代打の神様  作者: 柚井 ユズル
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カラスと巫女さん 3

「……びっちゃびちゃ」

声が完全に遠ざかったのを確認して、小夏はトイレのドアを開けた。髪や服からぽたぽたと水が垂れてくる。濡れた服が気持ち悪い。

(こんな格好で帰ったら、なんて言われるんだろ)

惨めな気持ちでばこばこと音を立てて上履きを履いた靴を引き摺りながら、個室から出る。洗面台にある鏡に自分の顔を映してみると、惨めな自分がこちらを見つめていた。

(なんで私が矢田君とか彼女たちに近寄らないようにしてたかって、こういう事になるのが恐かったからなのに)

鏡を見ながら髪を手で梳いて、なんとか身だしなみを整えながら内心で不満を漏らす。

(結局、物がなくなったりしたのも、髪を切られたのも、あの子達がやったのかな)

実際は、厄なんて何にも関係していなかったのではないだろうか。

(だから、柏木君は来てくれなかったのかも。あの子達に私がいじめられてても、別に厄が関係してなければ助ける義理なんてないもんね)

鏡の先の自分は相変らず自分を見つめる。同じ顔、同じ体型。

(あの子達にしてみれば、身の程知らずかもねえ)

不意に、見つめる先の鏡に違和感を感じたのはその時。

(なんか、違う気がする……)

どことは詳しく言えないけれど、何かが違う。そう思って良く近づいて目を凝らす。

(鏡が歪んでるのかな?)

目を凝らして、手で触れてみて。冷たい鏡の表面に触れた自分の両の手。その手を、誰かが掴んだ。

(!?)

びくり、と小夏は体を強張らせて後に下がろうとする。だが、相手はそれを許さない力強さで小夏の腕を引っ張る。相手は、鏡の中の自分は___!

思わず叫び声を上げた小夏の声は次の瞬間、喉に回された手のひらに遮られた。強い力で喉を締め上げる。腕に回された手も離して、喉を両手でぐいぐいと締め付ける。

(苦しい……)

小夏の背筋にぞっとしたものが走る。

(殺される)

切れ切れの息で見た鏡の中の自分は、今はもう、小夏と同じ顔はしておらず、ただ無表情に小夏の喉を締め上げているだけだった。

(助けて……)

本日何度心の中で繰り返したか分からない台詞。でも、今が一番切実にそう願っている台詞。

喉に食い込む指の感触。意識に霞がかかって来て、痛みを感じなくなって___。

(ああ、本格的に拙い)

意識が遠のきかける。

「佐藤!」

突然、待ち望んだ声と共に、視界が透明な青に染まった。


「悪い、待たせた」

小夏を抱きかかえるようにしてトイレから出た柏木は、そう言いながら咳き込む小夏の背中をさすっていた。小夏は涙目になりながら、柏木の腕をがっちりと掴む。文句を言ってやりたいのは山々なのだけど、喉が潰れて上手く言葉を発せないから、代わりに強く、痛いくらい強く柏木の腕を握り締めて、自分が恐ろしかった事を伝えようとする。

「とりあえず、ココを出よう」

柏木がそう促すのに、小夏は踏み止まる。

「何?」

怪訝そうな顔をする柏木に、小夏はなんとか潰れたままの声を絞り出す。

「刀……は?」

柏木は少し目を見開いて、それから首を振る。

「今日はもう、止めた方がいい。体調が治ったら出直したほうが」

「……んな、事したら、また見失っ……って、こわい」

「だけど、できるの?」

「する!」

柏木は溜息を着くと、小夏に刀を差し出す。

「どうぞ」

「ありがと」

手の中の刀は重く感じて、正直しんどかったのだけど。

(ここで始末しとかなきゃ、びくびくして過ごさなきゃいけないし)

ただでさえ、あの女の子達の事もある。面倒くさい事をこれ以上増やしたくない。

(大丈夫。犬を傷つけるより、全然簡単)

「僕、女子トイレって入るの初めてだな」

そんな事を言いながら小夏に続く柏木に、こんな時に何を、と言いたくなるが喉が痛いので余計な会話は慎むことにする。

目的の鏡はすぐ側にある。小夏は息を詰めてそれに近づく。

てっきり以前の様に、何か化け物になっていると思っていたのに、そこには相も変わらず何の変哲も無い鏡があるだけだった。

(なんか、あっけない……?)

思いながら、小夏は刀を鏡に向ける。だけど、柏木の手がスッと伸びてきて、小夏のその行動を制した。

「無駄だよ。鏡を割ったところで多分厄は祓えない」

(……え?)

「逃げられた、というよりは隠れられたな。相手は鏡そのものではなく『鏡に映る君の姿』のようだから。ここの中からどうにかおびきださなければいけない。じゃないとまた、他の鏡で君の姿が映った時に狙われるだけだ」

(どうやって?)

視線で柏木に問いかけるが、柏木は首を振る。

「思いつかないな。あっちも君が桜小太刀を持っていると分かった以上、自分からは出てこないようだし。君を囮にしてもおびきだせる確率は少ない」

どうしたらいいか、と当惑する小夏に、柏木は諦めたように言う。

「やっぱ、出直した方がいいよ。秋芳様に伺えば、何か良い策があるかもしれないし」

「その必要は、ないかもしれないぜ」

不意に背後から声が聞こえて、小夏と柏木は振り返る。長身の矢田が、にやにや笑いながら女子トイレに入ってくるところだった。

「おー、俺、女子便って入るの初めて」

柏木と同じ事を言っているが柏木との違いは、矢田がその直後にぽかりと殴られた事だ。矢田と一緒に入ってきた女子生徒に。

(榊さん……?)

子犬を引き取りたい、と言った榊が面倒くさそうな顔をしながらもこちらに歩いてくる。短いスカートに長い足。派手な色の髪の毛。二人が並んでいるととてもよく似合う___。

榊は小夏の前まで来ると、ぐい、と小夏の肩を押して背後に下がらせる。

「あたしがおびきだしてあげるから、出てきたらさっさとソレで退治しなよ」

有無を言わせない口調。

(え? 何? なんで榊さん?)

事態を掴めないで疑問符を浮かべている小夏に構わず、榊はポケットから何か数枚の紙を取り出した。長方形のそれは、白い和紙に墨のぐにゃぐにゃした文字で何か書かれている、お札のように見えた。

榊は鏡に近づいて行くと、それを鏡に貼り付ける。バチバチ、と静電気のような物が走ったが、榊が何か小夏には聞き取れない呪文のような物を唱えると、それもおさまった。榊は、鏡の四隅にそれを貼り付ける。

「さ、あんたの姿をこの鏡に映して」

言われるまま、小夏は鏡の前に立つ。

鏡の中の小夏は、いつもと同じ小夏の姿。の、筈だった。

だけど、その姿はどんどん黒く塗り込められて行く。黒く、膨張して、鏡いっぱいに膨れ上がって。

「出てきた」

榊の鋭い声に、小夏は慌てて刀を握り直す。黒い塊の周囲を青い炎が舐めるように取り囲むと、目の前にはもう一人の小夏が立っていた。小夏は一瞬その姿に怯む。

(ほんとに、あたしだ……)

柏木に切ってもらった短い髪も、女子生徒に水をかけられて濡れた制服もそのまま自分。そして、向こうもまた、刀を持っている。

小夏が怯んだのを見計らったように、向こうの小夏はその刀を振り上げる。銀色の刃に青い炎が映ったその刀を。

(殺される___)

咄嗟に、反射的に小夏は目を瞑ってびくりと体を強張らせた。

「佐藤!?」

「ちょっと」

柏木と榊の声が耳に届く。

(あ、ヤバイ……)

慌てて目を開いた時には、ガチャン、と言う音と共に、もう一人の小夏の姿が窓の外に消えるところだった。

柏木と榊が慌てて窓に駆け寄って外を覗く。

「やられた。何か他のものに乗り移ったな」

「まあ、どっちにしろ佐藤さん狙って来るんだろうから放っておいても大丈夫だろうけど」

醒めた口調で言って、榊は肩を竦めた。

「そもそもそんなボロボロになった状態でやろうって方が無理だよ」

「それには僕も同意だけどね。家の中は結界が張ってあって安全なんだから、喉が治るまでゆっくり養生した方がいい」

小夏は自分がしてしまった失態に呆然としていたが、二人の言葉に少し胸を撫で下ろす。

と、突然冷たい声が割って入った。

「気に食わねーな」

三人が振り向くと、壁にもたれかかって腕を組んでいた矢田が渋い顔をしていた。

「お前らなんでそんな甘いわけ? おれは認めないぜ。こんな女が秋芳様の力を持ってるなんて。あんな雑魚を取り逃がしてるようなヤツが、禍厄なんて祓えるワケがねーじゃん」

突き放すような冷たい言葉に、小夏は胸に重石を乗せられたような気分になる。

「ここ数日試しに付きまとってみたけどさ。特に秋芳様がわざわざ助けたような価値なんて、この女に見出せなかったぜ? 俺は。お前らがどう思ってるか分かんねーけど、俺は認めないって宣言しておく。俺は、この女のお守りはしない」

矢田から小夏に向けられる視線は今までの親しみを込めたものではなくて。本当に刺すような視線で。

(ああ、これは敵意だ)

自分が矢田に嫌われているのだ、と否が応にも小夏に悟らせた。

「別にマサがどう思ってても良いけど、あたしは協力するよ。秋芳サンが協力して欲しいってわざわざあたしに頼みにきたんだから」

「僕も、秋芳様に命令された立場だし、特に異存はないけどな」

榊と柏木がそれぞれ言うのに、矢田はふん、と鼻で笑う。

「まあ、好きにすれば良いさ」

そうして、矢田は身を翻すと、その場を去って行った。

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