9 珍しく私と彼の昼休憩が重なりました
ルシアナ様が、王妃様達と午後の紅茶を楽しまれるため、護衛騎士に迎えられて部屋を出て行ったのを見送った後、私は普段通り午後三時には昼休憩に入った。
この時間帯は、他の女性使用人と休憩時間が被らない。最近は、遠目であれば気絶も鼻血も回数が落ち着いてくれているので、私は勤め人が利用する食堂だけでなく、エプロンを取って町に降りて食事休憩するのも増えていた。
王都の女性は、特に貴族階級だと必ず日差し避けをしている。レースと造花などで装飾された、紐で止めるタイプの帽子のような被り物をするのも最近の王都の流行らしく、町娘達にも人気で、日中はほとんどの少女達もそれを頭に着けていた。
おかげで、私は王宮よりも比較的安全に町を歩けた。帽子や日傘から、チラリと覗く横顔もまた素敵であるが、妄想すると鼻血が出るレベルで想像力が暴走するので、我慢するよう心掛けている。
それを思うたび、私は自分の成長を実感して感慨深くもなるのだ。
最近は、領地の村でも失神はなくなっていた。むしろ鼻血が出ようと、笑顔で買い物が続行出来るくらいまでに、私のハートは強くなっている。
「それはやめてあげなよ。笑顔で買い物を続ける前に、応急処置をして店頭から速やかに離れてあげるべきだ。さすがに相手をした子が可哀そうすぎる」
気のせいか、心の声に対して、聞き覚えのある美声で嫌味ったらしい反論がきた。
自分が借りている使用人部屋まで、後少しという距離で足を止めた私は、ゆっくりと声がした方へ目を向けた。そこにあったのは開けた休憩所の一つで、その出入口に背をもたれるようにして、ラディッシュが立っていた。
「……なんでラディッシュがここにいるの?」
「僕だって休憩所くらいは使う」
「まぁ、確かにそうなんだけどさ……」
いや、そうじゃないんだよ。
話が脱線しそうになっていると察し、私はひとまず、先にどうしても確認しておきたい部分について尋ねる事にした。
「ラディッシュは、心の声が読める特殊な人間だっけ?」
「なに真顔でバカなことを言ってるの。思考と願望が口から出てたよ」
馬鹿って酷い………。え、全部出てたの?
私は歩いてきた道のりの様子を思い返し、「マジか」と呟いてしまった。そういえば、裏口の使用人通路を歩いて来たのだが、やたらと通り過ぎる人が端に寄っているなぁと思ったら、まさか後半の心の声がただ漏れだったとは予想外だ。
「ラディッシュも今昼休憩? だとしたら珍しいわね、忙しかったの?」
彼のいる部署は、大抵は定時に休憩に入れるところだった。とくに急ぎ詰まっている仕事がない時は、「婚約者が倒れたぞ!」と呼び出されても、残業がないくらいには安定している。
ラディッシュは、しばしやや顔を顰めていたが「まぁね」と呟いた。壁から背を起こすと、手で白衣の裾を払って、思案顔でこちらに向かってくる。
「…………婚約者らしい事、か」
どこかへ視線を流し向けたまま、彼が口の中で呟いた。
私は疑問を覚え、先日もらった婚約指輪へと目を留め、それからラディッシュの端正な横顔へと視線を戻した。表情の変化が少ない彼が、一体何を考えているのか分からない。
「あの、ラディッシュ、それってどういう事? というか、この婚約指輪も何か関係でもあ――」
「なんだか唐突に試してみたくなった」
不意にガシリと、手を掴まれた。私が呆気に取られて「は?」と疑問の声を上げるも、彼は思案気に片方の手で顎を撫でて宙を見つめたままだ。
何が試してみたくなったのだろうか。というか、その手はなんだ?
「突然どうしたのよ?」
訝しみ問い掛けてみても、すぐに返事はなかった。握られた手から、私よりも少し高い温度が伝わってきて、思わずそちらへ目を向けてしまう。
すっかり大きくなってしまった彼の手は大きくて、解けるだろうかと少し振ってみたが、痛くない程度にきゅっと力が込められた。
その時、ラディッシュがこちらを見下ろした。
「それなら、デートとやらでもしてみようか」
「は……?」
私は目を丸くして、やや頭を屈めてこちらを覗きこむラディッシュの、作り物のような明るい碧眼を見つめた。どうしてここへ来て、デートモドキのような事をしなければならないのだろうか。
なんでデート? というか、一般的なデートを知らないんだけど。
交際について興味がない彼も、多分知らないはずだろう。しかし、私がそう思っている間にも、ラディッシュが「じゃあ行くか」と言って、迷いなく足を進め始めてしまったのだった。
※※※
デートについては、よく知らない。
互いが仕事休憩というタイミングである事を考慮すると、美味しい食べ物がある店を目指して歩き、それから一緒に食事するまでがそうなのだろうなぁ、という感じもする。……移動の間、二人の話が弾むかどうかは分からないけれど。
会話もないまま一直線で連れて来られたのは、王宮を出てすぐの距離にある、落ち着いた雰囲気のお洒落なカフェだった。彼が迷わずそちらへ足を進めたので、私としては、そこがまた意外すぎて、しばし抵抗も忘れて呆けてしまった。
そのまま店内の奥にある、仕切りのある席に座らされた。ラディッシュが、慣れたように男性店員にメニューを注文する。
教育の行き届いた従業員が一旦離れて行ったところで、私はようやく我に返った。
「ラディッシュ、ここよく来る場所なの?」
「初めてだ」
「……待って待って、今さっきメニュー表を見て、微塵も迷わず注文していたわよね?!」
それはおかしい。チラリと見えたメニュー表には、よく分からない商品名ばかりが並んでいたのはバッチリ目撃していた。
すると、彼が長い足を組んで、目元にかかる銀髪を鬱陶しそうに指で払った。
「同じ部署にいる同僚で、よくここに通っているやつがいる」
「…………」
やっぱりラディッシュって、言葉が少し足りないんだと思う。
試してみたくなった、と言って手を引っ張った時とは違い、ラディッシュは興味もなさそうに店内を眺めていた。一体彼は何がしたいのだろうかと、私はエプロンも取らないまま連れて来られた現状を思った。
しばらくもしないうちに、上品な飾り付けをされた三種類のケーキがのった皿と、パイケーキ一つの皿と、二人分の珈琲が運ばれてきた。ラディッシュが「さて、食べるか」といつもと変わらない口調で言って食べ始める。
なんだかなぁと思いながら、私もケーキを口にした。
珈琲をブラックに近い状態で、甘い食べ物と一緒に頂くのは好みであるが、果たして彼は、甘い物を食事代わりに頂けるような人間だっただろうか。確かパーティーの際には、どんなに美味しそうなデザートが並んでいても、目を向けるのさえ見た事がない気もする。
特に感想もないまま、ラディッシュが、あっさりとパイケーキを胃に収めた。珈琲を少し飲んだかと思うと、観察しても面白い事などないというのに、頬杖をついてこちらを見つめてきた。
ラディッシュは相変わらず無表情で、早く食べろと急かしもせず、ただ待っているだけのようでもあった。いつもになくじっと観察するように見てくるので、私は、なんだか食べづらさを覚えた。
「甘いのが好きなら、ちょっと味見してみる?」
思わずそう声を掛けると、彼が頬杖を付いたまま、「甘いのは特に好きじゃない」と淡々と言った。
やはりよく分からない。恐らく、彼がデートと表したこの外食は、恐らく二人でケーキを食べるというものなのだろう。突発的な考えのようでもあるらしいし、深い意味合いもない気がする。
何かしら、興味を覚えるような話や情報でも拾ったのだろうか?
ラディッシュは勉強家である他に、研究者としての性分も持っている。子供みたいな探究心が働く節もあるようなので、そうだとしたら肯けるような、肯けないような……と微妙なところだ。
「――なるほど。こういう感じなのか」
「何が?」
目の前のケーキを堪能する事に集中していると、ラディッシュがふと呟いた。ちらりと目を上げてみると、相変わらず頬杖を付いている彼がいた。
「意外にも、食べている君を見ているのは飽きない」
私は、思わず目の前にあるケーキの皿を確認してしまった。特に面白味溢れる食べ方はしていないし、人が食べ終わるのを待っているのは、飽きるとも思うのだ。
思い返してみると、こうして二人だけでどこかへ行き、ケーキを食べるのは初めての事だ。もしかしたら、彼はそれが物珍しくてずっと見てくるのだろうか。普段、友達と食事をとる事がないということなのか……?
それはそれで、ラディッシュの交友関係がすごく心配になる。無愛想とはいえ、仕事と社交は難なく出来るところもあるので、職場で孤立しているという事はないと信じたい。
しばし手を止めていると、ラディッシュが「ねぇ」と呼んだ。
「食べさせてみたいんだけど」
またしても、ラディッシュの口から予想外な言葉が飛び出してきたような気がして、私は思わず自分の耳を叩いていた。それから、こちらを見据えるラディッシュへと目を戻し、ひとまず尋ね返してみた。
「…………ごめん、聞き間違いかしら。もう一度言ってくれる?」
すると、彼が特に眉一つ動かさず、もう一度淡々と唇を動かせた。
「君に、僕の手でケーキを食べさせてみたいんだけど」
「………………」
今度は、説明の不足がないようしっかり言葉数も増やしてきた。訊き間違いでなかったという事実と、なぜ食べさせたいのかという疑問がない混ざって、私はなんとも言えない顔でラディッシュを見つめ返してしまった。
彼の青い瞳には、勉強や読書の際に向けていたような、好奇心の光が覗いている気がした。
なんで食べさせたいのか、訳が分からない。そもそも、私だって小さな子供でもないのだ。今更誰かに食べさせてもらうのは、さすがに恥ずかしい。
昔兄たちにしてもらった事を、目の前のラディッシュにされる自分を想像したら、何故だか余計に強く羞恥が込み上げて、ぶわりと体温が上がるのも感じた。
考えてみれば、私は一ヶ月もしないうちに十六歳になるのだ。
魔物討伐を専門とする一族に生まれ、剣の腕もそれなりにあるから、学院では後輩や同級生の男子生徒から羨望の眼差しを向けられていた。今は【鋼の令嬢】とさえ言われているというのに、ここへ来て幼い女子供みたいに、誰かに食べさせてもらうとか絶対に無理だ。
「じ――自分で食べるから、食べさせる提案は、却下……」
私は、どうにか冷静を取り繕って、そう断った。
しばしこちらを見たまま、ラディッシュが小さく目を瞠っていた。彼は唐突に、少し腰を上げ「一回だけでいいから」と珍しく意見を通してきた。まるで子供みたいに「一口だけ、今、やってみたい」と普段にない面白い顔で、やや強めに主張してくる。
彼がテーブルから身を乗り出すというのも珍しいが、やや冷静さを欠いたような様子を見たのも初めてだった。
私は恥ずかしさも半分忘れて、なんだかおかしくなった。我慢しようと思ったのだが、手で押さえた口許から「ふふっ」と笑みがこぼれ、笑われると思っていなかったらしいラディッシュが、小さく目を見開いて口をつぐんだ。
「分かったわよ、一回だけならやってもいいから」
まるで子供みたいだなと思いながら、私は「はい」、と言って持っていたフォークを差し出した。しばし固まっていたラディッシュが、ゆっくりと手を伸ばして、フォークを受け取った。
どうせこの席は、仕切りをされていて、彼以外の誰に見られる訳でもないのだ。
私がそう開き直り、小さく口を開くと、彼がそこをじっと見つめたまま――そっとケーキを入れてきた。




