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代打の神様  作者: 柚井 ユズル
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意地悪な狐青年 2

「ねえアンタ。……おい、ちょっと無視すんなよ」

一瞬、声をかけられたのが自分だとは気付かなかった。彼が自分に声をかけるはずなど無いのだから。違う世界の住人、そう思っていた。その相手がまさか地味に平凡に生きている小夏に声を掛ける事など。

グイ、と腕を捕まれてようやく自分が呼ばれていた事に気付いて、小夏は我に返った。夢中で柏木の前から逃げてきた為、他のことなど目に入っていなかった。

「おい! 聞いてんのかよ」

覗き込まれた視線の先。見慣れない明るい色の髪の毛と、整った顔立ち。

「え……な、なんでしょう」

「ったくぼーっとしてんなよな」

矢田は呆れたように溜息を付いて乱暴に小夏の腕を離す。

「アンタ、家、マンションとかじゃないだろ?」

「はあ」

いまだに何が起こったのか理解が及ばない小夏の前で、矢田は以前から知り合いであったかのように話す。

「じゃあ、犬飼えねーかな? 俺んトコ一人暮らしだからさ。飼ってやれねーんだよ」

「あの、あたしにそんな事頼まなくても矢田君が頼めば引き受けたいって子は山ほどいると思うけど」

その言葉に、矢田は顔をしかめて首を振る。

「あー。ダメダメ。あいつ等に任せられるかよ。人の気ぃ引きたくて五月蝿くしてるだけで、実際世話するとなったらほっぽり出すぜ?」

「そんな決め付ける事、ないと思うけど」 「それ、本心?」

楽しくなさそうな顔をして矢田は言う。すれ違い様の女の子の視線が小夏に刺さって痛い。

「見かけで判断するのは、いけないと思う」

「へえー。アンタがそれを言うんだ? 俺を恐れて近寄ってこようともしないアンタが、ねえ?」

その言葉に小夏は弾かれたように高い位置にある矢田の顔を見上げる。

(知ってたんだ)

自分なんて、彼の目には映っていないと思っていたのに。

矢田はまるで悪びれずに、と笑った。

「まあ、とりあえず見るだけ見てみてよ。アイツ、愛嬌あるから気に入ると思うぜ?」

「ちょっと……うちは家族の了解も取らなきゃいけないし……」

口答えする小夏をまあまあ、と受け流して矢田は教室に小夏を引っ張って行く。

「ってあれ? あいつ、どこ行ったんだ?」

教室に入って、きょろきょろと見渡しながら矢田は言う。

「ああ、犬? 女の子たちが面白がって引っ張りまわしてたよ?」

側にいた男子生徒が矢田の様子を見て、気軽に声をかけてくる。

(そっか、この人、男子生徒の間でも結構人気あるんだもんね)

見た目と違って結構付き合いやすいとか。

「っんだと? 面倒くせーなあ。せっかく連れてきたのに……」

矢田はぶつくさと口の中で文句を言う。

「あの、じゃああたし、帰って良い?」

まだ片腕を掴まれたままなのでこっそりと帰ってしまうことも出来ず、小夏は遠慮がちにそう問いかける。

「アンタ、見かけによらず冷たいな。可哀相な捨て犬ほっぽって帰りたがって」

気分を害されたような矢田の低い声。

(なんか今日、あたし、非難されてばっか……)

その冷たい視線に、小夏は何もいえなくなってしまう。それでも、僅かばかりの抵抗の意志を示すために矢田の手を振り払ってみせる。

矢田はそんな小夏の仕草を見て、チッと舌打ちをした。

「あーそーかよ。じゃーな」

「さよなら」

息を詰めるように言って、小夏は早足にその場を離れる。

(だって、家族にも了解とらないで、絶対飼えるって責任もてないのに、可哀相ってだけで引き取って、後でだめだって事になったらそれこそ可哀相じゃない。他に飼えるって人がいるなら、その人が飼った方が良いに決まってる)

そう言う事を、言ってしまえばいいのだけど。それも言い訳にしか聞こえないし、たとえ自分が言ったところで事態が何も変わる訳がないって分かっているから言わない。言えない。

(あー、そっか。あたし、ヒーローとかになれないよね。勇気ないもん)

そんな事を今更自覚して歩いている背中に、柏木の声が聞こえた。

「佐藤さん。良かった。先帰っちゃったかと思った」

「……」

なんと言って良いか分からず複雑な顔をする小夏に、柏木は言う。

「何のために一人で帰らせないようにしてると思ってるんだよ。自覚してよ。君がもし厄にやられたら、この街は大災害に襲われても不思議じゃないんだよ」

「……ごめんなさい」

ぽつりと言った小夏に、柏木は不審気な顔をした。

「妙に素直だね。気持ち悪い」

相変らず、かちんとくる言葉。

「可愛くないっ」

「昨日も言わなかったっけ? 君に可愛く思われても、僕には何もメリットがないんだよ」

当たり前の様に言って、柏木は歩き出す。

「とにかく、厄には気をつけてくれないと本当に困るんだ。周囲に気を配って、いつもと違うと感じたら疑う事が大切だよ。昨日みたいな厄は分かりやすいけど、憑依主に上手く隠れて存在が分かり難い厄だって多いんだから。油断したら駄目だ」

(いつもと違う事……)

ふと、頭の中に矢田の顔が思い浮かんだ。今まで一度も話したことなど無かった相手。全く交流もなく、向こうが自分の名前さえ知っているかどうか怪しいものだ。それが、何故急に、小夏だけを指名してつれてきた子犬の飼い主になど……?

(でも、まさか)

それを口に出して柏木に言うには、あまりにも自信の無いものだった。それで全く見当違いだったら恥ずかしすぎる。

だから、小夏は言葉を飲み込んで、大人しく柏木に従った。


*


翌日。

やはり朝から適度に口喧嘩を交えながら柏木と登校して教室に向かった小夏は、真っ先に部屋の隅の人だかりに目をやった。子犬はやはりそこに居るらしく、周囲には人だかりが出来ている。

「まだいるんだね。あの犬」

千里が呆れたように言う。

「うん。……ねえ、誰も引き取り手がなかったら、あたし、貰っても良いかなって思うんだけど」

小夏の唐突な発言に、千里は驚いたような顔をした。

「何事にも消極的なアンタが珍しいね。どういう風の吹き回し?」

「昨日母親に聞いてみたら良いって言ってたから。父親が犬嫌いだからどうかなって思ったけど、所詮我が家の権力者は母親だし」

「へー。でもまあ、それは良かったねえ。あの犬も。あの子達に無責任に貰われて行くよりは幸せかもね」

「佐藤、貰ってくれるの?」

不意に、背後からそんな声が聞こえて小夏はギョッとして振り返る。見れば、いつの間にか背後に矢田が立っていた。

「やっぱ俺が見込んだ通りだ、助かるな」

にっこりと笑みを浮かべてそんな事を言う矢田に悪気は無いのだろうけれど、どうしたって矢田は目立つ。その矢田と、普段が地味な自分などが一緒に話していればいわれのない注目を浴びそうであまり宜しくない。

それなのに、千里と来たらここぞとばかりに矢田と話し込む姿勢を見せている。

(それでなくとも、矢田君は警戒しようって思ってるのに)

もしも彼が『厄』にとり憑かれていたとしたら?そのせいで自分に近づいてきているとしたら甚だ拙い。

「……ちーちゃん、ちょっとあたし、やぼ用」

楽しそうに矢田に話しかける千里にそう囁いてから、小夏は逃げるように教室を出た。


放課後になって、今日はきちんと部活に出て、それから犬を連れて帰る予定だった。それを予め矢田には断ってあったし、てっきり矢田は先に帰ってしまっているとばかり思っていた。それなのに。

部活が終わって小夏が犬を迎えに飛び込んだ教室では、矢田が暇そうに漫画などを読みながらわざわざ待っていた。

「お帰り。部活お疲れ様」

夕日が差し込む教室の中。にっこりと笑って矢田は言う。その表情は、逆光になってよく見えないけれど。なんとなくその顔に凄みを感じて小夏は少々怯んだ。

「わざわざ待っててくれなくても良かったのに。あたし、勝手に連れて帰るから」

「一応礼は尽くしておこうと思ってね」

そう言って、矢田は立ち上がる。

(拙いな。二人っきりだ……)

彼は体格もしっかりとしているし、背も高い。力だって男女の差は明確だから、危害を加えられたら人たまりもないのではないだろうか。

警戒している小夏の気持ちを知ってか知らずか、矢田は部屋の隅のダンボールに近づいて中の子犬を持ち上げる。

「ほら。名前はまだないから勝手につけて」

抱き上げて、そのまま戸口のところで立ちすくんでいる小夏のところまで歩いてくる。

「はい」

警戒しながらも恐る恐る伸ばした手。そこに、温かいものが乗せられる。つぶらな大きな黒い瞳。茶色い毛並み。

(うわ。可愛い)

女の子たちが騒ぐ気持ちが分かる。こんな愛らしい生き物、誰だって手に触れてみたいと思うに決まってる。

「じゃあ、よろしくな」

そんな言葉で小夏はハッと我に返った。犬に気をとられていたが、気付けば矢田は鞄を手に教室を出て行くところだった。

「あ、うん。ばいばい」

(なんだ、やっぱあたしの気にしすぎだったんだ)

疑念を口にしないでよかった___。

心底そう思って安堵した瞬間、手に激痛が走った。

思わず離してしまった手から、犬が転がり落ちて、廊下に綺麗に着地する。

「痛っ……」

小夏は痛みを感じた方の手を見て愕然とした。くっきりと付いた歯型。そこから血が流れている。

呆然とする子夏の前で、子犬が低い声で唸る。先ほどまでのつぶらな瞳はどこかへ消えうせ、凶暴に顔を歪めた動物がただ、小夏の目の前に立ち塞がっていた。

(この犬に、厄がついてたんだ……)

見る見るうちに子犬の体が膨れ上がっているように感じる。可愛らしい小さな体は、中型犬のように、そして大型犬のように大きくなる。低い唸り声を発する大きな口からは鋭い牙と赤い舌が覗いていた。

(逃げなきゃ……)

とりあえず、柏木が待っている図書室まで行けば……。

走り出すと案の定、もはや立派な大型犬と成り果てた犬は凄まじい勢いで追いかけてきた。

(どうしよう。これじゃあ図書室に着く前に追いつかれちゃう)

誰かいないかと助けを求める。学校にはまだ結構な数の人が残っていて、実際に小夏が犬に追いかけられているのを目にしている人も多いのに、誰も止めようとはしてくれない。むしろ、小夏の方をおかしな物でも見るようにしてみている人もいる。

(……もしかして、あたし以外の人には小型犬のままに見えてるのかな)

そうであるのなら、その身体能力も子犬のままであるはずだ。

(だったらちょっと可哀相だけど……)

小夏は勢いをつけて階段を駆け上り始めた。

(子犬に階段は速く上れないんじゃない)

それなのに。

犬はまるで当たり前の様に長い足で階段を駆け上る。

(嘘!? 普通の犬でもあんなスムーズに上れないでしょ!?)

4本足で階段を駆け上るのは一見滑稽に見えるはずなのに、それさえ恐ろしく感じてしまうのはその犬の速度が半端ではないからだ。

(と、とりあえずどっかに逃げ込まなきゃ!)

いい加減、足も疲労で鈍くなってくるし、子犬に追いかけられて血相を変えて駆け回っている図というのも恥ずかしい。

周囲を見渡してみて、手ごろな空き教室を見つけると、そこに飛び込んで慌ててドアとカギを閉めた。

締めた途端、ドン、と凄まじい音と振動がドアを伝って届いた。

(危なかった……)

そう思ったのも束の間。しきりにドアに体当たりする音が聞こえる。ミシ、ミシ、とその度にドアが軋む。

(やばいよ……もたないかも……)

部屋の中を見渡すと、特に武器になる物もない。

(それに、武器って言ったって……たとえあの刀を渡されても、私はあの子犬を斬る事になるの?)

罪のない、つぶらな瞳の子犬。それを厄に憑かれているからといって斬ってしまう?

(それは、ひどいよね)

どすんどすんという音はまだ続いている。

(……とりあえず、逃げよう)

小夏は視線を巡らせる。学校の教室には、どこでも基本的に窓がついている。あたりまえの事。

(ここは、3階かー……)

階段なんてあがるんじゃなかったと後悔しながら、どうしようもなく、小夏は歩いて行って窓枠に手をかける。

外はそろそろ薄闇が迫ってきていて、校庭で部活動を続けているサッカー部や野球部などからもあまり注目を浴びないだろうと思われる事が救いだった。

からからと窓を開けて、腕に力を入れてそこを乗り越える。

(図書室は……1階下か……)

とりあえず、窓伝いに降りていってどこかから教室に入り込めばいいだろう。

そろそろと窓に手をかけて足を下ろす。特に目だった足場が無いから、慎重に窓の桟を掴みながら微かな凹凸に足をかけていく。

(恐……結構、3階って高い……)

ちらりと目にしてしまった地面の低さに微かに眩暈がする。

がんがん、と犬がドアに体当たりする音はいまだに聞こえてくる。みし、みしとドアが軋む音___。

上手い具合に側を通っていた水道管のところまでそろそろと体を移動させ、それを支えにして漸く下の階に下りる。だが。

(あ、拙い。窓開いてない……)

開いている窓を探すのは至難の業かもしれない。それなら、このまま下に下りてしまったほうが。

そう考えて体を下へと移動し始めた時だった。

「何やってんの? 佐藤」

そんな声が下方からして、小夏はギョッとする。

下からこちらを見上げているのは見覚えのある姿。まだそう遠くない先ほど、小夏の手に犬を預けた男。

(やばい。どうしよう)

彼が厄に憑かれていないとどうして言える?そもそもあの厄付きの子犬を小夏に預けたのは彼だというのに。

厄に憑かれているものが一匹だけとは限らない。

「何の遊びか知らないけど、下りたいんなら受け止めてやるから、そこから飛べよ」

下から矢田がそんな言葉をかける。小夏はそれで、逆に足を止めてしまった。

上からは厄のついた犬。下には矢田。

(やっぱ窓を伝って2階のどっかに入るしか……)

流石に掴まりっぱなしで手が疲れてきたのに。随分間抜けな格好をしていると思うのに、気にしていられる状況じゃない。

(ああ、柏木君の言ったとおりだ。あたしは自分ひとりじゃなんにも出来なくて、柏木君が助けに来てくれるのを待つしかなくて。これでヒーロー気取りだったなんて、笑っちゃう)

こんなみっともないヒーローなんて、ありえない。水道管に、蝉みたいにしがみついて……。

「……何やってんの? 佐藤さん」

がらり、と側にあった窓が唐突に開く。呆れた顔をした柏木が、そこから顔を覗かせた。

「遅いと思って探してみれば変な遊びしてるね。楽しい?」

楽しいわけがない! と言おうと思ったけど、そういう憎まれ口は出なくて。ただ、柏木が来てくれたと言う安堵に言葉が出ない。

「ちょっと、何泣いてるのさ」

微かに動揺したような柏木の声。

「とにかくみっともないから入りなよ……」

差し出された手を掴むと、華奢な見かけによらず力強い柏木の腕が小夏を教室に引っ張り入れた。

「うっわ。重……」

小夏を抱えいれた瞬間、尻餅をついた柏木はそう言った。反論を口にしようとした瞬間、バシッと言う音が響く。とうとう犬の力に耐えかねて上の教室のドアが倒れたのだった。

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