想いの方向 4
柏木の炎は青く輝く。それが視界を蓋うたび、黒い物はどこかに行ってしまうけれど、しばらくするとすぐにそれは黒い物で覆われる。そんな事を何度繰り返しただろう。
柏木は微かに荒くなっている息遣いを整えようとして課深呼吸をして、また炎を飛ばした。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃなくても、やんなきゃならない事は同じだろ」
こんな状態でも憎まれ口。だけど、もしかしたら、その憎まれ口で少し小夏が安心している事にも気付いているのかもしれないと思う。憎まれ口を叩くというのは、少なくともまだ余裕があるという事だと小夏は安心するのだから。
(でも……)
少し心配なのは、柏木の顔色が冴えないこと。
(無理もないよね。さっきから、ひっきりなしに炎出してるもん)
小夏が思っているよりも、それはとても疲れることなのかもしれない。
(だったら、あたし、こんな所でボケッと見ているだけって言うのはどうなんだろう)
柏木斎はいつも平然としている。淡々としていて、何が起きても平気だと言う顔をして。
(だけど、それはホントの彼なの?)
ただ、内心が表情に出難いだけだとしたら?
ポーカーフェイスがとても上手いだけだとしたら?
本当はとても辛いのに、弱みを見せないだけだとしたら?
小夏は思わず柏木の方に手を伸ばしていた。ぐい、と柏木の制服を引っ張ると、柏木は不快そうに小夏を振り返る。
「なに?」
取り込み中だから邪魔をしないでくれ、と視線が言っている。一方で、額に浮いた汗とか、妙に青褪めた顔とかが、とても気になる。
「逃げよう」
「は!?」
「いいから逃げるの!」
小夏は有無を言わせないように怒鳴りつけると、柏木の手を引いて駆け出した。
(ほら、柏木君、足がもつれてる)
そんな事に気付いて腹が立つ。
どうして隠すのだろうか。どうして、平気そうな顔をするのだろう?
辛くても悲しくても、この人はこうしてなんでもない顔をするのだろうか。
そう考えて、ハッと気付く。
(だとしたらあの犬の事であたしを庇ってくれた時だって……)
傷ついていなかったって、誰が言える?
あんな風に傷ついて、自分を悪者にして。
そう考えると、自分のお目出度さに、無神経さに腹が立つ。人を悪者にして平気でいた自分。
それと同時に、自分の感情を隠しすぎる柏木にも腹が立つ。
(どうして、そうやってなんでも平気な顔するの)
「佐藤さん、止まって」
不意に、静かな声が聞こえて、掴んでいた腕が急激に重くなって動かなくなった。柏木が力を込めたのだと知って、小夏は足を止める。
「追いつかれる」
「でも……」
柏木の言うとおり、見ればずっと向こうの方に木があるはずなのに、長い枝が信じられないほど伸びてきて、すぐ背後まで迫っている。
「しかもこれ、僕の空間の中だからいくら逃げても同じだと思うけど」
「そっか……って、じゃあ、それ早くといてよ」
「いや。こんな厄が活発なところをたまたま通行人が通ったりしたら被害を受けると思うし。ある程度は決着を着けていかないと」
そう言って、柏木は小夏が止める間もなく炎をそれに吹きかける。パッと視界が青い揺らめきに遮られて、黒い物がそれに飲み込まれる。
それと同時に、ふらりと揺れる柏木の足。
(やっぱり、しんどいんだ!)
柏木は尚も化け物に立ち向かおうとする。
「もう、止めなよ。柏木君、へろへろのクセに」
小夏がそう言って静止するのも、いつもの軽く馬鹿にするような視線で小夏を見て、鼻で笑う。
「だって、ここに戦えるのは一人しかいないじゃないか」
(うん。あたしには何も出来ない)
それは図星で、小夏はぐっと詰まる。
いつも用意された刀を持って、彼らに恐ろしい物を取っ払ってもらった状態でしか、自分の出来ることはない。
それが、とても悔しい。今ほど悔しいと思ったことなんてないくらい、悔しい。
(あたしにも、なにか出来ないの)
彼らの力になりたい。力が欲しいと願う。
例えば今柏木に、心配しないで私がやっつけておくから、と言えるくらい力が欲しい。
小夏は柏木を思い切り背後に引っ張る。咄嗟の事で、柏木はバランスを崩して倒れこむ。
「何をするんだ」
ものすごい剣幕の柏木は、確かに怒っているのだと感じて。そのくらい今は余裕のない状況なのかと再認識する。
「駄目だよ。柏木君、今にも倒れそう」
「言ってる場合か」
「場合だよ!」
柏木の手には、治りかけの火傷の跡がある。これも、小夏のためについたもの。
そして、今息を乱して青褪めた顔をしているのも、小夏のために。
「あたし、あたしのせいで人がそーゆー風になってるのって、見てらんない」
小夏は言って、地面の石をいくつか拾って、化け物の方に駆け出す。
「何を」
柏木が言うのも聞かないで。
(あたしに、なにか出来る時間稼ぎ)
厄の狙いは、柏木じゃないんだから。小夏なんだから。
小夏が柏木から離れれば、少しは柏木が休める。
(見ろ! テニス部の命中率!)
補欠だけど、と付け加えて石を化け物に向かって投げる。かちん、と音がして、枝のような触手のような黒い物が、一気に小夏に襲い掛かってくる。
とにかく自分の出来ること。銀猫が刀を持ってきてくれるまで、逃げ切ること。
(柏木君が大分時間を稼いでくれたもん)
きっと、銀猫はすぐに来るに違いない。もう、すぐに。
それまでの辛抱。
足元に、まとわりつく様にいくつ物長いもの。踏みつけて、飛び越えて。そうしているのだけど数が多い。
スカートがひらいめいて、下着丸出しても気にしていられない。
くるり、と足首に黒いものが巻きつく。
(やば……)
思ったときには、それを高く持ち上げられていた。
(ぎゃー!)
逆さ吊りに、すごい高さまで持って行かれる。
ジェットコースターを髣髴とさせるスピードだけど、そんな楽しいものじゃない。
凄まじい速さで振り回されて、いくつもの枝が体を掠って行く。
(痛い! 恐い!)
助けて、と思ってしまう。やっぱり、どうしても。
「助けてー! 柏木君」
ちょうどその時、視界が青く染まって、小夏の足から何かが外れたのを感じた。
どさ、という衝撃とともに、体がじん、と痛んだ。
「……全く」
柏木が呆れたように小夏を見下ろして、刀を差し出している。
「君ってマゾなんじゃないの?」
「何それ酷い言い方」
「心当たりは充分だろ。……ほら、行ってらっしゃい」
言われて小夏は、差し出された刀を受け取る。
「行ってきます」
目の前の木は、先ほど柏木の放ってくれた炎のお陰で黒い物が一時的に消えている。だから、小夏は安心してそこに近づける。
鞘から刀を抜いて、小夏は木に向かってそれを突き刺した。