7 突然もらった婚約指輪について
「なるほど。婚約指輪を届けてくれたのか」
私の困惑を見て、家族の夕食の席で話を聞き出してすぐ、二十代半ばになった長男のグレイグが、武骨な手で角ばった顎をかいた。私よりも濃い茶色の髪は、整えられた芝生のようにサッパリとしている。
「別にいいんじゃないか?」
「グレイグ兄さんは、考えないで物を言うところが欠点よね」
「ははは。大丈夫、俺の勘は外れんからな」
直感に従って生きているようなグレイグは、いつもの陽気である。戦士として鍛え抜かれた大きな身体をしており、一般の店に彼の太い腕が通る服がないため、父と同じく全て特注品だった。
婚約は当人達の自由としている父も、特に何かを考える様子もなく「婚約指輪かぁ」とのんびり言った。
「剣に配慮して渡していなかったと思っていたけど、違っていたのかな?」
「父様、カスター一族に対してポジティブすぎません?」
婚約が決まった際、カスター夫妻が挨拶に来てくれたのだが、「婚約指輪は必要ないというんだけど、どうする?」と尋ねられた際、父は「本人達がそれでいいというのなら、任せましょう」と信頼しきった顔で言ってのけていた。
父と長男は、何故か揃って、愛想もないラディッシュを気に入っている。私達の仲が良いと勘違いしているところもあるようで、このまま結婚するにしろ、解消して婚約関係がなくなろうと、良き友人のままであり続けるだろうと信じてもいるらしい。
その点で言えば、次男も同じなのだ。
私は、すぐ上の兄である二十歳のルシアへと目を向けた。
やや細身ながらしっかり鍛えられた、我が家の男性陣の中で唯一清楚な騎士風であるルシアは、肩まで伸ばした癖のない髪を、後ろで軽く一つにまとめていた。精悍で凛々しい顔立ちをした父や長男と違い、顔も髪も母譲りで美しく、微笑みが通常仕様の知的な美青年だった。
「気にする事はないよ、エリー。何を思って婚約指輪を用意したのかは、結局のところ当人しか知らない事情を考えても、分からないのは当然だよ」
気のせいか、ルシアの口調は普段通りの想いやりを感じさせるのだが、言葉に若干の棘がある気がした。穏やかに微笑んでいるし、昔から『気付け薬』の文句を口にするたび、ラディッシュをフォローするような事を言っていたので、きっと私の思い違いだろう。
私は「そうかなぁ」と首を捻った。つい視線をそらしてしまったので、向かいに並んで腰かけていた父とグレイグが、揃ってルシアの手元に視線を向け、こっそり呟いた事にも気付かなかった。
「ルシア、膝の上の拳がすごく固く握りしめられているな?」
「私の気のせいでなければ、笑顔にも温度がないね」
「……兄上、父上、僕は二つ隣の領地で遠くないとしても、エリーを獲られるのが嫌なんです」
気を抜いたら泣きそうです、と口の中で本音を吐露したルシアから、二人は「「昔からエリーに関しては泣き虫になるよなぁ」」とそっと視線を離した。
引き続き指輪の謎を考えていた私は、それを聞いていなかった。
※※※
実家にいる二日間、ラディッシュの「婚約は、破棄しない」発言について、ずっと考えていた。
結果、全然ちっとも分からなかった。時間だけが消費された。
そもそも彼は、昔から言葉数が少ないと思うのだ。なんで破棄しないと口にしたのだろうか。もしや今すぐには破棄せず後日に、と言いたかったのか? それならば、可能性としてはあるような……
出勤して早々、ルシアナ様は私の左手を見て「あら」と首を傾げた。
「もしかして、婚約指輪かしら?」
「……まぁ、そうですね」
「初めて見たわ。どうしてこれまで身に付けて来なかったの?」
「…………一昨日押し付けられたばかりです」
私がそう答えると、ルシアナ様が疑問腑を浮かべるような表情をした。これ以上に的を射た説明も出来ず、私も同じような顔をして口をつぐんだ。
どうやら王都では、婚約指輪を先に贈るのが当たり前らしい。私が婚約している事を知っている周りの人達は、仕事で婚約指輪をはめていなかったと認識していたようで、チラリと目を向けるだけに終わる人もいれば、「今日はやってるんだな」と思い出したように述べる人もいた。
一昨日から指にはめているんですよ、と私は言い返してしまいたくなった。しかし、あまりにも軽口を叩ける衛兵や騎士の数が多いので、面倒になって諦めた。
実を言うと、私は婚約指輪をはめたままでいるつもりはなかったのだ。サイズがぴったりであるせいか、指の第二関節に引っ掛かって外れてくれなかったのである。ラディッシュがどんなコツでもって指に通したのかは知らないが、多分コレ、外す際にもコツが要るような気がする。
父も兄達も、婚約指輪は常に身に着けるのが普通だと言って、私に協力してくれなかった。次男のルシアも「似合ってるから、外さなくとも大丈夫だよ」と微笑んで、手を貸してくれなかった。
というより直後、彼は猛ダッシュでリビングを出て行ってしまったのだが。
指輪は細くて軽く、身に着けている事も忘れてしまうくらい指に馴染んでいた。私が装飾品をしないタイプなので、「なんだかなぁ」と落ち着かないでいる。
そもそも、お揃いの物を身に付けている、というのが、なんだか妙にそわそわするのだ。これまであまり意識した事もないのに、左手の薬指に目が向くたび、何故かラディッシュが婚約者である事が思い出された。
「婚約に関しては気に食わなくて、嫌がっている、はずよね……?」
彼はどうして今更、婚約指輪なんて用意したのだろう?
婚約指輪を用意しなければならない理由でもあったのだろうか。王都では常識だというし、もしかしたら、周りから無視出来ないくらい煩く言われたりしたのか。
「だとしたら、やっぱり指輪を用意した直後だから、すぐには婚約破棄出来ないとでも言いたかったのかしら」
私達は婚約者同士というより、お互いをよく知っていて、遠慮なく言い合える幼馴染だ。幼い頃からラディッシュも婚約には否定的だったし、いずれ破棄すると数年前の手紙にも書いていた。幼馴染であるのはいいとしても、婚約者である事を面倒臭がっているのは確かだろう。
何せ婚約をきっかけに、私が多々迷惑をかけている状態でもあるからだ。
婚約者だからという理由で、パーティーではラディッシュがエスコートを担当し、令嬢に感極まって言葉も出ないまま卒倒する私の世話を焼く。王宮で倒れるたび、「お前の婚約者が」と彼が呼ばれて、副作用がない激不味の『気付け薬』で私を叩き起こして介抱する。
「…………考えたら私、迷惑しか掛けてないわね」
薄々思ってはいたけれど、多分、ラディッシュは根が優しい。
誰かの役に立ちたいと医療系の知識を身に付け、複数の免許も取得している。彼は日々、私には出来ない方法で、多くの人を守るために戦い続けているのだ。今でも勉強を続けている揺るぎないその姿勢は、素直に尊敬も出来た。
そう考えたら、毎日いっぱい勉強し、仕事に勤めている彼に「なんで」「どうして」と訊くのも悪い気がしてきた。
ラディッシュにも、何か理由や考えがあっての婚約指輪なのだろう。今日明日にでも解消というのは、用意した手前難しいだろうし、彼の誕生日までは三週間ほど余裕があるので、しばらくは様子を見て待っていてもいいのかもしれない。
というか、恐らくだが、一連の行動を見て何も察せない私の方が悪いのかもしれない。
指輪の件について尋ねたら、ラディッシュに「それくらいも分からないのか」という表情をされそうな気もする。きっと彼は溜息を吐いて、面倒臭そうに言葉を噛み砕きつつも、私との押し問答に付き合ってくれるのだろうけれど。
「婚約に対する王都の常識とか、手順とか、そういうのをもっと勉強しておけば良かったなぁ」
とりあえず、今は婚約を破棄しない、という解釈でいいのだろう。
ひとまず婚約指輪の件については、数日くらいはそのまま保留しておく事を決めて、私は、本日のルシアナ様の午前のスケジュールへと意識を戻した。