後悔先に立たず 3
びゅんびゅんと風が吹きつける。大きな鳥が上空で羽ばたく度に、体が吹き飛ばされそうな風が吹いてくる。
柏木が小夏の前にその風を防ぐように立っていた。
(騙してたくせに、あたしをふったくせに結局優しいんだよね)
小夏は刀を握りながらそんな事を思う。
いつだって、柏木はさりげなく優しいのだ。だから、小夏は好きになったのだ。
(利用してただけなら、あたしの事、あんな大怪我してまで守ってくれなくて良かったのに)
す、と柏木の腕から血が流れた。
(___え?)
ワケが分からず小夏は目を凝らす。そうしている間に、柏木の頬からも血が……。
真一文字にぱっくりと、いつの間にか肌が裂けているのだ。
(な、なんで!?)
「厄介だな……カマイタチか」
柏木が呟いて炎を一つ吹く。炎の壁は風を受けて見る間に大きくなる。
「風とは相性がいいんだ。今のうちに対策を練ろう」
「対策たって……近寄れなくちゃどうしようもないよ」
「いいよ。それは。僕がなんとかするから」
「え?」
柏木はなんでもない事のように言う。
「君はアイツが落ちてきたら、絶対に仕留めるんだ。ただ、力を吸収するのは少し待ってて……したい話がある」
今までに見たことのないくらい神妙な顔で、柏木は言う。
どういうこと? と聞き返そうとする小夏の口が開かれる前に、柏木はもう、炎を吹き飛ばしていた。
(すごい……一気にこんなに出すなんて)
今までに見たことのないくらい大量の炎。それを、元々あった炎の壁に強く吹き付ける。何か、操り方でもあるのか、グルグルと渦を巻いて、風を炎で囲って誘導するように、そしてその風を飲み込んで更に大きくなるように。
恐ろしいくらい、美しい光景だった。
(青い炎の竜巻)
ぐるぐると旋回して、天上と地上を繋ぐように長い長い、炎の柱が出来ていた。
小夏は思わずそれに見惚れて、それから慌てて柏木を振り向く。
(こんなでっかい物作って、柏木君、大丈夫なの?)
思わず不安になる。だけど、当の柏木はただ冷静な瞳で、その青い竜巻を見据えていた。
ざ、と強い風が吹く。同時に柏木はもう一度炎を吹き付けた。ひときわ大きくなる竜巻____。
ゆっくりと、竜巻が動き出す。大きな鳥に向かって。青白い炎を閃かせて。
羽が、長い尾が、じりじりと火に近づく。
炎が点いたのは一瞬の出来事。赤い鳥の羽がパッと青く覆われる。
小夏は思わず自分の口を両手で覆った。
鳥がもがくように羽ばたきながら落ちてくる。
「び、白虎……」
小夏は思わず呟いていた。見ていられない。苦しそうに炎に包まれてもがく大きな鳥を。
柏木はただ、静かな瞳で落ちてくる鳥を見守っているだけ。そこに、特に感情の動きはみつけられない。
「君が早く決着をつければ、白虎だって早く手を貸せると思うよ」
柏木の、とても冷静な声。小夏は言われて弾かれたように落ちてくる大鳥に駆け寄る。
青い炎、いつも自分を守ってくれた青い炎がこれほど凶悪に、恐ろしく見えたときなんてない。
「……ごめん、ちょっと痛いの我慢して」
小夏は言ってその翼を刀で地面に縫いとめる。
「決着はついたでしょ?……白虎!」
叫び声のように放った声の返答に、ざああ、と空から水が降ってきた。
鳥が身を起して小夏の前に頭を垂れるのを目の前に、小夏はじっと立っていた。
「柏木君、話って?」
「うん。ちょっと長くなるから、座らない?」
柏木は言いながら、ふう、と息を吐いてその場に腰を下ろす。
見ればやっぱり顔は青褪めて、妙に息が荒い。
(やっぱ無理してたんだ……)
そりゃあそうだろう。あんな大量の炎を、一度に出したのだから。
小夏の心配そうな視線に気付いたのか、柏木は小夏の方を見る。
(わ、改めて落ち着いて顔合わせるとなんか緊張する)
小夏は慌てて顔を伏せる。その頭上を、柏木の声が通り過ぎる。
「さっきは有り難う。まさか、君が利用されてたと知っても僕の味方をしてくれるとは思わなかったよ」
落ち着いた声だった。それでいてどこか、疲れたような声だった。
「だって、柏木君にとって家族が大切だって言うから。すごく、家族大切そうじゃん」
その言葉に、柏木は素直に頷く。
「うん。……僕さ、子狐の頃に、育った世界からこちらに落っこちたんだ。もう力を授かっていたし、姿も人間に化けられてたからしばらくは身元不明の孤児って感じでそういう施設に預けられて。でも、ある日、まだ幼くって術も未熟だったせいか、突然狐の姿になってしまって。みんな、見てた。それで、恐がった。同じ部屋で寝てた子も、一緒にご飯食べてた子も。僕の事を慰めてくれた優しい子も、一緒に遊んでくれた友達も。みんな、恐怖を浮かべてた。……それで、僕は恐くなって、術を使ってしまった。幸い大事には至らなかったけど、部屋の中が炎に包まれて、みんな、恐かったんだろうな。それで、僕は追い掛け回されて、酷い暴力を受けて。閉じ込められて。……なんとか隙を見て逃げてきたけど、もう人間なんて絶対に信用しないと思った。施設にいた人達はみんなとても優しかったんだ。それなのに、突然目の前で豹変されて、わけがわからなくて恐かったから。だけど、逃げて逃げて、もうへとへとだって時にあの家の父親に拾われて。家に連れて行かれたら女の子がいて。……家族はね、みんな僕の力の事知ってるんだよ?小さい頃はコントロールが割と利かなくて、炎を出しちゃったり、妙な術使っちゃったりしたから。だけど、全然気にしないんだ。普通に家族として僕をあそこに居させてくれるんだ」
本当に嬉しそうに、いとおしそうに、柏木はそう話す。
「あそこは、あたたかいんだ。あそこにいると、僕は人を信じられそうになってくる。あそこの人たちはみんな大切で、僕の宝物なんだ。だから、どんな事をしてでも、守りたかったんだ。それに、父親と、引き取ってもらう時に約束したんだ。どんな事があっても姉さんを守るって」
「うん」
小夏はその柔らかい表情に見惚れながら、小さく頷く。柏木にとってどんなにそこが居心地の良い場所であったか。
ちょっと嫉妬も感じるけど、それ以上に柏木が本当に大切そうに話すその表情が眩しくて。
「……でも、正直、佐藤さんを騙すのは途中から少し辛かったんだ」
「え?」
思いがけない言葉に、小夏は顔を上げる。
柏木は何故かとても寛いだ顔をしていて、軽く笑い声まで上げる。
「だって君、余りにも素直な反応するから。悪人騙すより、善人騙す方が良心の呵責があるよね」
「笑いながら言う事?」
小夏はじとりと睨んで言う。
「反省はしてよ」
「はいはい」
言いながら、柏木は立ち上がる。
「まあ、一応ここでこうやって懺悔しておきたかったのはこれから忙しくなってゆっくりと話す暇もないと思ったからで。佐藤さんがその鳥の力を手に入れたところで、色んな事が動き出すと思うから」
「色んな事?」
「そう。それはまあ、その時のお楽しみだけど。とりあえず、僕が君にして欲しい事は、君がこの鳥の力を手に入れて術を出たら、矢田のところに行ってくれる? まあどうせ矢田が引っ張り込むだろうけど、アイツはきっと僕の予想では榊さんと結界作って待ってるはずだから」
「どう言う事? あんだけ喧嘩しといて」
小夏が不審な顔をすると、柏木は謎めいた表情を浮かべる。
「矢田の行動くらい、お見通しって事」
「感じ悪いよ……」
「ありがとう」
「嫌味なお礼」
小夏がぶちぶちと文句を言うと、柏木は微かに首を傾げて、それから言う。
「じゃあ、嫌味じゃない方を言うよ」
そうして、小夏に向き直る。小夏は軽口を叩こうと口を開きかけて、思いの外真剣な柏木の瞳を見つけて、言葉を飲み込んだ。
「さっき、矢田の話を聞いても僕を信じてくれてありがとう。姉さんを助けようって言ってくれてありがとう。……あの言葉で、僕はやっと思い切りがついた」
穏やかな瞳だった。とても、静かで優しい瞳だった。
「思い切り?」
「うん。もう、後悔しないと思う」
柏木ははっきりと頷いて、優しい、本当に優しい笑顔で小夏の頭を軽く撫でた。
「佐藤さんは、成長したね」
「そ、そうかな?」
初めてかもしれない。自分に、正真正銘自分だけにこの笑顔が向けられるのは。
そんな事にどぎまぎして、小夏は上擦った声で答える。
「うん。そうだよ。……ねえ、君、初めて会った時はとてもつまらなそうな顔してたけど、今は全然そんな顔してないよね」
「あ、そういえば」
何故だろう?
最近忙しいからだろうか。前はあんなに毎日が平凡でつまらないと嘆いていたのに。
最近ドラマチックな事が数多くありすぎたからだろうか?
「それはきっと、君が毎日を一生懸命すごすようになったからだよ」
小夏の内心の疑問に答えるように、柏木は言う。
「えー?」
「何その不審そうな顔。君はね、何でも平凡だからって何をするのにも真剣になるのをやめて適当なところで手を打ってたの。だから、何やっても平凡につまらないんだよ。もっと何事にも精一杯やれば、いいんだ」
(そういえば、ココしばらくは本当に必至で厄退治してたもんね)
そんな事を思い出して、小夏は微かに微笑む。
「うん、分かった。心に留めとく。柏木君の説教はだいたい、為になる事多いもんね」
「妙に素直な君ってのもまた、恐いね」
柏木は言って、大鳥を指差す。
「じゃあ、始めようか」
言われて小夏は頷いて鳥に手を伸ばした___。
*
「さっきの話、ホントなの?」
巫女装束の榊は、もう何度となく繰り返した質問をまたもや隣に立ち尽くす矢田にした。
「何度言っても同じだ。それより、結界の方は出来たのか?」
「うちの神社に親父とじい様と母さんとばあちゃん総出で大掛かりなのが出来たってさっき携帯に電話があった。あの子を神社まで運ぶ間くらいはあたしがどうにかして見せるわ」
「期待してるぜ」
矢田は言いながらも、目は柏木と小夏が消えた空間から離さない。いつ、二人が戻ってきても良い様に。そして、戻ってきた小夏をすぐにでも連れ去れるように、一時も気を逸らしてはならない。
「でも、あたしは、まだ信じられないよ」
「信じられないったって、それが真実なんだからしょーがねーだろ」
イライラと、矢田は榊の言葉に返答する。
「全く、どいつもこいつもなんでそんなにあの男がいいんだか」
ぶつぶつと呟く矢田は相当苛立っている。当然だ。これが苛立たないワケがない。
「だって、そう簡単に信じられないよ。あの斎が」
榊はとても困惑した顔でやはり矢田と同じ空間を見つめている。見つめながら、言葉を続けた。
「佐藤さんを殺そうとしてる、なんて」




