第十九話【そこにない名前】
数秒の沈黙の中で凄まじい量の思考が巡る。
アンフィビアン卿のから直接の紹介がないということが、これが非公式であり、受ければ不味い頼みであることを証明している。
この話を受ければアンフィビアン卿からの怒りを買い、受けなければ未来の領主からの顰蹙を買うことになるだろう。
「理由をお聞かせくださいますか?」
「世界を知りたいのです。父上の冒険譚、船乗りたちの航海話を聞くことが好きでした。ですが、僕はこの都から出たこともない。私は将来、この領地を相続するでしょう。貿易で成り立つこの地を統べるには、この目で世界を見て、この手で実際に触れなくてはならないと考えています」
チノと年の差がほとんどないであろうレイモンドから、少年らしからぬ眼差しが向けられていた。この世界では、何かを背負った子供の眼をよく見る。
「父、アンフィビアン卿は、僕がこの地から離れることを許さない。どうか、僕を秘密裏にモングールの村へ連れて行ってくれませんか?」
だが、その眼に答えることはできない。今、見なくてはならないのは、未来ではなく今なのだ。
「申し訳ありません。俺、いや我々では、レイモンド様の願いを叶えることができません。」
「そうですか・・・わかりました。この話は内密でお願いします。特に父には・・・」
「承知しました。ご期待に沿えず申し訳ございません」
「気にしないでください。では、よい夜を」
貴族であるにも関わらず、レイモンドは俺に対して会釈をして去っていった。
***
翌日は、目が覚めてからは目の回るような忙しさだった。頼んでおいた帰りの分の食料品が朝食が終わったころに届き、手分けして確認作業に追われた午前中。午後は、ウルスラに誘われて卿と共に昼食をとった。
その流れで地図を広げて水源を考慮した米の生産を開始する場所の選定。米作りに適した麦畑から田んぼへの変換するための説明を、アンフィビアン卿が召喚した農業技術者を招いて行ない、図と文章にまとめていたら日が沈んでいた。
「とりあえず、チノちゃんたちが村に帰る前に決めなきゃいけない案件の話し合いはできたわね。それと、昨日カズヒサちゃんが提案した移住者の希望なんだけど、レトリア内で該当する子が328人、移住を希望する子は13名。そこから即時準備を済ませられるのは3名だったわ。これがセガールからの報告書ね」
アンフィビアンから受けった書類に記載された13名の中にタランの名前はなかった。
「人数が少ないから領地全土でとなると、来年になると思うけどかまわないかしら?」
「はい、問題ありません」
「それじゃ、夕食にしましょう。向こうの積み荷整理も終わったでしょうし、チノちゃんを呼んできてちょうだい」
今すぐにでも酒場に行きたかったが、領主の誘いを断れる程肝っ玉はデカくない。外も暗くなっているし、土産を買いに行くといっていたチノたちも帰ってきているだろう。
「わかりました。食堂にそのまま向かっても?」
「えぇ、待ってるわ」
執務室を出た俺は、チノを呼びに足早で向かった。




