第十三話【狼の忠告】
この世界で曲がることも、折れることもなく彼女は果敢に立ち向かい続けた。だが、それも限界だった。いや、それもとっくに超えていたのだろう。
タランが生きてきた人生は、俺なんかとは比べものにならない程に苛酷なものだ。それに衛兵になってからのことも想像するに容易い。
これから先、この涙が報われる日が来るのだろうかと考えてしまう。アンフィビアンとウルスラの話から、想像以上に聖光教の根は深い。
これまでボロボロになりながら戦い続けてきたタランに、気休めの言葉をかける勇気は俺にはない。
だけど・・・それでも俺は、タランの助けになりたい。そう思ってしまったんだ。
「俺はさ、一年前まで何不自由なく生きてきたんだ。腹いっぱい食べて、いつだって寝れんのに夜更かしして眠たい目を擦りながら学校に行ってた。俺は馬鹿だからさ、自分が満たされてるなんて一度も考えたこともなかった」
実際、不満しかなかった日常がいかに恵まれていたのかを、この世界に来て初めて気づかされた。
「そんな馬鹿な俺だからさ、タランにかけてあげられる言葉なんて持ち合わせちゃいない。だけど、この世界に流された俺に救いの手を差し伸べてくれたのはチノだった。だから、今度は俺がタランに手を貸すよ」
背中にタランの額が当たる感触がした。しばらくの沈黙の後、タランの口はポツリと言葉を漏らした。
「・・・その手に縋ってもいいだろうか?」
嗚咽交じりのその声は、関所で会った隊長さんのものとは考えられない。だが、これが繕いを取っ払った本当のタランの姿なのだ。
「あぁ、こんな手で良いならいくらでも縋ればいいさ。ただ、俺にできることなんてたかが知れてるし、それでタランが救われるかどうかは分かんねえ。けど、やるだけやってみるよ」
確実性のかけらもない、情けない限りの言葉。だけど、これが精一杯の今の俺だ。
俺の手に伸ばされたタランの指先が触れる。俺は、その掌がもう震えなくていいようにそっと握った。
***
目が覚めるともう部屋の中にタランの姿はなかった。酒のせいか喉の渇きが酷く水差しに直接口を付けて身体に流し込む。木窓を開けると、さっぱりとした冷たい空気が頬を叩き、まだ空は暗いが朝の気配を感じさせる。
そして、昨日の出来事が鮮明に脳内をかけ巡った。
「ふぅ・・・酒って怖ぇ。あと、揉んどきゃよかったなぁ・・・」
後悔先に立たずとはこのことである。据え膳食わねば男の恥という諺を作った奴は、きっと俺と同じ経験をしたに違いない。
「はぁ・・・帰るか」
宿を出て十分とかからずに一つ目の門の前にたどり着き、許可証を見せて中に入る。二つ目の門も同じように越えた頃には空は微かに青味がかり始めていた。
外に出ている者が居ないところを見ると、これまでの移動で疲れているせいかまだ起きて居る者はいないらしい。きっと、日の出とともにチラホラと起きだすだろう。
ゲルの中を覗くとチノはまだ眠っていたため、起こさないよう静かに自分の寝床に潜り込む。まだ、完全に酒が抜けきっていないこともあって二度寝しようとしたその時だった。
「朝帰りの雄から雌の匂いがする。浮気か?」
「うおっ!」
驚いて振り返ると、赤い瞳のチノが怪しい笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「えーと、神様の方のボルテ・チノアか?」
「いかにも、ワシじゃ。にしても、これまで多くの人間の情事は見てきたが一晩で雌の心を射止めて目合うとは、ヌシも中々やる雄ではないか」
普段のチノからは想像できない言葉に、脳みそがおかしくなりそうだ。
「やめろやめろ。俺はただ、酒で酔いつぶれた娘を宿で介抱してやっただけだっつーの」
「なんと、ヌシは狼であったか! ワシと同じじゃな」
狼のくせに上手いことを言って豪快に笑うボルテ・チノア。
くそっ・・・俺、こいつ嫌いだっ!
「まぁよい。ヌシが男色でないことが確信出来て、ワシは機嫌がよい。今日一日、この娘の鼻の効きを悪くしてやらんでもないぞ?」
「はぁ? なんでそんなこと」
「ふむ良いのか? ワシは侍らす雌が多いほど甲斐性がある良い雄じゃと思うが、この娘はどうだかのう、生娘の清き心は異国の露店に並ぶ飴細工よりも繊細で、織られた布に走る糸よりも複雑じゃ。数日口を利かぬだけで済めばよいが―――」
「すみませんでした! どうかお願いいたします!」
「ふふっ、初めからそう素直になればよいものを」
忠告を良く反芻して考えてみれれば、目の前にいるのは命の恩人ならぬ恩神だ。
先ほどの思考を訂正するために、オレ コイツ スキ。と深呼吸をしながら自らに暗示をかける。
「まぁ、火遊びは程々にすることじゃな。この娘は長旅で疲れておるというのに、他の雌と懇ろしているおヌシの帰りを、健気にも待っておったのだぞ?」
「だから、マジで違うから勘弁してくれ。でも・・・悪いことしたな」
チノがここで俺の帰りを待っている情景は容易く想像することができた。
「わかればよい。さて、若い雄を揶揄うこともできたし、ワシは満足したから引っ込むとするかの」
「お、そうか」
返事をした途端、寝床に横になろうとしていたボルテ・チノアが鋭い眼光をこちらに向ける。
「むっ! 今、少しだけ喜んだじゃろ?」
「滅相もないです!」
「ふん、まぁよい。ワシはいつでも見ておるからの、努々忘れるでないぞ」
何と怖ろしい捨て台詞を吐く狼だろうか。きっと強烈な毒も吐くだろうから保健所に突き出した方が良いのではないかなどと思いつつ、俺は即座に深々と頭を下げ、額を敷物に擦りつけた。
「はいっ! 御忠告ありがとうございます!」
「芝居じみておるのが見え見えじゃぞ。無理に信仰しろとは言わんが、ヌシはワシに対する誠意をもっと持つべきじゃ。ふん、またの」
そう言ってボルテ・チノアは瞳を閉じチノの身体から力が抜けていくのが見て取れた。どうやら、ようやく帰ってくれたらしい。
聞き耳を立てているのは分かりきっているため、下手に口を開くのはやめておいた方が賢明であることは明白である。
言いたいことは色々あったが、現状では口は災いの元でしかない。そのため俺は、一度深く深呼吸をして寝床に潜り瞼を閉じることにしたのだった。
ごめんなさい
単位をかけた大学の先生方との仁義なき戦いや、コロナのおかげで仕事が無くなってバイトを掛け持ちしてたら書く暇がありませんでした。
もうしわけないです。
死んでませんので、長い目で見て頂けたらと幸いです。




