謎の美人と火を噴く亀 1
「痛い……」
小夏は溜息をついて手の甲に新たに出来た三本線の引っ掻き傷を恨めしげに見た。
「どうしたの? 小夏。最近よく手に傷作ってくるよね」
千里のそんな問いかけに、小夏はうん、と頷く。
「知り合いの猫に嫌われちゃっててね。あたしが触ろうとするだけで拒否反応なんだよ。もうなんか、側によるのも嫌みたい」
銀猫の態度は最近ますますつんとして小夏に対して敵意を丸出しにするようになってきている。
「なんでかなー」
「まあまあそんな事より」
遠い目をする小夏をぐいぐいと引っ張って現実に引き戻して、千里は実にキラキラとした良い目をして小夏の顔を覗きこんだ。
「小夏、日曜の事が早速噂になってるわよ」
「え、もう!?」
ぎくり、と小夏は身を硬くした。
矢田に告白されたのが、もう広まってしまったのだろうか。なんて早い___。
「小夏、柏木君と日曜、ラブラブデートだったんだって?」
「は?」
意外な事を言われて小夏は拍子抜けする。
「噂になってるわよ。電車の中で柏木君にもたれかかって眠ってたあんたって。目撃者がいたみたいね。まあ、公共の場でいちゃつくあんたも悪いんだけど」
「いちゃついてないよ。誤解! それ誤解」
「じゃあデマなの?」
「いや、柏木君の肩をお借りして寝た事は確かなんだけど、それにはあんま深くないワケがあって、って言うかぶっちゃけあたしが本当に爆睡して寄りかかっちゃっただけなんだけど」
小夏が言うと、千里はべしりと小夏の頭をはたく。
「何よ、結局デートしてんじゃない」
「デートだったら嬉しいんだけどねー」
小夏が頬杖ついてそう言うと、千里はおや、という顔をした。
「珍しい言い方ね。何? 小夏、柏木君好きなの?」
「……」
小夏はそれには返答しないで、楽しそうな千里の顔を見る。
「ちーちゃん、少しはデリカシーと言う物を持って」
「まあ生意気な。……でもまあ、柏木君は、前途多難って感じするわよねえ」
「そうなの?」
小夏が聞くと、千里は「んー」と考え込むようにする。
「なんとなく、本当になんとなくだけど、柏木君って他人を受け入れない感じするじゃない。あの顔であの性格だから告白する子って数知れないけど、みんなふられてるし。特に好きな子がいるって素振りも見せないし。……ほら、3組の小峰さんっているじゃない? あの男子に人気ナンバーワンを誇る可愛らしい小峰さん。あの子なんて今まで3回くらい柏木君にふられてるわよ」
「そんなに!?」
「なんかこう、執着させるものがあるんでしょうねえ。まあ、だからあんな可愛い子までふるなんてきっと女に興味はないんじゃないかと言う事からホモ説も根強く囁かれてるんだけど、あたしはなんか違うと思うのよね。なんというか、他人を必要としていない感じみたいな……もしかしてナルシストなのかしら」
千里の言葉に小夏はブッと噴き出す。
「それは、多分違うんじゃないかな?」
「そお? 面白いのに」
「面白い面白くないで決められてたら柏木君も浮かばれないと思う……」
そんな事を言いながら、小夏は千里の言葉にも一理あると感じていた。ナルシストはともかく、柏木は他人をどこか拒絶している。柔らかい笑顔と仕草で、決してこれ以上は入ってくるなと線を引いてしまっている。
(特に好きな人がいなさそうってのは嬉しいけど、それもなんか、寂しいよね……)
「今日、帰りにちょっと話したいんだけど」
学校帰り、柏木との待ち合わせの図書館へ急いでいた小夏は、廊下で待ち伏せをしていた榊にそう言われて足を止めた。
「えっと……それって、あたしたちと一緒に帰るって事?」
「違う。斎にはあたしが佐藤さん送って帰るからって言っといたから。このまま二人で帰ろうって事」
榊の小夏を見る目は明らかに威圧的で、有無を言わせないといった風がある。
(何か怒らせる事、したっけ?)
この前の、柏木の姉と遭遇した時の事をまだ怒っているのだろうか。
「えっと、じゃあお願いします」
小夏が言うと、榊はぷい、と顔を逸らすように踵を返して、さっさと歩き出す。小夏は慌ててその後を追った。
「あんたが斎とデートしたてたって噂を聞いてね。電車の中でとても仲良さそうだったって」
榊はしばらく黙々と歩いていたと思ったら、唐突にそう口を開いた。
「あんた、この前、斎とはただのフリって言ってたよね。なのに、なんでデートとかしてんの?」
「いや、あれはデートとかじゃなくて、ただ出かけるのに付き合って貰っただけで」
「じゃあ、なんで電車の中でいちゃついてたとか噂が流れるの?」
榊はイライラとした口調で言う。
「あんたさ、自分が秋芳さんの代わりだって忘れてない? 代わりだから、斎が優しくしてくれてるだけだって、忘れてるんじゃないの?」
小夏はじっと榊の顔を見る。榊は、とても痛そうな顔をしていた。
そんな事を言う自分が嫌で嫌でたまらないとでも言うような顔をしていた。だけど、言わずにはいられない……。
だからこそ、小夏は適当な言葉で曖昧に誤魔化してはいけないんだと悟る。
「忘れてないよ」
小夏は噛み締めるように言う。
「忘れてない。けど……」
小夏は言葉に淀む。
榊の前で宣言するのは勇気がいることだ。とても美人で有能なこの人の前で。
だけど、ここで隠して何になるんだろうと言う気がした。だから、大きく息を吸って、思い切って言う。
「あたしは柏木君の事好きだと思う。柏木君は単に秋芳さんの代わりとしか見てくれてないって知ってるけど。禍厄を祓い終わったら見向きもされなくなるって、分かってるけど」
だけど、そうしないでくれると言ってくれた人よりも、自分は柏木が好きなのだ。
榊の瞳が冷ややかに小夏を見据える。
「そうだね。好きになるのは勝手だもんね。……でも、あたしはもうこれから、あんたを一切助けないよ。どっちにしろ、あたしは今まで秋芳さんに命令されてやってる事でもなかったし、あんたの事を気に食わないと思ってる以上、これ以上助けてやる義理はないと思う。今日は約束した手前、送ってってあげるけど、それからもうあたしは無関係だから」
榊の言葉に、小夏は小さく頷く。
「うん……ごめんね」
その瞬間。
パン、と激しい音がして、小夏は頬に痛みを感じた。
頬に手を当てて呆然と相手を見る小夏に、榊は怒りに燃えた目を向ける。
「そこで謝る神経が、あたしには分からない」
それからは、本当に無言で。すたすたと榊は歩き出した。
*
「君、何やらかしたの?」
翌朝、憂鬱な気分で学校に向かう道で、柏木が呆れた口調でそう言うので、小夏は首を傾げた。
「何が?」
「矢田も榊さんも、君のお守りはもうやだって突然拒否してきて。戦力ダウンだよ」
「……ごめん」
小夏が俯いて言うので、柏木は溜息をつく。
「その様子だと、心当たりもあって、反省もしてるって様子だね」
「うん」
小夏が素直にに頷くので、柏木はぽんぽん、と軽く小夏の頭を叩く。
「君が気にならないなら良いけど、気にしてるようならどうにかした方がいいよ。そんな風じゃ、いつ厄につけこまれるか分かったもんじゃないからね」
「どうにかするってどうすればいいの?」
小夏の言葉に、柏木は少し眉根を寄せる。
「どうすればって言っても、僕は事情を知らないし。……でも、榊さんに関してはよくわからないけど矢田はただ拗ねてるだけって感じはしたから、話し合ってみるのもいいかもね」
その言葉に、小夏は少し怯む。
(話し合うったって……)
矢田の告白に答えられない以上、何を話し合えば言いと言うのだろう。
悶々と悩む小夏を見て、柏木は溜息をもう一つつく。
「まあ、君の問題だから僕は口出ししないけどね。……ただ、あの二人の力をあてにできないと思うと少し不安だから、もう一つ封印を解いた方がいいかもしれない。勿論、君にソレが出来ると思うのなら」
その言葉に、小夏は少し迷った後、小さくう頷く。
「うん、やる……」
「そう。じゃあまた今週末にでも行こうか。それまでに、腕を治しておくようにするよ」
だから、と柏木は言う。
「それまでに、もう少し立ち直っておくんだね」




