1 引き合わされたのは軟弱な婚約者でした
私、エミリア・バークスは、魔物の最大生息地である深い森が連なる土地で、代々魔物の討伐を行い国を守り続けている、魔物退治を専門とするバークス伯爵家に生まれた。
上には数年ずつ違う二人の兄がいて、父と並ぶ剣豪であった母は、残念ながら私を産んだ時に亡くなってしまった。私は、戦闘伯爵といわれているバークス伯爵家の長女として、兄達と共に日々剣の腕を磨き続けてきた。
だからその時点で、我が家の教育方針がおかしいとは思わなかった。
私の一族は王宮勤めではないとはいえ、国では公的に『王国軍騎士』として登録されている、魔物討伐部隊の筆頭戦力である。広い領地にぽつんとある小さな村では、女子供も嗜みのように剣を握り「今日も出たねぇ」と毎日のように魔物を倒しては、のんびりと会話するような、そんな特殊な土地柄だった事もあったせいかもしれない。
家人も使用人も領民も、全員が戦闘系に特化し、私はそれが普通だと思って育ってきた。バークス伯爵家は、男女関係なく「国と民のための魔物討伐」という役目を一生を掛けて行う。だから他の貴族の令嬢のように、私には結婚の義務もほとんど課されていなかったし、私自身、上の兄達が結婚して血を残せばいいと考えていた。
外の魔物と闘えるようひたすら剣を磨き続けて、七歳になった私は、ようやく一人前のバークス伯爵家の人間と認められて社交が解禁された。
しかし私は、自分が育った環境が、男所帯だったのをうっかり失念していた。
父も兄達も男であり、使用人もほとんどが男だった。バークス伯爵家の人間は、一人前と認められるまで屋敷の外に出る事を禁じられる決まりがあり、私は七歳になるまで、大きな四人のメイドしか同性を見た事がなかった。
そういった屈強な戦士ばかり見てきたから、初めて同世代の女の子を見た時の衝撃は、大きかった。どこもかしこも細くて、花みたいな優しい匂いがして、鳥みたいな声で控えめに笑って、彼女達はものすごく上品にはにかむのだ。
正直に言うと七歳になるまで、私は自分の性別に対する認識と実感が遅れていたのだと思う。私は騎士道を説かれて育ったし、女性を大事にせよ、という事は心身共に叩き込まれていた。
だからだろうか。実際の女の子を前に、女性という存在がいかに可愛らしくて、神々しいものかを思い知らされた。
自分でも驚くぐらいに興奮して、ドキドキした。初めて触れた手は吸いつくように柔らかくて、もっと眺めて愛でていたい、優しくしたいし大事にしたい。もっと私に笑い掛けて欲しい、という気持ちが爆発するように湧き上がった時、――私は意識を失っていた。
そこでようやく、私は、自分に女性の耐性がないことを知った。
同じ格好をしているのに、なんであんなに可愛いく見えるんだと悶えた。
父と兄達は、それが正しい反応だよと励ましてくれた。女性は特に大事にしてこそ、バークス伯爵家の一員だとも説いた。私は納得して「なるほど」と肯いた。私達は魔物がこの土地を超えていかないようにする事で、同時に彼女達が暮らす土地の安全も守っているのだと、改めて誇らしさを覚えた。
兄達にも競えるぐらい剣の腕が上達したので、次は女友達を作る事が目標になった。私自身、可愛い女友達が欲しかった。
決して欲望のためではない。お喋りして一緒にお菓子を食べて、彼女達の甘い匂いを嗅ぎながら素晴らしい一時を過ごしたいのだ。それは断じて変態思考ではないし、同性の友人を持ちたいと思うのは普通の事である。
とりあえず女友達を作るにあたり、いずれ十二歳で学院に入学するまでに、兄達に次ぐ最強を目指す事にした。学院生として都会に行った際、暴漢から女の子を助けて恰好良い所を見せ「お嬢さん、私と友達になって頂けませんか」と声を掛けるのを妄想し、それを第一目標とした。
女性への耐性を付けるため、村に足を運んで、少ない女児や少女、大人の女性達と僅かでも言葉を交わす努力もした。緊張でどもりまくってしまったが、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」という笑顔をもらえて、私の心は和んだし癒された。
しかし、父は何を考えたのか、私が一年そうやって努力を続けて八歳になった頃、一人の男の子を連れてきた。彼の友人である、カスター伯爵も一緒だった。
男の子の名前は、ラディッシュ・カスター。伯爵家の三男で、十歳の割には随分落ち着いた表情をしていた。銀色の髪に明るい碧眼、人形みたいに整った白い顔は端正過ぎて冷たくも見えた。
私は、二番目の兄で男の美形は見慣れているので、これといった印象は抱かなかった。むしろ、軟弱な身体をした美形なぞ眼中にはない。
「婚約者にどうかと思ってね」
互いの父親の口からそう聞かされた時、私は思わず「は?」と呆けた声を上げてしまっていた。結婚しなくてもいいと言われていた私は、将来この近くに屋敷を建てて、女騎士として父や兄達を支えて一緒に戦い続けるつもりでいたからだ。
そう私が目で訴えかけると、父は「いつでも破棄できるし、社交するにはしばらくの間でも必要だと思わないかい?」と囁きかけてきた。
こいつを、婚約者に、だと……?
同じ伯爵とはいえ、向こうは更に歴史が古く財力も上だ。私は、窺うようにラディッシュへ目を向けた。
身長は私と同じぐらいしかないし、背筋は伸びて雰囲気にも隙はないが、どこもかしこも細くて絶対に私よりも弱そうだ。同世代の貴族の男の子を見るのはこれが初めてであるが、いかんせん、私よりも圧倒的に女の子に人気がありそうな顔は、気に食わなかった。
絶対やだね。彼と歩いたとしたら、女の子の視線がみんなそっちに流れてしまうではないか!
彼の鮮やかな青い瞳には、私を受け入れないさまが見て取れた。私は断ってもらえるよう、「よろしく」と挑発的にそう挨拶した。
時折やってきては美味しい土産をくれるカスター伯爵には悪いが、私は今のところ、女友達を作る目標があるのだ。そのためにも、これまで以上に淑女教育にも力を入れているので、婚約者だとかいう存在は不要である。
しかし、その後日、私の希望はあっさりと砕かれた。
「おめでとう、エリー。彼との婚約が決まったよ」
婚約は一番簡単な形で申請されていいて、仮のようなものだから、いつでも棄却出来ると父はにこやかに言い切った。私は、言葉にならなかった。
分かったのは一つだけだ。
背景、天国のお母様。エミリア、八歳。二歳年上で十歳の、全く愛想もないうえ、弱っちくて細い男の子の婚約者が出来ました……