後悔先に立たず 1
(あー、学校行きたくないなー……)
朝、学校に行く用意をしながら小夏は大きな溜息をついた。少し腫れた瞼が重くて気分も重い。
(大体あたし、なんであそこで衝動で告白しちゃうわけ!?)
後悔してもし足りない。
せめて禍厄を祓い終わってから告白したならば、次の日からは関係ない者同士なのだから、そこまで気まずい思いはしなくてすんだのに。今の段階で告白してしまっては、今日からの柏木との接し方にとても悩むではないか。
(もー。あたしの馬鹿馬鹿馬鹿ーー)
悩んでいるうちに家を出る時間になってしまっていて。
(ああもう、柏木君が迎えに来る時間だ)
本当は逃げ出したいのは山々なんだけど、逃げ出してしまうわけにも行かなくて。
やけっぱちな気分で小夏は家を出た。
だが、待ち合わせの場所に行って、そこに待っていた人物を見て、小夏は拍子抜けする。
「矢田君? どうしたの?」
「おお」
小夏が近づくと、矢田はに、と笑って片手を軽く挙げる。
「柏木が今朝はちょっと用事があるから俺に迎えに行けって」
「あ、そうなんだ……」
(気を使わせちゃったかな……)
少しホッとしたような気持ちで小夏は息を吐く。
矢田はそんな小夏の頭を軽く小突く。
「ガッカリすんなよ」
「し、してないよ!」
「どーだか」
少し拗ねた様子で矢田はそっぽを向く。
「ホントだって!」
躍起になって否定する小夏に矢田はぶ、と噴き出した。
「分かったよ」
くしゃ、と大きな手が頭の上に乗せられる。
(ああ、あたし、矢田君を好きになってた方が幸せだったのになー……)
小夏はそんな事を微かに考えていると、すっかり機嫌を直した矢田の声が上から降ってきた。
「ところで、日曜は楽しかったか?」
「楽しかったっていうか……別に遊びに行ったわけじゃないし。榊さんも一緒だったから矢田君も来れば良かったのに」
「榊も? 一体ドコ行ったんだ?」
「住宅地の祠に封印を解きに」
その言葉に、矢田の表情が怪訝そうに揺れる。
「封印……?」
「そうだけど」
訝しげな口調に、小夏も首を傾げる。
(矢田君も知ってたんじゃないのかな?)
小夏の少し不安そうな顔に気付いて、矢田は険しい表情で何かを考え込んでいたのを緩めて、ぽん、と小夏の頭を叩いた。
「ま、いいや。遅刻しないようにちょっと急ぐぞ」
その日、小夏は放課後まで柏木を見かける事はなかった。
(やっぱ気まずくて避けられてんのかなー……)
ホッとしながらもどこかで落胆している自分がいるのが情けない。
(未練たらたらじゃないかー! あたし!)
ふられたのにもかかわらずこの執着、自分で諦めの悪さに呆れてしまう。もしかしたら、柏木はこのまま禍厄が来るまでの役目を矢田にバトンタッチしてしまうつもりかもしれないと考えたら、とても気が重くなったのだ。
だから、放課後になって姿を現した柏木を見たら、気まずさもあるけれど、小夏はなんだかホッとしてしまった。
(なるべく意識しないように、昨日の事は忘れたように接しよう)
ホントは今だって心臓がずきずき痛むのだけど。それでも、柏木は少なくとも妹のようで可愛いとは言ってくれたのだ。嫌われていたわけじゃないのだから。
落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせて、小夏は教室まで迎えに来た柏木の所に小走りに近づく。
「どうしたの? 今日一日中見かけなかったけど」
少しだけ、声が上擦った気もしたけど、気にするほどじゃない。大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせて、できるだけ笑顔で近づく。
「ちょっと用事があってね。急だったから」
柏木の態度は一見いつもと変わらなくて、それがホッとするような残念なような気持ちで。
「そっか。もう用事は終わったの?」
「いや。……ちょっと、今日佐藤さんに手伝って欲しい事があるんだ」
「え?」
首を傾げる小夏に、柏木は言う。
「もう一つの封印も、もう解いちゃおう」
*
ダン、と矢田は目の前にあったちゃぶ台を叩いた。乗っていた湯のみが振動にカタカタと揺れる。
「そんな話、俺は聞いてないですよ」
「勿論、そうだろうね」
慣れ親しんだ、神社の社殿の中にある所帯臭い部屋。ちゃぶ台を挟んで目の前に座るのは矢田の尊敬し、敬愛する主だ。その人は、静かな落ち着いた声で言った。
「言ってないもの。誰にも、言うつもりもなかった。……ただ、斎は聡い子だからね。自分で気付いてしまったみたいだ」
目を伏せて、苦悩を噛み殺すような苦い声。
「まさか、よりによってあの子が気付くなんて」
矢田はぎり、と唇を噛む。
(なんつー巡り合わせの悪さだ)
秋芳は痛ましそうに眉根を寄せて言う。
「10年前、私はとても苦しい思いをした。あの子を殺すと決めた時も、そこの参道を百度参りするあの子の母親を見た時も。お前がこっそり覗いているのを知っていて、無駄にお前の不安を掻き立てるとわかっていても、取り繕って平気な顔もできないくらい苦しかった。……だから、今度の事は私の胸に全て閉まっておこうと思っていた。本人でさえ、佐藤小夏さんでさえ知らないうちに、知っている私が全てその罪を被ろうと思っていた……でも、斎にはそれでは済まされない事だろうね」
秋芳は大きく溜息をつく。眉根に益々皺が寄り、苦悩が滲み出る。とても苦しそうに、秋芳は言う。
「でもまさか、斎が封印を解こうとしているなんて。お前に言われるまで気付きもしなかった。」
「俺だって佐藤から聞いて、結子から詳しい話聞くまで気付かなかったですよ。だけど、柏木は何をしようとしてるんだと? 封印をこんな時期に解いて、どうなるって言うんです? さっきの話とそれと、どう関係があるんですか?」
矢田が訝しげに尋ねると、秋芳は大きな大きな溜息をついた。
「マサ、お前は時期外れの黄龍がどんな事を引き起こすのか、知っているかい?」




