0 女の子に弱い僕の幼馴染について
僕の名前はラディッシュ・カスター。今年で成人の十八歳を迎える僕は、現在、王宮にある薬師研究課に所属している。
特に一番作らされているのは『気付け薬』だ。
僕には、女性がダメで懲りずにぶっ倒れる幼馴染がいて、おかげで『気付け薬』の消費率が圧倒的に高かった。個人消費するんじゃないという思いも込めて、激不味に作り上げて幼馴染の使用頻度を下げようと、地味な努力を重ねているところだ。
そこまでなら、まぁ面倒だけれど仕方がないか、くらいで流せるだろう。
僕にとっても、女性というのは煩わしい存在である。彼女達の恋愛に対する興味関心は異様なまでに高く、どこへ行っても視線で追い駆けてくるし、隙あらば大きな声で自己アピールして僕らを質問攻めにしてくる。人によっては、トラウマ的な経験に陥らされる事もあるかもしれない……と同情する。
愛だの恋だのは、まるで分からない。僕としては、一生独身でいたい。
とはいえ、僕に専用の『気付け薬』を作らせている幼馴染については、「仕方ない」と一言で流せない相手だから、非常に困ってもいるのだ。
女性に耐性がないせいで毎度ぶっ倒れているのは、僕の婚約者なのである。
意味が分からない。女の子同士だろう。
なんで女性の君が、女性に対して極度に緊張にして頬を赤らめるんだよ。
なんというか、彼女は過度なフェミニストのような感じでもある。生理的に苦手意識を持っているという訳ではなく、女性そのものを崇拝し、大事に扱い過ぎているというか……
しかも、その辺りがちょっと普通じゃない。
どうして異性にも全く興味がない僕に婚約者がいるのかと言えば、僕は三男とはいえ、歴史あるカスター伯爵家の男子として生まれた。
父の古い友人である男家系のバークス伯爵家に、ようやく待望の女児が誕生し、「いい機会だから婚約でもさせてみないか」という、実に迷惑極まりない軽いノリで見合いが行われて、僕達の婚約が決まったのだ。
当時僕は十歳。伯爵令嬢は八歳だったが、――凄く変わった女の子だった。
ちょっとつり上がった好奇心の強そうな、猫みたいな灰青色の瞳。波打つ焦げ茶色のふわふわとした髪のせいか、ひらりひらりと障害物を飛び越えていく姿は、まさに猫だと思った。
そう、僕らが訪問した際、八歳の彼女は障害物として設けられた模擬の塀を、遊ぶように訓練にあたっている二人の兄に混じって、一つ飛びで乗り越えていた。
動きやすいスカートの下に、訓練用のズボンを履いているとはいえ、バークス伯爵家の広大な庭の一部で繰り広げられる、全く常識を知らないような一族の光景には衝撃を受けた。
彼女の父親であるバークス伯爵も笑って見ているし、執事も「訓練を兼ね備えた準備運動でして」と誇らしげだし、彼女の頬には転んだような浅い擦り傷があるのだが、使用人の誰も気にする様子を見せない。
有り得ない。こいつらはどこかおかしい。
僕は、父が語っていた一番の親友だという伯爵と、その一族の存在に我が目と常識を疑った。そうしている間にも猫みたいな、野生児のような彼女が連れて来られて、僕の目の前に立ち、強さを探るように不躾にもじっと見つめてきた。
少しもしないうちに、彼女は僕の観察を終えて「ふっ、敵じゃないな」という顔をした。幼い子供には物騒すぎる重い剣を、慣れたように肩に担いで、騎士然とした自己紹介をする。
「…………」
もう、どこから突っ込んでいいのか分からなかった。
彼女が色々と間違っているのは確かだ。そこは淑女らしくスカートをつまんで軽く腰を曲げるべきであって、堂々と胸を張って「よろしく」と唇の端を好戦的に持ち上げるとは何事だ。貧弱な僕に喧嘩を売りたいのか。というより、肩に担いでいる剣は置くべきだろう。担ぐ刃の位置を間違えたら肩がざっくり切れてしまう、という危機感もないのだろうか?
続く衝撃的な光景に呆気に取られてしまい、どうやら僕も子供らしく混乱したようで、初めて拒絶の意を返す事が出来ないという状況が起こった。そのせいもあって、父は「息子からの反対はない」と受け取り、僕はあっという間に彼女の婚約者になってしまったのだ。
父達は珍しくも恋愛結婚派だから、いつでも簡単に破棄出来るような形で婚約申請を出した。僕は当時、すぐにでも破棄しようと考えていたのだが、婚約後に女性からのアタック率や視線を向けられる事が半分ぐらいに減り、頃合いを見てゆくゆく解消しようと様子を見る事にした。
とにかく、僕の婚約者はおかしかった。
初めて婚約者としてエスコートした際、幼い子供達だけを集めた宮廷の茶会で、いきなり彼女がぶっ倒れた時には驚いた。
幼い女児が顔を押さえて地べたに崩れ落ち、真っ赤な顔をして身体を震わせていれば、茶会に参加していた第一王子あたりにでも悶えているのだろうか、と思われる珍しくもない光景だ。しかし、僕は彼女の視線の先を確認し、同世代の女の子しかいない事に気付いていた。
「やばい可愛い超可愛い、どこもかしこも細い、めちゃくちゃいい匂いがするッ」
「…………」
婚約者である彼女に耳を傾けた僕は、十歳にもいかない幼女達を前に、この婚約者が、崩れ落ちるほどの悶絶っぷりで鼻血をこらえていると知った。
女の子なのに、女の子に耐性がないらしい。やっぱりどこかおかしい子だな、と簡単に考えていたのだが、その茶会に参加していた幼い令嬢に「はじめまして」声を掛けられた彼女が、再び気絶した時に事の深刻さを悟り、どうしたものかなと本気で悩んだ。
初めて婚約者として茶会に参加してから、ようやく僕は、婚約者の同性に対する過剰なフェミニスト振りを知ったわけだが、――当然ながら、社交が増える分だけ、彼女がぶっ倒れる回数も増えた。
それでもあえて言おう。
だから、なんで女の子同士なのに悶えて気絶するの。なんで茶会で手を握られただけでぶっ倒れるんだ。女の子同士だろう、その鼻血は一体なんだ?
外見は気の強い猫みたいな女の子であるのに、まるで極端に耐性のない男の子みたいだった。そのおかげで、医療分野の研究の道に進んだ僕が、学院在籍中に最年少の十三歳で薬剤調合の資格をとった後、一番に作ったのは『気付け薬』である。周りの友人達には、可哀そうなものを見る目を向けられた。
僕にとってこの時はまだ、「ちょっとおかしい面倒臭い幼馴染の婚約者」だった。とりあえず、頃合いを見て婚約を白紙に戻すまで、彼女が少しでも『気付け薬』の使用回数を減らしてくれるよう、手間ではあるが地味な努力を続けた。
だって女の子なんだから、女の子が極端にダメなままなんて事はないはずだろう。彼女専用の『気付け薬』の生産も、いずれ落ち着くに違いないと思っていた。
しかし、僕は、彼女のおかしさを侮っていたのだ。
卒業を一年後に控えた十四歳の時、十二歳になった彼女が学院に入学してから、僕は周りの友人達から「お前の婚約者、大丈夫か?」と言われる事が急激に増えた。そして、『気付け薬』の消費と生産量もグンと増えたのである。
十二歳になって身長も少し伸びた彼女が、物陰に身を潜め、同じ制服を着た女の子たちの方を見て、息をはぁはぁ言わせている後ろ姿を見た時は、ドン引きした。
あ、これ、もう駄目かなって思った。
気絶しなくなったら、へたしたら女の子を襲うんじゃないかって、本気で考えてしまった。彼女が熱心に見つめていた令嬢の兄に、「変な虫……ではないんだが、無視できないような虫と化してるんじゃないかと心配で」と動揺たっぷりに、婚約者をどうにかして欲しいと懇願された。
解せない。僕だって彼女の事はよく分からないのだ。
そんな事を頼まれたって困る。
十五歳で学院を卒業した僕は、一年の研修期間を経て、宮廷薬師研究課に就職する事が出来た。婚約者を含む騒がしい女性が多くいる学院を卒業し、男所帯の部署には満足していたのだが、それは一、二年ほどの間だけだった。
「お前の婚約者がまたぶっ倒れたぞ!」
婚約者を重んじる社会のせいか、必ずいつも僕が呼ばれる。
というか、女性に耐性がない彼女を、なんで第二王女のメイドになんか上げたんだろうか。第二王女は彼女にとって、唯一ぶっ倒れる事がなく交流可能な女友達というか、同性の上司という感じではあるらしいが。
おかげで、ここ一年ほど、僕の周りは落ち着かないでいる。