野良猫と身の危険 2
「で? 何があったんだ?」
立ち話もなんなので、と。側の公園に場所を移して、小夏と矢田は一息ついた。とはいっても、座っているのはブランコなのだけど。
「だから、特に確証はないんだけど、昨日一日家の中でつまづいて転んだり、物がなくなったり、引っ張られたり、視線を感じたりが多発して」
「単にお前のドジからじゃねーの?」
「違うって。あたしそんなドジじゃないし」
「さっきの行動を見てはとてもそうは思えないな」
「さっきのはさっさと拳をどけなかった矢田君が悪いんじゃん」
小夏がつっかかると、矢田は自分から言い出したくせにわかったわかった、と宥めるようにして先を促す。
「それで?」
「それで、って言うか。前逃がしちゃった厄の存在気づき始めた時もそんな感じだったから、もしかしてやばいのかもって思って秋芳さんに相談に来たんだけど……」
はああ、と矢田が溜息をつく。
「そんだけかよ」
「そんだけって! 寝首をかかれないかすごい怖かったんですけど」
「まあな。お前は結子みたいに結界貼れたり札作ったりできねーしな。いっそ代打がお前じゃなくて結子だったらまだ楽だったのに」
矢田はぶつぶつ文句を言う。
「じゃあ、とりあえず今日一日ぶらぶらしてたらおびき寄せるんじゃん? そんで出てきたら俺が散らしてお前が祓えばいいんだろ。ちょっと待ってろ、桜小太刀持ってくるから」
そう言って、矢田は神社の方に歩いて行ってしまう。
(え……ちょっと、あたし今日一日、アレを持ち歩かなきゃいけないの?)
そういえば、良く考えればいつも柏木がちょうど良いタイミングで手渡してくれたのだ。
(って言うか、あの刀ってやっぱ実在するものだったんだ)
いつもあまりにも都合よく柏木が持ってくるから、変身モノの都合の良いアニメのヒーローの武器のようにどこからか降って湧くような、そんなイメージを持っていた。
(現実、だもんねー)
キイ、とブランコを揺らす。
(柏木君が帰って来るのは、今日の夕方か……)
なんとなく、そんな事を考える。
ふと、小夏は視線を感じて何気なく顔を上げた。そして、その場に凍りつく。少し離れた公園の入り口から、灰色の毛並みが美しい金の目をした猫がじっと小夏を見ていた。
(一体いつから……)
小夏はそっと立ち上がる。足を後に向かって何歩か進める。猫は相変らずじっと小夏を観察していた。
(恐い)
今は柏木がいないのだ。矢田もまだ戻ってこない。今、厄に襲われたらどうする?
鏡の中から伸びてきた手を思い出す。あの苦しさ、恐怖。
___恐い!
小夏は思わず駆け出していた。とりあえず、逃げなければ。それしか頭に無かった。
走って走って、小夏がようやく足を止めたのはかなり遠くへ来てしまってからだった。後を振り返って、猫が追って来ない事を確認して安堵する。
(だけど、さっきだってそうしたんだから、油断は禁物だ)
どこにいけば一番いいのだろう。安全なはずの自分の家が危険ならば。
(とりあえず、一人でいたら危険だよね)
誰か少しでも人の多い所へ。そう思って商店街の方へ足を向ける。恐怖の中で一人っきりでいるのは耐えられなかったから、せめて人ごみの中にいたかったのだ。
商店街の店はぼちぼちもう開いていて、そのざわめきと活気に、小夏は少しホッとする。見知らぬたくさんの人。少なくとも小夏は、一人じゃない。
と、不意に小夏はぞくりとした何かを背後に感じた。
(何?)
どきどきと、鼓動が早くなる。なにか良くない予感がする。何か、違和感が。
(あ!)
ようやく、違和感の正体にきがついて小夏は愕然とした。
自分の側すれすれのところから立ち上る黒いもの。見覚えのある、恐ろしい物。
(なんで、こんな所で……)
小夏は人ごみの中を駆け出す。逃げ出そうと、必至だった。それなのに。
背後で恐ろしい叫び声が聞こえて小夏は振り返る。そして、呆然とした。
商店街は大混乱に陥っていた。黒い物が人々の周りに淀んだまま停滞している。その中で、人ごみが、転んだり喧嘩したり怒鳴りあったり火が噴き出したり水道管が破裂していたり、自転車が突っ込んでいたり。
小夏は呆然と立ち尽くすしかなかった。
(何? 何が起きてるの?)
ギャアギャア、という掠れた声が聞こえたのはその時。小夏は咄嗟にその声が聞こえてくる頭上を見上げた。見上げて、絶句した。
大量の黒い物。カラス。カラスが商店街の上空をどんどん蓋っていく。そう思う間もなく、次々と休下降してきては鋭い嘴で、大きな羽で黒い靄を吹き飛ばしていく。黒い羽が散る。大量のカラスが視界を蓋う。
ただそれを息をつめるようにして見つめていたら、ぐい、と不意に腕を強く引かれた。そのまま引き摺られるようにして駆け出す。見ると、矢田が怒った顔で小夏を引っ張って走っていた。
「なんで勝手にあんなトコ行ったんだ!」
怒鳴り声は耳に響いた。もと居た公園に戻って、小夏は肩を縮めてその怒声を受ける。
「アレはお前のせいで起った事だぞ。オマケに依代の方はまた見失うし」
「……どう言う事?」
小夏の恐る恐るの質問に、矢田は舌を鳴らす。
「そのまんまの意味だよ。あそこで今お前を狙ってる厄はお前を殺そうとした。その気配を察して周囲の厄がすごい勢いでその厄元に集まり出した。だけど、その時お前が逃げ出したんで、厄の取り付いているモノ、依代は素早くお前を追ってその場を逃れた。集まってきた厄は行き場所をなくして周囲の人間を襲いまくったんだろう。厄に襲われると不運に見舞われるからな」
「そんな……」
小夏は青褪めて、自らの体をぎゅ、と抱きしめる。
「ったく。傍迷惑な女だな」
矢田は大きく溜息をついた。
「で? なんでここで大人しく待ってられなかった?」
「……猫が、いたから」
小夏は震えながらもなんとか声を絞り出す。
「猫?」
「昨日から、母親が拾ってきて家で飼ってる猫。家の中で変な事起り始めたの昨日からだし、タイミングが良すぎるから恐くなって、あの猫も厄に憑かれてるんじゃないかとおもって、恐くって。それで、矢田君が居なくなってからすぐにあの猫があそこら辺にいてこっちを見てて。だから恐くって、逃げ出した」
「お前、それは多分……」
言いかけた矢田の声を遮って、唐突に大声が聞こえた。
「あれ? あんたたち、なにやってんの?」
二人して弾かれたように振り返る。公園の入り口から、榊が近づいてくるのが見えた。
「榊さん……お出かけ?」
小夏がそう尋ねたのは、榊がお洒落をしていたから。
「そ。遊びに行くトコ。あんたたちはデート?」
「まっさか」
と即答したのは矢田。
「お守りだよ」
「珍しい。マサ、あんたあれだけお守りは嫌だとかタンカ切っといて情けない」
榊は意地の悪い笑い方をして矢田を見る。矢田が不快そうに榊を睨んだ。
「こいつが恐い目に遭うとすぐ秋芳様に助けを求めに来るような女なんだからしょうがないだろ」
「あ、じゃあ。また厄が現れたんだ。いいじゃん、別に。秋芳の若オヤジはどうこうしてあげる力はまったくないと思うけど、知恵くらい貸してくれると思うよ」
「オヤジとか言うな。……万が一、秋芳様が厄に狙われたら困るだろ」
矢田の言葉に、榊は呆れたように溜息をつく。
「今は佐藤サンに力があるんだから、厄だってわざわざ無力な秋芳サンを狙わないでしょう。あそこには結界張ってあるし」
「元秋芳の神ってだけで狙われる可能性があるだろう。結界の中に厄つれこまれたらどうすんだ」
ムキになる矢田に、榊は肩を竦めた。
「まあ、いいけどね。じゃああたし行くから厄退治頑張って。あ、佐藤さん。暇ならついでに犬と遊んでやってよ。うちの前の小屋にいるから」
ひらひらと手を振って、そんな事を言って、榊は去ってしまう。
「……」
なんとなく拍子抜けして二人はその場で黙り込んだ。
(沈黙が重い……)
話題がない。気拙い。
かといって、矢田から離れてしまうわけにも行かないし、人通りの多い場所に移動するのも避けたい。
黙り込むと、先ほどの事が思い出されて来て、小夏はさらに落ち込んだ。
「あの、さあ。聞いてもいい?」
「なんだよ」
ぶすっとした矢田の乱暴な返事。
「さっきの人たち、大丈夫なの、かな? 怪我したりとかさ」
「大丈夫じゃない。大怪我」
「え……」
言葉を失って青褪める小夏を、矢田はちらりと一瞥して、それから投げやりに言う。
「嘘。あのくらいの厄なら一人一人は運が悪い事が重なる程度で、大げさな事になんねーよ。俺がきちんと散らしておいたしな」
その言葉に、小夏は安堵して、胸を撫で下ろす。自分のせいで人が怪我をしたりしたらどうしようかと思ったのだ。
安心すると同時に、矢田の言葉が気になった。
「矢田君も散らしてたの?」
散らす、と言って想像するのは柏木が青い炎で黒い靄を焼き尽くしてしまうところだけど。
小夏の怪訝そうな様子に、矢田は面倒くさそうにしながら答える。
「カラスが、下りてきただろう。アイツは狐で俺はカラスで、それぞれ使える技だって違う。俺はアイツみたいに炎も出せないし変な術も使えねーけど身体能力には優れてるし空も飛べる。同属を操れる」
「へー。柏木君は狐を操れたりしないの?」
「特にそういう話は聞かないな。つーか、狐なんてココらへんじゃ見ないだろ。操れてもな」
「ああ。そっか……」
「でも、その代わりにあいつ、使い魔が居るし」
「使い魔?」
聞きなれない言葉に小夏が首をかしげると、矢田は苦々しい顔で言う。
「秋芳様から頂いた力だっつーのに、それを他の小物の妖怪に少し与えて、そいつを自分の従者として使ってる。秋芳様にとっての俺たちみたいのを、アイツは1匹持ってるんだ」
(そんなの、見たことない……)
柏木とは結構一緒にいる方だと思ったのに。どんな姿をしているのだろう?そう尋ねようとした時、とても軽快に小夏の腹が鳴った。
「……お前、本当に女かよ」
矢田は呆れた顔で小夏を見る。
「いやー、朝から走りっぱなしだしね。朝食パン1枚しか食べてないし」
時計を見ると、少し早いけど昼食には良さそうな時間帯。
「コンビニ行かない? 昼ごはん買いに」
「しょーがねーな」
矢田は面倒くさそうに、立ち上がった。