神様からのお願い 1
サイト掲載時、ダントツで人気なかったやつですが、『左手薬指の絆創膏』の関連作っちゃぁ関連作です。(こっちが先) これもすいません、内容見返してないです。
みんなと同じ制服。代わり映えのない鞄。
いつも同じ通学時間。
特別綺麗でもなく、スタイルが良いわけでもなく、ごくごく平凡な、女子高校生の、平凡な毎日。
平和なのは良いことだと思うけど、正直ちょっと、辟易している……。
「ただいまー」
玄関を開けて、大声でそう言いながら、小夏はローファーを脱いで家に上がる。
「おかえりー」
間延びしたそんな声が返ってくるのは、廊下を進んだところにあるリビングから。
パタパタと歩いて行ってその前を通ると、案の定、母親はこたつに寝そべってあまつさえおせんべいをバリバリと食べながら再放送のドラマを見ていた。
小夏は大きく溜息をつくと、見なかった事にしてそこを通り過ぎた。
(ばばくさい……)
いつもの事ながら、そう思わずにはいられない。
小夏の背中に、大きな声が追いかける。
「今日は早かったのねえ」
「部活サボってきたから」
「なんでえ?」
「今日、あたし、誕生日ですよお母様」
その言葉に、母親はぽん、と一つ手を打った。
「なるほど。17歳おめでとー」
「ありがとう……。それで、ちーちゃんとかがお祝いしてくれるって言うから今日は夕飯いらないよ」
「了解。そっか、小夏いらないんなら手ぇ抜いちゃおっかな」
のほほん、と母親が言うのに、小夏は溜息をついた。
「専業主婦っていいね……」
「なあにぃ、その言い方ー」
不満そうな母の口調を無視して、小夏は自分の部屋に向かった。
ちょっと奮発して買ったお気に入りの服を着て、小夏は外へ出た。膝の上で、淡い色のスカートがふわりと軽く揺れる。その感触に満足しながら、今出てきたその家を、軽く振り返った。
ごく一般的な中流家庭。
小夏はサラリーマンの父と専業主婦の母、それに祖母と暮らす、ごく普通の女子高生だ。
それが、小夏には時々無性にもやもやとする。
このまま成長すれば、普通に自分に見合った大学に行って、普通に就職して、適当な人と結婚して、それで主婦になる。まるで絵に描いたような平凡な人生が待っているんだろうなー、と漠然と思う。その先にあるのは、先ほど自分が微かな嫌悪感を感じたあの母親の姿だ。すっかり家庭に納まって、緊張感も何もなくせんべいをかじりながら大口を開けて笑う主婦の姿。
(あたしも、いつかはああなるのかな……)
例えば、映画とかドラマとか、そういうものを見ていると自分の世界との違いをまざまざと感じさせられる。
(あたしも、あんな風に生まれたかったな……)
ドラマティックな恋愛とか、運命とか。自分に与えられていたら良かったのに。ドラマの主人公たちは、きっとあの母のようにはならない。
「君、危ないよ?」
唐突に、そう声をかけられて小夏はハッとした。いつの間にか物思いに沈んでいたな、と思って改めて周囲を見渡すが、人通りの少なく、車なども通りそうもないこの道で「危ない」要素なんてこれっぽっちも見えない。
そこはちょうど小道のようなところで、側に小さな神社があって、時々老人などが散歩に来ているようなのどかな場所だ。
「……なにが?」
聞き返して、初めて相手の顔を見る。見て、少し驚いたのは相手が予想外に整った顔立ちをしていたからだ。年は小夏と同じくらいだろう。それどころか、小夏の高校の制服を着ていたから同じ高校なのだろうと思う。背丈は小夏よりは大きいけれど、男子高校生一般から見たらごく平均的な方だろう。さらさらの黒い髪と、静かな印象を受ける黒い瞳が印象的だった。
「そうやって、ぼーっとしてると危ないよ。付け入られる」
「なんのこと?」
意味が分からず眉をしかめる小夏に、相手は落ち着いた表情のまま言う。
「とりあえず、忠告だけ」
自分から声をかけたくせに、そのまますたすたと歩いて行ってしまった青年を、ぽかんとしたまま見送って、小夏は首を傾げる。
「なんだったのかな?」
カッコ良かったけど、なんだかアブナイ人だなー、などと考えて、次の瞬間にはそんな些細な事には構っていられないのを思い出した。
「や、やばい。時間」
友人たちと待ち合わせをしている時間が近づいているのだ。急がなければ。
小夏は思い至って慌てて駆け出した。
*
ファミレスで大騒ぎして、友人たちのおごりで好きな物を頼んで、プレゼントを貰って、小夏は満足して帰路に着いた。
まだ寒い初春の、黄昏時の帰り道。気温はまだ、肌寒い。肩を竦めるようにして歩きながら、小夏は昼間見た青年の事を何とはなしに話した時の友人たちの反応を思い出していた。
「うちの学校の制服来た男の子見たんだけど、カッコイイ子だったし、知ってる?」
友人の一人である千里に小夏が尋ねると、千里は興味深げに目を輝かせた。
「何? カッコイイ? どんな人よ。ちょっと特徴話してみなさいって」
「ちーちゃん、そこまで食いつかれると逆になんか引くというか……」
「何か文句でもあんの!?」
「アリマセン。……えーと、少し前髪目にかかってる感じの髪型で、黒髪でさらさらな感じで、クラス章の色からすると同じ年かな? 女の子みたいに綺麗で、なんか落ち着いた感じの根暗そうな……」
瞬間、小夏はパシンと頭をはたかれた。
「根暗は余計よ。あんた、柏木君じゃない。それ」
「あー。やっぱちーちゃんの男チェックはすごいね。さすが」
「甘く見ないでよね。柏木君は、なかなか優良物件よ。目立つのが嫌いなのか、あまり派手な言動ないからそこまで表立ってもてるというわけでもないけど、実はかなりの美形だし、周囲の子の話によるとなんかジェントルマンらしいし。成績も結構良くて、物腰も柔らかくて親切で優しいってんで、地味にもててるんじゃないかな。でも、彼女はいないみたいだし」
「その暗記力、テストに発揮されたら、学年首席も夢じゃないよ。ちーちゃん」
「黙らっしゃい。で? 柏木君何してたの?」
「え、何って……」
小夏は一瞬、躊躇する。千里の話に聞く『柏木君』と昼間会った青年が同一人物だとは、上手く頭の中で結びつかなかった。昼間の青年はもっと、無表情で、無機質なイメージを抱かされたからだ。
「立ってた」
「何その微妙な答え。まあ、あんたがあんま他人に関心ないのなんていつものことだからいいけど」
友人はつまらなそうに言って、それから気を取り直したようにする。
「でもまあ、あたしはやっぱ狙うんなら柏木君より矢田君かな」
「あー。ちーちゃん前から言ってるよね」
矢田というのは学年では評判の派手男であり、女たらしだ。茶色だったり、時には金色に染めた髪で、ピアスなんかもしたちゃらちゃらした格好で学校に来ていて、かなり目立っている。背も高くて、顔も良いせいか女の子にもてるけど、隣にいる女の子は見るたびに変わっている気がする。
小夏にとって彼はなんだか別次元の人間のように思えて、カッコイイとは思うけれど、千里の言うようにお近づきになりたい、などとは思えなかった。むしろ、なんだか恐ろしくてあまり側に寄りたくない。
「何はともあれ、柏木君はちょっと競争率高いから、狙うなら覚悟しときなよー」
友人がそう茶化すようにしめた事で、この話題は終了になったのだ。
ふと、違和感に気付いたのはそれから間もなくだった。
(……あれ?)
いつも使っている道。良く通る帰り道。間違えるなんて事は絶対にないはずなのに。
(ここ、どこだろ……?)
いつの間にか、歩きなれたはずの風景が、全く知らないものになっていた。いつも通る道ではない、見覚えのない道。どこかの住宅街ではあると思うのだけど、何か拭いきれない違和感がある。
(嘘、あたし、何ボケやってんだろう)
流石に自宅に帰る道をこうも間違えて気付かないなんて、今まで一度もなかった。
(引き返さなきゃ……)
慌てて踵を返して早足に元来た道を戻る。しかし。
(おかしい……)
歩いても歩いても、見覚えのない道は続くばかり。
夕暮れ時の住宅街。感じる違和感は大きくなるばかり。
(誰かに道を聞いた方が早いかな?)
そんな事を考えて、次の瞬間、感じていた違和感の元に思い至った。瞬間、小夏はスッと背筋が冷えるのを感じた。
(そうだ、なんで歩いても歩いても、人ひとり出会わないんだろう)
感じていた違和感は「人がいない」事だ。
小夏が今歩いている道にも、両脇に立ち並ぶ家々の中にも、人の匂いがまるでしない。例えば家から漏れる物音や声、窺える人影、夕食の仕度をしている香り。するはずのそれらが、まるでなく、ただ無機質に風景としてそこにあるだけだった。
(なにこれ、やだ。恐い……)
恐怖が押し寄せてきて、小夏は走り出す。
早くここから出なければ。恐ろしい。恐い。
息を切らせて走る。風景が流れる。お気に入りのスカートが足に絡み付いて走り難い……。
「……っ!」
とうとう足がもつれてその場に転んでしまっても、周囲の様子は変わってくれる様子はなかった。
「……もうヤダ」
瞳から涙が盛り上がってくる。だけど、目の前の風景は終わってくれる様子はない。
「誰か助けて……」
呟いた声も、静寂の中に吸い込まれる。
何が起こったのか分からなかった。それが、恐い。
転んだ拍子に擦り剥いた足は痛くて、それ以上に恐ろしくて、立ち上がる気力もなかった。
と、唐突に静かなだけだったその中に物音が混じった。
ず、ずず、ずずず、と何かを引き摺るような音がする。
何かと音のする後方を振り返った小夏は、驚愕に瞳を大きく見開いた。
何か大きな黒いもの。どろどろとした巨体を地面に引き摺らせて、這っているような様子で進んでくるもの。
思わず叫ぼうとしたが、恐怖のためか喉がひくりと動くだけで声が出てこなかった。
黒くて、どろどろして、ぬめりのある何かが、道路一杯に広がる巨体でこちらへ向かってくる。
(逃げなきゃ)
一度立ち上がろうとして、軽くつんのめって、それでもそんな事も言っていられずに駆け出す。友人たちから貰ったプレゼントも、荷物も放り出して、膝の痛いのも気にしている暇はなかった。
ず、ずず、ずずず……。
音が追いかけてくる。
息が苦しい。肺の中に大きな石でも入っているようだ。手足がだるい。足がもつれる。
それでも小夏は後を見ずに一心不乱に走り続ける。涙で視界が滲む。なので、いっそ目も瞑ってしまった。どくどくと心臓が耳元で鳴っているようだった。
ばすん!
突然何かに衝突してしまった、小夏はよろめいて目を開く。そして、唖然とした。
そこにいたのは、先ほどの巨体。間近で見てしまって、小夏は腰が抜けた。
(なんで……!?)
小夏の足元には、巨体の引き摺った跡がありありと見て取れる。まるですぐ前にその巨体が通り過ぎたばかりのように。
(まさか)
ようやくある可能性に気付いて小夏は愕然とする。
小夏が走っていた道は、どういう原理か知らないが、ぐるりと輪になっているのだ。小夏は同じところをぐるりと回り、後からこの巨体に追いついてしまったわけだ。
小夏は腰が抜けてその場にへたりこんだまま、ずるずると後ずさりする。
(お願い、気付かないで……)
だが、それは甘い考えだった。
突然、目の前の巨体の、黒いぬめりのあるのっぺりとした背中が裂け、ぱっくりと大きな口が出現したのだ。
毒々しく赤い口内を見せつけながら近づいてくるそれに、小夏はもうどうする事もできずに硬直していた。
(……食べられる!)
思わず目を閉じて、身を硬くする。
だが、予想していた痛みはいつになっても訪れなかった。代わりに聞こえたのは、何か金物を引き裂くような鋭い音。
小夏が目を開けてみると、不思議な事が起こっていた。
巨体の周囲には、ゆらゆらと揺れる無数の青い炎が囲んでいる。黒い肌にも炎が映って、青黒く輝いているようだった。その炎が、距離を縮めるごと、巨体の禍々しい口から耳をつんざく不快音が発せられる。
思わず両手で耳を蓋おうとする小夏の耳に、静かな声が響いた。
「だから、言ったのに。危ないって」
声のした方を振り返ると、そこには昼間見た青年が立っていた。