第十話【背中の上】
腕時計を見ると長針が一周半ほど回っていた。その間に交換されたジョッキの回数は俺が一回、タランは五回。
最初ほどの勢いはなくなったが、依然としてチビチビと飲み続けている。その細身の身体のどこにそれだけの液体が入っているのかは謎だ。
それは唐突だった。これまでは、こちらから一方的に話しかけてはタランが端的に答えるという流れが続いていたのだが、今回は珍しくタランから口を開いたのだ。
「なぜ・・・なぜ、人であるはずのお前が・・・亜人とともに生きる?」
かなり酔いが回ってきたのか、軽く頭を前後させる彼女は今にも溶けてしまいそうな瞳で弱々しく問いかけてきた。
「おい、飲みすぎだろ大丈夫か、水飲むか?」
水を注文しようと手を挙げたところで、タランが身を乗り出して俺の胸倉を掴まれる。
「いいから・・・早く答えろ。人であるお前がなぜ、醜いと蔑まれる亜人とともに生きる?」
上手く力が入らないのか、胸倉をつかむ腕は微かに震えていた。だが、握りしめる掌は固く結ばれ、こちらを見つめる瞳は据わっていた。それは俺という存在を見定めるかのようだった。
「まぁ、あいつらは命の恩人だからな。困ってんなら今度は俺が助ける番だろ」
「助けた後はどうするのだ・・・領主様の恩情を無下にしてまで全ての税を収めたと聞く。どうだ、彼らは救われたぞ? お前だってもう用は無いではないのか?」
「あ? いやいや、農業舐めんな!たった一年で農業の全てを教えられるわけがねえだろうがっ! っていうか、俺だって農業の全てを知っているわけじゃねーんだぞ!」
こちらも酒が回っているのだろうか、気が付けば俺の手も勢いに任せてタランの胸倉を掴んでいた。
「そりゃあ、畑も耕したこともねえ隊長様には分らねえかもしれねえけどよぉ、農民はクワで土を弄ってるだけじゃねえんだぞ? 水と肥料に、虫とか鳥に獣、あと天気とか農家ってのは色んなこと知っとかねえとやってけねえんだっ!」
「私だって・・・私だって剣ではなくクワを持って畑で生きていきたかったさ・・・」
弱々しく俯くタランは、固く握っていた掌を解いた。
「だが・・・だが私は、私たちは、父も母も故郷すらも奪われた。できるものなら教わりたかった・・・今でも、あの金色に輝く麦畑はありありと思い出せる・・・だが、もう・・・」
そこまで言ったところで突然、胸倉を掴んでいた腕に全体重が預けられる。
「お、おい! いきなり寝落ちするなよ! っていうか、意外と重てーな!」
どうにか机に突っ伏すように寝かせて手を離したところで、俺たちの卓の世話を焼いてくれていた猫耳店員に声をかけられる。
「お客さーん、その人牛族のお姉さんの連れでしょ? もう店じまいだから、お会計して連れて帰ってくれませんか?」
「え? えっ? あ、はい、じゃあこれで。お姉さんにはお世話になったから、お釣りは取っといて」
提示された金額に足りる分の銀貨を財布から出して店員さんに手渡す。
「え、良いんですか? ありがとうございます! またのお越しをお待ちしてますねー!」
財布を懐にしまい、自らが置かれた状況を酒が入って良く空回る頭で考える。
「えーと・・・おい、おい起きろって」
「う、うーん・・・」
反応はありはするものの、起きる気配がまるでない。
気が付けばさっきまで客で埋まっていた机には人が居なくなっていて、俺たちを残すだけとなっていた。そして周囲を見ると、机を拭いたりしている店員たちがこちらの様子を伺っているのがひしひしと伝わってくる。
「はぁ・・・おい、背負ってやるから乗れ」
「うぅ・・・」
微かに意識が覚醒し、タランはなすがままに背中に縋りつく。
「重っ・・・」
小柄なのにズシリとした重みが膝に伝わる。身体は華奢なように見えたが、実際は無駄な脂肪が付いていない筋肉質な身体であることがわかる。だが、マントのせいで見えてなかったがかなり柔らかい感触が背中に伝わってくる。
「・・・」
きっと外に出て冷たい空気を肺に吸い込んだせいだと思うのだが、一気に酔いが冷めていく感覚が身体を支配する。
これは不味い、きっと不味い。さっさと衛兵さんに引き渡してしまおうと考えた時だった。せっかくの酔いが冷めってしまったせいで頭が回ってしまった。
衛兵さん的に、隊長が酔いつぶれて職場に運ばれるって大丈夫なのか?
「お、おい! あんたの家はどこだ?」
「門を越えて・・・倉庫街に、ある・・・衛兵宿舎」
「いや、あんた酔いつぶれてんだぞ。部下に見られたら流石に不味いんじゃないのか?」
そう問いかけたとき、背中から溜息の吐息が耳を擽った。
「そう・・・だな。隊長の任を解かれるどころか・・・職を追われるかもしれない。だが、それで良いのだ・・・どうせ、彼らは私が隊長であることを認めてなどいない」
「んなことねぇだろ。アンちゃ・・・領主様が認めたから、タランは衛兵の隊長になれたんだろ?」
「・・・確かに領主様はお優しい。下賤な亜人に過ぎない私や仲間たちを衛兵として雇い入れてくださったのだからな。だが、私が隊長に抜擢されたのは、亜人種たちの鬱憤を晴らすためにすぎない」
寒いからだろうか、背中からタランの震えが伝わる。
「帝都で亜人が差別されているのは知っている。でも、レトリアでは人も亜人も共生できてるように見えたぞ?」
「だが、それは表向きの話だ・・・所詮は、ただのかりそめでしかない」
添えられていただけの掌に、徐々に力が籠められていく。
「人は拳で語れなければ口で、口が駄目なら行動で我らを蔑む。亜人である我らは、声を荒げずとも非難すれば恐れられる」
「・・・」
「お前にはないのになぜ、私には角があるんだ・・・っ。なぜ、私には尾があるんだ・・・っ。 なぜ、人は私より非力なんだ・・・」
荒い息遣いは嗚咽に変わる。
「おい、泣くなよ。ってか、あんた隊長だろ。こんなとこ見回りの衛兵に見られたらどうすんだ」
「泣いてないっ・・・! あと、子どものようにあやすな・・・!」
泣き止むように揺すっていたら怒られてしまった。
「いや、やはり・・・もう少しやってくれないか・・・」
「え?」
唐突なお願いに思わず面食らったが、頼み事には答える主義だ。
「・・・昔、父にもよくやってもらってたんだ。もっと大きい背中だったがな」
「ははっ、頼りない背中で悪かったな」
しばらく揺すってやっていると、嗚咽は穏やかな呼吸に戻った。
「どうだ、落ち着いたか?」
「あぁ、すまない。取り乱した」
年上だと思っていたが、こうしてみるとどこか幼さなさが残っているかのようだった。
「もう一人で立って帰れそうか?」
「いや、流石に千鳥足で宿舎に帰れない、私は宿に泊まるからお前も泊まれ」
「はぁ? お前はいったい何言ってんだ?」
「私の言う通りにした方が良い。衛兵、騎士以外は規定時刻を越えたら出入りはできない規則だからな」
「いや、通行証もらってんだけど」
実際に貰っている通行許可証をタランに見せる。
「門を通した衛兵が説明していなかったか?」
「聞いてねえけど・・・」
「なら私の言う通りにするんだな。そこの通りに入れ、宿街がある」
「わかったよ。はぁ、酔っ払いが偉そうに」
門を入れないのならどうしようもない。ここはタランの言う通りにしておくのが得策だろうと思い、指示された通りへと向かった。




