想いの方向 2
榊が携帯電話で校門で待っている筈の柏木と矢田に連絡をすると、二人も慌てて秋芳神社に訪れた。
「早速厄に襲われたって。ダイジョブだったのか? 佐藤」
矢田は石段に座って待っていた小夏を見下ろして開口一番そう尋ねる。
「大丈夫。秋芳さんに被害は及ばなかったよ」
小夏がふざけてそう言ってやると、矢田はこん、と小夏の頭に拳を当てる。
「そう言う事じゃねーよ」
少し、不貞腐れた口調。
(あれ、痛くない……)
前まで、本気で痛いと思う力加減で殴られていたのに。
小夏がそんな事を思っている間に、柏木は小夏の手から刀を受け取る。
「それで、どうやって倒したの?」
「それが、すごかったんだよ! 榊さんが厄を……ぶっ」
言いかけた小夏は鳩尾に鈍痛を感じて一瞬視界に星が散る、という貴重な体験をしてしまった。榊の肘が小夏の鳩尾に、一瞬潜って痛みを与えたのだ。ほんとに素早かったけど、的確な肘打ち。
痛みで微かに涙目になる小夏の横で、榊は平然と言う。
「ちょっと散らしただけだよ。大したことないじゃん」
「へえ。榊さんって散らすのも出来たんだね」
柏木は特に小夏の様子を気にする事もなく、普通に会話を続けている。
(……話すな、って事だよね)
榊が小夏に肘打ちした一瞬、榊の瞳が小夏を捉えて、確かにそう言っていた。
(なんでだろ)
厄を蹴り飛ばして散らした姿はすごかったのに。
腹を押さえながら少し咳き込んだ小夏は、軽く口の端を上げてにやりと笑う矢田と目があった。
(……?)
小夏の怪訝そうな顔を見て、矢田は意味ありげな視線を送る。榊から、柏木へと。視線で指し示すように。
(もしかして)
その矢田の行動と、榊の行動とに思い至った。
(そういえば、さっきも柏木君のことなんか聞いてきたし)
もしかしたら、そうなのだろうか。
榊は柏木の事が……?
「とりあえず、コイツ送ってこうぜ。柏木」
矢田が小夏を指して言うと、柏木は頷いて小夏を見る。
「行くよ」
「うん……」
小夏が立ち上がると、榊も当然のように立ち上がる。
「せっかくだから、あたしも送ってこうかな」
さりげなく。まるでそれが当然かのように柏木の隣に並んで。
「秋芳様の言いつけだしな。俺も行こー」
楽しそうに矢田も立ち上がって、自然に小夏の隣に並んだ。
「あれ?」
不意に小夏の前を歩いていた柏木が呟いて足を止めた。少し大き目の、スーパーマーケットの前。
柏木が足を止めると同時に、4人の前を横切ろうとしていた相手もこちらを向いて少し驚いた顔をした。
「あら、偶然ね」
小夏は相手の女性を見て少し怯む。
(美人だー)
凛とした感じの、と言えばいいだろうか。少し厳しそうな印象ではあるけれど、紛れもなく美人と呼んで良い部類の女性。すらりとした手足に小さい顔。整った顔立ち。少し色素の薄いストレートの髪は肩の辺りで揺れていた。眼鏡を掛けているので知的な印象が加わる気がする。
「すごい荷物だね」
柏木は女性に向かって小走りに近づいて行って彼女が両手に持っていた大荷物を持とうとする。
「いいよ。あなた、友達とどっか行くんじゃないの?」
女性はそう言うが、柏木は重そうなその荷物をいかにも軽々と奪ってしまって、代わりに通学鞄一つ女性に押し付けていかにも爽やかに、感じ良く笑う。
「いいんだよ。もう帰るトコだから」
「でも」
「いいんだって」
柏木は言って、くるりとこちらを振り返る。
「ね?」
柔らかいのに、有無を言わせない口調。微笑んでいるのに、絶対にこちらに口出しをさせない透明な壁。
(邪魔をしないで、って言ってる……)
小夏はずしりと胸が重くなったのを感じた。
柏木は自分たちなんか眼中になくて、目の前の女性だけを見ている。それが隠しようもなく伝わってきてしまったから。
(柏木君にとって、あたしたち3人、この人に比べたら取るに足らない人間なんだ)
誰だろう。彼女だろうか?
「柏木、佐藤さん送ってくんじゃないの?」
低い声が耳に入ったのはその時。榊が、剣呑な瞳で柏木と、その隣の美人を睨みつけてそう言った。
「ほら、斎」
女性が柏木に対して少し咎めるような声を出す。だが、柏木は女性が取り返そうとする荷物をさっと自分の背後に隠してしまうとにっこりと笑う。
「大丈夫だよ。矢田だっているんだもんね」
ね、と小夏に笑顔は向けられる。強制の笑顔が。
榊が軽く小夏を振り返る。その目は拒否をしろと言っている。言っているけど、そんな事をしてどうなる?
(柏木君は、ただでさえあたしのせいで自分の時間が削られてるのに)
彼はあまり自分の意思を表に出す事がないのに。その彼がここまで無言の圧力をかけてきているのはとても珍しいことなのに。
「うん。矢田君が送ってくれるから大丈夫だよ」
小夏が言うと、柏木は「ほら」と言って女性を振り返った。
「でも」と眉根を寄せる女性を急かして、柏木は言う。
「ほら、早く行こうよ。僕、お腹すいたな」
柏木が去って行って、見えなくなるまでなんとなく見送って、見えなくなったと同時に榊が苛立たしげに鼻を鳴らした。
「あたし、帰る」
「え、あの……」
小夏は慌てて何かを言おうと思ったが、言い繕うべき言葉が見つからなくて、結局黙り込んだ。
「じゃあね」
榊はひらひらと手を振ると足早に去ってしまう。
「ほら、俺らも帰るぞ」
矢田がそう言って促すので、小夏はなんだか重い足を無理矢理動かして、歩き始めた。
「結子のアレは気にすんな。あいつ、すぐカッとなるけどすぐ忘れて元に戻ってるから」
矢田が歩きながら言うので、小夏は小さく頷いた。
確かに気が重いのは大半が榊の事が原因だと思うのだけど。それしか原因が思い当たらないはずなのだけど。
何故かそれだけではない気がする。
「気付いたと思うけど、結子は柏木が好きなんだよ。俺もあそこに住んでる都合、けっこう結子の修行とかにつきあったりしてて、柏木もこっちで見つかってからは混じったりしたけどさ。いつの間にか結子は柏木の前では少し、取り繕うようになってて。例えばさっき厄散らしたってのもそうだけど、アイツ蹴りとかで散らすだろ? そういう女らしくなかったりする事は柏木の前では隠してたり。あの結子がだぜ? 始めはマジで信じられなかったな」
矢田は当時の事を思い出しているのか、少し苦笑するように言う。
「まあ柏木は気付かないんだかフリしてんだかしらんけど、結子にはいつも同じ態度だな。結子が不憫になって来る程の脈なし感」
「それは、あの人がいるから?」
小夏はそう尋ねずには居られなかった。
先ほどの美人。あの淡々とした柏木が、普段にはあり得ない程の執着を見せた相手。
矢田は少し首を傾げるようにする。
「まあ、あの人だけじゃないけど。……勘違いしてると思うから言うけど、アレ、柏木の姉貴だぜ?」
「え!?」
小夏は驚いて矢田を見上げる。矢田は呆れたように溜息をついた。
「あのシスコンっぷりは異常だよな。普通気付かないよな。でも、姉貴にだけじゃなくて柏木は家族全体に対してあんな感じだよ。いっそ自分の家族以外はどうでもいいってくらいだ。結子もいつもそれで嫉妬してる。家族だって分かってても、やっぱ割り切れないんだろうな。今日みたいなコトあったら、いつも突っかかって、ああいう風に軽くあしらわれるんだ」
矢田の口調は、呆れているようでもあり、そして少し榊を憫れんでもいるようだった。
「結子、イイヤツなんだけどなー」
矢田は溜息をつくように、そう言った。
「ただいまー」
家に帰るといつもと同じ光景。母親は相変らずダラダラとテレビを見ていて、父親はくたびれたシャツとジャージで酒をちびちびやっている。
「最近あんた遅いわねー」
母親が振り返らずにそんな事を言う。
「色々急がしいんだよ」
「いいけど、非行とかには走んないでよぉ?」
言って、それがあり得ない事と分かっているように母親はけらけらと笑う。
いつもと同じ。平和な家庭。平凡な、退屈な家庭。
(あーあ、うちも柏木君の家みたいだったらな)
カッコよくて社長のお父さんや、美人のお姉さん。その他に、優秀な兄と可愛い弟がいると聞いた。
(あのお父さんくらいカッコイイ父親だったらあたしだってファザコンになるよ)
台所に用意してあった夕食のラップを外しながら、小夏は溜息をつく。
「どーしたのぉ? 溜息なんてついちゃって? まっさか恋煩いー?」
母親が言ってげらげらと笑う。それて、小夏はもう一度、大きく溜息をついた。