カラスと巫女さん 4
「一応自己紹介しとくと榊結子。秋芳神社の神主の家の一人娘よ。……あたし自身は巫女みたいなものだね」
女子トイレから出て、帰り道を歩きながら榊が自己紹介をする。ようやく喉の痛みが引いてきた小夏は、思わず声を出す。
「巫女!?」
「何その意外そうな顔」
榊はじろりと小夏を睨んで言う。
「イエ、特に……」
「あまりにも君が清純な巫女と言うには似合わないんで驚いたんだって、佐藤さんは」
にっこり笑って柏木が言ったので小夏は慌てたが、榊はにっこりと笑い返して柏木の腹を殴っただけだった。
「あんたのコトは秋芳サンから聞いてるから、まああたしもアンタみたいに祓う力はないんだけど、助太刀させていただくわ」
「榊サン、良いパンチ持ってるね……」
小さく呟いた柏木はこの際無視して、小夏は榊に向き合う。
「宜しくお願いします。……さっきは逃がしちゃってごめんなさい」
「いえいえ。まあアンタも最近こんなこと始めたばっかだし、しょうがないんじゃない。マサは短気すぎるのよ」
「違うよ。あれは、秋芳様好きでしょうがないヤツだから、佐藤さんに八つ当たりしてるんだよ。佐藤さんのせいではないのにね」
二人の会話を聞いて、小夏はふと疑問に思う。
「そう言えば、矢田君って何者なの? あたし、てっきり厄が取り憑いてるのかって勘違いしちゃってたんだけど」
小夏の言葉に、二人は揃いも揃って目をぱちくりとさせる。
柏木は大きく息を吐いて小夏のに言う。
「矢田の説明をする前にまず厄の事だけどね。厄は普通、人間にとり憑く事はないよ?」
「えぇ!?」
「人間ってのは自我が結構強いからさ。生きてるものに憑いて操るって、その分それの意思を捻じ曲げるって事だから難しいんだよ。この前のは子犬でそんな自我が目覚めてない頃だったから在り得たけど、あんまある事じゃないね。強い厄だと動物位には憑く事が出来ると思うけど、人間はまずないよ」
「そうなんだ……」
説明する柏木の側で、榊が呆れたように溜息をつく。
「斎、アンタそんな事も説明してなかったわけ?」
「そういえばそうだったね」
「頼りない狐」
ずけずけと言って、榊は小夏の方を向く。
「マサの事だけどさ。アイツも斎と同じで秋芳サンに仕える者だよ。……って言うか、まあ、正体は違うわけなんだけど。こいつは狐だけど」
言いながら柏木を指差すと、柏木は少し眉を顰めて不快そうにする。
「だけど、マサはカラスよ」
「カラスぅ!?」
「そう。つってもまあ、普通のカラスじゃないけどね。斎と同じく秋芳サンの力を受け継いでるよ」
その言葉に、小夏は益々混乱する。
「え? 柏木君も、秋芳さんの力を受け継いでるの?」
(なら別に、あたしが祓わなくても柏木君たちが祓えば……)
小夏のその疑問に気付いたように柏木が面相臭そうに榊の言葉を補足した。
「別に君と同じ力を貰ったわけじゃない。神様たちには元から自分の使いの物に与える力、という物が受け継がれてるんだ。それを、自分が使いにすると決めた者に与える。そうすると、その者は神様を守る者としての使命を得る代わりに戦う能力を手に入れる。でも、だからと言って神様と同じ能力は持ち得ない。僕や矢田が持っているのはそういう力。君が受け取ったのは、神様の能力そのもの。だから、神様の代わりが出来はするけど戦うことは出来ないね。その代わり、本来神様を守る筈だった者達に自分を守らせる事が出来る」
だから本当は、矢田も君を守らなきゃいけない筈なんだけど、と柏木は言う。
「アイツは自分で認めた相手じゃないと従わないからね」
「我が侭なんでしょ」
榊は呆れたようにそう言う。
「そういえば、榊さんも秋芳さんから力を受け継いだの?」
小夏の言葉に、榊は首を振る。
「あたしは、違うよ。もしかしたらずっと昔、ご先祖様はそうだったのかもしれないけど。あたしは、生まれつきと言うか家系にというか、そういう力があるんだよ。神主の家系だからさ、小さい頃から修行させられてるってのも関係してるとは思うんだけど」
「修行?」
「うん。結構聞いたら引くよ? 滝に打たれたりとかマジ辛かった。今時ないよね」
「すごい」
小夏が感心した声を上げると、榊は笑う。
「まあだから、安心して頼ってよ」
「うん、頼りがいある」
(わ。榊さんて笑うと人懐っこい顔になる)
普段派手目で恐いと思っていた榊がなんだか身近に思えて小夏は少し嬉しくなった。
榊とは神社近くの道で別れて、小夏はまた柏木と二人きりで歩いていた。
途中、コンビニの前を通った時、柏木が少し立ち寄りたいと行ったのでしばらく店の前で立っていた。濡れ鼠の格好のままじゃ、店に入るのは気が引けたのだ。
「お待たせ。はい」
柏木は店から出てすぐに歩きながら小夏にビニール袋を渡す。
「何?」
怪訝に思いながらその中を覗いて驚く。
タオルに湿布にのど飴___。
「貰っていいの?」
「君以外に誰がそんなもの使うって?」
「……ありがとう」
いつも憎まれ口を叩くクセに。冷たいくせに。どうしてこうやって、時々優しいのだろう。
先ほどまでの事が思い起こされる。
女子生徒たちの冷たい瞳。矢田の刺すような瞳。向けられる敵意。
矢田が厄だと思い込んでしまっていた自分。
厄に怯んで取り逃がしてしまった自分。
「あのさあ」
数歩前を歩いていた柏木は不意にピタリと足を止めて小夏の方を振り返った。
「君って泣き虫だね」
言われてしまっても、言葉が出なかった。喉の奥の熱い塊は小夏の言葉を全て阻んでしまう。
「さっきまではそんな様子、微塵も見せなかったくせに」
柏木は大きく溜息をついて、立ち止まってしまった小夏の手を乱暴に引っ張る。
「ほら、さっさと歩く」
乱暴なのに。少し痛いくらいなのに。想像したよりも大きなその掌は温かくて、とても安心する。
「泣いてるだけじゃ、伝わんないんだよ。知って欲しいことがあるなら、口で言う。赤ん坊じゃないんだから」
それは本当に、幼い子供を相手にするような口調で。小夏は霞む瞳で数歩先を歩く柏木の後頭部を見つめる。
空は既に真っ暗になっていて、三日月がぽっかり浮かんでいて。住宅街に入った道は人通りもまばらでとても静かだった。
「やっぱあたし、かっこ悪いんだもん」
しばらく歩いた後、小夏はようやくそう言った。柏木は一瞬不可解な顔をしたものの、特に言葉を発する事もなく、続きの言葉を待つ。
「いつも迷惑かけて、人に頼りっぱなしで。何の役にも立たなくて……」
ずず、と鼻をすすりあげる。目が腫れて、瞼が熱かった。
「あたし、秋芳さんに頼まれた時は、なんか漫画とかのヒーローになった気分で、結構嬉しくて。……でも、結局あたしはヒーローなんかに全然なれなくて。むしろ足手まといで。もう何回も、引き受けたことすごく後悔してて、それもなんか、すごいカッコ悪くて……」
柏木は大きく溜息をつく。
「当たり前じゃないか。例えばその、ヒーローとか? が実際いると仮定しても、彼らは君みたいに傍観者じゃないんだよ。全部現実で、現実だからこそ一生懸命考えて我武者羅に動く。君みたいに、遊び半分でやってない」
甘い慰めなんか期待してなかったけど、それでも冷たい言葉。
「遊び半分って」
不満気な小夏の声に、柏木は軽く鼻で笑うようにする。
「言い方が悪い? でも、少なくとも、僕たちの持つ真剣さより、君の居る場所は少し離れてる気はするよ? まあそれはそれで別にいいんだけど。君に僕らの位置に立てって言う方が間違ってるんだし。だけど、だから君が完璧にやろうと思うほうが間違ってるんだよ。どうせ僕らに守られてるんだ。君は、言われるがままに自分の身に降りかかった事だけに対処していけばいい」
それは、とても突き放した言葉だった。柏木たちと小夏の立つ場所は違うのだと、自分はただの代わりで、部外者でしかないのだと。
だけど、それに否定を出来るのだろうか?
だって、いくら真剣になれと言われても実感が沸かない。この街の命運がかかってる、とか言われても。小夏はただ、自分の身を守るためにしか、厄と対峙していない。彼らみたいに、秋芳のためだとか言うわけでさえない。
(ああ、あたしって駄目なヤツなんだなあ)
自分には何にも無い。特別な能力も、秀でたものも、真剣になれるものさえ___。
「でもまあ、君もまるっきり遊び半分だったというわけでもないようだけど」
気分がさらに沈んだ小夏を知ってかしらずか、相変らず淡々とした声で柏木は続ける。
「君も真剣だった事はあるだろう? 少なくとも、犬に噛まれるの覚悟で立ち向かって行った時は、ちょっとカッコ良かった」
(あ、駄目)
淡々としているのに、どこか優しく聞こえてしまったのは自分の気のせいだろうか。その言葉が、小夏の心の中に染み渡って、沈んでいた心にそっと触れる。
(今優しくされたら、また……)
止まったと思っていた涙がまた滲んでくるのを感じて、小夏は柏木に掴まれているのと反対の手で乱暴に顔を拭った。